「おはようございます、学園長」


「うむ、朝早くから済まんのタカミチ君」


 まだ生徒もまばらにしかいない早朝八時。扉を開けて入ってきたタカミチ君に労いの言葉をかけ、椅子に座るよう勧める。じゃがタカミチ君は、すぐ済みますから、と言ってそれをやんわりと断った。別段強制する事でもなかったので、そうかの、と顎鬚を撫でながら、早々に用件を切り出した。


「で、小次郎君の働きぶりはどうじゃ? 上手くやっとるかの」


 今日で小次郎君が剣道部のコーチとして勤務を始めてから五日。曜日も金曜日と区切りが良かったので、小次郎君の監督を頼んでいたタカミチ君からその評価を聞くために今朝は呼び出した。


「そうですね…………それなりに上手くやっていますよ。剣道部の子達にはすでに受け入れられています。一度稽古風景を見学にいったんですが、いや、あれは凄いですね。今年の剣道部はきっと全国に行きますよ」


「おお、その話なら国重先生から聞いたぞい。一日の終わりに希望者が小次郎君と一本勝負をするのじゃろう? 確かに、最高の指導方法じゃよ」


 何しろ小次郎君の剣を肌で感じる事が出来るのじゃ、これ以上はあるまい。同じく国重先生から、一部の生徒から人気があるんです、と子供たちの評価も耳にしておる。


 制限時間は一分。絶妙の手加減で試合を行い、致命的なミスを見つけるか時間が来るまで打ち合い続ける。ミスを見つければあっという間に小次郎君の一撃が決まり、身を持ってその間違いを知る事が出来る。逆に一分持ちこたえれば、上達しておるなと褒められる―――と言う内容だそうじゃ。どちらに転んでも、生徒にはプラスじゃろう。


「その表れとして、剣道部の子達の間でのみですが、すでに渾名が小次郎についたそうです。ほら、僕の『笑う死神』とか『死の眼鏡デス・メガネ』のような」


 自分で自分の渾名を口にしたからか、苦笑い気味にタカミチ君はそんな事を言った。


「ほう。で、どのようなものなのじゃ?」


「確か―――『最後の武士ラスト・サムライ』ですね。カッコいいし、良く似合っていると思いますよ、僕は」


「フォッフォッフォ、なるほどなるほど」


 顎鬚を撫でながら、嬉しそうに呟いた。この調子で、他の生徒とも仲良くしていってほしいものじゃ。


「警備員としての仕事はまだありませんが、それも以前の腕試しを見る限り問題はないでしょう。むしろ、前衛の主力として活躍してくれると思っています」


「それはまぁのう。刀子先生を圧倒するんじゃし」


 ワシも若い頃は魔法使いとしてそれなりの戦いを潜り抜けてきたものじゃが、小次郎君ほどの剣士は見た事が無い。無論総合的に見ればそれ以上の者はごまんとおるが、純粋な『剣士』ならば彼以上の者を、少なくともワシは知らぬ。


「あい分かった。朝早くからご苦労じゃったの」


「いえ。じゃあ僕は、そろそろ授業の準備があるので」


 では、と言いながら一礼をし、タカミチ君が退室した。その後いくらか書類を整理していると、再び戸が叩かれた。


「学園長殿、私だ」


「おお、小次郎君か。入っとくれ」


 スッ、と音も無く扉が開かれ、小次郎君が入室してきた。そのまま歩を進め、座っても? と聞いてきたので、もちろんじゃよ、とそれを了承する。背から五尺の刀を外し、失礼、と断ってから腰掛けた。


「済まんの、このように朝早くから。今日は十時から関東魔法協会の会議があって、それの影響で九時には麻帆良を離れなければならんのじゃよ」


「学園長殿が気にすることはない。どの道こーちがあるまでは時間を持て余している身だ、生徒と共に道を歩くというのも中々楽しかったよ」


 ふふっ、とくすみ笑いのような笑みを浮かべて小次郎君が言う。ふむ…………それなら、今度何か娯楽でも提供して上げようかの。エヴァとも仲が良いみたいじゃし、囲碁や将棋なら二人で楽しめるじゃろう。


「して学園長殿、用件は?」


「大した事ではないわい。今日まで働いた感想を聞いてみようかと思っての」


 ワシの言葉を聞いて、おぉ、と小次郎君が頷いた。国重先生から生徒の、タカミチ君から第三者の意見を聞いたが、やはり当の本人がどう思っておるかが重要じゃ。


「楽しくやらせてもらっているよ。子供たちも良くしてくれるし、他の先生方との付き合いも良好だ。先日も、部活が終わった後に生徒が“かふぇ”というところへ連れて行ってくれてな、“こーひー”を馳走になった」


 正直好みではなかったがな、と最後につけたし、小次郎君が笑う。その笑顔は未知を知る事が楽しくて仕方ない、そして同時に今の生活に満足している、子供のように純粋なものじゃった。


『このような笑顔が見られるのなら、助けた甲斐もあるというものじゃ』


 その後は、今日までにあった出来事を小次郎君から聞いていった。その話を聞くだけで、本当に生徒たちから慕われているのが分かる。


 エヴァとも相変わらず仲良くしておるようじゃ。からかった時の反応を話している小次郎君の表情は、悪戯好きの少年のようで微笑ましいわい。






 キーン、コーン、カーン、コーン





 小次郎君の話に耳を傾けていると、始業の鐘が鳴った。もう少し小次郎君の話を聞きたかったんじゃが、まぁそれは後日でも出来るか。


「む? 学園長殿、この鐘は?」


「始業の鐘じゃよ。今からホームルームと言う―――そうじゃな、ちょっとした集会のようなものを行い、それから子供たちが勉強を始めるのじゃ」


「ほう―――」


 興味深そうに、小次郎君が頷く。そういえば、小次郎君はそういったものを経験した事がないんじゃったな。


 ふむ、それなら……


「小次郎君。良ければ、授業を見学して見るかの? 興味があるのじゃろう」


「良いのか? であれば、是非に」


 ワシの提案を、二つ返事で了承する小次郎君。よほど興味が有ったのじゃろう、既に立ち上がって背に刀を付けて準備万端じゃった。


 さて。そうなれば、行くクラスは決まっておる。ワシは逸る小次郎君の気持ちを宥めながら、学園長室を後にした。












「それじゃあ、朝のHRを始めまーす」


 朝の挨拶を終えた後、僕はそう言って先生としての仕事の始まりを行っていく。


 今日で先生になって五日目。みんなとても仲良くしてくれて、嬉しくて楽しい毎日が送れている。この調子でいけば、立派な魔法使いマギステル・マギになれる日もそう遠くないかもしれない。


 そう考えながらHRを進めていると、トントン、と突然入り口の戸が叩かれた。クラスのみんながその扉に視線を移し、僕もそっちを見る。


「ネギ君や、ちょっといいかの?」


 そこには、学園長先生が僕を手招きしていた。何だろうと思い、ちょっと待っていてくださいね、と生徒たちに言ってから戸に向かう。


『…………もしかして、僕何かとんでもないミスを!?』


 頭の中でそんな事を思いながら、カチカチの状態で教室を出て学園長先生と向かい合った。


 ―――と。学園長先生の後ろに、人がもう一人いた。


『うわぁ…………お侍さんだぁ』


 一目見た感想は正にそれ。キモノという日本古来からある衣装を身に付け、その上に綺麗な服を羽織っている。背中には細長い袋を背負っていて、形状とその人の外見から日本の剣である刀を自然と連想した。顔立ちも凄く整っていて髪の毛も女性のような艶があったから、僕は男性に対して『綺麗な人だ』という感想を持ってしまった。


「急にスマンの、ネギ君。こちらは佐々木 小次郎君と言って、ネギ君と同じ日から剣道部の外部コーチとして勤務してもらっておった者なのじゃよ」


「佐々木 小次郎だ。宜しく」


「あ、は、はい。ご丁寧にどうも…………ネギ・スプリングフィールドです」


 優雅に微笑を浮かべて、佐々木さん―――じゃ紛らわしいから、小次郎さんにしよう―――が僕に礼をしてきたので、同じく僕も名乗りながら礼を返した。英国紳士を自負する僕から見ても、その動作はつい見習いたくなるほど綺麗だった。


「そ、それで…………僕に、一体どういった用件が?」


「うむ。実は小次郎君はある事情から、学校というものに通った事が無いのじゃよ。じゃから、学校の授業と言うものに強い興味が有ってな、見学をさせてあげたいのじゃ」


「は、はぁ。それは構いませんが、何で教育実習中の僕のクラスに?」


 小次郎さんにも深い理由があったんだろうから、見学するのはとてもいい事だと思う。でもそれなら僕のようなクラスじゃなくて、例えばタカミチみたいなベテランの授業を見学すればいいんじゃないかと考えてしまい、つい学園長先生に聞いていた。


 でもその答えは、小次郎さん本人が教えてくれた。


「その理由は単純よ。其方のくらすに、私の知り合いが幾人かいてな。そういった者がいた方が気が楽だろうと、学園長殿が計らってくれたのだ」


 その言葉に、なるほど、と納得した。学園長先生は、小次郎さんも僕と同じく勤めて五日目だと言っていた。なら、知り合いがいないところに行くよりは、一人でもそういう人がいる場所に行った方がいいというのは僕でも考え付く。


「そういう訳なのじゃ。まだ学校に慣れていないネギ君には本当にスマンが、小次郎君を頼まれてくれんかの?」


「分かりました、学園長先生。そのお話、お受けします」


 重ねて頼んできた学園長先生に、はっきりと答える。困っている人を助けるのが魔法使いの使命だからこういう人を見逃す訳には行きませんし、そういう理由があるのならそれはなお更です。


「おぉ、引き受けてくれるか。助かるわい。それでは小次郎君、ネギ君のクラスでゆっくりしとくれ。ワシは会議があるので、そろそろ失礼するぞい」


 小次郎君を頼んだぞ、と最後に僕に言い残して、学園長先生が去っていった。そうして残った小次郎さんに、僕は改めて向かい合う。


「改めまして、2−Aの担任を務めているネギ・スプリングフィールドです。佐々木 小次郎さん、少し騒がしいクラスですが、今日一日ゆっくりしていって下さい」


「丁寧な挨拶痛み入る。剣道部のこーちを勤めている佐々木 小次郎だ。ネギ殿とは、年の離れた同期ということになるな。以後、宜しく頼む。今日一日世話になる」


「そんな、ネギ殿だなんて。呼び捨てで構いませんよ、僕の方が年下なんですから」


「では、私のことも好きに呼んでくれ。同期なのだ、遠慮は無用ぞ、ネギ」


「ありがとうございます。それじゃあ小次郎さん、どうぞ教室に入ってください」


 挨拶を交わして、笑顔で小次郎さんを迎え入れようとする。でも、その前に。


「そうだな、早く入るとしよう。其方のくらすの者たちも、先程から私が気になって勉学に身が入らぬようだからな」


「え?」


 口の端を吊り上げて小次郎さんが笑い、僕の後ろを顎で指す。振り返ってみると、廊下に面している窓と扉から、クラスのみんなが顔を覗かせていた。


「「「わ、やば」」」


 僕が振り返ったのを見て、皆がわたわたと席に戻っていきました。あ、あはは…………早速、元気なところを見せてしまいました。


「ふふ、元気な良い娘達ではないか」


「あう…………ありがとうございます」


 笑顔でそう言ってくれた小次郎さんに恐縮しながら、僕は小次郎さんと一緒にクラスの中に入っていった。


 クラスのみんなの視線が、小次郎さん一人に注がれている。特に朝倉さんが凄い。もう、今にもマイクとメモ帳片手に小次郎さんに突撃しそうなくらいだ。


「はい、皆さん聞いてください。急な話ですが今日一日、この佐々木 小次郎さんが僕たちのクラスの授業を見学するそうです。小次郎さんは僕と同じ日に剣道部のコーチに就任された方です。ですから皆さん、なるべくいつも通り授業を受けてくださいね」


「佐々木 小次郎だ。急な申し出で済まぬが、今日一日世話になる。何か話をしたい者がいるのであれば遠慮なく話しかけてくれ。私としても、その様に生徒達と交友を広げて行きたいのでな」


 そう言ってから、小次郎さんが一礼する。そして、頭を上げると―――


「「「か、カッコイイーーーーーー!!」」」


 クラスが爆発した。あぁ、何だか僕の赴任初日を思い出します。きっとこの後、クラスのみんなが小次郎さんの周りに殺到するんだろうな。


「お待ちなさい!」


 クラスの一部が小次郎さんに突撃をかけようとしたけど、その一言がピタリとみんなを止めた。声を張り上げたのは雪平 あやかさん。このクラスの委員長を勤めてくれていて、僕にとても優しくしてくれるいい人だ。


「またネギ先生がいらっしゃった時と同じ事を繰り返す気ですか? それでは佐々木先生が困ってしまうでしょう。さ、皆さん席に戻って」


 パンパン、と手を打ち鳴らしながらいいんちょさんが言うと、みんなしぶしぶといった感じで席に戻っていきました。流石だなぁ、いいんちょさん。


「ほ、ほらみなさん。小次郎さんに聞きたい事がある人は、休み時間に話しかければいいじゃないですか」


 そう言ったところで、HRの終わりを告げる鐘が鳴り響いた。僕は授業の準備をするために一度職員室に戻らなければならないので、小次郎さんに一言断ってから教室を出て行った。


 さぁ、今日はいつも以上に頑張らないと。












 ネギが退室した後、私は剣道部でも経験した質問責めにあった。元気なのは良いが、もう少し慎ましくなって欲しいと言う感想を持った瞬間であった。


 中でも凄まじい執念を感じたのは朝倉 和美という女子だ。まるで、私の全てを丸裸にしてくれん、と言わんばかりの気迫が全身に満ち満ちていた。『このクラスの中で好みの女の子はいますか?』と問われたときは流石に答えに窮したが、それも鐘の音に救われた。時よ、感謝する。


 鐘の音から少しして、ネギが教室に帰って来た。どうやらこれから勉学が始まるようだ。起立、礼、と号令がかかったので、私もそれに倣う。因みに、椅子を借りて座っている場所は部屋の一番隅で、エヴァの真後ろだった。時折振り返って私を見てくるエヴァの視線には、明らかに迷惑の色が見える。


「それじゃあ、今から僕が読む所を訳して貰います。教科書を見ながら良く聞いていてください」


 黒板と呼ばれている物の前で、ネギが教師として指示を出していく。訳す……か。古語の勉強であろうか?


「Nancy,here in Japan,the school year begins in early April」


 異国の言葉であった。何を言っているのかさっぱり分からぬ。


「それじゃあ…………大河内さん、訳してもらえますか?」


「……はい。えーと…………『ナンシー、ここ日本では新学期は四月に始まります』―――です」


「はい、大変よく出来ました」


『ほお……』


 私と似ている髪型の女子が立ち上がり、今の異国語を日本語に見事訳したようだ。心の中でその女子に感嘆の拍手を送り、その後も全く分からぬ異国語の授業を聞き続けた。


「はい、今日はここまでです。次の授業は新しいレッスンに入りますから、最低でも単語の意味は調べてきて下さいね。日直さん、号令をお願いします」


「起立、礼」


 再び号令がかかったので、私も同じく頭を下げた。


 一つ目の勉学が終わったようだ。小休止の時間なのか、部屋を出る者や雑談を交わす者が多く見受けられる。中には仮眠を取っている者もいた。


「おはようございます、小次郎さん」


「おぉ、刹那か。おはよう」


 と。そうやって私が見渡していると、くらすの中で数少ない私の顔見知り、刹那が声をかけてきた。私が返事を返すと、スッ、と一礼してくる。肩には刹那の身長を超える竹刀袋があるが、重心からその中身が真剣と見て取れた。


「朝は早速このクラスの洗礼を受けましたね。お疲れ様でした」


「あそこまで積極的且つ友好的に来られると嬉しくもあるが、対応しきるのに四苦八苦するものだな」


 嬉しさ半分の苦笑いを浮かべて答える。刹那もそれを聞いて、あはは、と同じく苦笑いするのみだった。それだけの会話で、このクラスの気質を表せた気がした。


「ふん、見ている側からしてみれば愉快だったがな。貴様が少なからずうろたえる姿、見ものだったぞ?」


 すると、エヴァがこちらに振り返りながらそんなことを言った。


「む、失敬なことを」


「貴様がそれを言うか? 普段から私をおちょくりまくっているのはどこのどいつだ」


「私だ」


「即答で断言するな!」


 軽い意趣返しに早くも絶叫するエヴァ。はっはっは、それだからからかい甲斐があるのだ。


「小次郎さん、おはようございます。先日のアレは到着しましたか?」


「うむ、昨日届いた。おはよう茶々丸」


 茶々丸もこちらにやって来てくれた。そのまま四人で幾らか会話を交わしていると、何人かの女子が近寄ってきたようだ。その中の一人―――三つ網にした髪を二つ下げているでこの広い女子が私に向かって歩み出る。


「始めまして、あなたが佐々木 小次郎さんですね」


「左様。其方は?」


「葉加瀬 聡美と言います。茶々丸の製作者です。お話は、茶々丸から聞いてますよ」


 そう言って、よろしくお願いします、と手を差し出してきたのでそれに応えながら軽く目礼をした。次いで、両側頭部に団子のよう髪飾りを着け、そこから三つ網をそれぞれ垂らしている女子が一歩近づいてきた。


「ニーツァオ、佐々木師父。ワタシは超 鈴音、ハカセの友人ネ。コレ、お近づきの印ネ」


 笑顔で友好的に挨拶をしてきた超殿はそう言うと、湯気のたつ白く丸い物を手渡してきた。饅頭の様に柔らかい感触が暖かさと共に手に伝わる。


「ワタシたちのお店、超包子の肉饅ネ。ご贔屓に」


「ほう、商魂逞しいことだ。結構」


 苦笑いしながら、折角なのでその“にくまん”とやらを一口ほお張った。


「―――美味い」


 気付けば、あっという間に完食していた。あの肉汁が何とも…………


「コレで手を拭くとイイネ」


「む? おぉ、済まぬ」


 にくまんの余韻に浸っていると、おさげを両側頭部から下げている褐色の肌の女子が一枚の紙を渡してくれた。あり難く受け取り、手と口を拭いて近くにあったごみ捨て場に捨てると、褐色肌の女子が自己紹介を始めた。


「古菲ネ。噂は聞いてるアルヨ小次郎先生。今度勝負してほしいアル」


「ふむ、其方も武芸者か…………筋肉のつき方とその独特な歩き方、異国の拳法家とお見受けする―――いや、何らかの武器の扱いも体得しておるな」


「アイヤー、見ただけで分かるのカ。これは楽しみアル」


「何、このようなことは大道芸であろうよ。今まで斯様な歩き方を見たことがなかったのと、其方が異国の女子であることから推測しただけだ」


「十分すごい目利きだと思います……」


 私が笑いながら言った言葉に、刹那が呆れ気味の合いの手を打った。何故か茶々丸も頷いていた。エヴァは、フン、と鼻を鳴らすだけだったが。


 再び鐘が鳴った。二つ目の授業が始まるようだ。いそいそと皆が席に着いて行き、程なくして教師が入室してきた。


「こ、小次郎さん?」


「む、国重殿ではないか」


 その教師はなんと、国重殿であった。奇遇、とはこういうことを言うのであろうな。


「あれ? 先生、小次郎さんと知り合いなんですかー?」


「知り合いも何も、俺は剣道部の顧問だろう椎名」


「あ、そっか。ねぇねぇ先生、小次郎さんって噂どおり強いの?」


「おお、もう強いなんてもんじゃないぞ。暇があったらぜひ見に来てみろ」


 おー、とくらす中から声が上がり、こちらに視線が向く。今日何度目か分からない苦笑いを浮かべてそれに応えた。


 国重殿の授業が進んでいく。どうやら、数を使った勉学のようだ。まるで魔術式のような数字と記号の羅列が、黒板に延々と続いている。興味深いが、やはり理解できないことを長々と聞き続けるというのは退屈とまでは行かぬが、手持ち無沙汰になるな。


「…………スゥー」


 と、どこからか寝息が聞こえてきた。


『失礼な輩だ』


 学を学べることがどれほど素晴らしいことか分っておらぬのだろうか。起こしてやろうと思い、耳を澄まして寝息の発生源を探ってみると、果たしてそれは瞬く間に見つかった。


『…………其方か、エヴァ』


 目の前にいるエヴァがそれなのだから、むしろそれは当然だった。誰にも気付かれぬようにその寝顔を覗いてみれば、何とも気持ち良さそうに堂々突っ伏して眠っている。普段ならば気を効かせて起こさぬところだが―――


『今はそうは行かぬ。この様に貴重な時間を眠って過ごすとは』


 早速行動を開始。頬を指で突付き、静かに起こしてみる。


「―――ん、む…………」


「起きたかエヴァ。眠るでない、折角の貴重な教えぞ」


 小声で起きることを勧めた。だが、


「喧しい…………スゥー」


 聞く耳持たず、エヴァは再び船を漕ぎ出した。


 その後も二度ほどそれを繰り返したが、終いには『うざったい、放り出すぞ』と脅し文句まで口をつき始める始末であった。これは、少々強行に出ざるを得まい。


『仏の顔も三度まで。エヴァ、覚悟せよ』


 辺りを見渡し、誰も此方を見てないのを改めて確認し、お仕置きを敢行する。透化の技能を発動し気配を周囲に同化させ、更に細心の注意を払ってエヴァの髪の毛を一房手に取った。それで、横を向いて突っ伏しているエヴァの鼻の辺りを擽る。


「ん、むぅ……」


 くすぐったさに反応したのか、顔を反対側に向けるエヴァ。それでも起きる気配は無く、引き続き同じ行動を行っていく。


「…………ふ、ふぁ」


 狙い通り、エヴァの鼻がムズムズと動き出した。素早く優しく髪の毛を元に戻し、何食わぬ顔で席に着いて国重殿の教えに耳を傾ける。


「は、は――――――ハックシュン!」


 無音の部屋にエヴァの遠慮皆無なくしゃみが響き渡った。唐突なそれに、くらす中の視線がエヴァに向く。


「あー、エヴァンジェリン。くしゃみはせめてもう少し抑えてしてくれ」


「――――――」


 そう言う国重殿を睨むことも忘れ、予想外の恥辱に顔を赤らめて震えるエヴァ。クスクスと聞こえてくる小さな笑い声が、なお更それを後押ししていた。


「―――ク、クク」


「笑うなぁ!」


 抑えきれず溢れた笑い声に、赤い顔のまま振り返りエヴァが吼えた。


「はっはっはっはっは! そのように可愛らしい顔で怒鳴られても何の迫力も無いぞエヴァ?」


「か、可愛ら―――し、死ね! 一度死ね貴様ぁ!」


 ガタン、と席を立ってエヴァが私に飛び掛ってくるが、それを逆に正面から受け止る。俗に言う、高い高いの格好で。


「そら、大人しく国重殿の授業を聞け。そうであろう、国重殿?」


「え、あ、はい。え、エヴァンジェリン。聞く気が無いのならせめて大人しくしていてくれ」


「分かったから下ろせ馬鹿者!」


「これは失礼。あぁ国重殿、授業の妨害をして済まなかったな」


 向きを変えて、エヴァを席に下ろしてやった。コホン、と国重殿が咳払いで間を取り直し、授業を再開した。流石に眠気が覚めたのか、エヴァも眠らずに授業に取り組んでいる。ただ、私を見る目に憎悪の色が灯ってしまったが、まぁそれも仕方なし。甘んじて受けよう。


 その後、授業は何ら差し当たりなく進行し、昼休みという時間に突入した。昼食を取り、同時に午前の授業の疲れを取る時間らしい。その割りに、運動をする生徒もいると言うのだからよく分からぬ。


「小次郎さん、昼食はどうなさるおつもりなのですか?」


「む、そういえば…………」


 茶々丸の問いで、昼食の持ち合わせがないことに漸く気付いた。金はあるが、さてどうしたものか。


「やぁ小次郎、午前の授業見学は楽しかったかな?」


 昼食のことで思い悩んでいると、私のすぐ後ろにあった扉からタカミチが片手を上げながら顔を出した。もう一方の手を“ぽけっと”とやらに入れ、柔和な笑みを浮かべているのはいつもの姿だ。


「あ、これは高畑先生。こんにちは」


「ふん、タカミチか、丁度いい。この馬鹿昼飯を持って来てないそうだ、購買にでも案内してやれ」


「え、本当かい? 困ったなぁ、僕はこれからやっつけなきゃいけない書類があるんだよ…………」


 未だ不機嫌なエヴァの言葉に、タカミチがそう言って表情を曇らせた。


 ふむ、それは私も困ったな。エヴァは先ほどのこともあるから案内してくれぬだろうし、茶々丸もエヴァに付き添わねばならぬから無理であろう。


「むぅ…………さりとて、場所を教えてもらって私が辿り着ける筈も…………」


「あの、小次郎さん? どうかしましたか?」


 手を顎に当てながら困り果てていると、刹那が後ろから声をかけてきた。おぉ、そうだ、刹那がおるではないか。


「あぁ、実は昼食の用意が無くてな。購買という場所に行きたいのだが、よければ案内してもらえぬか刹那」


「あ、そうなんですか。分かりました、私でよければご案内させていただきます。丁度、私も購買に行こうと思っていたので」


 薄く笑みを浮かべて私の申し出を了承してくれた刹那。こちらです、と言って早速私を先導してくれるようなので、私もそれに続いて部屋を出ようとする。


「ではな、活発な女子らよ。また、午後からもよろしく頼む」


 部屋に残っていた女子らにそう声をかけて返事も待たずに、今度こそ刹那の後を追って行った。


 ―――その、直前。


「…………せっちゃんが…………笑った?」


 何故か、その一言だけが、やけに耳に良く聞こえた。












 ―――さて、目の前の状況を何と言ったらいいか。


「あんた達の方がガキじゃないのよーーーっ!」


「やる気!? かかって来なさいよこの中坊ーーー!!」


「ネギ先生をお放しなさーい!!」


 ネギのくらすの女子らと、高等部という別の区分けの女子らが、再び取っ組み合いに発展している。既に掴みかかっている者もおり、これは殴りあいに至るまでそうそう時間はかからぬと思われる。呆然とその喧騒を眺めながら、私は激しい既視感を感じた。


「―――痴情の縺れ」


「貴様の脳内など知りたくもないが、それは明らかに違うぞ馬鹿侍」


 光景から連想した言葉を口に出してみたが、隣で私と同じく傍観を決め込んでいたエヴァによってそれは否定された。むぅ、その通りだと思うのだが。


 今の状況を説明するには、時間を昼休みの中ごろまで遡らねばならぬ。


 無事昼食にあり付けた私は、刹那に校舎内の案内を申し込んだ。購買への案内と同じく二つ返事で了承してくれた後、二人で色々な所を見て回った。その途中、中庭を歩いている時にそれは起きた―――もとい、遭遇した。


「誰がゆずりますかこのババァッ!」


「今時先輩風吹かせて物事通そうなんて頭悪いでしょあんたたち!!」


「なによやる気このガキーーー!!」


 中庭のど真ん中で、周りの目も気にせずに二組の女子らが取っ組み合いをしていた。言わずもがな、先と同じ組み合わせだ。


「慎ましくないな…………刹那、少々待っていてくれ」


「あ、はい」


 そう刹那に断りを入れてから、喧騒に向かって歩みを進める。暴動の鎮圧ではないので、青江を抜く必要はない。


「こら、止めぬか」


 意識して少し強めに声を出す。その声が届いたのか、誰もが喧嘩を止めて私に視線を向けた。


「こ、小次郎先生!?」


 長いおさげを二つ垂らしている女子―――神楽坂と言ったか―――が、そう私の名を叫んだ。それに片目を閉じながら口の端を吊り上げることで応え、全員を見渡しながら口を開く。


「いい歳の女子らが取っ組み合いの喧嘩とは見っともない。もう少し淑やかな方が、男からも好印象を持たれるぞ。そう思わぬか、タカミチ?」


「うーん…………一概には言えないけど、僕としては同感かな」


「た、高畑先生まで!?」


 私とは別方向から来ていたタカミチに声をかけると、再び神楽坂が声を荒げた。心なしか頬が赤くなり、急に大人しくなったのは気のせいであろうか?


 その後は、主にタカミチの活躍によって場は収まりことなきを得た。刹那の下に戻った私は『そろそろ次の授業です』と言う刹那の言葉に従ってネギのくらすへと戻り、教室の前で皆の準備が終わるのを待った。次の授業は体育という運動をするものらしく、それに伴った服装に皆が着替えているのだが、無論、中を覗く等という破廉恥な真似はしていない。


 そして準備が終わった女子らが教室から出てきて、幾らか会話を楽しみながら屋上に出ると―――


「あんたは何でそこで捕まってるのよネギ坊主!!」


 何故か先の女子らに、ネギが捕まっていた。


 ―――そうして現刻に至る。これが今の喧騒の引き金なのだが、さて、真にどうしたものか。


「エヴァ、何か良い手はないか?」


「知らん。勝手にやらせてろ、ガキの喧嘩なんぞ面倒見れるか」


 構ってられん、とばかりに座り込み、壁に背を預けるエヴァ。まぁ、私としてもそれは同感だが、ガキとはまた妙な事を言うものだ。纏う空気は確かにそうだが、其方と皆は同い年であろうが。


「は……は……―――ハクシュン!」


「ぬ!?」


 くしゃみと共に突如巻き起こる旋風。何事かと振り返ってみれば、何故か皆がネギを注視していた。よく見れば、不可解にもネギの足元に罅が入っている。


「あの……どんな争い事も暴力だけはダメです、アスナさん」


「あ…………うん…………」


 ネギの言葉に呆然としたまま神楽坂殿が答えた。それを確認したネギが、人差し指を立てて一つの提案をした。


「で、ではこうしたらどうでしょう? 両クラス対抗でスポーツで争って勝負を決めるんです」


 この一言を切欠に、あれよあれよとことは進み、ネギのくらす対高等部の女子らによる“どっぢぼーる”と言う競技での試合が決定した。


 高等部の女子らが十一人に対し、ネギのくらすの女子らは二十二人。何でも“はんで”らしい。茶々丸に問うたところ、上位の者が下位の者に対して負う不利な条件とのことだ。


「ふふっ、面白くなってきた」


 エヴァの隣に腰掛け、傍観の体勢を取る。隣では三人の女子が音楽を背景にし、男が注視していいとは思えぬ踊りを舞いながら声援を送っている。それに合わせるように、茶々丸が何か花火らしき物を打ち上げた。


 試合開始の声が上がる。先行は高等部のようだ。その手に持った玉をネギのくらすの女子らに向けて投げる。それは中々の勢いを持って真っ直ぐに飛び、ぼうっとしていたネギの後頭部に直撃した。


「あいたっ!?」


「コラーッ! 足引っ張んじゃ無いわよネギ坊主ー!」


 浮いた玉を神楽坂殿が常人を超える跳躍を見せながら掴んだ。規則は分からぬが、どうやら何事も起きぬらしい。


 そのまま神楽坂殿が反撃に移った。先の一球を明らかに超える速度で空を裂き、高等部の女子に直撃した。すると今度は動きがあった。玉にぶつかった女子が陣を離れ、ネギのくらすの陣の外側に立った。


「捕虜か?」


「違うわ時代錯誤侍。あれはな、先に内側の人数を0にした方が勝ちになるゲームだ。今ので一人減った」


「なるほど」


 納得して頷く。しかし、ただ見ているだけと言うのもつまらぬ。かと言って私があそこに参加できる筈も無し、何か良い手立てはないものかと、試合を観戦しながら思考を巡らせる。


「―――む、そうだ」


「どうした小次郎?」


「エヴァ、一つ賭けをせぬか?」


「賭け……だと?」


 左様、とエヴァの呟きを肯定する。ただ見ているだけで楽しみたいのであれば、その状態で勝負をすればよい。差し当たっては、このエヴァと。


「ネギのくらすの女子らが勝つか、それともあの高等部の女子らが勝つかを賭けようではないか。あぁ、無論私から誘ったのだ、先に決めても良いぞ」


「ふむ…………私としても面白くなるから構わないが…………掛け金は何だ?」


「ふっ、そこも抜かりはない。私が負けた場合、其方にはこれをやろう」


 そう言って、懐に手を差し入れる。そこから取り出したるは―――


「そ、それは!?」


「ふふっ、左様。茶々丸に頼んで取り寄せてもらった、最高級の緑茶と茶菓子だ。私が負けた場合、これをやろうではないか。いや、動かずに遠方の物が手に入るとは、便利な世の中になったものよな」


 エヴァが驚きの表情で指差すは、以前の腕試しの帰りに茶々丸に頼んだ代物だ。


 あの日、茶菓子がなくなってしまった私は茶々丸に『美味い茶菓子と、予備に茶葉も欲しい』と頼んだのだった。『お値段はどれくらいで?』と聞き返されたので、『折角だ、最高級で頼む』と更に返したところ、


 ―――分かりました。では、小次郎さんのお宅に届くよう手配しますので、数日お待ち下さい。


 と言われた。そこで説明を求めたところ、現在は遠方の産地を現地に行くことなく手に入れられるという驚愕の現実を知った。このことには正直に驚いたものだ。


「…………いいだろう、その賭け乗った。で? 私が負けたら、貴様は一体何を要求するんだ?」


「それは後のお楽しみにさせてもらう。そら、どちらに賭けるのだ?」


「むぅ、まあいい。私は高等部に賭けよう」


「では、私がネギのくらすか。その心は?」


「戦略と経験の差だ。一見人数が多い方が有利に見えるが、実際は避けるのが困難になるだけで有利とは言いがたい。それをハンデと偽って奴らに渡す辺り、それなりの頭がある。加えて…………これは茶々丸の情報だが、奴らは『黒百合』というドッヂボールの関東大会優勝チームだ。これらから考えれば、いかにスペックの高い奴らが揃っているウチのクラスだろうと、勝ち目は無いさ」


「なるほどなるほど。では、試合の顛末を見届けるとしよう」


 賭けの商談が成立して、試合場に視線を移すと、高等部の女子らの衣装が変わっていた。残人数を示す鉄製の板を見てみれば、形の近い文字が並んでいる。見た感じと合わせると、恐らく既に同じほどの人数なのであろう。


「しぃ! アレ行くわよ!!」


「OK!」


 長い黒髪を持った女子が、仲間に球を放り、その仲間が上に打ち上げる。それを黒髪の女子が跳躍して追いかけて、


「必殺―――太陽拳!!」


 太陽を背にした状態で、その玉を打ち放った。だが玉なのに拳とはこれ如何に?


「あたっ!」


 見上げて、太陽を見てしまったのだろう。思わず手を翳して視界を封じてしまった神楽坂殿が、あえなくその玉を受けた。これで、神楽坂殿も退場となるのだろう。


 だが。


「もう一度!」


「あんっ!」


 神楽坂殿にぶつかり再び舞い上がった玉を、同じ女子が再び撃ち出し神楽坂殿へ二度目を当てた。ネギのくらすの者から、それへの非難の声が上がる。


「おだまり! どんな汚い手を使っても勝つ! それが『黒百合』のポリシーなのよ!!」


 が、そんな言葉はどこ噴く風と、黒髪の女子は断言した。


「ほう、分かっているな、あの女」


 その姿に何を感じたのか、エヴァがそう同感の言葉を呟いた。私としてもあの年であそこまで断言できることに幾らかの感心を覚えたので、心の中で拍手を送っておく。


「ふふふ…………やはり、この賭けは私の勝ちのようだな? あぁ、今日は最高級の茶と和菓子が味わえるな」


「勝負は最後まで分からぬよ。そのようなことを言っていると、足元をすくわれるぞ?」


「はっ、負け惜しみを」


 そうエヴァが言った時、どこからともなく一陣の風が吹いてきた。それはまるでネギのくらすへの神風のように、そこへ吹いている。


「これは―――流れが変わったか?」


 空を見上げ、一人呟いた。その兆しは、まずネギに現れたようだ。


「み、みんな! あきらめちゃダメです!」


 その言葉を切り口にして、残った者たちを鼓舞していくネギ。その直向な言葉が届いたのか、ネギのくらすの女子らが意気も新たに高等部の女子らを見据えだす。


 そこからの反撃は、正に疾風怒濤の一言だった。


 何らかの規制で玉を奪い取り、大河内殿の一投で一人。その後の高等部からの返撃を、水色の髪を持つ女子が足で蹴り返して更に一人。浮かび上がった玉を活発そうな女子が打ち下ろして一人。そのまま玉は相手陣地に飛んでいったが、桃色の髪を持つ女子のヒラヒラとした布が玉を捕らえて、それを自在に操り複数人を沈めていった。


 そして、高等部の女子らが一人減るたびに、


「あ」


 また一人、


「あぁ」


 また一人、


「あぁぁ……」


 一人一人一人―――


「あ、あぁぁぁ……!」


 エヴァの声に、段々と余裕が無くなっていった。むしろ、絶叫していった。


 結果を見れば、ネギのくらすが十人、高等部の女子らが三人と、大差での勝利になった。


「あぁぁぁぁぁぁ!! 貴様ら! 高等部のくせに何を年下に負けている! 恥を知れ恥を!」


「はっはっは、こらこらエヴァ。野次を飛ばすなど無様だぞ?」


「くぅ…………最高級の和のセットが―――」


 両手両膝を地面に突き、ガクーン、と落ち込むエヴァ。だがそれも束の間、顔を上げて明らかに不機嫌な表情で私の方を向いてきた。


「ふん! 悔しいが貴様の勝ちだ。ほら、早く望みを言え!」


「承知。では―――」


 エヴァに促され、先ずはエヴァ羨望の品であった茶葉と茶菓子の袋を手に取る。それを物欲しそうに見つめるエヴァの視線を感じながら―――


「済まぬが茶々丸、今日の帰りに其方の家へ立ち寄った時、これで美味い茶を入れてくれぬか?」


 そのままそれらを、茶々丸に手渡した。


「……おい、何をしている。それは貴様が負けた時に私の物になるのであって、勝ったのは貴様なのだから茶々丸に渡す必要は無いだろうが」


「そうでもない。これは元々、其方らと共に食そうと思っていた物。であれば、茶々丸に渡すのは道理というものであろう?」


「―――待て。なら、何故そんな物を賭けの対象に出してきた」


 握った拳を震わせながら、ワナワナと震えながらエヴァが問うてきた。背後には赤い何かが見え、怒りを抑えているのは一目瞭然であった。恐らく、ここで私の本音を言うのは得策ではあるまい。


 だが。私は、それらを全て理解した上で―――


「はっはっは、これは異なことを。試合を見て一喜一憂する其方を見て楽しむために決まっておろう。や、想像以上の百面相実に愉快であった。存分に楽しませてもらったぞ炉利絵武亜……!」


「死ねぇっ!!!」


 渾名を口にした瞬間に飛んできたエヴァの蹴りを、華麗に回避した。


「一日の内に一度ならず二度までも私をおちょくりおって! 死ね!! 今度こそ死ねこの無礼千万侍!!!」


「はっはっはっはっは! 斯様に粗い蹴りでは私に届かぬぞ? そら、こちらだこちらだ」


「待たんかぁぁぁぁ!!」


 エヴァの追走と蹴りを、最小限の動きで避けていく。感情に任された攻撃ほど読みやすいものは無い。ヒラリヒラリと、風に舞うように回避していく。


「す、すごい…………あのエヴァンジェリンさんで遊んでいる…………」


「…………案外、彼の強さの秘密は刀の長さでもなく剣の技量でもなく、天賦の才能でもなく、あの胆力なのかもしれないな」


「あぁ、マスターがあんなに楽しそうに……」


 こうして、一日は過ぎていく。今日も平和でいいことだ。








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