「今日は皆に紹介したい人がいる」


 放課後、剣道部の練習が始まる前に、部長である辻先輩がいきなりそんな言葉を私たちに告げた。それを聞いた他の部員からはザワザワとざわめきが漏れ始める。表には出していないが、私の内心も彼らと同じだった。


 辻部長の言葉の続きは、顧問である国重先生が口にしてくれた。


「みんな静かに。これからみんなに会わせる人は学園長先生の知り合いの息子さんで、剣の達人らしい。で、最近家の事情でこの麻帆良に越してきたらしく、職を探していたところ学園長が我々剣道部のコーチを勤めないかと勧め、それを受けてくれたらしい」


 先生の言葉に一度は静まった部員たちだが、先ほどを上回る喧騒が道場内を包んだ。いきなり『コーチが付く』と言われて驚かない人も少ないだろうから、当然といえば当然だろう。加えて部員である私が言うのもなんだが、麻帆良の剣道部はそこまで芳しい成績を残していない。そんな部活にコーチが付くなんて、まずそれだけで驚きだ。


 そんな事を考えていると、辻部長が道場の出入り口に近づいた。


「小次郎さん、入ってきてください」


 部長の言葉が喧騒を治め、入り口にみんなの視線が集中する。空気がしん、と静まり返る中、扉を開けて一人の男性が入ってきた。


 切れ長の瞳を持つ、文句の付け所がないほど整っている顔。女性と見間違うほど艶のある群青色の髪の毛はポニーテールに結ばれており、それでもなお腰まで届くほどの長さがある。普通では考えられないその髪の毛も、彼の雰囲気にはよく似合っていると感じた。服装は着物と袴を身に付けており、濃淡の差はあるものの同じ紫を基調としている。その上に、金糸の刺繍が入った群青色の陣羽織を羽織っていた。


 そして、何よりも目を引いたのは背中にしょっているモノ。何の冗談か、目測で五尺はある竹刀袋を背負っていた。とても竹刀とは思えない。特注の木刀か、まさか私と同じく真剣でも持ち歩いているのだろうか。


 第一印象は『侍』。現代においても違和感が全く感じられないほどに完成された、侍だった。


 小次郎、と呼ばれた人が一礼をした後、こちらに歩いてくる。その滑るような歩みには無駄が一つも無く、重心にもズレが無いのに、彼はそれに全く意識を割いていなかった。それだけで、彼の実力の高さが窺える。


 ふと周りを見てみれば、少数の女性部員全員が彼の顔を凝視していた。まぁ、そういう事に疎い私が見ても素直に『綺麗』と感じられるのだから、その気持ちは分からないでもない。


 だが正直、コーチだと事前に説明を受けた上でも彼の格好、背中に背負っているモノのせいで、『何をしに来たのか』という疑念は拭い切れなかった。


「自己紹介をお願いします」


 部長と先生がいる上座まで歩いてきた小次郎さんに、部長が挨拶を促した。それに、うむ、とやけに古めかしい言葉で答えながら小次郎さんが頷く。動作に合わせてかすかに揺れた後れ毛が、光を反射して輝いて見えた。


「皆よ、始めまして。私は佐々木 小次郎という者。先に国重殿が紹介した通り学園長殿と我が父上は旧知の間柄故、その伝でこの仕事を任された。私の剣は我流で、正直其方らを導けるとは思えぬが、練習相手くらいは勤めたいと思う。どうか、宜しく頼む」


 とてもコーチがする挨拶とは思えない挨拶をして、佐々木 小次郎なんて大それた名前を持つ人が頭を下げた。一拍遅れて、よろしくお願いします、と部員全員が返礼をした。


 これが、私と小次郎さんの最初の出会いだった。










 ―――数十分前










「学園長殿、失礼する」


「うむ、入っとくれ」


 数度戸を叩き、許可を貰ってから戸を開けて中に入る。柔らかい陽光が窓から射している部屋の中、昨日と変わらぬ位置に学園長殿は座っていた。唯一違いがあるとすれば、それは学園長殿一人しか今この部屋にいないということだけだろう。


「どうじゃ、新しい家は気に入ってくれたかの?」


「うむ、学園長殿には感謝の言葉も無い。それで、今日はどういった用向きで呼び出されたのだ?」


 挨拶を交わしながら竹刀袋を背から外し、学園長殿の正面に位置する“そふぁー”に腰掛ける。適度な弾力と柔らかさを併せ持つこれは、座っていて何とも心地良い。


「今日から勤めてもらう剣道部のコーチについてじゃよ。とりあえず、ルールは覚えたかの?」


「昨日の内に茶々丸から詳しく聞いたが、何か問題でも起こったのかな? 確か、ただ試合の相手をすればいいと記憶しているのだが」


 表情を少々曇らせ、学園長殿に問う。


「今のところそれは変わらんよ。それと、特に問題も起こっとらん。ただ君がこの麻帆良にくる事になった経緯を確認しておこうと思っての」


「ふむ、なるほど。では、早速宜しいか?」


 私の確認を受け、学園長殿は首を立てに揺らしてその意を示す。それを見届けて、私は昨日茶々丸から聞いた『佐々木 小次郎の過去』を話し始めた。


「私は学園長殿の知友の息子で、元々は富山の地方で小さい剣術道場を営んでいた。しかし過疎化に伴い門下生が減っていき経営が困難を極め、とうとう道場が潰れてしまった。生活に困った私は親の知り合いである学園長殿に助けを求め、剣道部のコーチを薦められてそれを受けた。相違あるまいか?」


「うむ、合っとるぞい」


 話して、改めて感心した。表でも裏でも高い地位を持っている学園長殿なら、どこにどのような知り合いがいてもおかしくはあるまい。それを上手く使った作り話と言える。


「では今日のコーチについて特に問題は無いの。それと急で済まんのじゃが、今夜九時頃に世界樹前広場に来てくれんか?」


「……構わぬが、何かあるのか?」


「何、他の警備員やそれに連なる者への顔見せを兼ねた力試しじゃよ。力試しはともかく、顔見せは必要じゃろ?」


 学園長殿のもっともな提案を、二つ返事で了承した。私としても同業者とは良い関係を築きたいので、この話は正に渡りに船であった。


「では、後で連絡を回しておくのでな、遅刻は無いように頼む」


「承知」


 もう一度頷いたところで、コンコン、と入り口の戸が叩かれた。次いで、声が聞こえてくる。


「学園長先生、国重と辻です」


「おお、来たか。入っとくれ」


 失礼します、と断りが入れられた後に戸が開かれ、二人の人物が入室してきた。


 片方は西洋の服装に身を包む口髭を生やした見かけ四十前後の男で、体付きから何らかの武術を嗜んでいることが分かる。もう片方も同じく男であったが、反対に見かけ十代半ばと若く、線は細いが必要分の筋肉はついているのが見て取れた。


「学園長先生、用というのは?」


「君達にとっては朗報じゃよ。実は今日から、剣道部にコーチをつける事になったのじゃ。小次郎君、挨拶を」


 そう言って私を促す学園長殿。なるほど、この者達は剣道部の責任者か何かか。それが分かれば話は早い。


 私は早々に立ち上がり、国重殿と辻殿に正面から相対して挨拶をした。


「始めまして国重殿、辻殿。私の名は佐々木 小次郎。今日より剣道部のこーちを任された者だ。学園長殿と私の父が友人故、その伝でこの大役を仰せ付かることができた。どうか、よろしく頼む」


 静かに一礼をする。視線を上げた先には、心底驚いている二人の顔があった。


「急な事ですまんの国重先生、辻君。この者は今言った通りワシの友人の息子でな、富山の地方で剣術道場を営んでおったのじゃよ。じゃが過疎化の波が彼の住む村にもやって来ての、道場が潰れてしまったのじゃ。そこで職を失った小次郎君はワシを頼りに来て、ワシが剣道部のコーチを勧めた訳じゃ」


「お、お話は理解できましたが…………その、強いのですか?」


「そこは君たちが見極めればよい。まぁ、誰かに教えられるだけの実力はもっとるよ」


 フォッフォッフォ、と笑って国重殿の追撃を封殺する学園長殿。相も変わらず食えぬ方だと、内心で呆れ交じりのため息をついた。


 国重殿もこれ以上は無駄と判断したのか、表情と姿勢を正して私に向かい合った。


「始めまして、佐々木さん。私は国重 幸治。剣道部の顧問を務めている者です。この度は我々剣道部のコーチを引き受けてくださり、ありがとうございます」


「何、そこまで畏まる必要はあるまい。元々押しかけたのは此方だ。故に、礼を言うのであれば私の方であろう?」


 挨拶と共に手を差し出してきた国重殿。握手に応じた時に伝わってきた国重殿の掌は、硬かった。


「始めまして、佐々木 小次郎さん。私は剣道部の部長を務めている辻 晃久 と言います。これからご指導の方、よろしくお願いします」


「はは、誠心誠意努力しよう」


 辻殿とも握手と挨拶を交わした。辻殿の掌もまた、硬かった。


「ところで、本当に佐々木 小次郎という名前なんですか?」


「左様。父が愛好者でな、丁度名字が『佐々木』なので私に付けたそうだ。今では誇りとなっている」


 嘘と真実を半分ずつに、辻殿の問いに答える。それに納得したのか、それはいい事ですね、と言ってくれた。


「これこれ辻君。話もよいが、それは部活が終わってからでも出来るじゃろ? そろそろ向かわねば部活が始まってしまうぞい」


 学園長殿の言葉を受けて時計を見る二人。部活が始まる時間が近いのか、しまったという表情になる。それを察し、竹刀袋を背に掛けた。


「では、学園長殿。これで失礼する」


「私たちも失礼します、学園長先生」


「うむ。生徒たちを頼んだぞ小次郎君、国重先生」


 最後に一礼をし、学園長室を後にした。国重殿と辻殿の案内の下、私の働き場所である剣道場へと足を向ける。


 その途中、国重殿からも問いを受けた。


「ところで小次郎さん、なぜその様な格好を?」


「昔からこの様な服ばかり着てきたのでな、今ではこれが一番落ち着くのだ。それに、愛着もある」


「剣道はどれほど続けているんです?」


「物心がついた頃から剣は既に手にしていた。私の人生そのものと言っても過言ではあるまい」


 私の返答に、ほう、と国重殿の口から感嘆の息が漏れた。


「では、剣の腕には相当の自身がおありで」


「それなりにはな。今のところ、勝負に負けたのは一度しかない」


「それは素晴らしい。期待していますよ」


「過度の期待は止していただきたいがな。未だ私も修行中の身よ」


 国重殿との会話が終わると、私もいいですか、と辻殿からも声が上がった。それに、構わぬよ、と了承の意を示す。


「その背中にかけてるのは、一体なんですか? やけに長いですけど…………特注の木刀か何かですか?」


「―――五尺余りの備中青江だ」


 辻殿の問いに素直に答える。今後も付き合うことになるのだから、隠すよりは早めに打ち明けた方がいいだろう。だがやはり、いきなり『これは真剣だ』と言われて驚いたのか二人の足が止まる。辻殿に至っては一歩足を引いてしまった。


「はは、そう警戒するな。学園長殿から帯刀の許可は貰っている。それにこのご時世だ、刃向わぬ者を無闇に斬ることなどせぬよ」


「無闇に斬らないって…………そんなの当たり前でしょう」


「……む、そうであったな。いや済まぬ。今のは失言だ、流してもらえれば助かる」


 時代に沿った価値観の違いを笑うことで流す。冗談として受け取ってくれたのか、二人も苦笑いをしただけでそれ以上追求はしてこなかった。  その後はやはりまだ初対面だからか、無言のまま剣道場までの道を歩いた。


「小次郎さん、ここが剣道場です」


 そうして到着した場所には、実に立派な道場が佇んでいた。重厚な雰囲気を持ったその佇まいは、武の道を志していない者にでも適度な緊張感を与えそうだ。この道場の周りだけがどこか静寂を纏っているのも、恐らく気のせいではないだろう。


「しばらくここで待っていてください。部員たちに貴方の事を予め話して来ますので、呼ばれたら入って来て下さい」


「承知した」


 そう言い残して、国重殿と辻殿が道場の中に入っていった。一人になりすることがなくなってしまったので、暇潰しにと雲の流れをぼうっと眺めた。流れる雲は緩やかで、青い空は穏やかに。吹く風は清々しく、ざわめく緑は心を静めてくれる。


『しかし…………正直、あまり気は進まぬな』


 心の中でため息を一つ零す。無論、若人に剣を教えることに異論は無い。折角のご好意で与えられた仕事だ、その任はしかと全うするつもりだ。


 だがやはり、私のような邪剣使いが正道を習う者の背中を押すことができるのかと、不安を拭いきれないのが正直なところだ。私を見て、進む道を誤らなければよいが……


『まぁ、そこを何とかするのが私の役目か。うむ、そう考えれば中々勤め甲斐もありそうではないか』


「小次郎さん、入って来て下さい」


 辻殿からの言葉がかかった。従って戸を開き、道場の中へと入っていく。そこには正座をして私の方を見ている、数十人の若者達の姿があった。その彼らに一礼した後、二人が立っている場所まで歩く。


「自己紹介をお願いします」


 辻殿の言葉を受け、うむ、と返事をしてから自己紹介を始めた。


「皆よ、始めまして。私は佐々木 小次郎という者。先に国重殿が紹介した通り学園長殿と我が父上は旧知の間柄故、その伝でこの仕事を任された。私の剣は我流で、正直其方らを導けるとは思えぬが、練習相手くらいは勤めたいと思う。どうか、宜しく頼む」


 静かに頭を下げ、上げる。それと同時に、よろしくお願いします、と元気のいい返事が返って来た。










 ―――そうして、現刻。









「それじゃあ、少しだけ質問の時間をとる。本格的に聞く時間は部活が終わった後にいくらでもあるから、とりあえずすぐに聞いておきたい事だけ聞くように」


「では、質問のある人」


 国重殿の提案に従い、辻殿が部員に希望を募った。私などに聞きたい事がそうあるとは思えぬが……


「「「はい!」」」


 実際は、ほぼ全員挙手という実に嬉しい結果だった。


「それじゃあ……青田」


「はい! えっと、年は幾つですか?」


「……む。暫し待て、数える」


 私の発言に、ドッ、と笑いが湧いた。どうやら冗談と取ったようだが、生憎私は大真面目だった。剣にばかり精を出して、年月を数えていなかったことを思い出してしまった。ゆっくりと記憶を遡り、巡った季節の数を指折りに数えていく。


「―――二十六だ」


 そう答えると、それを待っていたかのように再び手が挙がる。


「なら次は…………須藤」


「はい。どこから来たんですか?」


「富山の地方からだ。恐らく其方らが知らぬほどに田舎でな、そこは割合させてもらう」


「次は……遠藤」


「はいっ。何で剣道着じゃなくて着物と袴なんですか?」


「昔からこれを着ていてな、思い入れが強いのだ。それに、そこまで問題はあるまい?」


「次、梅田」


「はい! 佐々木 小次郎って、本当にそういう名前なんですか?」


「うむ、これ以外名乗れる名は持ち合わせておらぬ」


「あと二人くらいにしておくか……白川」


「その背中の竹刀袋には何が入っているんですか?」


「私の愛刀だ。五尺余りの備中青江よ」


「え? し、真剣なんですか?」


「うむ。切れ味は折り紙付だ」


「も、持ち歩いて大丈夫なんですか?」


「学園長殿から許可を得ている。問題は無い」


「それじゃあ、次が最後だ。―――桜咲」


 辻殿が指名した者に視線を向ける。そこには髪の毛を片方で結んだ、眼の強い美しくも凛々しい女子がいた。


『ほう……』


 意図せず、内心で感嘆の息を漏らす。桜咲殿が纏う空気は真の武士もののふのそれだ。断じて竹刀や木刀のみで精進した者ではない。恐らく、血も浴びた事があるのだろう、ほんの微かにだが鉄の匂いが漂ってきた。


 ……面白い。よもや、このような女子がいようとは。これは中々どうして―――思った以上に楽しめそうではないか。


「―――ク」


 思わず口の端が釣り上がり、そこから笑いが漏れた。突然の笑いを訝しんだのか、国重殿が私に声をかけてきた。


「小次郎さん? 桜咲が何か?」


「いや、何でもない。いきなり笑って済まなんだな桜咲殿。そら、聞きたいことを言うといい」


「…………では、失礼して。小次郎さんは今挨拶で『私の剣は我流で、正直其方らを導けるとは思えぬ』と仰いましたが、本当に私たちにちゃんと剣を教える気はあるのですか? 中途半端な気持ちの方に教えてもらっては、お互いに迷惑です。それと我流の剣と仰いましたが、どれほどの実力をお持ちなのですか?」


 桜咲殿が不信感に満ちた眼で私を見ながら発した言葉の口調と内容は、双方とも刀のような鋭さを持って私に突きつけられた。その身の内からは、押さえ込まれている敵意を僅かに感じる。ふむ、理由は分からぬが中々の敵意よ。それほど若い年でこれほどのモノを放てるということは、やはり相応の死地を潜り抜けて来たのであろう。


「こら桜咲! 失礼だぞ!」


「よい、辻殿。桜咲殿の言う通りよ。確かに先のような挨拶では、そういった感想を持つのも致し方ない」


 桜咲殿を諫めようとした辻殿を止める。今正しいのは桜咲殿だ、非難を受ける謂れは無い。


「いや、重ね重ね済まんな桜咲殿。これは誤解を招くような言い方をした私に非がある。先ずは謝ろう」


「謝罪は結構です。今はとにかく、質問に答えてください」


「ふっ、然り。では順に失礼させてもらおう。


 先ず、其方らにしかと剣を教える気があるかということであったが、無論ある。でなければここにはおらぬよ。あのような挨拶をしてしまったのは、先に言った通り私の剣が我流且つ邪道故、正道を学ぶ其方らの行く道を阻害してしまうのではないかと危惧していたからよ。そこは理解して欲しい」


「……分かりました。それで、実力のほどは?」


「これは口で言うのではなく、実際に確かめた方が早かろう。国重殿、辻殿」


 桜咲殿の質問に答えた後、すぐさま二人に言葉を飛ばした。


「は、はい。何でしょう小次郎さん」


「済まぬが、試合の用意を。思えば其方ら二人にも私の剣を見せておらなんだな。これは良い機会だ、私の剣を存分に見せようぞ」


「わ、分かりました。では、相手は私が―――」


「いや、重ねて済まぬが国重殿。相手は私から希望がある」


 そう言って準備に取り掛かろうとした国重殿を、言葉で止める。多少の驚きを見せたが別段構わなかったのか、誰ですか、と軽く私に聞き返してきた。


「桜咲殿。済まぬが相手をしてくれぬか。見た限り、この中で一番の手練だと思うのだが」


 未だ強い不信感を秘めた桜咲殿の視線を正面から受け止め、挑戦状を叩き付ける。それを聞いた瞬間、道場内にいた者たちがざわつき始めた。だが桜咲殿だけは欠片の動揺も見せず、私を見返している。恐らく、私が戦いを挑むこと何となく分かっていたのだろう。


「―――分かりました。戦りましょう」


「うむ。その意気や良し」


 押し込めていた敵意を僅かに揺らめかせ、私の挑戦を受諾した桜咲殿。力強く立ち上がり、私との試合の準備に取り掛かっていった。


 それを見て私も試合の準備に取り掛かり、背の刀を外し壁に立てかけた。部員たちはいきなりの話の流れについて行けていないのか、未だザワザワとうろたえるのみだった。


「あ、あの、小次郎さん? 確かに貴方の目利きは正しいのですが、あの、恥ずかしい話、桜咲は大学生を含めてもトップクラスに強い生徒で、その…………私や国重先生よりも強いんです。だから、その、お止めになった方が…………」


「構わぬ。私は今日よりここにいる者たちにモノを教える立場に就くのだ。特に私は剣だけをな。なれば、他にも色々と教えられる国重殿や辻殿とは違い、こと剣においてはこの中で最強でなければなるまい? 故に、最強に近い桜咲殿と戦うのは全く自然な流れよ」


 私の面子を気にしてくれたのか、辻殿が助言をかけてきたが、私はそれをやんわりと遠慮する。その私の考えを汲んでくれたのか、分かりました、と言って辻殿は下がっていった。


 振り返り、桜咲殿を視界に納める。彼女の周りには他の部員が集まっており『大変な事になったね』『逆にやっつけちまえ』『頑張って』『俺刹那ちゃんに食券十枚』『じゃあ俺二十枚』等と言った多種多様な激励の言葉が飛んでいる。そういったことに慣れていないのか、桜咲殿はしどろもどろしながらそれらに受け答えしていく。初々しいその姿は、見ていてとても微笑ましい。


「フフ……さて、桜咲 刹那。其方はその内に、どれほどの蕾を芽吹かせている?」










 面を固定する紐をいつもより強めに結び、私は戦いの準備を終えた。これから相対する人は恐らく生半可な相手ではない。殺し合いの場に立つ時のような気概で挑まなければ、敗北を喫するのは目に見えている。


『それにしても…………』


 目を閉じ、これから戦う相手に思いを馳せる。


 佐々木 小次郎。突然現れた富山の地方出身と言う謎の男。時代錯誤な格好と、どこか古めかしい言葉使い。真剣を帯刀していると公言して憚らない価値観。西に組する者かどうかは分からないが、正体が掴めないという事に変わりはない。


 学園長の知り合いという事だが、あらゆる事が本当かどうか疑わしい。後で確認を取る必要があるだろう。


 そもそも今の剣術界で『佐々木 小次郎』なんて名前は聞いた事が無い。この名前でそれなりの腕を持っているのなら、幾ら地方と言えどどこかで噂に上るはずだ。だがそれが全くないという事は、裏の世界の者の可能性が高い。こちらは、恐らく確定だろう。後の問題は、東と西のどちらに組する者か、という事。


『この場でその正体、見極める……!』


 心の中で全身に気合いを入れ、目を開きながら意気を十分に立ち上がる。用意された試合の場は既に他の部員たちが周りを囲んでおり、これから行われる戦いがどういった物になるかの予想を話し合っているようだ。


 そうして振り返った先には、既に準備が整っていたのか竹刀を片手に持った小次郎さんが―――


「準備が出来たようだな、桜咲殿。では、そろそろ初めてもよいか?」


 竹刀だけを持った、防具なんか一つも付けていない小次郎さんが、そこに立っていた。


「こ、小次郎さん? 本当に防具を付けなくてもいいんですか?」


 当然の事を辻部長が聞いている。よく耳を済ませてみれば、まわりの人達はその事についての話もしていたようだ。


 だが、


「要らぬ。あのような物、動きを悪くするだけよ」


 小次郎さんはそれをきっぱりと断った。そこに見栄だとかそういった物は欠片も無く、ただ本当に要らないから付けないという事が、なぜかよく分かった。


「…………いいのですか? 私は、貴方が防具を付けていないからと言って手加減などしませんよ?」


「構わぬ。遠慮なく打ち込んでくるが良い」


 そう言って小次郎さんが、竹刀を正眼に構えた。途端、小次郎さんの姿が遠ざかった錯覚を受けた。構えには無駄と隙が微塵も存在していない。竹刀がまるで、槍のように思えてしまう。


 重厚な威圧感は無かった。ただ、首筋がチリチリと焼けるように寒い。飲み込まれないよう、私も竹刀を構えて切っ先を合わせた。それでも、彼の懐は遠い。


「では国重殿、合図を」


「ほ、本当にいいのですか? なんなら、防具を付けるまで待ちま―――」


「国重殿」


「は、始め!」


 国重先生の合図が下る。それとほぼ同時に、私は踏み込んだ。打ち込みは面。速度は熟練した大人でも反応が難しいほど。まずはこれにどう対処する!


 私の打ち込みを見て、小次郎さんも竹刀を動かした。僅かだけ横に動かして私の打ち込みの軌道をずらし、竹刀とは反対の方向に移動する事によって小次郎さんは私の一撃を逸らした。立ち位置が入れ替わる。ならばと私は振り返り、今度は小手に狙いを定める。


「―――ハッ!」


 鋭く息を吐く。面とは対称的に小さい動作で竹刀を小手目掛けて振り下ろした。これを受け流すのはかなり難しい。狙いが手元に近い分、刃で受け止める事はほとんど不可能に近いからだ。ただ逆に反撃を受けやすい攻めでもあるのだが、そこへの配慮も抜かりは無い。それを打ち払い、更なる攻撃を繰り出す手順は既に構築済みだった。


 ―――だが、そんな常識、目の前の侍には皆無だった。


 右手と左手の間に僅かだけ剥き出しになっている柄で、小次郎さんが竹刀を受け止める。そしてそのまま私の竹刀を払い、先ほどと同じ足捌きで立ち位置を入れ替えた。その一連の動きは流水のように自然で、当然だった。


 静寂が落ちる。背を向ける形となってしまった私はすぐさま振り返り、正眼に構え直して踏み込まず―――否、踏み込めずに驚きを持って彼を凝視した。


 …………何だ、この人は。最初の面への対処はいい。あれなら熟練の剣士であればできる人も多数いるだろう。


 二撃目の対処も、出来ない事は無い。実際私も試合で使った事は何度もある。


 だが、あれほどまで自然に攻撃を受け流せるかと聞かれれば、私は即刻『出来ない』と答えるだろう。要するに、次元違いなのだ。それほどまでに、この人の防御は自然だった。まるで風や柳といった、押された分だけ引くような存在を相手にしているような錯覚すら覚えてしまう。


「……ふむ、なるほど。理解した」


 そして、そのとんでもない事をしでかした当の本人は、涼しい顔でそんな事を口にした。


「―――何を、理解したと言うんですか?」


「知りたければもう一度攻めてみよ。さすれば其方なら、自ずと分かるであろう」


 相変わらず全く無駄のない構えで私を待ち受ける小次郎さん。その表情は余裕に満ち満ちており、片目を閉じて薄く笑ってまでいる。普通なら癇に障るはずの仕草も、この人がするとなぜか自然。違和感も不快感なく、彼にはそういう仕草がよく似合っていた。


 ……面白い。理解したのが私の実力か、はたまた別の何かは知らないが、それを見せてもらおう。


「ふぅ―――」


 細く長く息を吐きながら、全身に薄く『気』を張り巡らせる。全力戦闘ほどではないが、これで私の身体能力は常人のそれを大きく上回った。この人が本当に東西どちらかに組する者であれば、『気』を使った事に何らかの反応を示すはず。それを見逃さぬよう視覚に神経を集中させ、僅かの殺気もちらつかせながら、小次郎さんの一挙一動を射抜く。


「――――――」


 だが、この人は変わらない。『気』を使った事への反応はもとより、私の殺気などどこ吹く風と、本当に柳のように変わらずそこに立っていた。


 ダンッ、と踏み込んだ。この人が柳で、殺気という風で折れないのなら、私という突風でへし折るまで。打ち込みは再び面。何の変わり映えも無い一撃だが、気によって強化されたこれは、生半可な策を巡らせたものよりずっと効果がある。恐らく、周りにいる他の部員たちには私の剣が霞んで見えている事だろう。


「―――クッ」


 だが、笑った。これだけの一撃を放たれてなお、この人は笑ったのだ。


 小次郎さんの竹刀が動く。私の打ち込みを見てから動いたと言うのに、明らかに私より速く動いていた。両手が頭の左前に持ち上げられ、竹刀の切っ先は逆に斜め下を向く。その結果は、私の面を受け流すと言う信じられないものだった。


『―――な』


 驚きに目を見張る。気を使って放った一撃だというのに、この人はそれよりも速く動いたのだから当然だろう。こんな事実、『気』というモノを理解している私では到底考えられない。


 そうして切り返される竹刀は、速度を上げて打ち込まれた小次郎さんの初めての攻撃は、見事に私の右面に食らいついた。


「がっ―――」


 その一撃を形容するならば、重さを持った風。防具の上からの竹刀の一撃だと言うのに、まるで木刀を直に受けたかのような衝撃。それは、私の意識を刈り取って余りあるほど。


 ……何て理不尽。あれほどの速度で受け流した事も驚きなのに、そこからの反撃も冗談じみて強いのか、この人は。


 そうして、分かった。この人が理解したと言うのは、恐らくは竹刀の間合い。アレだけの長刀を所持している人だ、こんなに短い得物を使うのは久しぶりか初めてだったのだろう。だが一メートル近く長さに差のある刀の間合いの違いを、たった二合の打ち合いで把握したと言うのか。


『……勝てないはずだ。この人は―――』


 根底の才能と積み上げてきた修練がそもそも違うのだと、薄れ行く意識の中で、私は実感していた。










 ―――その後は、どうなったかと言うと。


「み、みんなー。生きてるかー?」


「「「…………は、はーぃ」」」


 先生の呼びかけに、地の底からゾンビが呻くような生気の欠片も無い返事が道場に響く。部員は須らく寝そべっており、唯一の例外である私も、座っているだけで膝が笑ってまともに立てはしない状態だ。当然、背は壁に預けている。


「はっはっは。初日という事で、少々張り切りすぎたか」


 そしてこの死屍累々を作り出した張本人である小次郎さん剣鬼が快活に笑っているのはなぜだろう?


 あの後十数分で私が意識を取り戻したとき、小次郎さんは私の隣で練習風景を見学していた。どうもいきなり私を気絶させてしまったのがまずかったらしく、部員たちに畏怖と尊敬の念を同時に抱かせてしまったようだ。


「いや、済まなかった桜咲殿。最後の一撃が予想を上回っていたのでな、ついつい力を入れて打ち込んでしまったのだ」


 目を覚ましたとき、小次郎さんは私にそう言ってきた。冗談はよして欲しい、と思った。あれでも全力ではないなんて、この人の全力はどこにあるというのか。


 その後はいつも通りの稽古をこなし、小次郎さんはそれを見届けているだけだった。ただ途中で、


「最初に言った通り、私は練習相手を勤めようと思う。そしてその試合の中で気付いた欠点を指摘して行きたいので、とりあえず今日は全員かかって来て欲しい」


 と小次郎さんが宣告したときから、地獄が始まった。


 最初は威勢のいい―――というか、実際に手合わせをした私からは無謀としか言いようの無い男子部員が挑んで行った。恐らく私との試合は間違いで、ちゃんと手加減してくれるとでも考えていたのだろう。本の中でしか見れないような達人と戦える事を楽しみにしながら、幾人の男子部員が防具を装着して小次郎さんと対面する。


 しかし、この人はそんなに甘くは無い。


「シッ―――!」


 ズガン、と竹刀が発生させたとは思えない音が道場内に響く。命中した箇所は、須らく面。一分と経たずに、最初の死刑執行は完了していた。


「む? この程度で気絶するとは、情けなし。次」


 知らぬは本人ばかりなり、とはよく言ったものだ。あの人は、己が振るう剣の威力を自覚していない。いやもしくは、相手が防具を付けているから遠慮という物を考えていないだけだろうか? どちらにしろ、性質が悪い事に変わりは無い。


 その後は流石に加減が分かってきたのか気絶する者はいなくなったが、それでも挑む者挑む者全て、その悉くを数合打ち合った後の面の一撃で沈黙させて行った小次郎さん。普通ならここで顰蹙を買いそうだが、彼はその打ち負かした者全てに、


「其方は足捌きが覚束ないな。攻撃よりも防御よりも、先ずはそこを直さねば先には進めぬぞ」


 とか、


「其方は重心が甘い。もう少し腰を据えてみよ」


 とか、


「攻め込みは申し分ない。だが逆に、攻め込まれた時常に後退してしまうのが惜しい。偶には打ち払って前に出てみよ」


 とか、


「辻殿、其方は流石に強いな。攻防共に纏まりが良い。しかし、型にはまっている分先が容易く予測出来てしまう。ここからは、己の剣を探してみよ」


 とか、とにかく大まかなところから細かいところまで、欠点と言う欠点を的確に見抜いてしまうのだから凄い。そのお陰か、畏怖の念は少々和らいだようだ。この分なら、思ったよりも早く皆に受け入れられるかもしれない。


 そうして全員が挑み終わった後には、道場内に屍の山が形成されていたのであった。一応無事に残った者として、南無阿弥陀仏、と横たわっている人たちに祈りを捧げた。


「よ、よし。かなり早いが今日はここまでにしよう。みんな、正座だ」


 国重先生の号令で何とか正座していく部員。全員が正座し終わってから、国重先生と小次郎さんの二人も私たちと向かい合う形で正座した。


「いや、済まなんだな皆の衆。あまりに興が乗ってしまった故、力が入りすぎてしまった。気絶させてしまった者たち、大事は無いか?」


 口調こそ今までと変わりないが、最後の一言のときに表情から笑みを消してそう言う小次郎さん。それに、はい、と元気に答える事で答えを示す被害者たち。それは安心した、と小次郎さんが笑った。


「以後もこの様に指導して行こうと思う。だが私もまだまだ未熟者故、何か気付いた事があったら遠慮なく進言して欲しい。それと、今後はしかと手加減して挑むので、そこは心配するな」


「では、礼!」


「「「ありがとうございました!」」」


 先生の声に呼応し、座礼をして挨拶を終える。それが終わった途端、小次郎さんの周りに部員が殺到した。怒涛の質問攻めに、慣れていない様子で四苦八苦しながら対応する小次郎さんを横目に捕らえながら、私は更衣室に入り帰り支度を始めた。


「…………ん?」


 胴着を脱いで制服に着替えた時、携帯にメールの着信が来ている事に気付いた。幾つかの操作をして、メールを開く。


「学園長先生から?」


 その送り主は、丁度用事があった学園長先生だった。仕事の打ち合わせか何かだろうか? それなら丁度いい、直に会って小次郎さんについて質問させてもらおう。そんな事を考えながら、文面に目を通していく。


〔元気にしとるかの諸君? 急な連絡じゃが、先日新しい警備員を雇った。それに伴い、今夜九時に世界樹前広場で顔合わせを兼ねた新しい警備員の力試しを行う。極力出席するように。健康には気をつけよ。ではな。
 近衛 近右衛門より〕


『新しい…………警備員だと?』


 その単語を見たとき、私は咄嗟に振り返った。もしや彼がそうなのだろうか?


 ここで言う警備員とは、魔法を使える裏の警備員を指している。もしそうだとしたら、あの実力にも『佐々木 小次郎』と言う名前が知れ渡っていない事にも納得がいく。


「どちらにしろ丁度いい。もしこの新しい警備員が別の人だとしても、学園長に問いただすいい機会だ」


 着替えを終え、更衣室を出る。どうやら小次郎先生への質問攻めも大分落ち着いたようだ。残っている人たちは、その眼差しを見るに小次郎さんの剣に感動した人たちだろう。どうでもいい事だが、パッと見、女子の比率が多い気がした。こちらに気付いた小次郎さんに一礼をし、道場を後にする。


「…………それにしても」


 茜色に染まる空を見上げながら、小次郎さんとの試合を思い出す。それだけで、鳥肌が立った。あの剣の鋭さ、反応の速さ、判断の正確さ、そしてあらゆる隙を見逃さない眼力。あの人はきっと、剣士に必要な要素を全て兼ね備えている。それも、とてつもない次元で。


「―――とりあえず、分かった事は一つか」


 夕凪を背に持ち、家路を歩く。その途中で、あの人について唯一分かった事を頭の中で確認した。


 それは、あの人が敵であろうと味方であろうと、剣士としてはこれ以上無いほど尊敬できる人という事。実際に剣を合わせればよく分かる。あの人があの境地に至るために、どれほど剣を振るってきたか。きっと、星の数にも匹敵するほど、剣を振り続けてきたのだろう。


「…………凄い人だ」


 道場での感想を一言呟きながら、茜の道を歩く。知らず知らずに傷心したのか、最も短い空への同情なのか。なぜかうら寂しい気持ちの判断はつかなかった。


 全ては今日の夜。今は、小次郎さんに打ち負かされた疲れを癒す事にしよう。








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