金属製の取っ手に手をかけ、戸を開けて外に出る。まだ日が昇りきっていない所為か、はたまた季節が冬と春の境目だからか、外気は少々肌寒く辺りも暗かった。だが寝起きの私にとってこれはありがたく、僅かに残っていた眠気は、まるで朝靄が消えるように霧散してくれた。


 見上げてみると、白い雲と共に真っ青な快晴が広がっていた。私の始めての朝は、真に清々しい空が迎えてくれた。


「ふむ…………あの“べっど”という物は、中々に良い寝心地であったな」


 数歩歩いたところで振り返り、エヴァの家を眺める。木で出来てはいるものの、見たこともない造りで組み立てられているこの家は、今までと同じで興味を覚える。恐らく、西洋風の建築物なのだろう。壁にはめられている透明な物―――硝子の向こうには、私が一夜を過ごした空間が見えた。


 この家の周囲は八方に自然が広がっている。木々も至る所に見受けられ、少し歩けば川まである実に穏やかな空間だ。然るべき季節であるならば、夜には虫も鳴くことだろう。このような場所に住んでいるエヴァを、正直に羨ましく思った。


「さて、そろそろ始めるか」


 気持ちに区切りをつけるために、そう独り言を呟いた。背に掛けていた鞘を外して抜刀し、鞘を地に置いてから、そのまま自然体に構える。


 もっとも、元より私に定められた構えは無い。如何なる体勢からでも振るえなくば、そもそも青江は使いこなせぬ代物なのだから。


 一切の予備動作も無く青江を振るっていく。仮想の敵は作らず、私の刀の基本である『首狙いの必殺』を只管に繰り返した。そして青江を振るうと同時に、足捌きにも気を配った。重心は常に揺らがせず、何時如何なる時でもあらゆる方向へ移動出来るよう心がける。


 どれだけの時間そうしていたかは分からぬが、一息ついた時に空を見上げれば、随分と太陽も昇っていた。未だ早朝という域は出ぬが、先ほどより幾分かは明るくなっている。


 攻めの基本を終えた私は、次に防御の基本を行うことにした。


 先とは違い、仮想の敵を作り出すために目を閉じる。十数秒の後、ゆっくりと目を開けば、最初の宿敵であるセイバーが黄金の剣を構えていた。


 瞬間、セイバーが私に突撃し、稲妻のような剣が落とされる。申し合わせたように青江で立ち向かい、触れ合った刹那を見切り受け流した。


 あらゆる角度から幾度も打ち込まれるセイバーの剣、その悉くを受け流していく。


 途中から防御だけでなく、こちらからの攻撃も織り交ぜた実戦形式に切り替えた。一撃を受け流し、その勢いを利用して加速させた刀を首に翻させる。並みの者ならばこれで落ちるが敵はセイバー、当然のように防いでくれた。返礼にと唐竹から剣を落として来たが、それよりも速く刀を返して反対からセイバーの首を狙う。受けきれないと悟ったのか、セイバーが後退し距離を取った。


 ―――数瞬、私たちの間に風が吹いた。だがそれも束の間、爆ぜたような速度でセイバーが踏み出した。青江の長さを活かし、突撃を止める意味合いも兼ねて袈裟掛けから首を狙う。セイバーは下段から黄金の剣を振り上げて刀を弾くと、突撃の勢いを殺すことなく、更に一歩を踏み出しながら剣を胴に落としてきた。急ぎ後退することで辛くも胴を避けると、首に向けて刺突を放ち接近を妨げる。当然のようにそれも避けられたが、すぐさま刺突を円に変えて更に首を狙いにかかった。


 通常ならありえない、急激な軌道の変化。だが如何なる読みか、セイバーが柄頭で私の斬撃を受け止めた。


 思わず、口の中で苦言を漏らす。絶好の隙を与えてしまった私に、セイバーの剣が逆の胴から迫る。それに対し私は、退くのではなく前進することで対処した。


 腕をセイバーの手の辺りに押し出すことで斬撃の進行を止め、同時に当て身を食らわして間合いを取る。吹き飛ぶとまでは行かなかったが、二歩三歩とセイバーがたたらを踏んだ。


 その距離は、セイバーにとって僅かに間合いの外。だが、私の間合いの内でもある。この僅かの差が私に構えを取らせる猶予を与える。私の一太刀を放たせまいとセイバーが駆けよるが、ほんの刹那遅い。


「―――燕返し」


 呟きと同時に、三つの剣閃がセイバーに襲い掛かった。それぞれが全く別の軌道で、全く同時に風を切る。一と二を見事に防いだセイバーだったが、あえなく三の前に散った。


 仮想のセイバーが消える。そう、仮想のセイバーだ。本物ならば、ここで燕返しは撃てなかっただろう。彼女の剣は、想像で作り出せるほど生易しいものではないのだから。


「…………ふぅ」


 流石はセイバーだと、改めて彼女の強さに感心しながら軽く息をつき、僅かに滲んだ汗を手で拭おうとした。


「どうぞ」


 横合いから手拭いが差し出された。済まぬ、と礼を言ってからそれを受け取り、額に浮いた汗を拭き取っていく。手拭いが汗を吸い取り終えた頃、片手でそれを返しながらそちらに向き合った。


「おはよう茶々丸。随分と早いではないか」


「おはようございます、小次郎さん。いえ、これが私のいつもの起床時間です」


 手拭いを渡してくれた茶々丸と朝の挨拶を交わす。私の修練を途中から見ていたのは気付いたので、特に驚きはしなかった。


「ははっ、そうか。うむ、早起きは良いことよ。時にエヴァはどうした?」


「マスターはまだ寝ておられます。今日は日曜日で学校がありませんので」


「がっこう―――ああ、寺子屋のことか。それと『にちようび』は、一般的に休日を指す日で合っているか?」


「はい、間違いありません」


 そうか、と返してから、近くにあった木製の階段に腰掛け、朝の清らかな空気を一杯に吸い込んでから吐き出した。


「どれくらいの時間、ああして刀を振っていたのですか?」


「さてな。始めたのが大体卯の刻だったのは覚えているが、それからどれほど経ったかまでは覚えておらぬよ」


「卯の刻―――夜明けですか。でしたら、今の時期は夜明けが大体六時前後ですので、二時間ほどかと。今は八時ですから」


「そうか、それほどの時間刀を振っていたか。いささか久しぶりだった故、興が乗りすぎたようだ」


「良い事ではないかと。ところで、毎日こうやって修行をしてきたのですか?」


 些細な疑問なのか、特に何でもない風に問いかけてきた茶々丸。別段隠す必要もないので、私はそれに正直に答えた。


「まあな。だが、どうも少々慢心していたようでな、その堕ちた性根から叩き直そうと思い、先ずは基本の反復を行っていたのだ」


「慢心……ですか。それは、何故そう思うのです?」


「昨日話したであろう、セイバーに負けたと。それはつまり、私が彼の騎士より弱かったという事実に他ならぬ。そしてこの世に生を受け、あの化生を斬った時に痛感したのだ。ああ、私は慢心していたのだな、と」


「…………分かりません。それが何故、慢心に繋がるのです?」


「分からぬか? あの化生は秘剣で斬れたにも関わらず、セイバーは秘剣で斬れなかったのだ。我が秘剣は必殺剣。如何なる者が相手であろうと『放てば必ず殺す』のが必殺剣という物。その必殺剣で斬れぬ者が一人でも存在したのだ、ここで満足していたのは慢心という物であろう?
 ―――元より、私が目指した物には未だ届いていないと言うのにな。全く、何故立ち止まっていたのか」


 正直分からぬよ、と呟いてから立ち上がり、近くの木と向き合った。距離は六尺と少し。私の間合いの僅か外。しかしそれも構わず枝の先端に向けて刀を振るった。  枝の先には、幾枚の葉が揺れている。当然、私の刀は届かない。


 しかし、パンッ、と乾いた音と共に葉が枝を離れた。私の刀の先端に起きた剣風が葉を散らした結果だった。


 離れた葉の数は三枚。それが風に揺れ、ヒラヒラと舞い落ちてくる。私の目線と同じ高さに落ちてくる頃、既に私は構えていた。


 振るわれる青江。それは私が嘗て、燕一羽を斬るために編み出した技。一振りで三太刀。全太刀神速のそれらは、寸分違わず同時に三枚の葉を断ち切った。六つとなった葉を刹那だけ見届け、鞘を拾い刀を収める。


 そして茶々丸に振り返り、私のこれからを穏やかに告げた。


「だが、折角こうして生き返ったのだ。かつては届かなんだ遥かなる目標に、もう一度挑んでみることとしよう」


「―――小次郎さんほどの人が目指した目標、ですか。差し支えなければ、是非教えて欲しいのですが」


「構わぬが……どうやら、今は叶わぬ様だぞ?」


 そう言って、茶々丸の後ろを顎でしゃくってやる。釣られて振り返った茶々丸が見たものは、


「……随分楽しそうに話していたじゃないか、茶々丸。マスターである私の食事を作る事は小次郎との会話に劣ると、そういう事か?」


 良い塩梅に青筋を立てている、エヴァの姿であった。


「も、申し訳ありませんマスター! す、直ぐにお作りしますので!」


「やかましいわこのボケロボが! 食事は作ってもらうがその前に罰を受けろ!」


「ああ、マスターそんなにネジを巻かれては……!」


 エヴァが茶々丸に飛び掛り、その後頭部にある取っ手をキリキリと回し始める。お許し下さいマスターうるさいわこの馬鹿ロボが、と主従漫才が絶えず繰り広げられる。その光景は、何とも和やかで平和な場面。


「ククッ―――はっはっはっはっは!」


 それを見て私は、この世界に来て初めて、大声を上げて笑ったのだった。












 私と小次郎が座るテーブルに、メイド姿の茶々丸が特製の料理を並べていく。


 今日の献立は純和風のようだ。ご飯と味噌汁を筆頭とし、鮭の塩焼き、漬物、ホウレン草のお浸し、金平ゴボウとシンプルな品揃え。だがその分、料理人の腕前が味にダイレクトに反映される料理の数々となっている。私好みの良いメニューだ。


 ちなみにさっきのいざこざは、晩ご飯を豪勢にするという事で終止符が打たれた。


「―――」


 と、向かいに座っていた小次郎が呆然としている。その視線の先には、当然今運ばれてきた料理があった。


 ……それとどうでも良いが、この家の内装に小次郎の格好は恐ろしいほどそぐわないと思った。


「どうした、何を驚いている」


「…………いや、知識としてこの時代の主食が白米である事は知っていたのだが、いざ目の前にするとな」


 あぁ、なるほどそういう事か。


「お前が生きていた時代がどの辺りかは知らんが、見ての通り現代ではこれが普通なんだよ。むしろひえあわなんて、今の時代食卓には滅多に上らん。まぁ、健康志向の人間は好んで食べるらしいがな」


「ほう、良い時代になったものだ。明日の食料の心配をせずに済むとは、これ以上無い幸福よな」


 うんうん、と頷いて感心している小次郎に、さっさと食うぞと言葉をかける。そうして手を合わせ、


「「いただきます」」


 私と小次郎の言葉が重なる。やはりあらゆる事に礼は必要なのだ。


 先ず味噌汁に手を出した。具材はワカメと豆腐と揚げ、味噌は合わせ味噌で出汁は昆布といったところか。静かに啜ると、ほっと一息つきたくなるような味が広がった。


 そのまま箸を鮭に向かわせる。表面がパリッと焼かれている身をほぐし、口に運びかみ締めると、肉汁と旨みが溢れ出した。塩加減も絶妙で、ついついご飯が進んでしまう。


「―――美味い」


 何時ものように舌鼓を打っていると、小次郎が心の底から感嘆の声を出した。手には味噌汁が入った椀が握られている。次いで白米を箸で取り、ゆっくりと口に運びじっくりと咀嚼していく。


「―――美味い。白米など、食べるのは何年ぶりか」


「小次郎さん、お代わりは沢山ありますので、たくさん食べてください」


「いただこう」


 素早く、かつ丁寧に自分の分の食事を平らげていく小次郎。だが時折止まっては、味わうように咀嚼して感動に打ち震えている。それでも小次郎の料理は瞬く間に消えていき、


「茶々丸、御代わりを頼む」


「分かりました」


 すぐさま御代わりを注文している。お盆に小次郎の椀を載せ、台所に消えていく茶々丸。その後姿を見届けてから、正直な感想を口にしてみた。


「しかし、本当に美味そうに食うなお前は」


「本当に美味いのだから仕方なかろう。これほどの馳走を食うのは初めてだ。しかも腹一杯食って良いとは、いや、極楽とはこのことか」


「――――――」


 感情と実感が篭りすぎたその言葉を聞いて、食い物は大切にしようと、私は密かに誓った。


「お待たせしました小次郎さん。どうぞ」


「済まぬ」


 椀を受け取り、やけに綺麗な箸使いで再び食事を進めていく小次郎。一心不乱に食べているその姿は、どこと無く子供のように思えて、可笑しくもどこか微笑ましい感情を覚えた。


「どうしたエヴァ。箸が進んでおらぬが、腹の調子でも悪いのか?」


 小次郎から言われて、私自身の食事が疎かになっている事に気付き、慌てて食べ始める。折角茶々丸が作った料理だ、冷ますなんてもったいない事は避けたかった。


 それからは、無言で食卓が進んだ。だが気まずいものはまるで無く、それどころか暖かい気がする。人が一人増えただけでここまで変わるものなのか。それも昨日会ったばかりの者だというのに。


「マスター、小次郎さん。どうぞ、食後のお茶です」


 そうこう考えている内に皿に載っていた料理は空になり、茶々丸が食後のお茶を差し出してきた。湯飲みに淹れられているのはほうじ茶だった。独特の香りと味を持つそれを口に含む。


「…………ふぅ。今日も美味かったぞ、茶々丸」


「馳走になった。いや、大した料理の腕よ。これは茶々丸を嫁に貰える男は果報者よな」


「勿体無いお言葉です」


 私たち二人からの賛辞を受けて、お辞儀をしながら返事をするメイド姿の茶々丸。その先で優雅に茶を啜っている小次郎の格好がスーツとかだったのなら、これ以上無いほどはまっていた事だろう。


「む、そういえばまだ聞いていなかったな」


 何かを思い出したのか、小次郎が唐突にそんな言葉を口にした。


「昨日から気になっていたのだが、茶々丸の後頭部に付いておるあの取っ手は一体なんだ? それに先程は茶々丸を“ろぼ”と呼称していたが、何か関係があるのか?」


「ああ、茶々丸の事か。そうだな…………お前には、自立意思を持った絡繰人形とでも説明すれば分かりやすいか」


 我ながら分かり易い例えに、小次郎が驚きの反応を示す。


「ほう。現代はそのようなことも可能なのか」


「いや、この麻帆良が特別なだけだ。他のところでは、せいぜい指定されたプログ―――命令通りに動く事ぐらいが関の山だろう」


 小次郎にとってこれはそこまで重要な事ではなかったのか、そうか、と一言だけ言ってこの話を終えた。残っていた茶を一気に呷り、御代わりを、とまた茶々丸に湯飲みを差し出した。お待ち下さい、と返事をして茶々丸が急須からお茶を注ぐ。


 ピリリ、という電子音が急に部屋に響いたのは、その時だった。茶々丸が受話器を取り、数言会話をすると私に受話器を差し出してきた。


「学園長先生からです、マスター」


「何? 分った、貸せ……こんな朝から何のようだ、ジジィ」


『こんな朝からて、もう九時を過ぎとるぞエヴァンジェリン。まぁよいわい。小次郎君の戸籍やら住居やらが決まったのでな、報告をしようと思ったのじゃ』


「相変わらず仕事が速いな。どうせ職権乱用したんだろ」


『何を言っとるエヴァンジェリン。権力は使うためにあるんじゃよ』


「おい、今凄まじい問題発言をしなかったか麻帆良学園長にして関東魔法協会理事長」


『気のせいじゃ。おお、それと小次郎君が出来そうな職も幾つか見繕ったから、準備が出来たら女子中等部の学園長室に来とくれ』


「…………分かった、伝えておく。じゃあな」


 ピッ、と返事も待たずに電話を切った。


「ジジィから伝言だ、小次郎。戸籍と住居が決まったから、準備が出来たら昨日の学園長室に来いとさ。それと職も幾つか候補が挙がったからそれも見て欲しいそうだ」


「了解した。時にエヴァ、今耳に当てていた物は一体なんだ?」


「答えてもいいが……貴様まさか気になるものがあったらそのつど私達に質問するつもりか?」


「無論」


「…………茶々丸、三日以内に現代の一般常識を全て叩き込んでやれ」


「はい、マスター」


 面倒事を茶々丸に押し付けて、ほうじ茶を啜る。とりあえず、ジジィのところにはこれを飲んでから行くとしよう。


 ふっと小次郎の方を見てみれば、早速茶々丸から色々と教えてもらっているようだ。熱心に耳を傾けている姿勢はまるでド田舎から出てきた青年のようで、昨日見せた剣客の姿は到底被せる事が出来なかった。


『そういえば…………この家の中で誰かの会話を眺めるというのは、初めてだな』


 そんな何気ない事を思いながら、目の前の光景をただ眺める。よくは分からないが、こういうのも何となくいいものだと思った。


「マスター、そろそろ向かった方が宜しいかと思いますが」


 言われて、時計を見てみる。いつの間にか十時近い時間になっていた。


「お、もうこんな時間か。よし小次郎、ジジィのところに行くぞ。茶々丸は着替えて来い」


 私に指示に返事をしてから、着替えのために茶々丸が部屋に向かった。小次郎も、承知と堅苦しい言葉を返して、長刀を背中に―――


「……待て。おい小次郎。貴様まさかこの昼日中にその長刀を背負って出歩くつもりか」


「当然であろう。私は武芸者だ。その私が何故刀を手放さねばならぬ」


 何を異なことを、とむしろこちらの正気を確認するように聞き返してくる過去人バカ。おのれ茶々丸、どうせならこの辺りから教えんか。


「昨日のジジィの言葉を聞いてなかったのか? そんな長刀、袋に入れて持ち歩いても即刻職務質問物だこの大馬鹿が。第一その格好も何とかならんのか」


「生憎と何着も服を持てるほど裕福な生まれではないのでな、これ以外持ち合わせは無い。それに其方こそ昨日の話を聞いてなかったのか? 気付いたら世界樹の側にいたのだ、手荷物などあるはずもなかろう」


「ぐむ」


 小次郎の反撃にぐうの音も出ない。だがどうしたものか。この家に男物の服なんぞ無いし、かと言って茶々丸に買いに行かせるのも時間がかかって面倒だ。だからといってこのまま外に出るのもアレだが……


「お待たせしましたマス…………何を悩んでおられるのですか?」


「小次郎の長刀と服装をどうしようか悩んでいたところだ」


 私に言われて茶々丸も気付いたのか、あ、と呟いた。そして顎に手を当てて、小次郎の姿を見ながら良い案がないか思案している。


「―――私が人目の付かない場所を案内しますので、刀はとりあえず袋に仕舞ってください。ですが一応、何かないか見てきます」


「やはりそれしかないか…………面倒くさい」


 地下室に下りていった茶々丸を見届けた後、はぁ、とため息を一つ吐いて椅子に腰を下ろした。あれほどの長刀を包まなければならないんだ、早々に見つかりはしないだろう。しかし、こいつの格好はともかく長刀の方は何とかしなければな。


「時に知っておるか? ため息をつくと老けるそうだぞ」


「貴様が原因だろうが!」


 勢いよく指差して思い切り叫ぶ。だが小次郎は一切意に介さず、はっはっは、と快活に笑っていた。


 そんな小次郎に、私は心の中で一言呟いた。


『――――――ア○ダ・ケダ○ラ』


 いっそ死んでしまえと、半分本気で思いながら。












「学園長殿、失礼する」


 数度戸を叩き、入ってよいぞ、と許可を貰ってから中に入る。


「やあ小次郎、エヴァの家はどうだった?」


 どうやらタカミチもいたようだ。左手を履き物の穴に納めたまま、右手を上げて爽やかに挨拶をしてきた。


「うむ、実に趣き深い家であった。加えて料理も最高で色々と知識も授かったのだ、文句など付けようもあるまい」


「はい、あれほどあの家が騒がしくなったのは初めてです。と言っても、大半は小次郎さんとマスターが戯れての事ですが」


「茶々丸、お前今すぐメンテ受けて来い」


「随分と仲良くなったようじゃのう。良い事じゃ」


 フォッフォッフォ、と学園長殿が奇妙な笑い声を上げる。うむ……やはり改めて見ても化生にしか見えぬご老体だ。これで人類なのだから恐れ入る。


「ところで小次郎、何で薙刀なんて背負ってるんだい?」


 と、タカミチが私の右肩にかかっている物体を見て疑問の声を上げた。長さ二メートル余りで、先端辺りから異様に反りを持っている物体だ。それが布で包まれていれば、概観だけを見て薙刀と思う者も多いだろう。


「いや、これは私の刀よ」


 そう言って薙刀を肩から下ろし、布を解いてみせる。その中からは私の刀と、偽装を施していた金属性の筒が姿を現した。これこそ、茶々丸が地下室から見つけてきてくれた物だ。


「私が地下室で小次郎さんの刀を包めるほどの布を探していた時、この筒が目に入りまして。小さいながらここには薙刀部も有りますから、あのまま持ち歩くよりは薙刀に偽装した方が良いと判断して、こうしました。人目につき難いルートを選択して通って来ましたので、結局誰にも会いませんでしたが」


「そう変わりがない気もするが…………まぁ、問題になってないのならいいわい」


「ジジィ、こいつの刀に認識阻害の魔法をかけてやれ。このままじゃいつか捕まるぞこの男」


「その必要はないわい。ワシが警察に手を回せば一発じゃ」


 フォッフォッフォ、と再び笑う学園長殿。流石に権力者は違うようだ。


「ま、それはこちらで手を打つから心配せんでよい。とりあえず、これに目を通してくれぬか?」


 ホレ、と言いつつ学園長殿が何かの紙を私に手渡した。そこには文字が延々と書き綴られているのだが―――


「―――済まぬ茶々丸、読んでくれ」


「…………そういえば小次郎さんは、読み書きが出来ないのでしたね。分かりました」


 恥を忍んだ頼みを快く引き受けてくれた茶々丸に礼を言いつつ、紙を手渡す。そうして目を通し終わった茶々丸が口を開いてくれた。


「要点だけを言いますと、小次郎さんが就く職の第一候補について書いてあります」


「ほう、小次郎の職か。私は警備員が妥当だと思うがな」


「はい、それも含まれています」


「含まれている? って事は、それだけじゃないのかい?」


 茶々丸の言葉にタカミチが確認のための声を出した。はい、と返事をしてから茶々丸が続きを口にした。


「もう一つは、剣道部の外部コーチだそうです」


「「なるほど」」


 エヴァとタカミチが、同時に納得の声を漏らした。対して私は小首を傾げる。剣道という言葉は理解できたが、こーちとはまた聞きなれない単語だ。


「コーチとは、指導員のようなものです。つまり、小次郎さんに剣の指導をしてもらう仕事です」


「流石に仮契約という扱いじゃがの。新学期が始まるまで続けてもらい、向いているのならば専属契約を結ぼうと考えておる」


 心中を察してくれたのか、私が何かを言う前に茶々丸が説明してくれた。合わせて学園長殿も補足を加えてくれた。


 なるほど、確かにそれは私の性に合っている。何しろ唯一の取り得が仕事なのだ、これ以上のものはあるまい。


「だがよいのか学園長殿? 私の剣は完全に我流である上に邪道だ、正道を学ぶ者たちの標になれるとは思えぬが」


「構わんよ。エヴァンジェリンが言うには、刹那君はおろか刀子先生すら足元にも及ばないほどの使い手らしいではないか。そんな君が相手になってくれるだけで十分子供たちのためになるはずじゃ」


「……ならば、承知した。元より断れる立場ではない、その警備員とこーち二つの仕事、しかと引き受けよう」


「うむ、そう言ってくれると助かるわい。では、先ずこれを常に携帯しとくれ」


 そう言って、また学園長殿が私に紙を手渡した。だが先ほどの物とは違って随分と小さい。掌に収まってしまうほどの大きさだ。手に取ってみると、感触も随分と固かった。


「言ってしまえば帯刀許可証じゃ。ま、流石に袋には入れてもらわねばならんがの。街中で何か言われたときはそれを見せれば大丈夫じゃ」


「なるほど」


「それと、これが君の住む家の鍵じゃ。後でタカミチ君に案内してもらうとえぇ。戸籍と立場についてはこれを読む―――事は出来んのじゃったな、茶々丸君にでも読んでもらっとくれ。後は給料じゃが…………これくらいでどうじゃ?」


 鍵―――私の時代で言う閂の様な物か―――を受け取ると学園長殿が何かを取り出して操作し、それを茶々丸に見せた。そこに現れているものを見た茶々丸の表情が驚きのものに変わる。あれが何かは分からぬが、一体幾らになったのだ?


「少なくとも、小次郎さんが暮らしていく分には全く問題ない額です」


「ならば良い。それで頼む学園長殿」


「あい分かった。それでは警備員は今日から、剣道部のコーチは明日から頼むとするかの。警備員の仕事の内容については、エヴァンジェリンとタカミチ君から聞いとくれ。剣道部の顧問と部長にはワシから話を通しておくので、明日集合場所とその時間を連絡するわい。それと、これはとりあえずの生活費じゃ」


 そう言って私に茶色の紙を十数枚手渡してきた。……む、これは一万円札と言う現在でもっとも高価な銭ではないか。こんなに貰ってよいのか、と学園長殿に問うと、エヴァンジェリンを救ってくれた礼じゃよ、と答えてくれた。それに納得し、貰った物全てを纏めて懐に仕舞った。


「学園長、話は全て終わりましたか? それなら早速、小次郎が今日から済む家に案内してあげたいのですが…………」


「おお、待っとくれタカミチ君。一つだけ残っとる。小次郎君、ちょっと来てくれんかの」


 言われて学園長殿が腰掛けている机に近づくと、真っ白でやや縦に長い四角の物を取り出した。そして何も言わずにそれを開くと、中には着物を着た実に美しい女子の姿がやけに鮮明に写されていた。


 腰ほどまでの長さがある艶やかな黒髪、薄く化粧をしているのか肌は適度に色白で、頭の両脇に留められている髪飾りがよく似合っている。このままでも十分だが、これは後幾らかで更に良い女になるであろう。


「ワシの孫で木乃香というのじゃが、どうじゃ? 綺麗じゃろ」


「うむ、後数年もすれば見事な大和撫子になるであろう有望な女子よ。この様な美人を孫に持てるとは、学園長殿は幸福よな」


「そうかそうか、気に入ってもらえた様じゃな! ではどうじゃ、小次郎君。その幸せを君も分かち合ってみんか?」


「と、言うと?」


 学園長殿の意図が分からず聞き返す。後ろから、またか、と二つの声がため息と苦笑い混じりに聞こえてきた気がした。


「木乃香の婿にならんか?」


 ……不覚にも度肝を抜かれてしまった。昨日今日会ったばかりの男に、この方はいきなり何を言いだすのか。いやしかし、後ろの二人が“またか”と呟いたところを鑑みるに、結構な回数こういった話を持ちかけているということか。恐ろしい翁よ。


「ありがたい話ではあるが、会ってもいない女子とこの場で婚約を結んだとて、この女子がそれを拒むやも知れぬ。そう易々と返事は出来ぬよ」


「ほう? つまり、それなりに知り合ってかつ木乃香が君を拒まなければ婿になると、そういう事かの?」


「候補の一つには入るであろうよ。これほどの女子はそうおらぬ故な、それを伴侶に迎えられるのであれば、男として断る理由は見当たらぬ」


 私の返事がお気に召したのか、フォッフォッフォ、と上機嫌な笑い声を上げる学園長殿。どうやらこれで話は終わりのようで、私たちは学園長殿一人を残して部屋から退室した。


「おい小次郎、いいのかあんな簡単に返事をして」


 タカミチの先導の元、私が住むことになる家に向かっている途中、先ほどの返答についてエヴァが問うてきた。


「無論。先も申したがあれほどの女子はそうおらぬ。その婿候補に挙がるのならば、受けておいて損はあるまい?」


「意外に女誑しだねぇ、小次郎」


「何を言うタカミチ。私は“候補”と言っただけだ、確定した訳ではない。私が他の女子を選べばそれまでよ」


 もっとも、本当にそういう状況になれば喜んでその立場を受ける、と言うことは黙しておくが。


「新しい切り口ですね。今まであの話を受けた方々の反応は、断るか受けるかの二極だったのですが」


「違うぞ茶々丸、こういうのは詭弁と言うのだ。なぁ小次郎?」


「はは、なるほど詭弁とは的を射ている。うむ、反論の余地が無い」


「自分で認めるな!」


 叫ぶエヴァ。常々思うが、面白いほどに響いてくれる娘子よな。ついついからかいたくなってしまうではないか。今後も良い暇つぶしをさせてもらうとしよう。


「そうだ、店によって食糧とかを買っていこうか。小次郎、君酒はいけるかい?」


「無論」


「じゃあ今夜は軽く宴会でもしよう。小次郎の就職祝いだ」


「では、料理と肴は私が」


「それはありがたい。茶々丸、期待しているぞ」


 唐突に宴会が決まり、タカミチが足の向く先を変えた。そういえば町に行くのは初めてであるな、興味深い。一体何がどのように変わっているのか、心ゆくまで拝ませてもらうとしよう。


「こら! 私を抜いて話を進めるな!」


 まあとり合えず、道中はエヴァと戯れているとしようか。












 ―――そうして、夜。


 私のために開かれた宴会も終わり、今日から住むことになったこの家に今は一人きり。陰ること無く空に眩く月を見上げつつ、宴会の喧騒を思い出しながら残った酒を飲んでいた。


 ……学園長殿が用意してくれた私の家は、見事な武家屋敷だった。縁側もしかと有り、それなりな大きさの中庭には添水が備えられていて、手ごろな大きさの木も数本植えられていた。しかも台所には釜戸、風呂は薪で沸かす仕様になっており、唯一冷蔵庫があること以外私が生きた頃とほとんど変わりない造りになっているのには心底驚いた。


 かねてより、一度は住んでみたいと思っていた屋敷。これを与えてくれた学園長殿には幾ら感謝してもし足りぬ。一人で住むには少々大き過ぎたが、それは愛嬌というものだろう。ただこの家を見た時、


「おのれジジィ! こんな良い家をなぜ私に言わなかった! あぁ、茶室まであるじゃないか! 今度会ったら八つ裂きにしてくれる!」


 とエヴァが叫んでいたので、近々学園長殿の冥福を祈っておこうかと考えた。


 ほろ酔いのまま帰る時、休日は遊びに来るからな、とエヴァが言ってきたので、上等な茶を用意しておこう、と歓迎した。タカミチもこの家を随分気に入ったようで、たまに酒を持ってくるよ、と言っていた。茶々丸は丁寧に礼をしてからエヴァと共に帰っていった。


 カコン、カコンと鹿威しの音が夜に染み渡る。小気味良く響くそれは、心地良く耳に溶けていく。月光のみで辺りは照らされ、風に緑が囁く。猪口に酒を注ぎ、一気に呷る。喉が一瞬冷め、次第に熱くなっていく。あぁ、なんと酒の美味い日だ。


「これも全て、其方のお陰だ」


 月を見上げ、聖杯である男に礼を言う。届くとは思えぬが、言わずにはいられなかった。再び猪口に酒を入れ、今度は飲まず月に掲げる。


「其方の粋な計らいと、明日からの新たなる生活に――――――乾杯」


 そう告げて、中身を宙に撒いた。


 この杯は私のための物ではない。これはあの闇の中にいた、男に奉げる物。雫が月光に煌き、闇に溶けるのを見届けてから、私は瓶から直接酒を飲んだ。


 ――――――乾杯


 どこからか、粗暴な声が聞こえた気がした。








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