武蔵の変化は一目で分るほど、明確なものであった。
 髪は乱雑さこそ変わらないもののフケも油も綺麗に落とされており、無精髭は一本残らず綺麗に剃られている。着ている服も白い着物に赤い陣羽織と一新されており、清潔感漂う勇猛な武士と言った出で立ちとなっていた。二日前の小汚い野武士はもうどこにもいない。それでも依然として獣のごとき荒々しさを感じるのは、それがこの男の生来の気質なのであろう。
 腰には、二日前にも目にした緑色の鞘とは別に、漆塗りの鞘に納められた太刀が差さっている。長さは柄と合わせて大よそ三尺と言ったところ。鳳凰の目抜き、柄頭に彫られた梵字……見覚えのある柄の造りからして、恐らくあれが燕返しを防ぐ際に喚び出した、黒い刀身を持つ刀であろう。
 黒色の鞘の表面には、血管を彷彿とさせる赤い模様が浮いていた。目を凝らせば、それがまるで本当に脈打っているかのような……怖気を呼ぶ生々しさを持っている。刀身の色と言い、鞘と言い、鍔を境に上下で全く印象の違うあの刀は、一体如何なる考えの下に拵えられたのであろうか。

「さぁさ、今日こそ借金のカタに、お姫様を頂きますえ〜」
「抵抗しなきゃ、俺も刀を抜かねぇで済む。出来ればそうして欲しいもんだ」

 目の前の状況から脱線した思考を巡らせておると、唐突に二人がよく分からぬ言葉を口にし始めた。

「な、何……? 何のつもりだ、貴様ら」

 突然の展開に戸惑ったのは刹那も同じようで、どこか困惑した言葉でそう問うた。私も眉を潜め、如何なる意図があるのかと、思考を走らせる。

「小次郎さん、せっちゃん。ちゃうちゃう、これお芝居や、お芝居」
「む、説明してもらってよろしいか、木乃香殿」
「シネマ村ではな、ウチらみたいなお客を巻き込んで突然お芝居始めるんや。こういうの初めてやから、何や嬉しいな〜」

 ……なるほど、そういう魂胆か。
 中々木乃香殿を攫う機を掴めず業を煮やした武蔵達の誰かが一計を講じ、ここシネマ村で劇に扮して衆目の中堂々木乃香殿を攫ってしまおう、と言ったところであろう。あの手裏剣での襲撃は、私たちをシネマ村に追い立てるためのものだったに違いない。

「……ふざけるな! そうはさせんぞ、お嬢様は私が守る!」

 刹那もそこを理解したのか間髪入れず、激情をそのまま形にしたような言葉を武蔵達に向かって投げつけた。その迫力に、こちらを見ている周りの野次馬達から、おぉ、と感嘆の声が上がった。
 だが、刹那の言霊を受けた武蔵達は微動だにしなかった。あまつさえ、貴婦人に扮した月詠は視線を刹那へ移すと視線を上下させ、刹那の全身を眺めた後、くすりと笑みを浮かべた。

「下町で仲良くなった武家の娘さんといったところですかねぇ? うふふ〜、麗しい友情ですなぁ。これは気をつけないと、手を噛まれそうですぅ」
「―――っ!?」

 嘲笑、という言葉がピタリとはまりそうな表情で口にされた月詠の言葉は、事実刹那の事をあざ笑っていた。明らかに相手にされていないという事実と自分の格好を思い出し、返す言葉に詰まった刹那から、悔しげな気配が漂ってくる。

 ―――ククッ、何だ。もう忘れてしまったのか、刹那よ

 右に一歩踏み出し二人の前に立つことで、月詠の視界から刹那を消し去った。不敵な笑みを浮かべて、刹那に代わり、はっきりとした言葉で返す。

「生憎だが、我が姫君を渡すつもりは毛頭ない。部下十人斬られてもまだ分らぬか」

 少々の殺気を放ちながら、即興で考え付いた設定を付け加えて言葉を放つ。向こうが劇として木乃香殿を奪いにかかるなら、こちらも劇として応じて存分に立ち回れば、条件は互角であろう。
 私の言葉を聞いて一瞬、月詠と武蔵が訝しい表情でこちらを見てきたが、理解を得た月詠が口を開く。

「ふふふ、だからこそ、今回はこのお方を用心棒に雇ったんです〜。今までの私の部下では、貴方を倒せないことはよく分かりましたから〜」
「手を引く、という選択肢もあると思うが?」
「手も足も出せなかったから取立てを諦めたとあっちゃあ、今後の面子に関わるんだろうよ。まぁ俺も、こういう悶着があるからこそ飯が食えるんだが」

 会話の中で何気なく撤退を勧めてみたが、それを武蔵が自嘲しながら一言の下に切って捨ててきた。
 唐突に、武蔵が懐に手を差し入れる。何か仕掛けてくるのかと身構えたが、取り出されたのは一通の白い封書だった。
 表には、三つの文字が書かれている。

「……果し状?」

 武蔵が突き出した封書には、今口にした通り『果し状』という三文字が書かれていた。
 私がそれを認めたのを確認すると、武蔵は唐突に殺気を剥き出しにし、獰猛な笑みを浮かべて言葉を放った。

「―――今から三十分後、木乃香お嬢様を賭けて果し合いを申し込む。場所はシネマ村正門横・日本橋。こいつが証しだ」

 殺気と共に投げつけられた果し状を受け取る。私を睨みつける視線からは、この果し合いが殺し合いであるという事が明確に告げられていた。

「ふふ、分かってると思いますが、逃げたらあきまへんえ〜。何しでかすか分かりませんよ〜?」

 それを見届けると、月詠はしっかりと釘を刺してからさっと身を翻して、馬車に乗り込んでしまった。武蔵もそれに続くように背を向け、馬車へと乗り込むと、馬を走らせてあっという間にその場を後にした。
 今のやり取りが本当に劇だと思い込んでいる野次馬達は、口々に興味を示しており、中には早速日本橋へと向かう者さえいた。

『武蔵から果し合いの申し込み、か……ククク』

 その事実を心の中で反芻すると、興奮で全身がざわめくのが分かった。心音は高鳴り、逸る体は気付けば、手の内にあった果し状を握り潰していた。

 ―――これではまるで、我が名の本来の役割を全うしているようではないか

 佐々木小次郎は宮本武蔵を引き立たせるために捏造された剣客だ。天才という称号も、伝えられている数々の逸話も、全て宮本武蔵のために存在している。その二人が雌雄を決した、名高き巌流島の戦いの結末は語るまでもないだろう。決闘に至るまでの経緯は知る由もないが、『佐々木小次郎が負けた』という結果だけは、その殻を被って召喚された私の記憶に残されている。
 場所も状況も何もかもが違うが、同じ名を持った二人が果たし合おうとしている事実だけは酷似していると言えよう。そして歴史になぞらうのならば、佐々木小次郎はこの場で宮本武蔵に負けてしまう。

 だが、『私』は違う。私は物語に語られる存在ではない。口の端にも上らぬ我が身ならば、この名の因果も捕らえようがあるまい。
 背の青江が、同意するようにカチャリと鍔鳴りを上げた。

「……さん。小次郎さん」
「―――む、刹那か。済まぬ、考えに没頭しておった」

 興奮の余り、刹那が私を呼んでいたことに気付けなかったようだ。一言謝りつつ、そちらに向き直れば、何か困ったような表情をしておる刹那がいた。とりあえず、用件を聞くことにする。

「お嬢様の様子が……どうやら、宮本武蔵の気に当てられたようで」

 言われて目を向けてみれば、刹那の肩にしがみ付き背中に隠れ、青ざめた顔を俯かせている木乃香殿がいた。耐性のない木乃香殿に、武蔵ほどの殺気は荷が勝ちすぎたのだろう。
 とにかく落ち着かせようと、木乃香殿の名を呼ぼうとした時だった。

「小次郎先生ー!」

 複数の足音と共に私を呼ぶ声が近づいてくる。聞き覚えのある声だと思いながらそちらに振り向くと、七名ほどの3−Aの生徒がこちらに向かって走ってきていた。

「見たよ、見ちゃったよー! 小次郎先生も隅に置けないじゃん!」
「一体いつからそういう関係に!? お姫様を奪われそうな今の心境を一つ」
「うふふ、佐々木先生ったら、色男ですね」
「……なに? 其方ら、何を申しておるのだ」

 私の下に殺到するや否や、早乙女殿と朝倉殿と、名も知らぬ赤茶色の髪の毛の女性(ネギのクラスの者であることは確かだ)が、何やら興奮した様子で全く訳の分からない言葉を私に投げかけてきた。それぞれが武士・浪人・黒いスーツのような服装で着飾っている。
 彼女らの言葉に、思わず眉を潜めて聞き返すと、待ってましたとばかりに口を開く。

「やだなー、しらばっくれちゃって! 木乃香のこと姫君、って言ってたじゃん! つまり、そういう関係なんでしょう?」
「一体いつから木乃香を守る要職に? 理由は何ですか? 桜咲さんとの詳しい関係は?」
「そうださっきの子は誰なんですか!? 木乃香のこと狙ってましたけど―――もしかして木乃香に恋慕してる相手で、ずっと守ってたり? うおぉ、ネタが溢れるー!」

 ……怒涛の勢いでまくし立てられ、流石の私も言葉を無くしてしまった。一体この者らが如何なる考えを経てそのような結論に至ったのか、小一時間問い詰めたい。特に酷いのは早乙女殿だ。どうすれば私の『姫君』という発言一つからそこまで妄想が飛躍するのであろうか。
 私に詰め寄る三人の後ろの方で、長谷川殿が「何がそういう関係だよ……」と呟いていた。

「いやー、私応援しちゃいますよ小次郎先生。色々倫理的にヤバイだろうから、情報規制も任せてください。私そういうの得意ですから。桜咲さんと木乃香も心配しないでね!」
「私たち味方だからね小次郎先生!」
「ちょ、ちょっと! 全く話が見えませんわよ! 皆さん私を置いてけぼりにして!」

 親指を立てて謎の協力を申し出る朝倉殿と、何を敵としての味方なのか分からない早乙女殿。今まで蚊帳の外だった雪広殿が叫んだ言葉は、的確に私の心を代弁していた。
 今までの経験から、こうなった3−Aは相手にするだけ無駄であると判断して、木乃香殿の方を気にかけることにする。

「木乃香殿、大丈夫か」
「ぁ……うん。なんや、急に寒気がして……」

 私の言葉に対する返事もどこか上の空である。見れば、刹那に縋る手がかすかに震えている。

「刹那。しばらく木乃香殿の傍にいてやってくれ」
「はい。お嬢様、しっかり」
「うん……せっちゃん、ありがと」

 今の木乃香殿を落ち着けるためには誰かが隣にいなければならぬと判断し、その役目を刹那に任せた。私にはこれから武蔵との果し合いがある。故に、その役目は私に相応しくなかろう。敏感になっている今の木乃香殿に、私の高まり始めている気を間近で浴びせてしまうのはよろしくない。

『さて、そろそろ向かうか』

 時間を指定されたとはいえ、きっかりその時間通りに着くのはよろしくなかろう。すでに手遅れかも知れぬし、そもそもしておらぬかも知れぬが、罠を仕掛けられては溜まったものではない。

「では行くぞ刹那、木乃香殿」
「はい」
「うん……」
「よーし、行くぞ野郎どもー!」
「―――待て」

 何故か声をかけた者以上の返事が返ってきて、思わずそちらに振り返り、一言強めの言葉を吐いてしまった。
 振り向いた先には早乙女殿・朝倉殿を筆頭に、先の3−Aの者達が私たちの後ろについてきていた。

「任せてください! 微力ながら私たち、小次郎先生に助太刀します!」
「クックック……私の刀が血に飢えてるぜぇ」

 何かの義侠心らしきものが刺激されたのか、熱意だけは一人前の目で早乙女殿と朝倉殿が助太刀を申し出る。これは人に言う台詞ではないかも知れぬが、早乙女殿にいたっては、玩具の刀を抜いた状態で気違い染みた台詞まで吐く始末であった。

「一応言っておきますが、私たちは止めましたよ」
「……はぁ、もうよい。好きにせよ」

 綾瀬殿と長谷川殿に、分かっていると手を振りながら、いっそのこと無視することに決めて、さっさと私は歩き出そうとした。
 その時、鋭い視線を感じた。弾かれたように視線の先に振り向くが、特に怪しい姿は見受けられなかった。

「どうかしたですか?」
「いや、気のせいであったようだ、何でもない」

 少々神経が過敏になりすぎて、野次馬の視線でも勘違いしたのであろう。そう断じて、今度こそ私は、決闘の場へと足を向けた。









 遠ざかっていく彼らを、改めて建物の影から顔を覗かせて見る。佐々木 小次郎とかいう男を先頭にして、その後ろに神鳴流の剣士と連れられている標的である近衛 木乃香と……残りはよく知らない。魔力も感じないから一般人だろう。

 宮本 武蔵から、万が一彼らが逃げ出さないかを見張る役目を任された僕は、シネマ村に入ってからずっと彼らの後をつけていた。演技は苦手だと告げたから、消去法で選ばれただけかも知れないが。
 尾行している間、彼らは逃げるどころかこのシネマ村を楽しんでいたので、僕の仕事は本当にただ見ているだけだった。時折、いっそ僕が攫ってやろうかと思うときさえあった。
 しかし、その考えを実行に移すことはなかった。その気になれば、護衛の二人を出し抜くことも可能なのだろうが……。
 彼らの後をつけるために別行動を取る際、宮本 武蔵から告げられた言葉を思い出す。

 ―――連中、特に佐々木 小次郎っつう長い刀持った男には手を出すな。テメェでも痛い目見るぞ。

 ずっと気にかかっていた、宮本 武蔵の突然の変化。告げられた言葉を聞いて、その原因が佐々木 小次郎にあるのではないかと、僕は思ったのだ。
 出会った当初、彼は僕と同じく天ヶ崎 千草の仕事に積極的じゃなかった。根本は仕事人気質なのか雇い主から言われた事はキッチリと果たしているが、どこか片手間で片付けているような印象を受けていた。
 そんな彼が一個人に執着するというのは、僕にそういう推測をさせるに十分な力を持っていた。見た限り、そこまで執着させるほどのものがあるとは思えなかったが、そこは剣士同士、何か通ずるものがあったのだろう。一応、僕の尾行に勘付けるだけのものはあるようだし。

「……まぁ、千草さんの謀反が成功しようがしまいが、僕には関係ないしね」

 強いて言うなら、成功した方が都合が良い程度の作戦だ。それでやる気を出せというのも無理な話だ。

 奪おうと思えば奪える標的。その護衛を務める神鳴流の剣士と、宮本 武蔵が認める凄腕なだけの剣士。勝てる相手とはいえ、今の状況で撃破するとなると、少々厄介である。得られるメリットと比べると、どうしても強攻策は取りづらかった。
 そもそも、僕がわざわざ面倒なことをせずとも、僕の周りにはやる気を出している人たちがいるのだ。でしゃばった真似はせず、与えられた役割をこなしておけばいい。
 それに内心、生まれ変わったと言って差し支えない宮本 武蔵の変化を、まだ見ていたいとも思っているのだ。ならば今は、この退屈な尾行を続けるべきだろう。
 そういう考えの下、僕は尾行を続けていたのだ。

「自分で言うことじゃないけど、悪い癖だね」

 趣味と呼ぶには少し違うかもしれないが、目に見えて感じる人の変化というものに、どうしても興味を持ってしまう自分がいる。それを見られるなら、多少の不利益に目を瞑ってもいいとさえ思っている。
 こういうのを、損な性分と言うのだろう。声に出さず呟きながら、僕は騒がしい一行の後姿を追い続けた。

「おぉ、やっと見つけたで。ここにおったんか新入り」

 物陰に隠れながら彼らを尾行していると、僕たちの雇い主である天ヶ崎 千草が後ろから声をかけてきた。

「どうも、千草さん。そっちの首尾はどうですか」
「あぁ、上手く坊やたちを閉じ込められたから、えぇ時間稼ぎ出来とるで。今の内に木乃香お嬢様さえ攫えれば、それで終いや。……ところで、天劫はんは?」

 計画が上手く進んでいる事を口にするや否や、天ヶ崎 千草はどこか怯えた様子で宮本 武蔵の姿を探し始めた。そういえばこの人も、初日が過ぎた辺りで少し宮本 武蔵に対する態度に変化が見られた。一体その日に何があったのだろう。
 とにかく僕は、宮本 武蔵今現在進めている策を天ヶ崎 千草に伝えた。

「なるほど、そら上手いこと考えたもんや。……よし、ウチも手伝うとするか」
「いいんですか? 下手に手出しすると、武蔵さんが怒るんじゃ」
「ちゃんと様子見るから問題ないて。新入り、あんさんも手伝いや」

 勝手に僕まで巻き込むことを決めると、返事も待たずに天ヶ崎 千草は橋へと向かい始めた。依頼主の顔を立てるためにもここは素直に従うことにしつつ、宮本 武蔵の逆鱗には触れないよう気をつけることを決めて、僕もその後についていった。









『先程はあぁ言ったが……この女子ら、全くもってどうしたものやら』

 日本橋も近くなってきた頃、一目背後を振り返り、私は幾度目かの溜息をついた。
 3−Aの女子らが、やれ私は何人倒すだの、やれ面白くなってきただの、やれ劇の参考にしようだの、緊張感の欠片もない会話を交わしている。
 相手が本物であることを知らぬ故、致し方ないのであろうが……。

「あの、小次郎さん。いいんですか、皆さんは」
「来るなと言って、今のこの者らが止まると思うか?」
「……失礼しました」

 まぁ、関係のないものを武蔵らも斬るまい。そう信じておこう。

 そうこうしている内に、日本橋に到着した。既に話を聞きつけた観客で、辺りは一杯であった。中には私が現れたことに歓声を上げる者もおる。
 パッと橋の全容を見やる。左右の幅十尺前後、縦は……膨らんだ中央にさえぎられて向こう側は見えぬが、対岸までの距離を測るに相応の長さはあるようだ。立ち回るには十分な大きさと言えよう。

 その橋の、中央より少し向こう側。既に全身に気迫を巡らせた武蔵が、傍に月詠を従えて私を待ち構えていた。

 私と武蔵の視線が交錯する。それだけで、これから果し合いをするのだと再認識した体が歓喜であわ立った。
 時間が経ったことで落ち着きを見せていた神経が、再び研ぎ澄まされるのを感じる。今の私ならば、真後ろから刺客に襲われたとしても対処し切れるであろう。

「来たか。俺から逃げなかったのは褒めてやるぜ」
「クク、我が姫君を賭けられては、逃げられるはずもなかろうよ」

 この果し合いが、体面上は芝居だからであろう。武蔵が普段なら口にしないであろう台詞を吐いた。私もそれに応じつつ、背の青江を外して刀身を抜き放つ。
 日光を弾く青江から模造刀にはない凄みを感じたのか、それとも別の要因によるものか、観客からどよめきが漏れた。

 刀こそ抜いていないものの、既に武蔵は準備を終えている。待ちわびた宿敵との果し合いの場に立つために、私は足を踏み出そうとして、

「……木乃香殿?」

 無言で私の着物の袖を引いた木乃香殿に、その足を止められた。

 木乃香殿の細く可憐な指が弱々しく、しかし私を前に進ませない程度の力で、着物の裾を摘んでいる。普段は朗らかな木乃香殿がそうしているだけで、今の木乃香殿が何かに不安を感じていることがよく分かった。

「……行ったらアカン、小次郎さん。よく分からんけど、絶対行ったらアカン。ウチ、あの人怖い……」

 私が先を促すよりも早く、木乃香殿がその胸の内を語ってくれた。私の身を案じてくれている、今にも震えそうな声だった。
 先に当てられた殺気のせいで、武蔵に対する強烈な恐怖感を植えつけられたのだろう。そんな死神のような男に進んで近づこうとする私は、木乃香殿からすれば自殺志願者と変わりないに違いない。
 涙すら零れそうな目で私を見上げながら、木乃香殿は私に懇願していた。

「小次郎さん、やはり私も戦います。神鳴流は得物を選びません、私は無手でも戦えます」

 その不安は刹那も同様であったようだ。既に戦いの覚悟を決めたことが分かる目で、私にそう進言してきた。
 武蔵の力を知っている刹那だからこそ、不安は木乃香殿以上なのかもしれない。下手をすれば、武蔵と月詠との二対一になってしまう状況を案じての提案であろうことがよく分かる。

 しかしそんな二人の言葉を受けてなお、否、だからこそ、私は木乃香殿の手を振り払うほど力強く、一歩を踏み出した。

「ぁ……」

 切ない吐息が木乃香殿の口から漏れた。刹那は何も言わず、私の背中に非難の視線を投げかけている。

「……クク、ハハハ、ハッハッハッハッハ!」

 それらを一身に受けて、私はまず、全てを吹き飛ばさんばかりの高笑いを上げた。
 刹那と木乃香殿はもとより、3−Aの皆も他の観客も、武蔵達ですら、呆気に取られた顔で私を見やる。

「ククク……何だ、忘れてしまったのか、姫君に刹那よ。我が身を案じてくれるのはありがたいが、それは杞憂と言うものだ」

 この場の全ての視線を受けながら、クツクツと依然として笑いを零し、私はそんな言葉を吐いた。

 私を心配してくれるその心は、純粋に嬉しかった。久しくそのような心配を受けていなかっただけに、余計にその気持ちが胸に染みた。
 だがそれでもなお、二人の心配は杞憂なのだ。
 呆然としている二人を振り返る。次の言葉が二人の不安を吹き飛ばせるよう、自分でも分かる尊大な笑みを浮かべ、腹に力を込めて、それを口にした。

「先に申したであろう、二人まとめて私が守ると。故に、何も案ずることはない。其方らはな、何の心配もせず、大船に乗ったつもりでそこに立っておればよいのだ」

 そう、私は二人に言ったのだ。二人まとめて私が守ると。
 証書もない、何に誓った訳でもない。それでも私はこの口で、守るという意思を告げたのだ。
 私にとってはそれだけで二人を守るということは、神ですら破ることあたわぬ約定となっていた。
 私が死ねば木乃香殿は泣こう。木乃香殿を奪われ、刹那も悲しもう。
 ならばどうして、私が奴に負けることが出来ようか。
 この一時、我が刀を二人に捧げよう。この身は近衛 木乃香と桜咲 刹那を守る刀となろう。
 敗北は許されぬ。勝利の生還以外は認められぬ。

 歩を進め、果し合いの場に上り、武蔵達と相対する。既に武蔵も刀を抜いていた。応じるように燕返しを構える。

「我が名は佐々木 小次郎。姫君の障害となるものを全て切り払う、一振りの刀なり。武士よ、我が秘剣、見事捌ききれるか?」

 果し合いが始まった。












後書き
 皆さん、新年明けましておめでとうございます。更新が遅いことに定評のある逢千です。
 皆さんは年末と新年をどういう風に過ごしたんでしょうね。私はガキ使を見て過ごしました。
 それはともかく今回の三十五話、いかがだったでしょうか。
 とうとうバトルが始まる―――と見せかけて始まらなかった。どこかから「まただよ(笑)」という言葉が聞こえてきそうです。
 まぁ、小次郎節も出せたし、それでご勘弁を!
 そして不安げな木乃香可愛いよ木乃香。
 感想指摘とうとう、お待ちしております。
 では。


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