その話を聞いて、私は驚愕という感情を覚えました。


 秘剣・燕返し。三つの斬撃を『ほぼ同時』ではなく完全に『同時』に放つ、小次郎さんの必殺剣。


 私はそれの解析を試みましたが、出てきたのは『全く未知のナニカによるものと断定せざるを得ない』という信じられない結論。ですが魔力反応ゼロ、気の反応ゼロ、刀は何の魔術付与もない普通の業物という、たった三つにして明確な情報がある上で、燕返しが放たれた瞬間だけ金属反応が二つ増えたのです。これではどのような天才でもこの結論しか出せないでしょう。


 改めて、小次郎さんの格好を見てみます。先ほどは戦闘の途中だったので気に止めませんでしたが、この人は過去に例を見ないほどに怪しい人です。


 紫に近い群青色の陣羽織と、濃淡の差がある紫色の着物と袴を完璧に着こなし、身長ほどの長さがある刀を持つ、これ以上無い侍。加えて名前は佐々木 小次郎―――データベースに該当あり、摘出。慶長にその名を馳せたと言われる稀代の剣客。しかし本当に存在したかは不明瞭と有ります。


 これらの事から、この人は熱狂的な『佐々木 小次郎』のファンであり、俗に言うコスプレイヤーだと私は判断します。ただ、この人がその名に恥じない剣の腕前を持っている事は確かですが。


「……ご高説どうも。だが、そろそろ本題に入らせてもらう。貴様はここに何をしに来た、侍。まさかその様ななりで『道に迷った』などと言う訳ではないだろうな」


 マスターもようやく思考がそこに戻ったのか、鋭い視線で小次郎さんに問いかけます。


「―――どこから来たか、とは。それは、いささか返答に窮する問いよな」


 肩をすくめ、自嘲的な笑みを浮かべて小次郎さんが言いました。その動きはとても芝居がかっており、気障な印象を受けます。


「…………ふむ。なら聞き方を変えよう。どうやって麻帆良に侵入したのだ?」


 相手を小馬鹿にしているとも取れる小次郎さんの仕草になんら動じず、マスターは冷静に別方向からのアプローチを仕掛けました。


 外見等から、『西』と関係を持っていてもおかしくはありませんが、この人はどういう理由にしろ、西の侵入者を私たちと共に撃退してくれました。恐らくマスターも、その事実から小次郎さんが西とは関係ない人物だと当たりを付けているのでしょう。


「……信じられぬだろうが、気付いたらあそこにいたのだ」


「―――は?」


 戦いの最中ですら浮かべていた含み笑いはなりを潜め、本当に困ったような表情で小次郎さんが一点を指差します。そこには雄々しい世界樹の姿。それを見てから小次郎さんに視線を戻すと眉間にしわを寄せ、ふぅ、とため息までついています。マスターもその仕草に気付いたのか、敵意を霧散させて真意を尋ねます。


「それは、どういう事だ?」


「ふむ…………なんと説明したものか」


 本当に分からないのか、小次郎さんが顎に手を添えて悩んでいます。マスターと二人、どうしたものかと目を合わせたとき、人の気配に気づきました。


「エヴァ、大丈夫かい」


 高畑先生がやって来ました。急に現れたように見えたのは瞬動を使われたからでしょう。どうやら、結界の反応を察知してやって来てくれたようです。


「遅いぞタカミチ。もう終わった」


「ああ、すまない―――ってその男は誰だい?」


「知らん、それを今問いただしている所だ。まぁ、一応私を助けてくれたし、敵ではないと思うんだが…………」


 それ以上はな、と今度はマスターが肩を竦めました。その仕草を見た高畑先生が視線で私に問いかけてきましたが、私は首を横に振る事で答えます。本当に分からないという事を理解したのか、高畑先生は小次郎さんの方に向き直りました。


「君、名前は?」


「佐々木 小次郎と」


「佐々木 小次郎? あの、巌流島で宮本 武蔵と決闘した?」


「左様。その『佐々木 小次郎』よ」


 何の臆面も無く答えた小次郎さんに、高畑先生が訝しい視線を向けます。そして、全身を余す事無く観察した後、再び口を開きました。


「―――僕をからかっているのかい?」


「まさか。名を問われれば答えるのが礼儀というもの。まして私に至っては、このやり取りに喜びすら覚えるのだ。それに対し斯様なことを言う、其方の方が無礼であろう」


 威圧ぎみに口を開いた高畑先生の言葉に、心外だと言わんばかりの無表情で言葉と視線を返す小次郎さん。その右手に未だ握られていた長刀が僅かに揺れ、高畑先生がそれを察知して両手をズボンのポケットに収めます。


「やめんか! 何をしてる貴様ら!」


 一触即発の状況。風すら逃げ出しそうなこの場は、マスターの一喝によって事なきを得ました。お二方それぞれが、自分の得物を引きます。それを確認したマスターが、高畑先生に食ってかかりました。


「タカミチ! 来て早々に何を考えている。こいつは敵ではないと言っただろう!」


「すまない、エヴァ」


「ここではおちおち話も出来ん、ジジィの所に行くぞ。どの道この男は不法侵入者として連れて行く事になるからな。おい侍、これからこの町の責任者がいる場所に連れて行く。そこに付くまでに、説明を考えておけよ」


 そう告げて、さっさと案内しろ、とマスターは高畑先生に道案内を押し付けました。苦笑いしつつ道案内の役目を受けた高畑先生は、付いて来なよ、と小次郎さんに声をかけてから歩き出します。小次郎さんは特に何も言わずに付いて行くようです。


 私が言うのもなんですが、警戒心というものが無いのでしょうか? 疑問に思い、その事を小次郎さんに聞いてみると、


「先も言ったであろう? 気付いたらあそこにいた、と。何処に何があるかはもとより、ここが何処かも分からぬのだ、案内には付いて行くしかあるまい?」


 と、至極もっともな返答をしてくれました。


 それ以降特に会話は無く、静かなまま学園長室への道を歩いて行きました。












 そうしてしばらく歩き、私はある巨大な建物の中にある一つの扉の前に到着した。側には何かの文字が書かれている鉄製の札が下げられているが、文字を読めない私に理解することは出来なかった。もっとも娘子の言う通りならば、この町の責任者がいるのだろう。


「私たちが先に入って説明をするから、貴様はここで待っていろ。タカミチ、お前も残れ」


 そう言葉を残して戸を叩き、返事も待たずに娘子が入室していった。それに続き茶々丸殿が入り、扉が閉められる。男―――タカミチ殿を残したのは、私を監視するためであろう。


「おぉ、無事じゃったか、エヴァンジェリン」


 娘子の無事な姿を見たからか、この町の責任者と思われる人物がそんな声を洩らしていた。扉越し故姿を認めることはできぬが、聞こえた声からして老体であることが分かる。それ以降の会話はよく聞き取れなくなったので、私はこの建物の内装を見てみることにした。


 足元は見たこともない材質でできており、どこか人工的な冷たさを感じる。草履で立ち入ることは出来ぬらしく、履き替えることを強制されたこのすりっぱという物で歩くたび、パタンペタン、と奇妙な音が立つのは中々に面白い。外に面している壁には透明なナニカがはめられており、外界を遮断した状態で外を眺められることに驚きを感じた。


「そんなに学校が珍しいかい?」


 忙しなく辺りを見ている私を奇妙に思ったのか、タカミチ殿が私に声をかけてきた。未だその声色には、私への警戒が見て取れる。


「うむ。斯様な建物は、見るも入るも始めてでな。全く興味が尽きぬ。実際ここに向かう途中にあった全て、私にとってはとても興味深いものであった」


「見るも入るも初めてって…………君、随分と田舎で育ったんだね」


「田舎も田舎、畑と民家と山以外目立つ物がないほどよ」


 へぇ、とタカミチ殿が相槌を打った時、目の前の扉が内から開いた。


「高畑先生、小次郎さん。どうぞお入り下さい」


 扉を開けた茶々丸が私たちを部屋の中へ招き入れた。私が先に入り、その後ろからタカミチ殿が入ってくる。部屋の内装はまたも見慣れぬもので、本が何十冊と納められている棚や二階へ続く階段までがある。中央には木製の机があり、その側にはよく分からぬ布製の物体が鎮座していた。エヴァが座っていることから、腰掛ける用途なのだろう。その側に、当然のように茶々丸が戻っていった。


 そして、部屋の奥にある大き目の机に―――


「―――娘子よ。新手の化生か?」


「いや、一応ここの学園長でギリギリ人間だ。というか、その娘子とは何だ?」


 異様に頭部が長い化生―――もとい、学園長殿であるご老体がいた。


「いきなり失礼な輩じゃのう…………まぁよいわい」


 私の致し方ない暴言に、学園長殿が顔をしかめた。いや、世界は広く面白い。斯様な頭部を持った人類が存在するとは。


「ワシがこの麻帆良学園の学園長、近衛 近右衛門じゃ。先ずはエヴァンジェリンを助けてくれた事に礼を言わせてくれ」


 そう言って学園長殿は、私に頭を下げてくる。


「気にしないでくれ。愛でるべき花を守るのは私の性分でな、それを摘み取ろうとした無粋者を斬って捨てただけよ」


「それでも助けた事には変わりあるまい。素直に礼を受け取ってくれんか?」


「ふむ……確かに。では、受け取るとしよう」


「そうしてくれると助かるわい。さて、では早速で悪いが本題を聞かせてもらおう」


 頭を上げて、表情を真剣なものに変える学園長殿。最初に受けた飄々とした印象は露と消え、代わりに時を経た深い威圧感を全身から発していた。


 なるほど、このご老体もただの一般人ではないということか。


「名は何と言う?」


「佐々木 小次郎と」


「ほう、また大層な名を名乗っておるのう」


「これ以外名乗れる名は持ち合わせていない身でな」


「エヴァから聞いたんじゃが、気付いたら世界樹の側にいたというのは本当か?」


「相違無い。―――ふむ、あの大樹は世界樹と呼ばれておるのか。見掛けに相応しい大仰な名であるな」


「では…………その前の事は、覚えておるかの?」


 『今』の私にとって『前』のこととは、即ち聖杯戦争のことになる。無論覚えている。戦った他のサーヴァントはもとより、キャスターに呼び出された時から孔に落ちる時まで、全てを覚えている。


 だがこれを説明しろと言われても、学のない私では上手く説明することはできぬ。なので、ありのままを説明することとした。


「覚えてはいる。だが上手くは説明できぬのでな、其処は予め許せ」


「それはまた、何故じゃ?」


「先に確認するが、ここにいる者は全員魔術を知っているか?」


 私の言葉に、学園長殿が首を上下させた。それを確認した私は、掛けてもよいか? と学園長に尋ねる。良いぞ、と了承してくれたのでエヴァが座っているのとは別のものに腰掛けた。丁度、学園長殿と向き合う形になる位置だ。臀部に伝わる柔らかい感触が心地よかった。


「少々、長い話になる。座った方が良いぞ?」


「僕はこのままでいいよ」


「私もです」


 立ったままでいる茶々丸殿とタカミチ殿にそう勧めたが、同時に断られた。そうか、と相槌を打ち、私が蘇った経緯を話し始める。


「聖杯、と言うものは知っておろう?」


「聖杯? キリストの血を受けたと言われる杯の事か?」


「左様―――と言いたいところではあるが、やや違う。私が言っているのは、願いを叶える方の『万能の器』としての聖杯よ」


 サーヴァントとして聖杯から得た知識を、淡々と口にしていく。いきなり『聖杯』などという単語が出てきたのが意外だったのか、全員がよく分からないという顔でこちらを見やっている。


「それで? その聖杯がお前にどう関係して来るんだ?」


「私は、それを奪い合う戦いに参加していたのだ。場所は冬木、名は聖杯戦争。七名の魔術師が同数のサーヴァントを召喚して争い合う、たった七名による戦争にな」


「「「―――は?」」」


 茶々丸を除く三名が素っ頓狂な声を上げ、放心する。聖杯を巡る戦いに参加していたなどと突然言われれば、それも当然のことであろう。


「信じられぬのも理解できるが、私は事実しか言わぬ。と言っても、大部分は与えられた知識でしかないがな」


「…………事の真偽は置いとくとして、詳しく説明してもらえるかの、小次郎君」


 学園長殿の言葉に、無論、と答えてから続きを話し始めた。


「先ずは、サーヴァントと言うものから説明するとしよう。サーヴァントとは英霊―――まぁ、神話などに登場する者たちのことだな、それを使い魔として呼び出したものを指す。私が参加した中で名を知っているのは、ヘラクレスとメディアの二名だ」


「ヘラクレスだと! 十二の試練を超えたという、ギリシャ神話随一の英雄じゃないか! そんな存在を使い魔として呼び出すなんて馬鹿な事が―――」


「黙っておれエヴァンジェリン。真偽の判断は全てを聞いてからでも遅くはない」


 学園長殿の静かな一喝で押し黙るエヴァ。心の中でご老体に礼を言い、先の続きを口にしていく。


「無論、英霊を使い魔として召喚するなど人の身で成せる業ではない。実際、英霊を召喚するのは正しくは聖杯であり、魔術師は現世にその存在を縫いとめる依り代でしかない。そうしてサーヴァントを召喚した魔術師はマスターと呼ばれ、その証として『令呪』と呼ばれる三画から成る紋章を体に刻まれる」


「理屈は分かったけど、そんなに凄い存在が人間なんかの言うことを聞くのかい?」


「先に申した聖杯の望みを叶える効果は、魔術師だけでなくサーヴァントにも該当する。呼び出されるサーヴァントは願いを持っているのが前提条件でな、利害が一致している限り、ほとんどのサーヴァントはマスターと共闘する。まぁ、魔術師がいなくなればサーヴァントも現界が不可能な上、万が一にも、令呪というものがあるのだがな」


「その、令呪とは?」


「絶対命令行使権のことだ。三回という制約はあるが、これを用いて命じられたことは、如何なるサーヴァントといえど抗うことはできぬ。もっとも、命令が曖昧になるに連れて、その強制力も弱まるのだが」 「なるほど。動物に例えるところの檻や綱のような物か」


「制限付きという事項を足すのであれば、その認識で先ず間違いはあるまい。
 魔術師とサーヴァントは二人一組。それらが七組存在し、最後の一組になるまで殺しあうのが聖杯戦争というものだ。最後の一組が決まった時にこそ、万能の聖杯が姿を現すのでな」


 私が知っているのはこんなところだ、と一先ず締め括る。皆が皆、私の話を吟味しているようで、少しの間沈黙が場を包む。それを破ったのは、説明の間中、ただ黙していた茶々丸であった。


「つまり小次郎さんは、その聖杯戦争に参加していた魔術師だったというわけですね? ですがその割りには、小次郎さんから魔力を感じませんが…………」


「当然であろう。私は魔術師などではない」


「魔術師じゃない? なら何で、その戦争に参加出来たんだい?」


 私の発言に、タカミチが疑問の声を上げる。他の三人もそれは同じなのか、視線で似たような意を送ってきた。


 私はそれに、はっきりと答えた。


「私は、サーヴァントとして聖杯戦争に参加したのだ」


「「「――――――は?」」」


 茶々丸以外の三人が、放心を通り越して硬直した。いや、よく見れば茶々丸も驚いている。サーヴァントについて説明した後に『自分がサーヴァントだ』と告げれば、真っ当な魔術師なら失神くらいはするであろうから、まだマシな方の反応であろう。


「―――じゃあ、何か? お前は……佐々木 小次郎を名乗っているだけの男ではなく、正真正銘『佐々木 小次郎』なのか?」


「如何にも」


 やや震える声で私に確認したエヴァへ、一言で明確に答える。タカミチ殿は目を見開いてこちらを凝視しており、学園長殿は顎鬚を撫でながら観察するように私を眺めていた。


「…………一つ良いかの、小次郎君。サーヴァントというのは、そのマスターになった魔術師がおらねば世に留まれぬのじゃろう? なら、君のマスターはどこにいるのじゃ?」


 沈黙を破った学園長殿の言葉に、ハッとする他の三人。エヴァはその手に何かの入れ物を握り、茶々丸は瞬く間にエヴァを守れる位置に付き、タカミチ殿も履き物にある穴に手を収めている。詳しくは分らぬが、恐らくあれがタカミチ殿の構えなのだろう。


「そう殺気立つな。私にマスターはもういない」


「どういう事じゃ? それでは矛盾が出て来てしまうではないか。小次郎君が本当にそのサーヴァントであるのなら、君を現世に留めるマスターがおらなければならんのじゃろう?」


「体が霊体であればな。そもそもサーヴァントとは魔力で体が構成されている。故に魔術師という寄り代が必要となってくるのだ。だが、今の私は完全な受肉を果たしているのでな、現界にマスターを必要とはせんのだ」


「ほう? つまり貴様は完全な個としてそこにいるわけか。だが、その様な事が可能なのか? 召喚する事すら困難なのだろう」


「普通ならば不可能よ。私が肉を得た経緯は少々特殊でな、数少ない例外と言えよう」


 そう言って、私が受肉した経緯を語りだす。あの、生涯初の宿敵との決闘を。


「あれは、戦争が終幕を迎える最中のことであった。終幕の舞台は柳洞寺という寺でな、私はそこの門番を勤めていた」


「門番? またえらく守勢だな。貴様なら嬉々として敵に打って出そうだが」


「そうしたかったのは山々なのだが、マスターにそう命じられてな。逆らうことも出来ず、呼び出された時から終幕まで只管に門を守った。無論その間に戦いが無かった訳では無いが、その全てが決着が付かず終いの不完全燃焼でな。全く、あの様な俗世に呼び出されたこの身を幾度呪ったことか」


 嘲笑を浮かべた後、目を閉じ、数少ない戦いの光景を思い出しながら語っていく。


 疾風怒濤の槍を繰り出してきたランサー。奴との戦いは心が躍ったが、互いに不本意な形で終わってしまいそのまま再戦の時は訪れなかった。


 変幻自在の戦法を得意としたアーチャー。弓兵でありながら卓越した剣技の持ち主であったが、これもまた再戦は叶わなかった。


 空間を立体的に使ってきたライダー。彼女との戦いも楽しくなかった訳ではないが、どこか物足りなかった。


 圧倒的な暴力を振るってきたバーサーカー。あれはそもそも決闘などと呼べるものではなかった。


 そして―――


「―――だが、それも一人の騎士と出会うまでであった。彼の者の名はセイバー、美しく気高い西洋の騎士。私を打ち破った、剣の英霊よ」


「お前を打ち破っただと!? 一体そいつはどこの英霊だ?」


「さてな、名は知らぬ。だがセイバーが所持していた剣は、真に見事な黄金色の剣であった。私は西洋の剣には詳しくないが、あれは正直に美しいと感じた。さぞ高名な騎士であったのだろう」


 あれほどの名剣を持ったセイバーだ、恐らく世界中にその名を知られるような存在であろう。だがそれも私には関係のないことではあるが。


「私は二度、セイバーと決闘した。一度目は途中で流れてしまったが、二度目はしかと最後まで果し合いをした。その二度目を行ったのが、最初に話した終幕の最中よ」


 右の拳を握り、そこに残るセイバーの剣戟を鮮明に思い出す。そうするだけで、私の心は高鳴った。


「私は、全力でセイバーと果たし合った。その上で敗北した。そこに後悔は無い。だが私は風情を愛する身でな、門番にばかり精を出して現代の町を闊歩することを忘れていたと気付き、未練を残したまま聖杯へと戻っていった。聖杯が願いを叶えるための魔力は敗れたサーヴァントを利用しているようでな、そのまま行けば私も奇跡の一端を担うことになったのだろうが――――――そこで、奇妙なことが起こったのだ」


「奇妙な事、ですか。一体どのような?」


「うむ。私が聖杯への道を進んでいた時、声が聞こえたのだ。少年と青年の中間のような声が、な。その声が言うのだ、『生きたいか』と。私がそれに応と答えた時、丁度聖杯に辿り着いた。そしてそれと同じ時に、聖杯に孔が開いたのだ。孔と言っても正しく孔という意味ではなく、出口にして入り口である孔であった。私はその孔に落とされ、目が覚めてみれば―――」


「世界樹の側にいた、そういう訳かい」


「左様。案外、聖杯が私の望みを叶えてくれたのやも知れぬ。あの時聖杯は、殆ど起動寸前であったからな」


 ……いや。かも知れぬ、では無く、実際に私の願いは叶ったのだろう。あの男は聖杯と同意だ。その男が私の願いを叶えるということは、聖杯が願いを叶えてくれたのと同じことなのだから。


「私の話は以上だ。さて、学園長殿。私に如何なる処分を下す?」


「ふむ…………作り話にしては出来すぎておるし、聖杯戦争という単語も聞き覚えは無いが、小次郎君が嘘を言っているようにも見えん。第一エヴァを助けてくれたのじゃ、邪険に扱う事も出来ぬ。よかろう、君を信用し―――」


「学園長先生、待ってください」


 学園長殿が私のことを認めてくれようとした時、それに待ったがかかった。声の主は茶々丸殿。その表情は、恐ろしい程に真剣であった。


「どうした茶々丸。何か問題があったか」


「はい。話の腰を折っては悪いですし、それに私も小次郎さんの話が嘘とは思えないのでずっと黙っていたのですが―――」


 一瞬、言い難そうに言葉を詰まらせる茶々丸殿。だが意を決したのか、静かに口を開き―――






「小次郎さんが言う『冬木』という地名は――――――この日本に存在しません」






 刹那、私は自分の耳を疑った。


「何だと? それは本当か、茶々丸」


「はい、マスター。念のため百年前までの地名を全て確認してみましたが、『冬木』という名前が付いた地は有りませんでした」


「―――どういう事だい、小次郎君」


 弛緩しかけた空気が再び引き締まり、疑いの視線が私を貫く。だがそんなことは気にも止められず、私は茶々丸殿が言った一言に衝撃を受けていた。


『馬鹿な…………冬木が無い、だと? そんな筈は無い。私は間違いなく冬木の地で戦い、そして散ったのだ。それが嘘である筈が無い』


 そうだ、私が記憶していることは全て真実だ。あの日々が、あの戦いが、あの果し合いが夢であって堪るものか。


 だが、茶々丸殿は冬木が無いという。混乱が混乱を呼び、正常な思考が出来ない。分らぬ。あれが仮に夢幻だとしたら、ここにいる私は何なのだ……


「ですが、皆さん。私はそれを踏まえて上でも、小次郎さんが言ってる事は真実だと思います」


 と。救いの手は意外にも、冬木を否定した茶々丸殿本人から差し伸べられた。皆の視線が私から外れて茶々丸殿に向く。私も同じく、視線をそちらにやった。


「そもそも、異界から悪魔を呼び出す魔法がこの世界にはあります。ですので仮に小次郎さんが言う聖杯戦争を真実とし、聖杯にそれと似たような力が有ったのだとしたら、小次郎さんは別世界に来たという仮説を打ち立てる事が出来ます。もっともその場合は別世界と言うより、似て非なる世界――――――類似世界とでも言う事になるでしょうが。そして私は、その可能性が高いと確信しています」


「それは、何故じゃ?」


「小次郎さんが、私たちが知る『佐々木 小次郎』だからです」


 学園長殿の問いに、茶々丸殿が迷いなく断言した。だがその答えが指す意味を誰しも量りかねているのか、空気が緩むことは無い。そんな中で、茶々丸殿がその言葉の意味を語りだした。


「高畑先生が森で小次郎さんに名前を聞き、その答えに対して再びこう聞いていました。『佐々木 小次郎? あの、巌流島で宮本 武蔵と決闘した?』と。そして小次郎さんは『左様。その佐々木 小次郎よ』と返答しています。つまり少なくとも、私たちと小次郎さんは『佐々木 小次郎』という共通概念を持っています。もっとも、本人に言う事ではありませんが…………」


 ここまでは良いですか? と全員に確認を取る茶々丸殿。私を含む四人が頷き、それを確認した茶々丸殿が言葉を続ける。


「加えて小次郎さんの格好です。それはどう見ても、昔の日本人が着ていた格好です。そして小次郎さんが今言った聖杯戦争。これらを踏まえた上で『冬木』という地名が無い理由を考えれば、“聖杯による類似世界からの移動”という仮説は真実味を増すと思われます。『万能の器』なのですから、それくらいは可能でしょう」


 その説明に、なるほど、と三人が納得した。私は正直よく分からなかったが、茶々丸殿が私を擁護してくれたということだけは分かった。


「確かに筋は通るね。小次郎君、君はどう思うんだい?」


「さてな。生憎学も何もない身故、理解することは出来ぬが…………恐らく、それが正しいのであろうよ。思えばあの男も、『同じ世界に生き返らせる』とは言っておらなんだしな。娘子、其方はこれを信じるか?」


「信じた方が面白そうだからな、信じよう。と言うか侍、その娘子は止めろ」


「ふむ…………これで決まりじゃな。小次郎君、君を関東魔法協会理事長『近衛 近右衛門』の名に置いて、全面的に認める事をここに誓おう」


かたじけない」


 はっきりと宣言してくれた学園長殿に対し、感謝の意を込めて頭を垂れる。それを終えると、今度は茶々丸殿に向かい合い、擁護してくれたことへの礼を告げた。


「助かったぞ茶々丸殿。其方が擁護してくれねば危うく路頭を迷うところであった。だが、何故私を助けたのだ?」


「貴方はマスターを助けてくれたではありませんか。それに御礼をするのは当然です」


「主思いなのだな。うむ、その意気や良し。そこは私も見習わねばならぬか」


「おいコラ! 何で茶々丸は普通に呼んで私は娘子なんだ侍!」


「名を呼んで欲しければ其方も私を名で呼べ。礼儀知らずの名を呼ぶ舌は持ち合わせておらぬのでな」


「チッ――――分かったよ、小次郎」


「うむ、では私もエヴァと呼ばせていただこう」


「しかし、まさか本物の佐々木 小次郎に会えるなんてね。今度是非、宮本 武蔵との決闘とかについて聞かせてくれよ」


「―――済まぬが、それは叶わぬ」


 タカミチ殿が何気なく言った一言に、思わず反射的に返答した。


「え? あ、やっぱり、話し難い事だったかい?」


「……違う。私は、宮本 武蔵などという男とは会った事も無い。
 ―――そもそも私は、佐々木 小次郎ではないのだから」


「「「「―――は?」」」」


 もう何度目になるか分からぬ、しかし今までで最大の驚きの声が漏れた。そうして誰かが何かを言う前に、その理由を口にしていく。


「何を驚く。そも佐々木 小次郎と言う剣客は、正体の無い架空の存在なのだ。実在したとされてはいるが、記された記録はあまりに不鮮明。宿敵と称された宮本 武蔵が残した『五輪の書』に至っては名すら記載されておらぬ。
 確かに佐々木 小次郎と言う名の男はいただろう。物干し竿と呼ばれる長刀を扱った武芸者もいた筈だ。
 ―――だが、それらは一個人の物ではない。宮本 武蔵に討たれた『佐々木 小次郎』はな、人々が引き立て役として勝手に捏造した人物なのだ」


「―――それじゃあ、お前は佐々木 小次郎じゃないのか? だがさっきは…………」


「いや、私は間違いなく佐々木 小次郎だ。佐々木 小次郎と言う名の殻を被るに最も適した剣士が、私だったと言うだけの話よ。元来私に名は無い。読み書きなど出来ぬし、名前を持つほど余裕のある人間でもなかった。この身は英霊ですらない、記録にある佐々木 小次郎の秘剣を披露出来るという一点で呼び出された存在―――即ち、無名の亡霊だ」


「そうか…………だからあの時、君は怒ったのか。名乗った事に対してあんな事を言った僕を―――」


「左様。私にとって名乗りとは、それだけで神聖な意味合いがある。それを侮辱されたのだ、怒りの一つも沸くというもの。だが済まなかったなタカミチ殿。其方は私のことを知らなかったのだ、あの件は詫びよう」


「いや、謝るのは僕の方さ。済まなかった」


 申し訳なさそうに私の言葉を否定して、タカミチ殿が私に対して頭を下げる。気にするな、と言ってそれを早々に止めさせた。


「ふむ……しかしそれは困ったのう。小次―――いや、君の戸籍を創ろうと思ったのじゃが、それではまず名前を考えなければならぬな。何か希望はあるかの?」


「コセキ? コセキとは何だ?」


「君が君であるための証明書みたいなものじゃよ」


「ほう…………」


 コセキという物が詳しく何を指すかは分からぬが、どうやら名前が必要なようだ。そんな物、私には一つしかない。


「いや、佐々木 小次郎で構わぬよ」


「良いのか? 折角好きな名を付けられる機会じゃぞ?」


「構わぬ。受肉して新たな生を得た今、私は真実佐々木 小次郎となったのだ。物干し竿を超える長刀を操り、燕返しという秘剣を持つ『佐々木 小次郎』にな。そんな私が名乗る名に、佐々木 小次郎以外何があると言うのだ。ああ、其方たちは幸運だぞ。今まで誰一人として見たことのない真なる佐々木 小次郎を、その目で見ているのだからな」


 そう、私は佐々木 小次郎だ。実体のない架空の剣豪などではなく、ここにしかと身を結び世界に存在する『佐々木 小次郎』に、私は成ったのだ。それに、もしそうでなくともこれは私が始めて得た名だ、これ以外を名乗ろうとは到底思えぬ。


 ―――さて。色々と長居してしまったが、疑いも解けた今ここにいる理由もない。腰掛けていたものから立ち上がり、戸に向かって歩き出す。


「おい、どこへ行く小次郎」


「疑いは解けたであろう? ならば私は行かせて貰うとする。この町を隅々まで回ってみたいのでな」


「寝床や食料はどうするんだい?」


「そこらの森ででも調達する。草木の知識は持ち合わせている上、魚獲りも得意なのでな」


 世話になった、と言って扉の取っ手に手をかける。


「待て待て、そう逸るでない。戸籍を創ると言ったじゃろうに」


 だがそれを開けるより早く、学園長殿が私を呼び止めた。振り返り、次の言葉を待つ。


「そもそも小次郎君、君は町を回ると言っておるが、その様な格好は現代では少なくての。加えて見ての通りここは西洋の作りじゃしそんな刀を持っていれば、身分が証明できねば即刻警察に捕まってしまうぞ?」


「そうなのか?」


「うむ。更に言えば、金はどうするつもりだったのじゃ?」


「―――ぬ」


 迂闊、そこを失念しておった。現代を楽しもうにも、金が無ければ話は始まらぬ。そして今の私に金を手に入れる手段は無い。どうしたものか…………。


「それは困った。学園長殿、何とかならぬか?」


「だから言ったじゃろう、戸籍を創ると。小次郎君、この麻帆良で働いてみんか? 職種は幾つか見繕って、明日にでも君に選んでもらうとしよう」


「それは何ともあり難い提案ではあるが、よいのか?」


「構わん構わん。このまま君を行かせれば厄介事に巻き込まれるのは目に見えておるからな、その事前予防策じゃよ。ワシは面倒事が無くなり、小次郎君は職が手に入る。勿論住居も提供しよう。どうじゃ?」


 そう学園長殿が聞いてくるが、それは初めから一つしか答えが無い問いであった。


「どうも何も、その様な好条件飲まぬ筈がなかろう。委細承知した。世話になる、学園長殿」


 一礼をし、始めの挨拶をする。よかったですねと茶々丸殿が喜んでくれ、これから宜しくとタカミチ殿も私を受け入れてくれた。エヴァだけは何も言っては来なかったが、まぁよかろう。


「うむ。時に小次郎君、得意な事は何じゃ? 職を選ぶのにこれだけは知っておきたいからのう」


「私は武芸者だ。この刀以外取り得は無い。強いて挙げるのならば、先に言った門番程度か」


「あい分かった。しかし、今日一日どこに泊まって貰おうかのう…………」


「ジジィ、こいつなら家で預かろう。助けられた恩をさっさと返したいからな」


「む、よいのかエヴァ?」


「構わん。ほら、そうと決まればさっさと行くぞ」


 私の意見も聞かずに勝手に決め、勝手に去っていくエヴァ。何ともせっかちなことだが、折角の好意だ、受け取るとしよう。


「では学園長殿、タカミチ殿。また明日に」


「うむ、お休みじゃ小次郎君」


「またな、小次郎君。それと殿なんて堅苦しいのは付けないでくれ」


「ならば私のことも呼び捨てで頼む、タカミチ」


「ああ、分かったよ小次郎」


「こら小次郎! さっさと来い!」


 エヴァの怒声を受け、最後に一礼をしてから足早に部屋を出てエヴァに追いつく。色々と小言を言われてしまったがキャスターに比べれば可愛いものだったので、容易くあしらっていく。そんな私とエヴァのやり取りを見た茶々丸が、楽しそうですねマスター、と言ってエヴァに後頭部にある取っ手を回されていた。


 新たな世界での私の生活は、こうして進みだした。これは、先も楽しみだ。








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