「ほう、鹿が放し飼いにされているとは……」


 修学旅行も二日目を向かえ、私は今、奈良公園なる場所に足を運んでいた。


 青い空、白い雲、穏やかに流れる風は、どこにでもありそうな公園の様相を示している。しかしだからこそ、いたるところを鹿がうろついている公園というのも、中々に異様だった。いつ、何がどうなってこのような状況になったのか興味は尽きぬが、だからといって直ぐに知れることでもないので、置いておくとしよう。


 身を屈めて、手近にいた鹿と目線を合わせてみる。鹿は全く私から離れようとせず、そこには人間に対する警戒心が見受けられない。やはり、人通りの多い場所に放し飼いにされているからなのだろうか。


 そういえば、生きている鹿―――というより、動物をこんなにも間近で見るのは、愛花を除けば始めてだな、とふと気付いた。私が動物に触れるとすれば、それは獲物として仕留めた時であり、またその後には直ぐに捌いていたからだ。


 折角の機会なので、まじまじと鹿を観察してみた。


 目は無機質とも取れるほど感情がないが、顔の作りのせいなのか、それが不思議と愛敬のあるものに見える。ピクピクと忙しなく動いている耳は、周囲に危険がないか調べているのだろうが、公園という安全地帯の中にあっては、その可愛らしさを際立たせる仕草でしかなかった。


「小次郎先生ー」


「鹿せんべい買って来ましたから、一緒に鹿にあげましょう?」


「む、これは忝い」


 とりあえず、スーツに身を包んでいる今の私は、3−S引率の先生だ。しっかりとその仕事を果たすべく、生徒―――せんべいを買ってきた二人は寺内殿と藤原殿という―――と交流を深めることにした。


 二人は3−Sの三班のメンバーであるが、藤原殿は3−Sで唯一剣道部に所属しておるので、その伝手で共に奈良公園を散策している。


 幾枚かのせんべいを二人から受け取り、今さっきまでにらみ合っていた鹿に差し出してみた。


「ピスピス……」


 すると、鹿はせんべいに鼻を近づけて何度か匂いをかいだ後、躊躇いなくバリバリとせんべいをむさぼり始めた。私の手にあった分を全て食いきると、地面にこぼれてしまった食べカスまでも綺麗に平らげてしまう。


「おぉ、いい食いっぷりだな。そら、まだあるぞ」


「バリバリ……」


 続けて差し出した分も、その鹿は残さず食べてしまう。終いには、手に鼻を押し付けて催促までしてきた。貪欲ともいえるその食欲に苦笑いを浮かべつつ、三枚目を差し出そうとした。


 その時、背中にトンッ、と軽い衝撃が走った。何事かと後ろを振り返ってみれば、そこにも一頭の鹿の姿があった。


「何だ、お前も欲しいのか。そら」


「バリバリ……」


「―――」


「あ、あぁ、お前もであったな」


 背中側にいた鹿にせんべいを渡し、再三の催促をしてくる鹿にもせんべいを渡す。元々が三人で分けたせんべいだったので、それでせんべいは呆気なくなくなってしまった。


 これは自分で買い足さなければならぬなと、腰を上げた時だった。


「ピスピス……」


「―――」


「こ、これは……!?」


 気付けば、私の周りには鹿が殺到しており、四方八方逃げ場がない状況に陥ってしまっていた。強引に押して行こうにも、相手が愛らしい動物なので、それは躊躇われた。


 ここらにいる鹿は、よほどあの鹿せんべいが好きなのだろう。私に群がっておる鹿の全員が、先の二匹と似たような目を私に向けており、催促するように私の体に鼻を押し付ける。


「む、む……そ、其方らよ。あのせんべいが欲しいのは分っておる、だからそう群がらず、私に買いに行かせてくれぬか? このままでは買出しもままならぬのだが……」


「―――」


「―――」


 豚に真珠、馬の耳に念仏、鹿の煩悩に何とやら。頑なに道を譲ろうとせず、依然として私の腹やら足やらに鼻を押し付けてくる鹿をどう対処したものか、私の頭には浮かんでこず、悪戯に立ち尽くすだけだった。


「ぷ、ぷぷ……こ、小次郎先生が、小次郎先生が可愛いー」


「これはレアショットよね、写メ写メ」


「こ、こら二人とも。見ておらずに助けてくれ」


 近くにいた寺内殿と藤原殿に助けを求めるも、狼狽している私の姿を面白がってか、携帯電話についている“かめら”を私に向けてクスクスと二人が笑っている。恐らくアレは、まだ私が使いこなせない携帯電話の機能の一種、“かめら”であろう。確か、この世の一瞬を鮮明な絵として残す機能―――であったはずだと記憶している。


 とりあえず、今の状況を考えれば、あまり望ましくないことをされているのは明白だったので、もう一度救助を願い出て、何とか鹿の包囲網を抜け出すことができた。動物の匂いがついてしまったスーツをほろいながら、二人の下まで逃げ出し、鹿の動きを見て包囲されぬと断じてから気を抜いた。


「ふぅ……酷い目にあった」


「お疲れ様です、小次郎先生」


「いい写真が取れましたよー」


「後生だ寺内殿、藤原殿。そのかめらで撮ったもの、今すぐに消してくれ」


「―――見返りは?」


「……ジュースニ本ずつでどうだ」


「乗った」


 背に腹は変えられぬ、とは正にこのことであろう。あのような恥を世に残すわけには行かぬので、大人しく二人にジュースを二本買ってやった後、鹿せんべいを購入して三人でもう一度鹿にせんべいを上げ始めた。今度は無論、鹿に囲まれてしまわぬよう、周囲に気を配っている。


「ところで、小次郎先生」


「何かな?」


 おもむろに、藤原殿が私に声をかけてきた。


「その頬の傷、本当に大丈夫なんですか? さっきから、何回もガーゼの上から触ってますし……痛いんじゃないんですか?」


 頬の傷とは、昨夜に『天劫の雷』―――宮本 武蔵からつけられた傷のことだ。木乃香殿を無事に取り返し嵐山に帰った後、約束通りに木乃香殿が傷の治療を行ってくれて、今の状態に落ち着いている。しかし、昨日つけられたばかりの傷であるからか、かなり頻繁に傷口が疼いてしまっていたのだ。その度に我慢できず、頬をかいてしまっていたのが、藤原殿の心配をかってしまったのだろう。


「何、先も申したろう。少し切ってしまっただけだ、何も問題はない」


「それならいいんですけど……」


「もー、藤ちゃんは心配性だなぁ。藤ちゃん剣道部なんだから、小次郎先生の言う事くらい信じたら?」


「バカ、剣道部だから心配なんじゃないっ」


 大事がないことを改めて告げると、藤原殿が何とも嬉しいことを言ってくれた。普段から、後輩の面倒見がいい藤原殿であるから、他人が怪我をしているとそれが私でも放っておけぬのだろう。


 その心遣いを嬉しく思いつつ、最後の鹿せんべいを鹿に食わせてやった時、何やら喧騒が近づいてくる気配を感じ取った。どうやら、何者かが騒ぎながらこちらに向かって走ってきているようだ。


 どこにでも無粋者はいるものだ―――そう呆れつつ、一体どのような面をしている者なのかと、何気なくそちらに顔を向けて、


「……!」


「えっ!? 小次郎先生、どこいくの!」


 あっという間に駆け出していた。何の前触れもなく、逸歩から走り出した私に気づけた藤原殿は流石であったが、今はそれに言葉を返す暇もなく、私と目が合った瞬間逃走進路を変えた無粋者の後を追った。


 足の速さは私の方が上なのか、徐々に無粋者との距離が縮まっていく。あと少しだと手を伸ばしかけた時、無粋者に変化が生じた。


 全身を薄っすらと靄のような物が覆い始める。気だ、と理解した時には、瞬時に私も気を解放して、相手が踏み出す前に距離を詰めて肩を掴んだ。


 無粋者がバランスを崩し、前のめりに倒れそうになる。私はそれよりも早く、更に一歩を詰めて空いている手をその者の腰に回し、小脇に抱えてやった。


「きゃっ!?」


 可愛らしい悲鳴が上がる。普段からそういう声を出さぬだけに、これは聞き慣れぬいいものを聞けたと思いながら、私は腕の中で暴れておる者に問うた。


「何故逃げた、刹那よ」


「小次郎さんが私を追いかけようとしていたからでしょう!」


「これは異なことを。刹那が逃げようとしなければ、私とて後を追いかけなかったぞ」


「屁理屈です!」


 そう言われるのはもっともだが、事実そう感じてしまったのだから仕方がない。


 先程、何かから逃げるように走っておった刹那と目が合った瞬間、何故か私は『刹那が別の方向へ逃げる』と直感した。別段、見逃してしまってもよかったし、そもそも追いかける理由もなかったのだが、気付いたときには走り出していたのでそのまま追いかけて捕らえたのだ。まぁ、刹那が逃げだすものなど、考えるまでもないのだが。


 こちらを見上げた刹那が、声を抑えながら憤慨して吠えてくる。これをどう宥めかしたものかと考えておると、後ろから息せき切らした息遣いが聞こえてきた。


「はぁ、はぁ……や、やっと追いついたわぁ。はぁ、ふぅ……」


 何故か手に団子が乗った皿を持ち、息も切れ切れな木乃香殿がそこにいた。一体どれほどの距離を走ったのかは定かでないが、汗の具合からそれなりの距離を走ったのだろうと当たりをつけた。


「木乃香殿、大丈夫か?」


「はぁ、はぁ……だ、だいじょ〜ぶや〜……」


「大丈夫ではないな……刹那、そこの自動販売機で水を買うぞ」


「な、何で私に言うんですか?」


「見ての通り、私は両手が使えぬからだ。私の財布を渡すから、代わりに買ってくれ」


「―――もう決して逃げませんから、離してくれて結構です」


 人に抱えられたまま自動販売機で水を買うという、何とも言い表せぬ状況を想像したのか、刹那の声からは本当に諦めの色を感じることができた。大人しく刹那を離してやり、木乃香殿の近くにいるよう言いつけてから私が水を買いに向かった。


 もっともこの距離では、いかな刹那といえどもう私から逃れることは不可能であろうが。


「さ、木乃香殿。水だ」


「あ、あんがと〜……」


 今にも倒れそうな声で、木乃香殿が私の手からペットボトルの水を受け取り、呷るように水を飲み干していく。


 刹那はというと、何やら沈痛な面持ちで水を飲む木乃香殿の横顔を見ていた。大方、木乃香殿がこんなになるまで走ってしまうなんて、と今更自責の念を抱いたのであろう。


「―――ふはぁ、落ち着いたわぁ。せっちゃんも捕まえてくれたし、あんがとな、小次郎さん」


「礼には及ばずだ木乃香殿。それで、何故刹那と鬼遊びを?」


「おにあそび?」


「鬼ごっこの事です、お嬢様」


「ふぅん―――あ、またお嬢様って言うー、もー」


「え、し、しかし……お嬢様はお嬢様ですし……」


「まぁ、木乃香殿。刹那の木乃香殿の呼び名は置いておいて、まずは私の質問に答えてくれぬか?」


 二人の問答は、放っておけば長くなりそうなので少し無理に割り込み、話の流れを引き戻した。多少不服そうにしながらも、木乃香殿は私の問いに答えてくれた。


「あんな、ウチお団子買うてきて、せっちゃんと一緒に食べよう思たんやけど、何でかせっちゃんが逃げるからここまで追っかけて来たんや」


 その答えは、意外―――という訳ではないが、私の思惑を外れていたことだけは確かだった。


「……刹那。茶の席くらい、共をしても良かろうに」


「し、しかし……私なんかがお嬢様と……」


 流石に非難の眼差しを向けながら刹那を叱責すると、モジモジと指を絡ませながら小さい声で言い訳がましいことを申してくる。無理のある言い訳だとある程度は自覚しているのだろう、言葉にはまるで力がなかった。


『全く……素直ではないな。いや、素直すぎるからこそ、か?』


 木乃香殿から仲人の仕事を請けて以来、刹那の木乃香殿に対する言動を今日まで色々と観察してきた。その結果、私なりの仮説が生まれた。


 言うまでもなく、刹那は実直で生真面目だ。仮に刹那が木乃香殿から距離を取っている理由が、何らかの負い目にあるのなら、その気質ゆえに木乃香殿から離れようとするのは納得がいく。


『……とは申しても、その負い目が何なのか、そもそも本当にあるのか―――そこのところが、まだ明確ではないのだがな』


 とりあえず、この場は刹那のために刹那の逃げ道を封じてやろうと思い、口を開いた。


「木乃香殿。その茶の席、私も同席してよろしいかな?」


「もっちろん、ええよー」


「忝い。では木乃香殿、追加の団子をこれで買ってきてもらえるかな? 三人で一皿は流石に少なかろう」


「りょうかいやー。ほしたら、二人とも待っとってなー」


「え、えぇ!? ちょ、お嬢様、私は―――!」


 自分込みで話を進められている、と刹那が気付いた時には既に遅く。木乃香殿は、三人分の団子を買うべく、小走りで私たちから離れていった。


「さて、私たちは椅子を確保するとしよう、刹那」


「―――…………はぁ。分りました」


 今更逃げられぬことを悟ったのだろう、表情からして何か文句を言おうと開いた口からは、盛大な溜息が吐かれていた。


 辺りを見渡し、適当な長椅子を見つけた。刹那と二人、そこを確保しようと足を踏みだした時、置いてけぼりにしておる二人がいたことを、ようやく思い出した。


「あのー……小次郎先生?」


「一体どうしたんですか? 急に桜咲さんを追いかけて」


 話が一段落つくのを待っていたのか、私が思い出したのと時を同じくして、寺内殿と藤原殿が私たちに声をかけた。


「あぁ、先程は急に失礼したな、二人とも。この刹那が年甲斐もなく公園内を走っていたので、止めていたのだ」


「ぐぅ……」


 二人の問いに対して、ポンポンと刹那の頭を叩きながら、客観的視点に基づいた嘘偽りない事実を述べる。間違ってはいないだけに刹那も反論できず、ぐぅの音を洩らすのみで、大人しく頭を叩かれていた。


「それと、勝手でまこと申し訳ないのだが、急用が入ってしまった。済まぬが、ここからは其方ら二人で回ってくれぬか?」


「えー、そんなぁ。もっと小次郎先生と回りたかったのにー」


 突然の解散宣言を受けて、唇を尖らせた寺内殿から不平の声が上がる。それを何とか宥めようと思っていると、意外なところから助け舟が出た。


「こぉら、寺ちゃん。小次郎先生が急用って言ってるんだから、大人しく聞きなさい」


「だってー」


「あの小次郎先生が、先に一緒にいた私たちよりも優先する事なんだから、本当に急用に決まってるでしょ」


「ぶぅ……」


 まるで姉が妹を宥めるように、藤原殿が寺内殿をあっさりと丸め込んでくれたのだ。


「そういう訳ですから、小次郎先生。心置きなく、急用に当たってください」


「忝い、藤原殿。麻帆良に戻ったら、何か詫びをしよう」


「いいですよ、今日はレアショットを二回もカメラに納められましたから」


 そう言うと藤原殿は携帯電話を取り出し、意味あり気に私と刹那を一瞥すると、ニヤリとした笑みを浮かべた。


 ……何故かその笑みからは、怖気にも似た寒気が感じられて―――


「藤原殿、まさか先のはまだ、」


「ふ、藤原さん、まさか今の!」


「あっはは、小次郎先生も桜咲さんも可愛かったよー!」


 私と刹那が同時に藤原殿を止めようとしたが、それよりも早く、彼女は颯爽と走り去っていった。遅れて気付いた寺内殿も、慌ててその背を追いかけて消えていった。


「……まぁ、途中ですっぽかしてしまった代償か、致し方なし」


「私はただの撮られ損です……」


 中途半端に伸ばしていた手で頭をかきながら苦笑いする私と、ガクンと落ち込んでしまった刹那は、とにもかくにも木乃香殿を待つために、揃って長椅子に腰をかけるのだった。










 ……藤原さんとその友達が走り去ってから少し。私と小次郎さんは、特に言葉も交わさずお嬢様が戻るのを待っていた。


 会話がないと言っても話題がない訳ではなく、ただ小次郎さんが辺りの景色を楽しんでいるようなので、その邪魔をしないよう口を閉じているだけだ。小次郎さんは特に鹿に興味があるのか、視界に映ればそれを追いかけている。


 空を見上げれば、青い空に雲が漂っていて、いつでも見る事のできるその穏やかな風景は、今が戦いの中にある僅かな休息の時だという事を忘れさせてしまいそうだった。


 ふっと小次郎さんに視線を戻してみれば、珍しい事に携帯電話を操作していた。興味がそちらに移ったのか、景色を見る事に飽きたのかは分らないが、相変わらずこういう姿には違和感を感じてしまう。


 まだ操作を把握し切れていないのだろう、携帯電話を弄っている小次郎さんの眉間には、深い皺が刻まれていた。


「何をしているんですか?」


「ん? いや、早く使いこなせるよう、教わったことを思い出していたのだ」


「そうですか……そういえば小次郎さん、着物はどうされたんですか?」


 この人の相変わらずの熱意に相槌を打ったところで、今朝から気になっていた事を聞いてみた。


 今、小次郎さんはスーツを身に纏っている。先生という立場にある以上それは当然なのだが、今日は少し事情が違う。


 いつも着ているあの紫色の着物は、宮本 武蔵との戦いで血に汚れてしまった。今もガーゼが当てられている頬の傷から垂れた血が付着してしまったのだ。昨日の段階では、お嬢様からのアドバイスでクリーニング屋に出すという話だったが、一体どうなったのだろう。


「うむ、着物なら明日には仕上がるようだ。特急で依頼した甲斐があるというものよ」


 自慢の一張羅が元通りになるからか、そう語る小次郎さんの顔は嬉し気だった。


「刹那。木乃香殿は今、どうしておる? 式神をつけておるのだろう」


「はい、万が一別行動を取る事を想定して、今朝の内から。
 ―――今は、団子屋の前で並んでいますね。もうしばらくかかりそうです」


 中々戻ってこないお嬢様を心配したのか、小次郎さんがそんな質問をしてきたので、式神と視覚を共有して得た情報を伝えた。すると、何か別の目的もあったのか、そうかと答えたかと思うと、小次郎さんが少し私の方に身を寄せてきた。


「刹那。正直なところ、昨日の連中を今後も退けられると思うか?」


 小声で尋ねられた内容は、確かにお嬢様がいては話せない類のものだった。丁度この話は、私もいずれ小次郎さんとしたいと考えていたので、既に考えていた答えを直ぐに口にした。


「……少し、厳しいと思います。主犯と思われる術者の実力も相当ですし、護衛の神鳴流剣士である月詠も侮れません。仲間が昨日の連中だけとも限りませんし、何よりも、『天劫の雷』宮本 武蔵がいます。こちらの戦力を考えると、危険要素が多すぎます」


「ほう……昨日の宮本 武蔵とは、やはりそれほどの男なのか」


「もちろんです。天劫の雷の名を筆頭に、神鳴流の生きた災厄、道真公―――二つ名には事欠きませんし、それに見合うだけの実力と伝説も数多く残しています。その功績も相まって、今の宮本家の発言力は宗家に次ぐ影響力を持っている、とまで言わしめるほどでした」


「でした、か……何かあったのか?」


 過去形で話した私の言葉を耳聡く聞き取った小次郎さん。頷く事で肯定を示してから、続きを話し始めた。


「数年前、宮本 武蔵は突然失踪したんです。誰にも一言も告げず、弟子と付き人の二人だけを連れて。ただ、宮本家没落の直接的要因はその失踪ですが、元々の原因はそれ以前からあったそうです。
 詳しいところは公にされていないのですが……彼はいつの頃からか、暴走を始めたらしいです。余りに戦いすぎて血に狂った、と私は聞きましたが、他にも噂は数々流れていて、どれが本当の事なのか分かりません」


 中には地獄の扉を開いて瘴気に当てられたというものまであるんですよと、私が聞いた中で特に突拍子もない噂を教えたら、あの男ならあり得そうだと小次郎さんは笑っていた。


「当主の失踪により、宮本を師事していた神鳴流剣士、仕えていた者たちは散り散りに去っていき、今では宮本家本邸はもぬけの殻。後継者もおらず、事実上、宮本家は取り潰しの扱いとなりました」


 私が知っている宮本についての情報はこれだけだったので、その事を告げて話を区切る。小次郎さんはそうか、と一言呟いた切り何も言いそうになかったので、今度は私からの質問を口にした。


「小次郎さん……私からも一つ、いいですか?」


「何だ?」


 私が今から聞こうとしている質問が、不粋かつ無礼なものである事はよく分かっていた。けど、私はどうしても、これを聞かずにはいられなかった。


 お嬢様を守るために。


「小次郎さん―――貴方は、宮本 武蔵に勝てますか?」


 私たちがお嬢様を敵から守るという事は、即ち宮本 武蔵にも勝つという事だ。けど、ネギ先生にも神楽坂さんにも、もちろん私にも、彼に対抗できる力はない。それは昨日の段階で証明されてしまった。それではお嬢様を守れない。


 ただ一人勝利の希望を見出せるのが、小次郎さんだ。昨日、互角の剣戟を繰り広げたこの人なら、もしかしたら宮本 武蔵に勝てるかもしれない。


 ……だが、私にはその『もしかしたら』が不安でしょうがなかった。お嬢様を守れなかった、なんて事はあってはならない。だから小次郎さんの口から、明確な言葉が欲しかった。それが可であれ不可であれ、不確かでさえなければ、それを念頭に置いた戦略が立てられるから。


 小次郎さんは、私の突然の質問に面食らったような顔をした後、意外にあっさりと答えを口にした。


「……それは無論、分らぬよ」


「―――どうしてですか」


「死合いなど所詮、最後に立っていた者勝ちだ。単純な実力の優劣で勝敗が決するのなら、誰も四苦八苦せぬよ」


「―――っ」


 ……そう、そんな事は分っていた。勝敗がそう簡単に分らない事も、小次郎さんがそう言うだろう事も。


 そう、分っていた、分っているはずなのに―――


「おーい、せっちゃーん、小次郎さーん!」


 暗い思考に陥りそうになった時、聞きなれた明るい声が私を救い上げた。一緒に顔を上げてみれば、そこには嬉しそうにお団子が乗った皿を持つ、お嬢様の姿があった。輝かしい笑顔は、それだけで今のお嬢様が幸せなのだろうと、感じる事ができる。


「ようやく戻ってきたか。そら、団子を受け取りに行くぞ、刹那」


 そう言いながら、小次郎さんが椅子から立ち上がった。軽く頭を振って暗い気持ちを切り替えた後、私も立ち上がり、小次郎さんの隣に並んだ。


「―――先の話だが、無論勝つつもりで奴に挑む。だから刹那、もう少し肩の力を抜け。私がいるのだ」


 ……思いがけず聞こえた言葉。それを聞いた瞬間、私は弾かれるように小次郎さんの顔を見た。


 そこには、自信を湛えて不敵に笑っている小次郎さんがいて、根拠もないと分っていて私は、少しだけ肩の力が抜けたような気がしたのだった。












 後書き


 何とかアメリカに行く前に書ききった。逢千です。


 小次郎さん、色々な意味で大フィーバー。今日もせっちゃん弄りは絶好調。けど気遣いもそれなり。これはもはや、オリキャラと言われても仕方ないなぁ。


 刹那なら、武蔵みたいな存在が敵側にいたら、こういう風に思い悩むかな、と思って書いてみたら、意外と違和感がなかったのでそのまま書ききってみた。いかがでしたかね?


 アメリカでも何とか、執筆をしようと思っています。どれだけかけるかは分りませんが。何はともあれ、暫しの別れ。


 感想、指摘とうとう、お待ちしています。


 では。





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