『ウチの炎が消された……それに何や、あのツインテールの女が纏っとる光は。これが西洋魔術師とそのパートナーなんか?』


 自信を持って放った特製の符術をいとも容易く破られ、若干のショックを受けながらも、階段を駆け上がってくる三人を見て素早く意識を切り替えた術者が、目の前の状況を分析した。


 自分の炎を吹き飛ばして見せた魔法使いの少年は、何かのカードを手に携えている。恐らくあれが噂に聞く、契約のカードなのだろうと当たりをつけた。見かけは十歳ほどの少年であるが、少なくとも内に秘める魔力はそれ以上だと、術者は認識を改めた。


 その少年の従者と思われるツインテールの女は、全身に何らかの光を纏わせている。ラテン語を理解できない、そもそも西洋魔術に詳しくない術者には、先程少年が叫んでいた言葉が何を成したのか判別をつける事はできなかった。少なくとも分る事は、少年と同じく、少女だからと甘く見てはいけないという事だろう。


 そして、一人だけ階段を駆け上がるのではなく跳んで上ってきている、神鳴流の剣士。あの西の長が直々に木乃香の護衛を頼んだくらいだから、その実力が高い事は容易に想像できた。だからこそ、術者は死に物狂いで『天劫の雷』の所在を突き止めて、護衛の神鳴流対策として依頼をしたのだが、


『あぁもう、天劫はんらはどこで油売っとるんや!』


 その『天劫の雷』には、もしもの時のためにこの広間のどこかに待機しておくよう言いつけてあったのだが、一向に姿を現そうとしない。これならいっそ、最初から自分に同行させておけばよかったと内心で愚痴りながらも、自分の持てる札で現状を打破しようと、懐から幾枚かの呪符を取り出そうとした時であった。


「どうも〜、神鳴流です〜。すみません、遅刻してもて」


 術者の左横に、小さい人影が降りてきた。それは比喩ではなく、本当に辺りにあるビルの一つから飛び降りてきたのだ。


 腰ほどまで伸びている淡い黄緑色の髪の毛に、フリルが多くあしらわれている服装―――現代で言うロリータファッションだ―――を身に纏っている、日溜りのように柔和な笑みを浮かべた、背の低い少女だった。眼鏡の向こうに見える目も緩やかさを湛えており、エヴァンジェリンの顔から険を取り除けば、ちょうどこのようになるのかも知れない。


 しかしだからこそ、その両手に握られている二振りの刀からは、少女の出で立ちに不釣合いな異様さをかもし出していた。


「おぉ、月詠はん! やっと来はった―――あれ、天劫はんは?」


「お師匠様は、どこかのビルの上から見学しはっております〜。何や『当面は月詠に任せる』言ってはりました〜」


 少女―――術者の言葉から察するに、刹那と同じ神鳴流剣士である月詠は、気の抜けたような声でそう言った。


 何故この局面で、『天劫の雷』は出てこないのか。それを更に問い詰めたかった術者だが、もうほとんど目の前まで迫っているネギ達の存在を思い出すと、すぐさま意識をそちらに向け直した。


「……っ、天劫はんのことはまぁええ。今はあのガキンチョどもを追っ払うんが先や。月詠はん、頼みましたで!」


「は〜い、任せてくださ〜い」


 やはり戦場にあるとは思えない気の抜けた声でそう返事をするや否や、月詠が飛び出した。その外見からは予想もつかないような鋭い踏み込みから跳躍し、狙い定めた獲物に向かって真っ直ぐに滑空する。その姿は、不安定な階段から飛び出したとは思えない、まるで獲物を狩る鷹のようなものであった。


「―――ってどこ行くんや月詠はん!?」


 まさかいきなり、目の前に敵が迫っている状況で自分から離れるとは思わなかった術者は、既に手遅れと分っていながらそんな言葉を月詠の背に向かい叫んでいた。


 月詠が振るった鉤爪のような二刀、その先には術者の下へ一息接近するために、二度目の跳躍を行った刹那がいた。


「っ!」


 唐突に現れて、わき目も振らず自分に飛びかかってきた月詠に意表を突かれたが、刹那は空中にありながら、左右から振るわれた二刀を捌いて着地した。素早くバックステップを踏み、月詠から間合いを取る。


「お初にお目にかかります〜、先輩。ウチは月詠言います〜」


「今の太刀筋……貴様、神鳴流か!」


 たった今斬撃を浴びせようとしたにも関わらず、いけしゃあしゃあと笑顔で挨拶をしてきた月詠に夕凪の剣先を向けてけん制をしつつ、刹那は強い口調でその流派を問うた。


 嵐山で、自分がネギにした話だ。関西呪術協会と京都神鳴流は関係が強く、昔から術者の護衛に神鳴流剣士がつく事はざらだった。しかしそれは世が乱れていた過去の話であり、いたるところに平和が見られる現代において、そこまでの戦力を必要とする事態は少ない。


 だからこそ、刹那も今回の件に神鳴流が絡む事はないと思っていたのだが、


「はい〜。とは言いましても、アレンジが入ってるというか、亜流なんですがね〜」


 依然としてにこやかな表情のまま、刹那の問いに肯定を返した月詠によって、予見していた最悪の事態が起こってしまった事を刹那は悟った。亜流というのは、対化生を前提とした野太刀の使用を旨とする神鳴流において、小太刀と脇差という対人を前提とした二刀を用いての事だろうと、刹那は断定した。


「ネギ先生、神楽坂さん! こいつは私が請け負います、お二人はお嬢様を!」


「わ、分かったわ!」


 目下最大の敵戦力である月詠の相手はネギや、ましてや素人同然である明日菜には荷が重いと判断した刹那は、月詠を睨みつけたまま一瞬も気を抜かず、ネギ達を先行させた。ネギと明日菜も、自分たちが優先すべき事は木乃香の救出であると判断し、刹那の指示に従って再び階段を駆け上がり始めた。


 月詠は術者の護衛である。ならば最優先事項は術者の守りと、その術者の目的である木乃香の身柄を死守する事のはず。だとすれば、月詠はネギ達を追いかけようとするだろう。刹那はその一瞬の隙を突くために、月詠の一挙一動に全神経を集中させた。


「ウフフ……そんな身構えんで下さい。いきなり襲い掛かるなんて無粋な真似はしまへんえ?」


 しかし、刹那の予想に反して月詠は、欠片もネギ達に気を払わず、依然として刹那に向けて柔和な笑みを向けていた。


「……どういうことだ。貴様は、あの術者の護衛ではないのか」


「はい〜。ウチなんか、千草はんの護衛には不要ですし」


「……っ!」


 その言葉を聞いて、刹那は内心で歯噛みした。


 千草―――恐らく術者の名前だろう―――に護衛は必要ない、と月詠は言った。それはつまり、あの千草という術者はそもそも護衛を必要としない実力を持っているという事だろう。


 術者の実力を過小評価していた訳ではなかった。原因は己の見通しの甘さだ。急がなければ、ネギと明日菜が倒されてしまうかも知れない。


 それを打開する術は唯一つ。目の前の月詠を直ぐに倒し、自分が援護に行けばいい。


 夕凪を握る手の内を適度に緩くし、正眼の構えを取る。攻防のバランスが良く、相手の如何なる出方にも対応できるこの構えは、初見の相手に有効だ。しかも刹那の夕凪は五尺余りという長さを誇る。月詠から見て刹那の懐は、さながら対岸の如く遠く感じられるだろう。


「フフ……ほな、先輩の実力、ウチに見してください。え〜い」


 刹那の正眼の構えに対し、月詠は両の腕を軽く開き、二刀の剣先を正中線に合わせた構えを取った。そしてその構えを取るや否や、僅かに身をかがめたかと思うと、何の躊躇いも見せず、地を這うように刹那に向かって勢いよく飛び出した。体勢の低さと速さが相まったその様は、さながら颯爽と地を駆ける狼のようであった。


 その寄り身に、刹那は瞠目した。この速さに加え、もともと背丈の低い月詠にここまで体勢をかがめられれば、それは瞬間移動にも等しい。それが証拠に、月詠が近づいたと刹那が認識する頃には、月詠は夕凪の間合いの中頃まで踏み入っていた。


「―――っ!」


 これ以上懐に入られては一方的に負けるだけだと直感した刹那は、瞬動を持ちいて大きく後退した。


「フフ、逃がしませんえ〜」


「くっ……!」


 しかし、月詠はそれも読んでいたのか、刹那が後退すると同時に自身も瞬動で踏み込んでいた。それでも先程より僅かに間合いを離す事に成功した事を認めると、刹那は夕凪の下にいる月詠に向けてその刃を振り下ろした。


 キィン、と甲高く鳴る金属音。月詠が、正中線に構えていた二刀の内の一刀、左手の小太刀を振り上げて刹那の夕凪を受け止めた音だった。


「しまっ……!?」


「もらいましたえ〜」


 驚愕に彩られた刹那の顔を見上げて、月詠は自分の勝利を確信した。


 この距離、このタイミングで刹那に左右への逃げ場はなく、唯一あるとすれば後方であるが、それも間近に見える壁が阻んでくれるはずだ。


 淀みなく、そのまま月詠が右の太刀を振りかぶる。このままでは数瞬後に、逆胴の軌跡から胴を薙がれた刹那の体は、血しぶきとはらわたを撒き散らして地に横たわる事だろう。


 しかし、左右への逃げ場はなく、後方にも壁が迫っており、正面には刀を振りかぶった月詠がいるこの状況で刹那が取った行動は、何と後方への更なる瞬動であった。


 月詠の太刀を回避しざま、素早く身を捻って壁に『着地』すると、全力で壁から跳躍して月詠の頭上を飛び越える。その時、月詠の頭に向けて斬撃を振るったが、横に飛んで転がる事で月詠はそれを回避した。飛び込み前転の要領で受身を取り、素早く月詠に刹那は向き直る。


「ん〜、今ので仕留めれへんとは、さすがは先輩ですな〜」


 服についた汚れを払い落としながら立ち上がった月詠は、嬉しそうに笑ってそう刹那の判断を褒め称えた。実際、同じ状況に陥ったとして、先の月詠の斬撃を避ける事のできる人間は数えるほどしかいないだろう。


 賞賛を受けた刹那は、しかしピクリとも表情を崩す事なく、月詠の動きの一つ一つに注意を払う。もう一度あそこまで踏み込まれたとして、次も避けられるという自信は刹那にはなかった。


 しかし、先程行われた二合の切り結びとその過程を見て、刹那は月詠の大まかな実力を把握していた。その結果は、『懐にさえ入られなければ御する事のできる相手』だった。確かに、野太刀に比べて小回りの効く月詠の刀は、こちらの間合いの内に入られれば厄介だが、それは逆に、近づけさせさえしなければ月詠は間合いに入れないという事も意味している。


 だからこそ、刹那は今のような事態に陥らぬよう、慎重に月詠の一挙一動を射抜く。


「……けど、残念ですな〜。これじゃあウチとは戦えても、お師匠様の相手は勤められへんです〜」


 残念、と口にしておきながら、どこか嬉しそうな表情を浮かべて、月詠が構え直しながらそんな事を言った。


「……どういうことだ、それは」


「言葉どおりです〜。先輩は確かに腕が立ちますが、お師匠様と戦うとなると役不足でした〜」


 今頃残念がってるでしょうな〜、と殊更に嬉しそうな表情を深める月詠を尻目に、刹那はふっと、月詠が口にした言葉を思い出した。


 ―――フフ……ほな、先輩の実力、ウチに見してください


 月詠が自分に踏み込んでくる直前に口にした言葉。その時は、戦い好きの者がよく口にする言葉だと思っていたが、今の月詠の口ぶりから察するに、これは本当にそのままの意味で受け取れるような気がした。


『……つまりこの月詠は、私の実力を測るためだけに、戦いを挑んだのか?』


 術師の護衛である神鳴流が、なぜそんな事を―――その理由を突き止めようと思ったが、答えは思いの他早く、刹那の脳裏に閃いた。


 月詠は恐らく、自分が『お師匠様』と戦えるだけの実力を持っているのかを測るために、戦いを挑んできたのだ。そう考えれば、今までの月詠の奇妙な口ぶりにも納得がいくと、刹那は思った。


 ―――はい〜。ウチなんか、千草はんの護衛には不要ですし


 そして、この言葉が本当は何を意味していたのかにも、気づいてしまった。


『まさか……“今頃残念がっている”ということは、『お師匠様』は今、この戦いを見ている―――!?』


 刹那がその事実に思い至った時、耳をつんざく壮絶な雷の音が、轟いていた。










 唐突に現れた月詠の相手を刹那に任せたネギと明日菜は、木乃香を取り戻すべく階段を踏み抜く程の勢いで駆け上がっていた。


 その途中、カモがネギに、明日菜の戦力を増すための指示を出す。


「兄貴、アレだ!」


「うんっ!
 アスナさん! 今から、パートナーだけが使える専用アイテムアーティファクトを出します! アスナさんのは『ハマノツルギ』、武器だと思います! 受け取ってください!」


「武器!? よ、よーし、頂戴ネギ!」


 契約者の生まれや育ち、運命に応じて様々な特典を与えるパクティオーカードの能力の一つ、アーティファクトの召喚。予想外のアイテムの存在を知り、唯一無手であった明日菜は喜んでそれを受け入れる。


「行きます! 能力発動エクセルケアース・ポテンティアム神楽坂明日菜カグラザカアスナ!」


「きゃっ……き、来たよ! 何か凄そう!」


 明日菜とのパクティオーカードを掲げ、アーティファクト召喚のキーとなる言葉を紡いだ瞬間、中空から明日菜の手元に閃光が走った。雷が弾けるような音を時折鳴らしつつ、それは明日菜の手元に収まり、徐々に形を得ていく。その出現の仕方に、明日菜は期待に満ち溢れた声を上げた。


 そうして明日菜の手に現れたのは、確かに武器であったが、その外見は決して戦闘向きの物ではなかった。


「……な、何これ!? ただのハリセンじゃない!」


 明日菜の驚きももっともである。しかし、明日菜の手に握られている武器―――ハリセンの側面には『MINISTRA MAGI ASUNA』、即ち『魔法使いの従者アスナ』という文字が刻まれている事から、これが間違いなく明日菜専用のアーティファクトである事は明らかであった。唯一このハリセンに普通のハリセンとの違いを見出すのであれば、材質が紙ではなくスチールである事と、装飾目的と思われる鉄製の柄のようなものが、ハリセンの端から伸びている事くらいであろうか。恐らく、明日菜が握っている辺りにまで伸びていて、一種の芯のような役割りを果たしているのだろう。


「あ、姐さん! もうそのまま行っちまえ! 素手よかマシだ!」


「もー、どうにでもなりなさいよぉっ!」


 半ばやけくそ気味なカモの指示を受けて、同じ心境の明日菜が高々と飛び上がり、眼前に迫った千草に向けてハリセンを打ち下ろした。テレフォンパンチならぬテレフォンハリセンとでも言うべき、大きすぎる振りかぶりからの唐竹打ちであるが、生粋の術師として生きてきた千草にそれを避ける術はない。


 ふっと、明日菜の視界に一枚の呪符が映りこんだ。それが、術者を守るモノに変わったのは、正に瞬き程の出来事であった。


「えっ―――うわっ!?」


 現れたのは、千草が最初に被っていた猿の気ぐるみと同様のデフォルメが施された、熊の人形であった。背格好や頭の大きさなども瓜二つである。その熊の人形は、猿の気ぐるみには無い、手の先から生えている爪を器用に使って、明日菜のハリセンを掴んでいた。更にそこへ間髪いれず、先程までぐったりと階段の上に伸びていた猿の着ぐるみが明日菜へ追撃を仕掛ける。危ういところで危険を察知した明日菜は、咄嗟にハリセンを熊の手から捻り抜き、近づいてくる猿の顔を蹴り飛ばして距離を取る事に成功した。


 無詠唱による式神の召喚。ここに、千草の呪術師としての実力の一端を垣間見る事ができるだろう。


「ちょっ、着ぐるみが動いてる!? しかも何か増えてるし!」


「刹那の姉さんが言ってたろ、姐さん! 多分そいつらが、その術者の善鬼と後鬼だ!」


「ホホホ、察しがええどすなぁ。ウチの猿鬼と熊鬼は中々強力や、せいぜい怪我せぇへんように頑張りや」


 猿の着ぐるみ―――猿鬼にもたれかからせていた木乃香を肩に担ぎながら、千草が余裕の表れであるかのような忠告を残して階段を上り始める。神鳴流剣士である刹那を同じ神鳴流の月詠が抑えている今、残った魔法使いと中学生の相手は自分の式神に任せて、自分はさっさとこの場を立ち去るつもりなのだ。


 ここで木乃香を連れ去られてしまっては、自分たちにはもう取り返す手段が無い。直感的にそれを感じ取った明日菜が、気炎を上げて吠える。


「このか、このか! こっのぉ、退きなさいよ!」


 その気勢には友人を案じる気持ちがありありと表れており、自分たちの主である千草を守るために立ちはだかる猿鬼と熊鬼に向かって、悠然と突進していった。


「アスナさん!」


 明日菜の突進に続くように、ネギも急いで杖を構えて詠唱を始めた。後ろには月詠がいるが、刹那が抑えていてくれるので、ネギは安心して詠唱に集中する事ができた。


「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。光の精霊11柱ウンデキム・スピリトゥス・ルーキス集い来たりて敵を射てコエウンテース・サギテント・イニミクム! 魔法の射手サギタ・マギカ連弾セリエス光の11矢ルーキス!」


 詠唱が進むに連れて、ネギの手中に光が集まり始める。次第に輝きの強さと規模を増していくそれは、呪文が完成すると同時に敵を討つ矢として放たれた。


 明日菜を追い越し、十一の光の矢が我先にと猿鬼と熊鬼に殺到する。


「ウキキッ!」


 迫るサギタ・マギカを前に、熊鬼を庇うように猿鬼が矢の前へと躍り出た。猿鬼は素早くファイティングポーズを構えると、目にも止まらぬ速度で左ジャブを繰り出していく。


 一つ二つと、次々とサギタ・マギカを打ち落とす猿鬼。そのジャブの速度はプロのボクサーも真っ青になるほどだ。最後に三つ同時に来たサギタ・マギカは、ジャブでは不可能だと判断したのか回し蹴りで纏めて薙ぎ払った。


「ウキッ!」


「っの、どこのカンフー俳優よ、この猿は!」


 何故か蹴りを放った後、何かのポーズを決めている猿鬼に、明日菜が言葉の突っ込みを入れつつ、ハリセンを叩き込むために振りかぶった。新たな敵が間合いに近づいた事に気づいた猿鬼が、今度は明日菜に向かってファイティングポーズを構えた。


 振るわれるハリセン。対して猿鬼は、その自慢の拳―――と呼んで良いのかは分らないが―――を明日菜にではなく、自分に向かってくるハリセンに向けて打ち出した。


 どう見ても敵の得物に殺傷能力がないという事もその行動の理由の一つであるが、最も大きな理由は、やはり己が拳への自負であろうか。武器、即ち相手の力の象徴を真っ向から打ち伏せるべく、猿鬼は渾身の右ストレートを持ってして、明日菜のハリセンを迎え撃った。


 拳とハリセンがぶつかり合う。それによって辺りに響いたのは、スチールを打った甲高い音ではなく、ボンッ、という何かが破裂したような音だった。猿鬼の右腕が、根元から纏めて吹き飛んだのだ。


「ム、ムキャァァァ……!」


「あ、あれー? 消えちゃった……?」


 暫し呆然と、消えた自分の右腕を見下ろしていた猿鬼であったが、その侵食が次第に体にまで及んでくると、断末魔の叫びを上げながら、白い煙となって宙に霧散した。ハリセンの持ち主である明日菜も、流石にこのような事態は想定していなかったのか、不思議そうに自分のハリセンと猿鬼が消えた場所を交互に見ていた。


「―――クマァァァッ!」


 すると、突如熊鬼が裂ぱくの雄叫びを上げたかと思うと、力強い跳躍で宙に飛び上がった。美しい放物線を描き、中空で両手と両足を大きく開いて全身で大の字を示すその姿は、ある種神々しさすら覚えてしまうほど見事なフライングボディプレスであった。


 月明かりを受けて光り輝く熊鬼の表情は、仁王の如き怒りに染まっている。それは明らかに、猿鬼の死を悼んでいるからこその怒りである事が見て取れた。


 作られた存在である式神に、本物の感情は宿るのか。その真偽は定かではないが、熊鬼は己が全てを余す事なく使い、全力で叫んでいた。


 同じ主を護る同胞として、その死に悲しみと怒りを感じぬは、雄にあるまじき事であると―――!


「クマァァァァッ!!」


「たぁぁぁっ!」


 怨敵を圧殺するために落下してくる熊鬼を、明日菜は大上段からのハリセンの一撃を持って迎え撃つ。先程の猿鬼の死を間近で目撃しているにも関わらず、熊鬼はハリセンを受け止めようとする素振りも、払おうとする素振りも見せず、ただそのままの格好でハリセンの一撃を受けた。


 猿鬼が拳でハリセンを打ち砕こうとしたのと同じように、熊鬼にも猿鬼と似た考えがあったのか。はたまた、猿鬼が成しえなかった事を成す事で、猿鬼の敗北を否定しようとしたのか。その答えは、白い煙と化した熊鬼と共に、この世から消滅してしまった。


「あ、アホな……ウチの猿鬼と熊鬼が……」


 木乃香は猿に運ばせ、階段の最上部にまで到達していた千草は、瞬く間に消えてしまった己が式神を見て、驚愕の視線で明日菜を見下ろしていた。


 見てくれこそ確かに式神らしからぬものがあるが、その強さは自信を持って高いと断言できる、千草自慢の猿鬼と熊鬼。それがいとも容易く、高々十数歳の女子中学生に負けてしまったとあっては、千草の放心は致し方ない事と言えるだろう。


 しかし、その隙を見逃すほど、ネギは未熟ではなかった。


「―――魔法の射手サギタ・マギカ戒めの風矢アエール・カプトゥーラエ!」


 千草が油断しているのを見て取ったネギは、素早くそして気づかれぬよう小声でもって、サギタ・マギカの詠唱を完了させていた。


 放たれたのは、先程の破壊属性を持つ光のサギタ・マギカではなく、対象を捕縛する事に長ける風のサギタ・マギカであった。相手を傷つける事なく、また確実に対象を捕縛する事のできるこのサギタ・マギカは、この状況に最も適した魔法であると言えた。


「し、しもた! ガキを忘れ取った!? お、お助けー!」


 放たれてからネギの存在を思い出した千草は、咄嗟に近くにいた木乃香を力任せに引き寄せて、サギタ・マギカの盾にしてしまった。


「え、あ―――!」


 ネギが千草の行動に気づき、すぐにサギタ・マギカの軌道を変えようする。やはり如何に捕縛属性のサギタ・マギカであり、実攻撃力は少ないとはいえ、教え子に魔法をぶつけてしまうのは躊躇われた。しかし、時既に遅し。既に軌道修正の効かぬ距離にまで近づいたサギタ・マギカは、そのまま無慈悲に木乃香と千草に迫り―――


「こ、このかさ―――うわぁ!?」


 それは、何の前触れもなく発生した。


 突如鳴り響く雷鳴、奔る閃光。轟音と衝撃を辺りに撒き散らす雷が、雲一つない夜空であるにも関わらず、千草の眼前に落下したのだ。あまりに突然すぎる出来事に、木乃香の名を呼ぼうとしたネギのみならず、その場にいた全員が目を閉じ耳を塞いでいた。


 辺りに静寂が戻る。しかし、動きを再開しようとする者は誰一人としていなかった。ネギも明日菜も、刹那も千草ですら、いきなりの事態の急転に身動きが取れずにいる。


「……お師匠様」


 その中で一人、月詠が千草の方を見上げながら、そんな一言を呟いた。


「な、に……?」


 雷の轟音で、半ば耳の機能が麻痺していた刹那であったが、間近にいた月詠の言葉だけは聞き取れたのか。隙だらけである自分に構わず、一点を注視している月詠が気になって、刹那もその方向を見た。


「…………て、てて、天劫はん……」


「―――おい。何下らねぇ真似してやがる、この糞クライアントが」


 そこには、目の前に落ちた雷よりも、いつの間にか目の前に降り立っていた男に恐怖する千草と、その男―――神鳴流の災厄と名高い『天劫の雷』の姿があった。












 今回の主役は猿鬼と熊鬼だと思う。逢千です。


 やっとこさ更新の二十五話中編、お楽しみいただけたでしょうか。


 何かね、書いてる途中でピキーンと来たんですよ。猿鬼と熊鬼武術派説。自分で書いてて、熊鬼カッケー! と叫んでしまいました。


 そして、ようやく登場した『天劫の雷』。登場早々、クライアントを糞呼ばわりするこの男の活躍は、次回のお楽しみです!


 感想指摘等々、お待ちしています。


 では。


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