小次郎と刹那の二人への誤解を解き、3−A防衛隊の名の下に力を合わせることを取り付けたネギは、意気揚々と嵐山を飛び出して、旅館の外の見回りを行っている。


「―――って訳さ、兄貴」


「へぇ、なるほど」


 その途中、渡月橋―――第九十代天皇である亀山天皇にその名を与えられた橋である―――で足を止めて、カモがネギに今まで詳しく説明していなかったパクティオーカードの機能についての説明を施していた。


 聞いた内容を忘れないよう、カモの説明が終わるとネギが復唱する。


「つまりこのカードで、パートナーと念話したり、遠くから呼び出したり、パートナーの能力や道具の発動とかができるんだ。なんかスゴイなぁ」


 いまいち実感がないような顔でネギは感心しているが、『仮』の契約にも関わらずここまでの機能を提供できるパクティオーカードの性能は、凄いどころか破格と言っても過言ではない。


「兄貴、何はともあれカードの機能を試しに使ってみようぜ」


「うん、そうだね。じゃあ、アスナさんと念話してみるよ。
 ……額にカードを当てて―――念話テレパティア


 カモから教わった通りの手順を踏み、パクティオーカードの機能の一つである念話テレパティアを使うネギ。これはパクティオーカードを通じて、頭に思い浮かべた言葉を双方向で送りあえる機能であり、要は携帯電話のようなものである。


「アスナさーん、アスナさーん? ……あれ、これってアスナさんの声は聞こえないの?」


「ま、まぁな。姐さんにはまだ、コピーカードは渡してねぇしよ」


「それじゃあ、携帯電話のほうが良くない?」


「うっ」


 ネギからの突っ込みを受けて、カモが返答に窮してしまう。今回はただ単にアスナに受信端末―――つまりカードのコピーを渡していないだけであるが、総合的な利便性を考えれば、確かに携帯電話の方が圧倒的に上であろう。


 主である電話の機能に加えて、メール、カメラ、音楽再生、インターネット閲覧、その他諸機能等等……。最近では財布代わりにもなり、果てにはテレビ放送まで受信できるのだから、科学の進歩とは恐ろしいものである。


 科学には不可能で、魔法でのみ可能な事は、もはや数えるほどしかない。いずれは魔法が科学に食われてしまう日が訪れてしまうのであろうか……


 科学の侵食を感じて、カモが「魔法使いが携帯とはなぁ……」と涙を流していると、噂をすれば何とやら、ネギの携帯から着信音が鳴り響いた。ネギからの念話を受けた、アスナからの返信だった。


「あ、アスナさんからだ―――もしもし、アスナさん?」


「ごめん、ネギ! このかさらわれちゃった! どーしよう!?」


「えぇ!?」


「ムッ―――兄貴、アレは!」


 ネギが電話を取って直ぐ、アスナからもっとも恐れていた事態が起こってしまった事を告げられると時を同じくして、カモが何かの気配を察知して、空を指した。つられて、ネギもその指差す先を見やる。


 亀山天皇がこの橋を『渡月橋』と名づけた所以である月が、三日月の形で夜空に浮いている。


 その、小さい船のようにも見える月の上に、人影が立っていた。もっとも正確には、そう見えてしまうほどの高さまでその人影が跳躍しているに過ぎず、それを証明するかの如く、逆光で正確な判別のつかない人影は船の上を滑るように下りて、見る間にネギのいる場所に向かって落下を始めた。


 ズズンッ、と低い音が辺りに轟く。よほどの質量を受け止めたのだろう、腹に響く着地音と共に、軽い地震にも似た揺れがネギの体に走った。


 間近に下りてきた事によって、逆光で曖昧であった人影の全貌があらわになる。それは確かに人の形をしていたが、その実人とは似て非なるモノであった。


 先ず目に飛び込むのは、異様な大きさを誇る頭部である。人影の身長は、ネギの身長を倍にしてようやく比肩するほどの高さであるが、頭身で表せば二頭身ほどになってしまうであろう。そして人影は、一見して猿と分る出で立ちをしていた。デフォルメ化された猿の頭部、首から下の身体に生えている茶色い体毛、臀部から伸びる尻尾を見れば、大きさこそ異様だが、一目でそれが猿だと知ることができた。


「お、おサル!?」


「あら、さっきはおーきに。カワイイ魔法使いさん」


 ネギの口から、唐突に現れた目の前の存在への驚きが漏れると、その猿の口から人語が語られた。驚いてその口元を見れば、何と口中に人の顔があった。


 何ということはない、その異様な猿はただの着ぐるみであったのだ。そしてその口元から顔を覗かせる人物―――陰になっていて見かけの男女の区別はつかないが、紡がれた声は女のものであった―――こそ、ついさっき敵と認めた関西呪術協会の者、即ち術師なのだと、ネギは知る事となった。


 異様な頭部に目を奪われて上がっていた視線が口元まで下がった事で、着ぐるみの上半身までがネギの視界に入る。


 そこに、抱えられている見知った女性の姿があった。


「こ、このかさん!?」


 嵐山旅館に据え置かれている浴衣に身を包んだ木乃香は、意識を失っているのか猿の腕に全身を預けてぐったりとしていた。宵闇よりもなお黒い木乃香の美しい髪の毛が、サラサラと夜風にたなびいている。


「フフ、ほなさいなら」


「ま、待ちなさいおサルさん! ラス・テル―――!」


 猿の着ぐるみを羽織った術師が再び跳躍する。それを止めようとネギが詠唱を開始するが、それは術師が去り際に置いていった小猿の式神によって妨害された。五匹ほどの小猿がネギの体にへばりつき、執拗に詠唱の妨害をしていく。ネギを助けようとカモが必死にサルを追い払おうとするが、如何せん戦闘能力の無いカモでは小猿を追い払えず、術師の背中はあっという間に小さくなっていってしまった。


「ネギ先生!」


「ネギ!」


 魔法以外はただの子供であるネギが、小猿への対処に四苦八苦している時、木乃香をさらった術師を追いかけていた明日菜と刹那が駆けつけた。ネギに群がる小猿をあっさりと引っぺがすと、合流した三人と一匹はすぐさま術者を追いかけ始めた。


 街灯に照らされる、閑散とした夜の京都を、三つの人影が風を切って颯爽と駆けて行く。


 その途中、ネギがこの場にいないもう一人の防衛隊メンバーについて尋ねる。


「刹那さん、小次郎さんは!?」


「小次郎さんには、すでに私の式神を送ってこの事態を伝えています! 今も式神の案内で、私たちの後を追いかけてきています!」


「何で一緒に来なかったんですか!?」


「小次郎さんは私たちよりも足が遅いのです! 小次郎さんに合わせていては術者に逃げられます!」


 事実、魔力や気を使って身体能力を強化しているネギたちは、百メートル走の世界記録を余裕で塗り変えれるだけの速度で走っていた。無論小次郎とて、気を使えばそれくらいの速度で走る事は可能なのだが、そうしてしまえば小次郎の気の特性上、術者に追いつく頃には体力が空になってしまうのは目に見えている。


 しかしだからといって、敵の構成の全貌が明らかになっていない以上、小次郎を旅館に待機させるわけには行かないのだ。


 刹那がそうしなかった理由は二つある。


 一つは、単純に数で劣ってしまう事態を防ぐため。


 もう一つは、仮に近接戦闘に秀でた者が敵にいた場合、小次郎はそれに対して絶対の切り札になりえるためだ。


 刹那は、持ちえる戦力とそれぞれの特性、そして想定し得る敵の情報全てを考量した上で、最善の方法で術者の追走を行っているのだった。


 三人の視界に、前方を走る猿の着ぐるみの背中が映った。


「待てーっ!」


「このかを返しなさーい!」


「お嬢様!」


 声を出して己らの勢いを増す事で、三人の足が更に早まり、猿の背中との距離を詰めさせる。だがそれは、追われる術者にも同じであった。


「ちっ……しつこい人は嫌われますえ!」


 ここまできて捕まるものかと、術師も魔力と気力を高めて足を速めつつ、つっと視線を下ろして腕の中にある存在を見た。


 意識こそ失っているものの、定期的に上下している腹部が木乃香の無事を報せている。見た目はどこにでもいるただの女子中学生であるが、それがそうでないということを、術者は間近で感じ取っていた。


 ―――このままこのかお嬢様に戻ってきてもらえたら、関西呪術協会も……


 己が進めている計画が成った後の栄光を夢想して志気を更に高めた術者は、飛ぶようにアスファルトの上を駆けて目の前の駅に飛び込んだ。


「野郎、列車で逃げる気だ! 兄貴、姐さん、急げ!」


「分ってるわよ! っていうか何よ、あのデカイ猿の気ぐるみは!?」


「恐らく呪符使いの式神か何かです! 気ぐるみだからといって油断しないで下さい!」


 術者を見失わないよう、続けざま駅に飛び込んだ三人は、そのままの勢いで改札を飛び越えて駅のホームに飛び出した。人っ子一人いないホームに停車している列車の中に、術者が駆け込む姿が見えた。


 途端、ホームの中にけたたましいベルの音が鳴り響いた。


「ヤバイ、発車する!」


「おかしい、人が一人もいない……?」


「人払いの呪符ですネギ先生! 急いで!」


 視界の横を流れていく柱に貼り付けられている呪符を指差しながら、客はおろか駅員すらいない事に気づいたネギを刹那が急かす。ハッとして眼前を見れば、今にも列車のドアが閉まりかけている事にネギは気づいた。


「くっ―――!」


 閉まるドアの隙間に身を滑り込ませ、転がる勢いで車内に飛び込む。明日菜が間髪いれずにネギを引っ張り起こして、前方車両の方に逃げている術者を追い詰めていく。


 ドアが完全に閉まり、列車が発車する。これでこの列車には誰一人入ることは出来ず、誰も出ることはできない。


 確かに列車とは、上手く使えば優秀な逃走経路となる。何しろ一度動き出してしまえば止める事はまず不可能、途中から車内に入る事も相当に困難であるからだ。だが追っ手と一緒に乗り合わせてしまえば、列車は途端に袋小路と化してしまう。


 一見すれば、追っ手を巻き切れなかった術者の敗北のようにも映るだろう。


「―――フフ……。ほなそろそろ、二枚目のお札ちゃん、いきますえ」


 しかし、それを見越した罠くらい張れなければ、誘拐などと言う大胆極まる行動に出られるはずがない。


 次の車両に駆け込む間際、ひょっこりと現れた小猿の式神が一枚の呪符をネギ達に向かって放り投げた。それを確認した術者は、素早く車両間を繋ぐドアを閉め切り、


「お札さんお札さん―――ウチを逃がしておくれやす」


 途端、放られた呪符から、堰を切ったように洪水が迸り、ネギ達を飲み込んだ―――










 ……ネギたちに遅れること、およそ数分。人目につくことなく旅館を抜け出した私は、急ぎネギたちを追いかけ始めた。


「小次郎さん、急いでください! 術者に逃げられちゃいますよぉ!」


「分かっておるよ。ちびせつなこそ、案内しかと頼むぞ」


 私に木乃香殿誘拐の報を伝えにきた、刹那の式神―――ちびせつな、と言うらしいが、幼い刹那のような外見から小動物の如き愛らしさを放っておる―――が、私の前方を浮遊しながらそう急かしてくる。


 ネギたちの誤解を解いた後、しかと旅館内を見回っていたというに……不甲斐ない結果だらけで、このままでは学園長殿に顔向けできぬ。否、それを抜きにしても、木乃香殿は必ず奪い返さねばなるまい。


 戦闘を予想して着替えた、普段の着物と陣羽織を夜風にはためかせながら、ちびせつなの案内の下に夜の京都を駆けて行く。やはり気を使っておらぬ私と違い、気や魔力で身体を強化しておる皆の背中は、何時まで経っても見える兆しもない。


「―――むむっ! 小次郎さん、本体から通信です!」


 いくらか走っていると、唐突にちびせつながそう声を上げた。視線をちびせつなに向けることで、その続きを促す。


「逃走している従者は、駅に逃げ込んで列車に乗り込んだそうです! 私たちも同じ路線の電車に乗り込んで追いかけましょう!」


「承知した」


 気持ち駆ける足を速めて、少しでもネギたちに追いつけるよう、アスファルトを強く蹴った。


 駅が見えてきた。金を払っておる暇はないので、改札を飛び越えてホームに飛び出した。


「む、列車がないぞ」


「ちょっと待ってください―――あぁ!」


 人はおろか列車すらない、まるで廃棄されたような静けさを持つ駅の中で、何かを調べたちびせつなの絶叫が響き渡った。


「ど、どうしましょう小次郎さん!? もう終電が行っちゃったみたいですぅ!」


「何……!? クッ、気を使って駆けるべきであったか」


 恐らく、気を使っておらぬことで生まれたネギたちとの速度差が、最初は数分であった時間差を更に伸ばしてしまい、そのせいで間に合ったはずの終電を乗り逃してしまったのであろう。余りにも絶望的な状況に、一瞬目の前が暗くなった。


 何か他の移動手段はないかと、駅を飛び出して辺りを見渡したが、等間隔で据えられている街灯の灯りの下には、車も人も見つけることはできなかった。


「ど、どうするんですかぁ……?」


「―――致し方あるまい、最後の手段だ」


 縋りつくような不安げな声で問いかけてきたちびせつなに、溜息混じりにそんな言葉を返した。できればこの手段だけは使いたくなかったのであるが、これ以外に移動手段がないのだから、まこと、致し方ない。


「ちびせつなよ、刹那たちが向かった方向はどちらだ」


「えーと……向こう側ですぅ」


 私の問いかけに、ピッ、と一方向を指差すちびせつな。それに、そうか、と小さく返すと、私は目を閉じて深くゆっくりと深呼吸を始めた。


 焦らぬよう心身を落ち着けて、蛇口をゆっくり捻るような意識で気を解放していく。徐々に私の身の内から、火種を放り込んだような熱さと共に、そこから『力』が染み出てくるのを感じた。


 修学旅行当日まで、時間の許す限り刹那と別荘で修業した成果。多少集中に時間がかかるものの、私はついに気を操ることを可能とした。


「―――よし。ちびせつな、走るぞ」


「え? 走るって……は、走るんですか!?」


「それ以外に何があろう。そら、引き続き案内を頼むぞ」


 私の最後の手段に驚いておるちびせつなを気にかけず、先に示された方向に目掛けて私は駆け出した。ただし、少しでも体力の消費を抑えるために、走り方を少々変えていく。


 先程までのように、アスファルトを『蹴って』進むのではなく、重心を前にずらすことで倒れこむ体を『支える』ように足を差し出していく。これで無駄な体力の浪費を抑えることができ、長距離の走破を容易なものとしてくれるのだ。本来は山を効率的に登るための走法であるが、やり方を変えれば応用などいくらでも利く。


 問題があるとすれば、目的地に着くまで体力が持ってくれるかであるが……


 ―――否、必ず間に合わせる……!


 体力が持つか分からぬのなら、持つようにすればよい。


 いつもの自論で己を奮起させた私は、無心で夜の闇を駆け抜けて行った―――










 呪符から放たれた大量の水は、ネギ達がいた車両だけに飽き足らず、その後続車両全ての内部を溢れ返させ、ドアや窓の隙間から漏れた水は風圧に圧されて、幾筋も後方に流れていく。


 列車が辺りに水を撒き散らしながら走っていく様は、非常にシュールであると言ってもいいだろう。


 その中で、脱出の術を持たないネギ達は突然水中に囚われた事に慌てふためき、バタバタともがき苦しんでいた。


 ネギは術師を逃がさぬようにと必死に魔法を唱えようとするが、ただゴボゴボと意味の通じない音を生んでおり、明日菜は水の勢いで乱れてしまう浴衣を必死に押さえ、刹那は一人冷静に息を止めつつ、現状の打開策を必死に模索していた。


『……くっ、ダメだ。この水では剣を振れない……!』


 悔しいが、呪符より発生した水量から推し量れる術師の技量は相当に高く、自分が使える補助程度の術ではこの水を破る事はできない。頼みの綱である夕凪も、水の抵抗で満足に振る事ができず、正に八方塞であった。


『お嬢様……!』


 守るべき存在である木乃香と、それを攫った敵を目の前にして、何もできる事がない未熟な己を刹那は責めた。


 ―――助けて


 刹那の心が折れかけた時、どこからか聞きなれた声が響いた。その声は、他の何処でもなく、自分の中から響いていた。


 ―――助けて、せっちゃん……!


「―――!」


 ……それは遠い昔、自分がまだ剣を握る前の事。あの時も、自分に助けを求めた木乃香を助ける事はできなかった。だから自分は、木乃香を守る力を手に入れるために、剣を握ったのではなかったのか。そして、今がその時ではないのか。


 ならば、今この場に置いて、諦めるという選択肢があるはずもない―――!


 カッと目を見開き、夕凪を握る腕に集中して気を纏わせる。水の抵抗すら意に介さない意思と力をもって夕凪が振るわれ、その剣先から神鳴流奥義・斬空閃が放たれた。


 研ぎ澄まされた気の刃が水を切り裂いて奔る。それは、先頭車両に繋がるドアを吹き飛ばし、水中でもがくネギ達を悠然と眺めていた術者を、同じく水中に引きずり込む。


「ちょ、ま―――!」


 気を抜いていたところへの突然の洪水の襲来。思わず口をついた待て、という言葉ごと、術者は水に飲まれていった。


 刹那の奮闘によって術者を同じ状況に持ち込んだとはいえ、先に水に飲まれたのはネギ達であり、このまま行けば溺死もネギ達が先になってしまうが、折りよく列車は次の駅に到着し、開かれたドアから流れ出る水流に乗って、吐き出される様にホームへと転がり出た。


「はぁ、はぁ……し、死ぬかと思ったわ……」


「えほっ……だ、大丈夫ですが、ア゛ス゛―――げほっ、げほっ!」


 ホームに四肢をつきながら、荒く息をついて足りなかった酸素を補給しようとする明日菜に、ネギがむせ込みながらも身を案じようとしたが、そのせいで器官に水が入ってしまい、余計にむせ込みを酷くしていた。


「ケホッ―――み、見たかそこのデカザル女。これに懲りて、さっさとお嬢様を返すがいい」


「ハァ、ハァ……ふん、中々やりますな。けどこのかお嬢様は返しへんえ」


 刹那の降伏の要求を鼻で笑って突っぱねた術者は、小猿に抱えさせていた木乃香を再び自らの腕で抱え上げると、ネギ達を置いて駅の出口へ駆け出した。相当に着ぐるみが水を吸っているであろうに、それを感じさせないほどの軽やかさと速度でネギ達から遠ざかっていく。


 遅れて術者を追いかけるネギ達だが、先の会話で何かに気づいたのか、明日菜が刹那に問うた。


「さ、桜咲さん? さっきあの術者、このかを返さないって言ってたわよね! 何であいつは、このか一人をあんなに攫おうとしてるのよ!?」


 仮に術者が不特定多数の誰かを攫おうとしているのなら、人質だとかそういった言葉を使うはずだ。しかし、先に術者が口にしたのは一個人を特定する名前であり、そこには他の誰でもなく、木乃香を攫おうとしている意図を見ることができた。


「じ、実は以前から、このかお嬢様を東の麻帆良学園にやってしまった事を快く思わぬ輩がいまして、あの術者もその一人だと思われます。ですが、ここまでの強行で攫おうとする以上、何らかの目的が―――くっ、ここにも人払いの呪符が! やはり初めから計画的な犯行か、私がついていながら!」


 刹那という神鳴流の守り手が木乃香についている以上、木乃香は西において相応の位置にいる事が推測できる。そんな人物が、敵対関係にある東、しかもその中心とでも言える麻帆良学園にいるとあっては、そのことを非難する者が現れるのは当然と言えよう。


 そういった諸々の事情を話すことなく、明日菜の問いに答えた刹那だったが、その途中で先程の駅と同じく人払いの呪符が貼り付けられた柱を見つけ、この『木乃香誘拐事件』が予め計画されているものだと知る。


 関西呪術協会は裏の仕事も請け負う組織であり、そこには当然多くの人が所属している。ならば、東から木乃香を取り戻そうという一念で、こういった強行に出る者がいても不思議ではない。その呪術協会に詳しい自分が、この強行を予想できなかった甘さを刹那は叱咤しつつ、だからこそ自分が木乃香を取り戻すのだと奮起し、大きな跳躍で改札を飛び越えた。


 駅の外―――もっともこの駅は、ショッピングモールも兼ねているビル型の駅であり、ビルの外には出ていない―――へ出ると、巨大な階段がネギ達の前にそびえ立っていた。幅もかなりの長さがあり、段数に至っては百を軽く超えるほどである。


「フフ……よぉここまで追って来れましたな。そやけどそれもここまでですえ」


 猿の着ぐるみを脱いだ術者がネギ達を待ち構えていたのは、その階段の丁度中腹辺りであった。


 術者―――腰まで届く長い黒髪の、年の頃二十半ばといった女性である―――の服装は、半そでのワイシャツに名札のついたエプロンという、どこかの制服のような格好であった。下にはミニスカートを履いているが、股下まで伸びているエプロンとニーソックスによって、肌の露出は控えめである。そして着ぐるみに空いている口の穴から水が浸入したのだろう、術者の服もネギ達と同じく水浸しであり、ピッタリと張り付いた服が、ふくよかな胸やくびれた腰といった、術者の女性としてのラインを浮き彫りにしていた。


 わざわざネギ達の到着を待っていたという事は、何らかの策があるのだろう。丸眼鏡の向こうに見える、切れ長の三白眼には明らかに自信の色が窺えた。


「おのれっ、させるか!」


 それをいち早く感じ取った刹那が、居合いの構えで術者へと詰め寄る。気を用いた、疾風もかくやという踏み込みであったが、術者の策を止めるには一歩及ばなかった。


「ウチのとっときや、遠慮なく受けとり―――お札さんお札さん、ウチを逃がしておくれやす」


 言霊と共に術者が、右手に隠していた呪符を向かってくる刹那に向けて放った。そして、


「―――三枚符術、京都大文字焼き!」


 弾ける爆音。呪符を基点として発生した炎は、術者が叫んだとおり『大』の字を模ってうねり狂う。その規模は階段の端から端までに及び、肌を叩く熱風はそれだけでやけどを負いそうなほどに強烈であった。


「うあっ……!」


「桜咲さんっ!」


 眼前で発生した炎のまぶしさと、肌を焼く熱波に圧されて、刹那が思わず顔を腕で覆う。そのせいで踏み込みの勢いを殺すタイミングが遅れてしまったが、咄嗟に前に出た明日菜が刹那の首根っこを引っ張り、炎に突っ込みかけていた刹那を救った。


「ホホホ、その炎は並の術者では超えられまへんえ。ほなさいなら」


 自分の術が成った事を確認した術者は、余裕の混じった目でネギ達を見下ろした後、その場を立ち去ろうとした。


「―――ラス・テル・マ・スキル・マギステル。吹け、一陣の風フレット・ウヌス・ウェンテ!」


 その足を止めたのは、朗々と響き渡った呪文の詠唱であった。


風花フランス風塵乱舞サルタティオ・プルウェレア!」


 ネギの魔法に従い、強烈な風が辺りを走り抜ける。本来、風は炎の勢いを増してしまうのだが、それも度が過ぎれば話は別。膨大な魔力を持つネギの、最も得意とする属性である風の魔法は、術者自慢の炎を一瞬にして吹き飛ばしていた。


「な、何や……!?」


「逃がしませんよ! このかさんは僕の生徒で、大事な友達です!」


「あんたらの事情なんて知らないけどね、このかは絶対に渡さないわよ!」


 突然の事態に驚いている術者をよそに、ネギと明日菜が吠えた。


 術者を睨むネギの目には一片の怯えもなく、仮契約カードを携えて立つ姿には、一人の魔法使いとしての覚悟が僅かにだが感じられた。エヴァンジェリンとの戦いが、やはりネギに大きな影響を与えたのだろう。


 それは明日菜にも同様であり、緊張の少ない立ち方からは、戦士としての成長を見て取ることができるだろう。


「ネギ先生、神楽坂さん……」


 丁度、膝を突いている自分を守るように立っている二人の背中を見て、刹那は無意識に認識を改めていた。


 新幹線から始まった西の嫌がらせ。それへのネギの不甲斐ない対応を見て、内心刹那はネギに戦力外というレッテルを貼っていた。


 だが、術者の炎を吹き飛ばしたネギは、戦力外などとんでもない。気づけば、二人を見上げる刹那の目は、頼もしい仲間を見るようなものへと変わっていた。


契約執行シス・メア・パルス180秒間ペル・ケントゥム・オクトーギンタ・セクンダース! ネギの従者ミニストラ・ネギィ神楽坂明日菜カグラザカ・アスナ』!」


「桜咲さん、行くよっ!」


「え……あ、はい!」


 ネギの契約執行と明日菜の呼びかけを皮切りに、三人が術者に向かって走り出した。


 目的はただ一つ、木乃香を取り戻すために。





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