清水寺。京都を代表する歴史的建造物として、今や国内外を問わず名が知れ渡っている、世界遺産にも登録されている寺院だ。


 その始まりについては諸説あるが、弘仁こうにん元年(810年)、当時の天皇である嵯峨さが天皇の勅許ちょっきょを得て公認の寺院となった事は史実とされている。


 また清水寺とは、佐賀県大津市にある石山寺、奈良県桜井市にある長谷寺と並び、日本有数の観音霊場でもある。更に平安京遷都以前からあるという、非常に長い歴史も持ち、季節を問わず多くの参拝客・観光客で賑わっている。


 現に今も、『清水の舞台から飛び降りる気持ちで』という言葉で有名な本堂―――清水の舞台には、多くの者が訪れていた。その中に、麻帆良女子中等部の生徒たちの姿も見受けられた。


「京都ぉーー!」


「これが噂の飛び降りる……アレ!」


「誰か飛び降りれっ!」


「では拙者が」


「おやめなさい!」


 中でも、常のテンションを倍加させた状態にある3−Aの生徒たちは、実に姦しかった。その勢いは、本当に今にも清水の舞台から飛び降りそうなほどである。いつも彼女たちのストッパーを勤めている、委員長こと雪広 あやかの苦労が知れる瞬間だった。


「この清水寺の本堂は本来、本尊の観音様に能や踊りを楽しんでもらうための装置であり、国宝に指定されています。有名な『清水の舞台から飛び降りたつもりで』の言葉通り、江戸時代―――正確には1694年から1864年の間で、実際に234件の飛び降り事件が記録されています。その生存率は85.4%と意外に高いのですが、死者が出ている事に変わりはなく、1872年に当時の政府が禁止令を発布、柵を張るなどの対策を施したそうです。更に……」


「うわっ、変な人がいるよ!?」


「夕映は神社仏閣仏像マニアだからねー」


 騒がしくしている3−Aの面々を尻目に、夕映が自慢のうんちくを披露する。語る表情は普段の無表情に近いものだが、どこか生き生きとして見えた。裕奈はその意外な趣味に驚いていたが、外国人であるネギと超は顎に手を当てて、時折頷きながら興味深げに耳を傾けていた。


 夕映の話が終わると、ネギは柵まで駆け寄り、少し身を乗り出してそこから見える景色を眺めた。


「うわー、京の街が一望ですねー」


 清水寺の周囲に生い茂っている緑の数々の向こう側に、京都の街並みが全て見渡せる。その向こうには同じく緑に包まれた山々も連なり、抜けるような青空と囀る鳥の声、サワサワと風が木を揺らす音が、より一層の趣を添えていた。


「そうそう、ここから先に進むと恋占いで女性に大人気の、地主神社があるです」


 ネギから少し離れた位置の柵に頬擦りをしていた夕映が、思い出したようにそんな事を付け足した。


 夕映としては、説明し忘れた事柄を何とはなしに口にしただけだったのだが、恋占いというフレーズが、一部の3−A生徒に衝撃を走らせた。


「ではネギ先生、一緒にその恋占いなど」


「あ、ネギ君! 私も私もー!」


「あ……わ、私もー……」


「は、はあ……」


 言わずもがな、ネギに好意を抱いている面々である。その筆頭であるあやかを初め、まき絵にのどかなど、我先にと手が上がる。


「ちなみに、そこの石段を下ると有名な音羽の滝に出ます。あの三筋の水は、飲むとそれぞれ健康・学業・縁結びが成就するとか」


 そんな状態にも関わらず、夕映は知ってか知らずか―――あるいは意図してなのか―――恋占い以上の衝撃を与えるフレーズを口にした。


「縁結び!? それだ! ホラ、行こ行こネギ君ー!」


 真っ先に反応したのはまき絵であった。他のライバルを、あやかすら差し置いて、強引にネギの背中を押して音羽の滝に向かおうとする。何故かその周りには鳴滝姉妹もおり、まき絵がネギを押す手助けをしていた。悪戯好きなこの姉妹の事であるから、ただ『面白そうだから』という理由なのかもしれないが。


「あ、コラまき絵さ……そこの人達! 抜け駆―――いえ、団体行動を!」


 その団体行動を真っ先に乱そうとしていたにも関わらず、あやかはまき絵の行いを咎めながら、慌ててネギの後を追いかけた。


 相変わらず騒々しさに包まれている、ネギを取り巻く3−A生徒のやり取り。静観者に徹している他の3−Aの面々は、苦笑いを浮かべながら、団体行動を乱さないためにネギに続いていった。


 本堂を離れ、変わらず喧騒を引き連れながら、3−Aの生徒たちが石畳を歩いていく。目的の場所に近づくに連れて待ちきれなくなったのか、一番にネギの背を押したまき絵はそのネギを追い越し、逆にはやくはやく、とネギを手招きして急かす。鳴滝姉妹や裕奈といった、3−Aの騒動の中心と言える者に至っては、きゃあきゃあと黄色い声を上げながら駆け出していた。


「あんまり走っちゃダメですよー」


 生徒たちの行動に対すれば、緩いと取られかねない注意を促したネギは、少し足を止めて、辺りの風景にゆっくりと目をやった。


「……いい所だねぇ、カモ君」


「おう、さすがは京都だな」


 ネギの傍らを柔らかい風が駆け抜ける。頭上を覆う木々の葉の間から木漏れ日が降り注ぎ、石畳の上にユラユラと揺れる斑模様を作り出している。先ほど、清水寺の本堂で耳にした木の葉の擦れる音が、今度は自分を包むように穏やかに鳴っていた。


「風景もそうだけど、木で造った古い建物っていうのが凄くいいって言うか……」


「……結構ジジィ趣味だよな、兄貴。いいけどよ。
 だが兄貴、警戒を怠るんじゃねーぞ。ここはもう敵の本拠地なんだし、小次郎と刹那って奴がスパイかもって件もあるしな」


「そ、そうだったね、うん」


 京都の情緒溢れる景色に心を緩めていたネギを、カモの一言が引き締めた。


 新幹線の中で、生徒たちの悲鳴が響いた理由―――蛙百八匹大量発生が起きたときの事だ。突然の意味不明な出来事に慌てながらも、全ての蛙を回収し終わったネギは、一つの事に気づいた。


 蛙から微かに、魔法の力を感じたのだ。


 親書を預かっているネギは、これを仕掛けたのは西の者である可能性が高いという可能性を考え付いた。肩に乗っていたカモも、それに賛同していた。更にカモは、この騒ぎに乗じて何かを狙っているのかも、と考えられる騒動の理由を口にした。


 もしそれが真実であるならば、狙いは親書しかない。そう考えたネギは、急いで背広を探って親書が無事かを確認した。幸い、無事に見つかったのだが、不用意にポケットから取り出した瞬間を狙い、燕の式神が通り過ぎ様に親書を掻っ攫っていった。


 慌てて燕を追いかけるネギだったが、速度は明らかに燕の方が上だった。予備の杖を取り出し、魔法で捕まえようとしたが、その動作に意識を裂いてしまったがゆえに、反応が遅れて車内販売のカートと衝突してしまう。


 そして、一通り謝った後、見失った燕を再び追いかけると、親書を手にした小次郎と刹那がいたのだ。二人の足元には、二つに切れた鳥の形をした紙が落ちていた。


 小次郎は直ぐに親書を返し、その場を後にしたが、ネギとカモの胸中には今でも疑心が渦巻いている。


 かねてより正体があやふやな小次郎が、式神の残骸が落ちている場所で親書を手にしていたのだ。ネギが小次郎を疑うには十分な理由だった。同じ場所にいた刹那に対しても、それは同様だ。


 決め付ける訳ではないが、あの二人は疑ってかかる必要がある―――ネギとカモの意見は、その形で一致した。


「次はちゃんとするよ、カモ君」


「おう、その意気だぜ兄貴」


「ネギくーん! 何してるの、こっちこっちーー!」


 先に石段を登り、地主神社に着いていたまき絵が、声を張り上げてネギを呼ぶ。


 ネギもまた、まき絵に負けないくらいの声で返事をして、石段に足をかけるのだった。










「ここからは自由行動だ。各々、好きなように散策するがよい。ただし、煩くしたり走り回ったりせぬようにな。そうした者は、強制的に出発時刻まで“ばす”に放り込むぞ」


「小次郎先生ー、いつもの笑顔で怖いこと言わないで下さーい」


「別段怖くもなかろう、其方らが慎みをもって行動すれば、起きえぬこと故。
 そら、時間は少なくないが、多くもない。早く行くがいい」


 私の言葉を受けて、はーい、と元気よく返事をした3−Sの生徒たち―――私がこの修学旅行の間だけ受け持つことになったクラスだ―――が、それぞれ気の向く方向に足を向け始めた。一人の者も組になった者たちも、初めに口にした私の忠告を覚えていてほしいものだ。


 生徒たちが散っていくのを見届けていると、一組の女子らがこちらに近づいてきた。


「小次郎先生、もし良かったら、私たちと一緒に見て回りませんか?」


「ほう。何とも嬉しい誘いではあるが……済まぬが、私は一人で見て回りたいのだ。京都に来たのは些か久しぶりでな、少し昔を懐かしみたい」


「あ、そうなんですか……分りました、ごゆっくり」


 それじゃあ、と頭を下げて、私を誘いに来てくれた女子らが去っていく。手を振ってその者らを見送ると、私もこの場を動き出した。


 新幹線の中にいるときから楽しみにしていた、清水寺の見学を前にして、歩む足の速度は、明らかに普段よりも速かった。やはり、私が生きていた時代の面影を見ることのできる地に訪れたせいで、思った以上に気が逸っているのだろう。


 とはいえ、私にこの気持ちを抑える気などさらさらなく、あっという間に来た道を戻っていた。


 まず最初に足を止めたのは、やはり清水寺だ。


 本堂に立ち、かつてはなかった手すりに手をかけて、景色を見下ろす。街並みなどに多少の違いはあれど、そこに私の時代の風景を幻視することができた。


 ……京都に初めて来たのは、確か、元服してから三年ほど経った頃だったな。


 ふと、懐かしい地にいるせいか、生きていた頃を思い出した。その頃はまだ、青江が肩に重く圧し掛かっていたので、よく記憶に残っている。噂に名高い京の都を前に、随分とはしゃいだ覚えがあった。清水寺にも立ち寄って、今と同じように、本堂から望める景色をいつまでも眺めていたものだ。


『あぁ、本当に懐かしい……』


 ここにいると、久しく思い返すことのなかった私の最初の人生が、鮮明に思い返される。格好こそスーツと言う現代の格好であるが、私は一瞬、この身があの頃に還った気がした。


 だが、今はそれよりも、私の記憶にある清水寺とどれほど違いがあるのかが楽しみで、過去を振り返るのもそこそこに、本堂を離れた。


 そのまま来た道を戻っていき、鐘楼や三重塔、仁王門をじっくりと拝見した。三重塔は、私の記憶よりも新しくなっておるので、私の死後、再建されたのであろう。だが鐘楼と、仁王門の左右を守護している金剛力士像は逆に、記憶よりも色あせて見えた。


 私にはそれが、長く顔を合わせることのなかった友人との再会のように嬉しかった。故につい、金剛力士像に対し心中で『久しいな』と呟いてしまった。心なしか、二つの像も笑ったように見えて、自然と私の顔にも笑みが浮かんだ。


 力士像に別れの挨拶を済ますと、今度は音羽の滝を見ようと、今来た道をまた戻った。途中、再度本堂にて立ち止まり、手すりの向こうに広がる景色を心に納めておいた。


『……楽しい』


 今の私の心を表すならば、この一言に尽きるだろう。楽しくて楽しくて仕方がない。目新しさと懐かしさを含んだこの地は、今までにない新鮮な感覚を私に与えてくれる。その想いに突き動かされるように、私の足は更に速まっていった。


 本堂の東側にある石段を下りると、音羽の滝が見えてきた。三本の筧から水が流れ落ちる姿は、やはりあの頃と変わりない。


 音羽の滝の水は『金色水』や『延命水』と呼ばれる、心身を清める水であるらしい。その昔、清水寺の住職殿から話を窺った際にそう説明されたのを覚えている。音羽の滝が三筋であるのは『行動・言葉・心の三業の清浄』を表すからだそうであり、この滝自体も千手観音とは別に神聖な対象として信仰されているようだ。


 また、清水寺が奉る千手観音は祈願成就の御仏であるので、その地から湧く音羽の滝の水は、あらゆる願いを叶える水と信じられているらしい……のだが、先の案内人の説明では、向かって右から「縁結び・勉学・健康」にご利益があると説明を受けた。時代の流れと共に、信仰も形を変えたのであろうか。


 何はともあれ、ここは一つ健康でも願っておこう―――そう思い、柄杓を持って並んでおる者らの列に加わり、水を一杯口にした。


「……ん?」


 その後、次は地主神社に向かおうと思った時、ふと足を止めた。気のせいか、音羽の滝から香るはずのない香りが立ち上っている気がしたのだ。真偽を確認しようと、三筋の水が溜まっている池に鼻を近づけて嗅いでみる。


「……酒の匂い?」


 やはり、間違いはなかったようだ。どうしてか分らぬが、音羽の滝から酒の香りが漂っておる。誰かの悪戯であろうか。何とも無粋な真似をする者もいたものだ。


「あの……小次郎さん、少しいいですか」


 真剣な表情の刹那が、私を呼び止めたのは、その時だった。


 手についた土を払いながら立ち上がり、刹那の方を向いた。


「どうかしたのか、刹那」


「その、また関西からの妨害が―――」


「何、まことか?」


 口にされた言葉を聞いて、浮かれていた心を一気に引き締める。新幹線内でも生徒たちを襲われていながら何と言う体たらくかと、内心で己を罵った。


「場所はどこだ、状況は」


「被害があったのは、ちょうどこの音羽の滝です。状況は……じかに見ていただくのが早いかと。こっちです」


 よく見れば、刹那の表情は真剣ではあるが、どこか呆れのようなものが混じっているように見えたが、生徒たちの安否を確認するのが先なので、気にせず刹那の案内に従って足を進めた。


 着いた場所は、暖簾に“あま酒”とかかっている露店であった。本来なら、露店特有の風情を楽しむ客で溢れておるであろうそこに、3−Aの生徒らはおった。


 しかし……、


「ふぁー……ひっく」


「あははー、世界が回ってるですー」


「うぃー―――あー、ネギ君が分身してるー」


 何故か、一部の者が酔っ払っておった。一見した限り、十名ほどが地べたに座り込み、椅子にだらしなく背を預けている。酔っ払っておらぬ他の3−A生徒が、必死にその介抱をしていた。


「……まさか、あの酒の匂いは」


「はい、筧の部分に酒樽がおいてありまして……それを飲んだ方々が、この有様です」


「―――思うのだが、関西呪術教会は何をもって、『妨害』の基準を設けておるのであろうか」


「分りませんが……どういう経緯であれ、この飲酒沙汰が他の先生に知れれば修学旅行は中止になるかと」


 なるほど……新書を奪えないのであれば、持ち主ごと返してしまえばいい、そういうことか。何とも無粋な策だ。


「あ、こ、小次郎先生!? あの、これは、そのー!」


「つ、疲れて寝ちゃったみたいで! その、何もないんです、本当に!」


 こちらに気づいたネギと神楽坂殿が目の前まで駆けてくると、大慌てで私に言い訳をし始めた。気持ちは分るが、隠し事をしておるのがバレバレであった。


「大丈夫だ、事情は刹那から聞いておる。他の先生に見つからぬ内に、早くバスに放り込んでやるとしよう。刹那、手伝ってくれ」


「はい、小次郎さん」


「え……あ、はい。あ、ありがとうございます」


 私の言葉が意外だったのか、ネギはやや呆然としながら礼の言葉を返してきた。


 数名の生徒の力も借りて、あっという間にバスに酔った生徒たちを詰め込むことに成功した。幸い他の先生には見つからなかったが、数名が疲れて寝ておるのでそっとしておいてくれ、くらいは言っておくとしよう。












 後書き


 最近、執筆の不調が続いている。逢千です。


 何と言うか、淡々とした文章しか書けなくなっている。いかん、いかんぞ俺。もっとはじける若さを出さないと……!(何か違う


 冒頭の清水寺の説明については、ウィキペディアを参照しました。便利ですよね、ウィキペディア。ちょっとしたことでも詳しいことが分ってしまう。音羽の滝については、ウィキペディアだけでなく色々な記事を調べてたらこうなりました。縁結び・学業・健康って、観光用のふれこみだったんですね、初めて知りました。


 小次郎、懐かしき京の地に来てはしゃぎ始める。気持ちは分るけど、本当に子供のような大人だ。考えて書いたのは私ですがw


 皆さんの小次郎像と齟齬がなければ大変嬉しいです。是非お友達になりましょう。


 小次郎だけでなく、ちゃんとネギま側のキャラも活躍させたいと願う、力不足な逢千でした。


 では。



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