日曜の朝、いつもどおりの時間に、寮から小次郎さんの家までの道のりを歩いて行く。格好こそいつもの制服だが、小次郎さんの家に向かう時は必ず持っている夕凪を収めた竹刀袋と、タオルや着替えを入れたバッグが、今日は肩にかかっていなかった。その理由は、昨日のエヴァンジェリンさんの別荘からの帰り道―――斬空閃を教えるために毎日つき合わされている―――にあった。


 剣や気について話しながら夜道を歩き、寮と小次郎さんの自宅への分かれ道に差しかかった時の事だ。


「明日は、少し野暮用がある故、麻帆良の外に出向いてみようと思うのだが、その道案内を頼めぬか?」


 急に、そんな意外な頼みごとをされた。


 小次郎さんは、私がそういう場所にあまり行かない事を知っているはずだ。だというのに、何故わざわざ私に頼むのだろう。それ以前に小次郎さんは、茶々丸さんや近衛さんといった、そういう話題では私よりもずっと適任な人と交友があるのだから、そちらに頼んだ方がいいのに、と思った。


 これも聞いてみると、


「私もそう思って、二人に頼んだのだがな……どうも明日は日が悪いらしく、どちらからも断られたのだ。道案内と言っても、電車の乗り方を教えるだとか、その程度で構わぬ。飯や甘味を奢る故、頼まれてくれぬか?」


 どうも、既にそれは試みていたらしい。エヴァンジェリンさんが残っているが、彼女はそもそも麻帆良から離れられないので、巡り巡って私にたどり着いたのだろう。


 ……小次郎さんが麻帆良に住み着いてから二月ほど経ち、色々な現世の常識などにも慣れてきているのだが、やはり不慣れな物の方がまだ多いようだ。電車もその一つだ。携帯電話も、通話の受け答えしかできていない。


 そんな小次郎さんを一人で麻帆良の外に出してしまえば、帰ってこれるかどうか以前にたどり着けるかどうかも分らない。しかも、私が了承しなければ一人でも行くという。


 不安に駆られた私は、修学旅行の準備も既に終わっていたので、道案内の役を引き受けたのだ。


 そういった経緯で、いつもより軽い肩に違和感を覚えながら、私は小次郎さんの家に到着した。


「ごめんください」


 玄関の前に立ち、チャイムを鳴らした。しばらくして、小次郎さんの気配が近付き、扉が開けられた。


「来たか、刹那」


「おはよ―――」


 おはようございます、という朝の挨拶は、目の前の意外にも程がある光景のせいで、途中半端に途切れてしまった。あまつさえ、口が『よ』の形のまま固まってしまったので、かなり恥ずかしい姿をさらしてしまった。


 その原因は紛うことなく、小次郎さん―――正確には、その服装にあった。


 下にはいつもの袴ではなく、紺のスラックスをはいており、ベルトもしっかりと巻かれている。上は、常の着物の代わりに黒のV字ネックシャツを着ていて、その上からは普段の陣羽織の代わりか、白のジャケットシャツを羽織っていた。扉を開けている左手の腕には、鈍い光沢を放つ銀色の時計まで見えた。


 あの小次郎さんが洋服を……!?


 その事実に思考が追いつかない私は、ただ呆然と小次郎さんの洋服姿を眺めていた。


「……刹那?」


「!? は、はい。し、失礼しました」


 怪訝そうな声をかけられて、ようやく私は、男性の姿をマジマジと見つめている自分に気づいた。慌てて謝りつつ、はしたない行動に恥じ入って赤くなった顔を隠すために頭を下げた。


 とりあえず、玄関先で話もなんだろうと、小次郎さんが居間に私を通してくれた。その途中、縁側を歩いていると、中庭で駆け回っていた愛花ちゃんが近づいて来て、私の足に軽くほお擦りをしてきた。愛花ちゃんはわりと人見知りが激しいらしく、小次郎さんと茶々丸さん以外には中々寄り付かないらしい。けど不思議な事に、私にはそれなりに懐いてくれているようだ。二人ほどではないにしろ、とりあえず、避けられてはいない。


「おはようございます、愛花ちゃん」


「にゃあ」


 しゃがんで頭を撫でてあげると、一鳴きして手に頭を擦り付けてきた。だがそれも数秒のことで、スルッと私の手から抜け出ると、タッと走り出して居間の方に消えていった。気づけば小次郎さんの姿もなかった。愛花ちゃんの相手をしている間に先に行ったようだ。


 居間に入ると、小次郎さんが愛花ちゃんの足の裏を拭いていた。「勝手に上がりおって、仕方のない」と言いつつも、その顔は微笑んでいて、愛花ちゃんもそれを理解しているのか、自分の足を拭いているタオルにじゃれ付いている。


 足を拭き終えた愛花ちゃんを肩に乗せながら、今茶を淹れる、と言い残して小次郎さんが台所に立った。


 その姿は、本当にどこにでもいそうな、休日の成人男性の姿だった。改めて、小次郎さんはこの現世に馴染んでいるのだなと、実感した。


「できたぞ、刹那」


「ありがとうございます」


 座布団の上に正座をして待つこと数分、小次郎さんが淹れてくれたお茶がテーブルに置かれた。一口飲んでみると、以前飲んだものよりも味が上がっていた。これは茶葉の違いではなく、純粋に小次郎さんのお茶を淹れる技術が上がったのだろう。いつだったか、茶々丸さんからお茶の淹れ方を教わっているのを、見た事があるからだ。


 小次郎さんは、一緒に自分の分も淹れたのか、私の正面に座って茶を啜っていた。これ幸いと、先ほどから聞きたかった事柄を口にした。


「小次郎さん。その洋服はどうしたのですか?」


「うむ、これか。先日話していたスーツを仕立てに行った際にな、茶々丸が選んでくれたのだ。まぁ、大半はエヴァが私を着せ替え人形にしておったが……おかげで、私の箪笥にも現代の服がいくらか増えたよ」


 苦笑い気味にそう言った小次郎さんの言葉で、その日何があったのかは大体察する事ができたので、そこから先を追及するのは躊躇っておいた。


 と、小次郎さんは顎に手を当て、ふむ、と呟いて何かを思案し始めた。どうしたのだろうと思っていると、おもむろに、


「刹那よ。この洋服、私に似合っておるか?」


「え? あ、はぁ……その、似合っているかと。私はそういうファッションには疎いので、あまり断言はできませんが……」


 いや、実際のところ、間違いなく似合っているだろう。そもそも小次郎さんは元が良いんだから、大抵の服や着る人を選ぶ服であろうとも、問題なく着こなせるはずだ。ただ、普段の格好を見慣れている私としては、洋服姿の小次郎さんからどうしても違和感を感じてしまう。


 私の曖昧な評価でもとりあえずの満足はしたのか、満更でもない顔で、そうか、と口にしながら小次郎さんは頷いていた。その揺れを受けて、肩に乗っていた愛花ちゃんはスルリと膝の上に降りた。


「おっと、もうこんな時間か。そろそろ行くとしよう、刹那」


 ふっと時計を見た小次郎さんは、そう切り出しながら湯飲みを一気に空にしてから立ち上がった。どうやら八時半を過ぎたようだ。


 愛花ちゃんはその気配を事前に察知したのか、立ち上がる動作に合わせてピョンと膝から飛びのいた。十分に甘えて満足したのだろう、今までのじゃれつき具合が嘘みたいにあっさりと、玄関に向かう小次郎さんを見送っていた。行ってきますね、と愛花ちゃんに言い残し、私も居間を後にした。


 玄関に着くと、小次郎さんは既に玄関の外で待っていた。靴を履くためにしゃがんだ時に、小次郎さんの足元が目に入ったが、やはりと言うか何と言うか、草鞋ではなく靴を履いていた。


 流石の小次郎さんも、麻帆良郊外にまで青江を持ち出そうとは考えなかったようで、背中にはいつもの竹刀袋がかかっていなかった。しかし、私はそれにも違和感を感じてしまった。


『……そういえば』


 特に会話もなく小次郎さんと並んで駅に向かっている途中、ふとある疑問が浮かんだ。


 なぜ小次郎さんは、他ならぬ今日に出かけると言い出したのだろう。


 引率の先生の仕事を任された今、修学旅行を明後日に控えている今日は、そちらの準備の方が忙しいのではないか。もしや野暮用とは、そのためのものなのかとも考えたが、それなら麻帆良内にある店で事足りるはずだ。わざわざ麻帆良の外に出向く理由は見当たらない。


 それに小次郎さんは、自分一人でも行くと強行の姿勢を見せてきた。電車に乗れない事を自覚しているだけに、どうもそこが妙に思える。野暮用とはそれほどのものなのだろうかと、小次郎さんの背中をぼうっと眺めながらしばし思案してみたが、結局見つからず首を傾げるに終わった。


『……野暮用が何のか、今聞くのが手っ取り早いか』


 そう考えて、小次郎さんを呼び止めるために口を開こうとした、その時だった。


「ぬっ」


 急に小次郎さんが横に飛びのき、電柱の影に身を潜めた。途端、小次郎さんの気配が希薄になっていく。


「ど、どうしたんですか、小次郎さん」


 何か事件でも目撃したのかと、半ば反射的に小次郎さんの後に続き身を隠して、神経を研ぎ澄ます。


「うむ、あれを見よ」


 小声でそう言いながら、目線で電柱の向こうを指した小次郎さんに従い、そっとそちらを覗いてみた。すると、


「―――あれは、ネギ先生と……お嬢様?」


 ベルトの付いた帽子を被り、肩にバッグをかけているお嬢様と、スーツから私服に着替えているネギ先生の姿が、私の視界に映っていた。あの二人がどうかしたのだろうか。


「実はな、今日はあの二人を尾行しようと思うのだ」


「……は?」


 全く持って予想外の言葉が、小次郎さんの口から飛び出した。開いた口が塞がらない私を差し置いて、その理由が語られていく。


「ネギが麻帆良に着任してより数ヶ月が経ったが、どうにもネギの周りには騒動が溢れておる。図書館島然り、エヴァ然り……。


 今日は、神楽坂殿の誕生日の贈り物を探しに行くそうなのだが、此度もまたそういう事態に陥ってしまうのではないかと、心配でならぬのよ。木乃香殿もおるしな」


「―――ま、まさか、野暮用とは……」


「うむ、これだ」


 ……なるほど。確かにそれなら、今日でなければならない理由も、強行しようとした事にも理解は及ぶ。実際、ネギ先生にトラブルが付きまとっているのも事実だ、小次郎さんの言い分も否定は出来ない。


 ―――だが、


「それが目的なら、最初からそうだと言ってくださいよ!」


 納得できるかと言われれば、それは勿論否だ。野暮用がある、とだけ言われて来てみれば、その用事が尾行だなんて。一応二人に気づかれない程度の音量で、小次郎さんに抗議の言葉をぶつけたのも、無理ないだろう。


「いやいや、刹那の性格を考えるに、予め『今日は尾行をする』などと話してしまえば、断られてしまいそうだったのでな。悪いとは思うたのだが、伏せさせてもらった」


「ぐぅ……」


 正に暖簾に腕押し、糠に釘。小次郎さんに何とやら、だ。否定できない辺りがなおさら質が悪い。恐らく、私の抗議の言葉も、ある程度は予測していたのだろう。


「……っと、そろそろ尾けねば見失ってしまうな。行くぞ刹那、気取られるでないぞ」


 話している内に小さくなってしまったお嬢様とネギ先生の背中を追って、小次郎さんが素早く移動を始めた。普通に歩いているように見えるが、上手く足音も殺されていて、気配も何気なく周囲に溶け込んでいる。


「……って、小次郎さん―――もうっ!」


 結局、私に残された選択肢は、隠形の符を使い、小次郎さんの後について行く事しかなかった。










「ち、ちょっと……あれ、ネギ君とこのかじゃない、桜子、円」


「え、なに美砂―――あ、ホントだ。こんなところでなにやってるんだろ」


「それは気になるけど……とりあえずあんたたち、別のところに隠れなさいよ」


 昼下がりの原宿。身を隠すためとはいえ、わざわざ新聞を立ち読みしているサラリーマン風の男性の後ろに身を潜めている友人二人に、呆れながら忠告した。スイマセンでしたと謝りながらそこを離れ、改めて大きめのマスコットの裏に隠れて、美砂が口にした二人の人物を視界に納める。


 私服姿のこのかとネギ君が、楽しそうに話しながら洋服を選んでいる。そしてこのかは、手に取った一着の服を両手に広げ、ネギ君に似合うかどうかを聞いていた。


「なな、コレなんかどやろ、ネギくん。ほれ」


「あ、いいですねー。よく似合いますよ、このかさん」


「あんもー、ちゃうてネギくんったらー」


 ネギ君が似合うと褒めた途端、このかの顔が楽しそうに綻んだ。その光景は、仲のいい姉弟と見えなくもないけど―――


「こ、これって……」


「まさか……」


「―――デート?」


 美砂と桜子も同じ事を思ったのか、三人揃ってその単語を口にしていた。申し合わせたように慌ててその場にしゃがみ込み、頭をつき合わせて事の真偽を話し合う。


「け、けどさ、デートって言っても、ネギ君十歳だし……姉弟感覚じゃない?」


「いや、それでわざわざ原宿までは出てこないでしょ」


「そ、それじゃあ―――うわー……た、大変かも。生徒に手を出すなんて、バレたらネギ君クビだよー!?」


 私の意見を美砂が否定して、それを受けた桜子が飛躍した言葉を口にしたので、私は騒ぐ桜子を落ち着かせながら思いついた、もう一つの見方を提示した。


「この場合、手を出したのはネギ君じゃなくてこのかなんじゃない……?」


「おー、なるほど」


「確かにそれっぽい感じよね……同じ部屋だし」


「このか、面倒見がいいから母性本能をくすぐられて、それがいつしか恋愛感情に発展して―――」


 ……気づけば私たちの脳裏に、インナー姿のこのかがネギ君を押し倒し、頬に手を当てて妖艶に微笑んでいる光景が妄想されていた。流石にそれは色々とマズイので、急いでその禁断の妄想をかき消すと、美砂が「当局に連絡しなくちゃ」と携帯電話を取り出して、アスナにコールした。


「とと、当局って職員室!?」


「バカ! んなとこ連絡したら、即クビ&退学でしょ!」


 またぶっ飛んだことを考えた桜子を宥めながら、アスナに送る証拠写真をバレないように撮影し、送信した。けどアスナはまるで信じていないようで、あっさりと携帯電話を切ると、二度寝してしまったみたいだった。


「あっ、二人が動き出した! 早く尾けないと!」


 洋服屋を離れて歩き出している二人―――何も袋を持ってないから服は買わなかったみたい―――を見つけたので、桜子と美砂を急かした。


「ホント? 早く行かないと―――」


「ん? どしたの美砂ー」


 通話が切られた携帯電話を仕舞い、動き出そうとした美砂が、何かを見つけたのかある一方を見たまま止まってしまった。よっぽど凄いものでも見たのか、ガチン、という音まで聞こえてきそうなほど急激な止まり方だった。


「……ね、ねぇ。あれって、もしかしなくても―――小次郎先生?」


「は?」


「え?」


 美砂が唐突に口にした、最近覚えた先生の名前。それは、この原宿にいるはずがないと一番断言できる人のものだった。


 桜子と二人して、美砂が向いている方向を見ると、そこには確かに小次郎先生がいた。いつも着ている紫の着物じゃなかったけど、あの男とは思えないサラサラポニーテールは、彼以外にありえない。しかも、


「ちょ、一緒にいるの桜咲さんじゃない!?」


 その横には、原宿なのになぜか制服を着ている桜咲さんがいた。二人は何か話をしながら、私たちに気づかないまま前を通り過ぎていき、ネギ君たちと同じ方向に歩いていった。


「―――あ、あれは、デートなの?」


「―――それっぽいけど……桜咲さんだよ?」


「―――けど、相手は小次郎先生よ?」


 確かに、桜咲さんは部活の関係上、よく小次郎先生と一緒にいる姿を見かける。その上、小次郎先生の家に行って特別な指導も受けているらしい。桜咲さんはクラスでもあまり交友がない人だから、その話は余計に目だってしまい、私たちクラスの間では密かに噂になっている。


 だからこそ、ネギ君たちよりは違和感はなかったけど、怪しさと禁断さは倍以上だった。


 ネギ君とこのかがデートをしていると思えば、小次郎さんと桜咲さんが連れ立って歩いている。今日の原宿は何かが違うと、さっき以上の混乱を受けた私たちが、ネギ君たちを追いかけるのを忘れていた事に気づいて慌てて駆け出したのは、たっぷり一分は立ち尽くした後の事だった。










 ―――尾行を始めてから数時間が経過した。


 現在、お嬢様とネギ先生は、オープンテラスのカフェで大きめのグラスに入ったトロピカルジュースを一つ注文し、ストローを二つ差して仲良く一緒のグラスからジュースを飲んでいる。お嬢様は楽しげだが、ネギ先生はそういうことに恥ずかしさを感じているのか、苦笑いしながら頬をやや赤らめている。


 行為だけ見れば二人は恋人関係にあるように見えるが、恥ずかしがるネギ先生で遊んでいるお嬢様を見ていると、まるで仲の良い姉と弟のようだ。


 そんな二人を、私は道路を挟んだ向かい側の歩道に面している店の壁に背を預けて、腕を組みながら見張っていた。ふっとこちらを振り返られれば見えてしまう距離だが、隠形の符を使っている今の私を知覚することは、この距離では不可能だろう。魔法使いであるネギ先生も、それは同様だ。


 その証拠に、休日の昼過ぎの原宿に制服姿の女子がいても、目の前を通り過ぎる人ですらまるでこちらを振り返ろうとはしなかった。


 人口密度と、鬱陶しいくらい立ち並ぶビルディングの差によるものだろう、麻帆良に比べれば少しだけ暑い原宿の空を見上げて、私は愚痴るように呟いた。


「……私は何をしているんだろう」


 今の自分に対する、切実な問いかけだった。


 小次郎さんに半ば騙される形で、お嬢様とネギ先生に騒動が起こらないかを見守ると言う名目の下、尾行をしている。それは見方によっては、普段私がお嬢様を影からお守りしている事の延長線上の行いに見えなくもないが、明らかに釈然としない。少しは慣れたつもりだったが、小次郎さんの身勝手とも取れる行動に、やり場のない憤りが微かに沸き起こっていた。


『仕返しに、斬空閃の稽古を厳しくしてみようか……』


 多少はやり返さないと気がすまなくなってきたので、何かいい方法はないかと考え、そんな事を思いついたが、これはダメだと頭から直ぐに切り捨てた。


 きっと小次郎さんの事だ、厳しくしたらした分だけ、


「そんなに真剣に教えてくれるとは……忝い」


 と、逆に感謝してくるに違いない。そして、なお一層稽古に力を入れるのだろう。あの人はそういう人だ。


 ……それに、小次郎さんの気の特性を考えると、あまり厳しくしては体力が尽きて倒れかねない。いざそういう状況に陥っていも、小次郎さんは「まだまだか」とそれだけで済ますだろうが、ちょっとした私憤でそんな状況を生み出してしまっては、自分が凄く情けないと感じてしまいそうだった。


 ちなみに小次郎さんは、飲み物を買ってくると言って、つい数分前財布片手にどこかへ消えていった。紫色の髪の毛をポニーテールにまとめた男性が、人目も引かずに歩きさって行く様子は、街並みの中にぽっかりとした違和感を生み出していた。


 ここに至るまでに、小次郎さんは否が応でも人目を引いてきた。顔の作りもさることながら、男性とは思えない髪の長さ、艶やかさが、特に注目を浴びていた気がする。このままではお嬢様たちに見つかってしまうと思った私が、隠形の符を一枚渡したのだ。


 左右を見渡しても、未だ小次郎さんが戻ってくる気配はない。仕方なく、視線を正面に戻し、お嬢様たちを見ている事にした。


 先ほどのジュースは飲み終えたのか、グラスがテーブルから消えていた。その代わりに、サンドイッチが四つのったお皿が置かれていた。既にお昼を回っているので、話がてら昼食を取っているのだろう。


「……そういえば、私も少し」


 若干の空腹感を訴えてくるお腹を、軽く撫でた。小次郎さんが奢ってくれる、との事だったが、尾行をしながら昼食を取る事は難しいだろう。しばらくは我慢するしかなさそうだ。


 お嬢様とネギ先生は、楽しそうにあれこれと談笑を交わしている。きっと小次郎さんが言っていた、神楽坂さんへのプレゼントについてだろう。そんなお嬢様の、友人を思っている女の子の姿を見て、つい頬が緩んでしまった。


 ……麻帆良に来てからという物、お嬢様は本当に明るくなられた。いい友人も多く得て、毎日が本当に楽しそうだ。


 できれば、このまま何も知らず、幸せに暮らして欲しい―――私にお嬢様の護衛の任務を言いつけた長の願いと私の願いは、同じものになっていた。


 だからそのために、私はお嬢様の隣りに戻らないのだ。裏に関わる私がお嬢様の側にいては、その災厄が降りかかってしまう危険性がある。距離を取り、影ながらお嬢様をお守りするのが、お嬢様の身の安全に取って一番良い。


 ―――そもそも、私がお嬢様の隣にいる資格など、とうの昔に私から失われている。私は、あそこに戻らないのではなく、戻れないのだ。


 気づけば私は、笑顔で笑っているお嬢様を、少しの寂しさを覚えながら見つめていた。


「待たせた、刹那」


 と、急に横合いから声をかけられた。お嬢様たちに意識を裂きすぎたのか、小次郎さんが戻ってきた事にまるで気づけなかったようだ。


「……遅かったですね、小次郎さん」


「や、済まぬ済まぬ。食料も探していたのでな」


 驚いた事を表に出さず、遅刻した事への非難を混ぜた視線で小次郎さんを睨む。すると小次郎さんは、謝りながらも、片手に提げたビニール袋を掲げて中身を見せてきた。


 ペットボトルの飲み物が二つと、コンビニのおにぎりが数個、中に入っていた。


「今は尾行中故、この程度しか用意できぬが、後で改めてちゃんとした食事を奢るのでな。勘弁してくれ」


「いえ、これで十分です。ありがとうございます」


 礼を言いながら、袋の中から飲み物―――お茶と、おにぎりを一つ取り出して、早速おにぎりの封を取り口に運んだ。路上で食事を取る事に少し気が引けたが、隠形の符を使っているから、人目は気にしないでいいだろう。具はどうやらイクラだったようだ。プチプチとした食感と、染み込んだ醤油味がご飯の味を引き立てる。


 お茶と交互に食べていると、あっという間になくなってしまったが、元々小腹が空いた程度の空腹だったので、私はそれで満足して、後はお茶を飲む事にした。


「何だ、もうよいのか? 四つ買ってきたのだ、もう一つは刹那の分だぞ」


「後で、またお腹が空いたらいただきますので」


「ふむ、左様か」


 そう言いながらも、小次郎さんは既に二つ目のおにぎりを食べ終えるところだった。最後の一口を放り込み、よくかみ締めて飲み込むと、自分の分の飲み物を袋から取り出した。てっきり小次郎さんの事だから、水でも買ったのかと思っていると、予想外のものが袋から現れた。


「……コーラ?」


「うむ。以前から興味があったのでな、試しに買ってみたのだ」


 おにぎりには合わないんじゃ―――という言葉は飲み込んでおいた。小次郎さんの目は、未知への好奇心に溢れて輝いている。止めるのは無粋だろう。


「いざ―――」


 変に気合の入った言葉を口にした後、キャップを回して取った。プシュ、と気が抜ける音が響く。小次郎さんはその音に少し驚いたみたいだが、気にせずそのままコーラを喉に流し込んだ。


「―――!」


 その瞬間、ビクッと小次郎さんの体が振るえたかと思うと、時間が止まったかのように動きが停止した。顔には一杯一杯の雰囲気が窺えて、何かに耐えているようだ。


『やっぱりか……』


 横目でその様を見ながら、心中で呟いた。炭酸の刺激というのは、小次郎さんには初めての経験だろう。そういうものがあると知らなかっただけに、受けた衝撃は相当のものであろう事が、同じく炭酸が苦手な私には容易く想像できた。


「―――っ、はぁ……はぁ」


 ようやく再起動を果たした小次郎さんが、ペットボトルを口から離して、荒い息をついている。そんなにきつかったのだろうか。しかもよく見れば、目が少し涙目になっていた。隠そうとしているようだが、真横にいる私にはそれがよく見えた。


「―――ぷっ」


 その、何だか子供みたいに見える強がりがおかしくて、私はつい吹き出してしまった。一緒に、さっきまで胸にわだかまっていた小次郎さんへの不満も、その吐息に混じって宙に消えていった。


「……む。今笑ったろう、刹那」


「い、いえ……そんなことは」


「むぅ……まぁ、追求はすまい」


 先ほどの失態を自分でも忘れたいのだろう。私への追求もそこそこにすると、小次郎さんは二口目を口に含んだ。今度は一時停止することはなったが、やはり炭酸の刺激に慣れないのだろう、眉を潜めている。


「―――ふぅ。しかし、何とも刺激的な飲み物もあったものだな」


「そうですね。私も、炭酸の刺激はあまり好きではありません」


「然り。買った以上、これは処分するがな」


 すっかり普段の調子を取り戻した小次郎さんが、カラカラと笑いながらコーラを飲み干していく。途中、何度か顔をしかめたりもしたが、数分後にペットボトルは空になっていた。


「さて、これは後で捨てるとして……刹那よ」


「はい」


 ゴミを全て袋に詰めると、おもむろに小次郎さんが私に話を振った。


「実は、朝から言おうと思うていたのだが……その服装、どうにかならぬのか?」


「は?」


「折角の休日に、しかも街に行くと予め申していたにも関わらず……何故、何時もの制服なのだ」


 小次郎さんは私の制服姿が気に入らないのか、先ほどのコーラ以上に顔をしかめて私に問いただしてきた。


「そんな事を言われましても……どうにも、お洒落には疎くて」


「何とも勿体ない話だ。以前にも言ったろう、刹那。折角美しく生まれたのだ、それ相応の服装をせぬと、花も萎れてしまうぞ?」


「は、はぁ……」


 相変わらず、無意識に気障な言い回しに、私は曖昧な相槌を打つしかなかった。


 そもそも、そうは言われても、本当にお洒落と言うものは分らないし、小次郎さんが言うほど私にそういう服が似合うとは思えないが……


『そうして反論したら、また何か言われそうだ。黙っておこう』


 君子危うきに近寄らず―――ではないが、無駄な論争は控えるため、善処します、とお茶を濁した。


「……まぁ、あまり強制できることではないのも確か。前向きになっただけよしとしよう。
 ―――む、移動を始めたな。行こうか、刹那」


 小次郎さんの言葉につられて、正面のカフェを見てみると、会計を済ませたお嬢様たちが席を立つところだった。店を出るとき、二人の視線がこちらに向いたが、隠形の符を使っている私たちに気づく事はなく、談笑を交わしながら歩道を歩き始めた。


 ある程度の距離を保ち、二人の後を尾ける。まだ買うものが決まっていないのか、目に付く店があれば覗き込み、何も買わず出てくるのを繰り返している。


 すると、ようやく何か見つかったのか、立ち止まってショーウィンドウの中を覗き込んだ。


「なーネギ君、これなんかどやろ?」


「へー、ペアルックですか。このかさんも着るんですか? ちょっと恥ずかしくないかな」


 見ているのは、洋服のようだ。デザインがほとんど同じ、男女用の服が一着ずつ、肩から太もも辺りまでのマネキンに着せられている。恐らく、お嬢様が気に入ったので話題に上げただけなのだろう、ネギ先生が言うとおり女性同士でペアルックと言うものどこかおかしい。


「あーっ! コレいいなー、買ってー釘男君!」


「ははは分ったよ。おーい店員さんこれ一組!」


「うひゃあ!」


 と、急にカップルらしき二人組みが、お嬢様とネギ先生を突き飛ばして件の服を購入した。


「な……お嬢様!?」


「待たぬか刹那。尾行している私たちが出てどうする。気持ちは分るがな、ここは耐えよ」


 狼藉を働いておきながら詫びの一つもせず去っていく後姿を見て、頭に血が上るのを感じる。思わず飛び出しそうになった身体を、小次郎さんが静止してくれた。


 ―――その後も、お嬢様たちが良さそうなものを見つける度に、二人とその仲間と見られるもう一人の計三人が、悉く邪魔をしていった。


「……何者なんでしょう、あの三人は」


「さてなぁ……何故かしら悪意は感じられぬのだが―――どこかで見たような」


 今すぐにでも飛び出したい身体を抑えながら、誰にともなく呟くと、小次郎さんがそう言いながら首を傾げた。


 小次郎さんの言うとおり、それは私も感じていた事だ。顔もどこかで見た覚えがあるし、雰囲気も感じた事のあるものだ。そうとう身近なもののような気もするのだが、流石の3−Aでも、あんな事はしないだろう。


「都心は乱暴な人が多いんですねー……ふぅ」


「まぁ、コレ買うてあるし、十分やネギ君……あや? ちょっと疲れてもうた? ほしたら、ちょっと静かなとこ探して休もか」


 朝から歩き通しで流石に疲れたのか、ネギ先生が今までの謎の妨害への感想を口にしながら、溜め息をこぼした。それを受けたお嬢様は、既に手に入れていたプレゼントの袋を掲げつつ、休める場所を探して歩き出した。


 二人が見つけたのは、国立代々木競技場第一体育館前にある階段だった。人気もなく、傾斜の緩やかなその階段は、腰を落ち着けて休むのにもうってつけだろう。


 すっかり傾いた太陽が赤く染まり、辺りを柔らかな橙色に染めていた。


 私たちは、茂みの中に身を潜めて二人を窺っていた。


 よほど疲れたのだろう、階段に腰を下ろしたネギ先生が、おもむろに船を漕ぎ出した。ある角度まで頭が傾くと、ピクリと体が震えて直立の体勢に戻っていく。メトロノームのようだなと、子供らしい仕草に笑みが浮かんだ。


「ああしていると、普段に輪をかけて子供に見えるな」


「そうですね―――あ、小次郎さん、あそこ」


 二人で和んでいると、私たちとは別の茂みに潜んでいる、三つの人影を発見した。向こうはこちらに気づいていないようだが、あれは―――


「柿崎さんに、釘宮さん、椎名さん……?」


「ふむ―――どうやら、先の三人は、あの女子らのようだな」


「そのようですね……服装も同じみたいですし」


 何を考えて先ほどのような事をしたのか、今度問い詰めてみようかと思ったが、それでは私があの三人と同じくお嬢様たちを尾行していたのがバレてしまうので、仕方なく諦めた。


 お嬢様たちに視線を戻すと、何とお嬢様がネギ先生に膝枕をしてあげていた。これには驚いたが、柔らかく微笑んでいるお嬢様と夕日が合わさって、とても絵になっている。


「ほう……羨ましいことだ」


「えっ?」


「―――ふっ。別に、木乃香殿にされているのが、という意味ではないよ」


 急に呟かれた言葉に驚いた私の視線を理解したのか、苦笑いしながら小次郎さんがそう言った。驚かさないで欲しい。貴方が言うと本気のように聞こえてしまう。


「ネギ君、寝顔はやっぱまだまだ子供やなぁ。新学期からこっち、少しは凛々しゅうなった思うてたけど。ちょっと今日は無理させてしもたかな? 疲れよ飛んでけー―――なんてな」


 ネギ先生の寝顔を眺めていたお嬢様が、クルリと人差し指を回した。私はその光景に、驚くべきものを見た。


 行為自体は、親が子供によくする様な、おまじないの動きだ。それはいい、とても微笑ましい光景だと思う。


 だが、回されたお嬢様の人差し指からは、夕日以外の光が漏れていた。それは明らかに、木乃香お嬢様の秘められた魔力に他ならなかった。光は一瞬の、それこそ蛍火のような儚さで消えていったが、それは一つの事実を示している。


『―――お嬢様の魔力が、何かの切っ掛けを得て目覚めようとしている』


 それが何であるか、大よその検討はついている。ネギ先生との仮契約未遂だ。私がお側にいられない時に貼り付けつけている式神を通じて、その光景を目撃していた。


 これは、長に報告した方がいいだろう―――そう考えていると、更に驚愕の事態が目の前で展開され始めた。


「あ、そやカード。ネギ君とキスしたら貰えるんやった。
 ……うふふ、ちょうど寝とるし―――」


 何を思ったのかそんな事を口走ると、お嬢様は急にネギ先生の頭を抱えて、唇をネギ先生のそれに近づけていった。


「え、なっ―――!?」


「何だと?」


 これには流石の小次郎さんも驚いたのか、身を乗り出して二人を見ようとしている。私はその下で、驚きにパクパクと口を開閉させいているだけだ。見れば、柿崎さんたちもそれを止めようと、勢いよく飛び出そうとしている途中だった。


 そしてそのまま、お嬢様の唇は下ろされていって―――


「……やっぱやーめた。いくら子供でも、寝てる唇を奪ったらあかんな」


 あっさりと身を引いて、苦笑いを浮かべながら頭をかいた。


 それを切っ掛けとしたように、勢い余った柿崎さんたちが、ベタン、と地面に突っ伏したかと思うと、声を張り上げながらいいんちょさんと神楽坂さんが、お嬢様目掛けて駆け寄ってきた。


「なっ―――こ、ここここのかさん! ネギ先生を膝枕など……私がしたいですわ!?」


 ネギ先生を膝枕しているお嬢様を見たいいんちょさんの第一声は、いつもどおりの叫びだった。神楽坂さんは神楽坂さんで「このか……あんたホントにネギと?」と、よく分からない事を呆然と呟いていた。


「あちゃー、もしかしてバレてたん?」


「んー……あ、あれ? 皆さんに、アスナさんまで!? 何でこんな所に……」


「ネギ君、どうやらバレとったみたいや」


「えぇ!? そんな、驚かそうと思ってたのに……」


 騒がしくなった事で目覚めたネギ先生が、お嬢様と計画が失敗してしまった事を残念がりながら、今ここでプレゼントを渡してしまおうという話し合いをし始めた。確かに、ここで無理に隠すのは不自然すぎるから、渡すとしたら今しかないだろう。


「ふむ……ここまでのようだな」


 と、改まって神楽坂さんに向き直った二人を見届けたところで、小次郎さんは静かに身を引いた。


「これ以上の尾行は不要であろう。戻るとしよう、刹那」


「はぁ……小次郎さんがそう言うのなら」


 小次郎さんに従い、プレゼントを受け取って驚いている神楽坂さんを横目に捕らえながら、私たちは一足先に、この場を立ち去った。










 ……日も沈み、街灯や建物の窓からも明かりが漏れ出した頃、刹那と二人麻帆良の夜道を歩いている。


 夜と言っても、私が生きていた頃とは違ってそこかしこに明かりが灯り、人の往来にも溢れている。茶々丸が言うには、七時ではこれくらいが普通のようだが。


「ご馳走様でした、小次郎さん」


「何、約束であったからな」


 刹那が改めて、先ほど二人で食事した蕎麦への礼を申してきた。以前エヴァに勧められたことのある蕎麦屋に案内したのだが、刹那はその値段の高さに大層驚いておったようだ。


 エヴァ曰く、あの店は古くからの老舗であるそうな。故に値段も相応に高いのだろう。


 最初は「こんなに高いのに大丈夫ですか?」と私の懐を心配していたが、「そうでなければ連れては来ぬよ」という私の言葉を受けて、大人しく千円のざる蕎麦を注文した。


「こちらこそ、今日は済まなかったな。私の我が侭につき合わせてしまった」


「いえ、お気になさらず」


 騙した形で尾行につき合わせたのだが、刹那はあまり気にしておらぬようだった。特に苦笑いなども浮かべず、普段通りの顔でそう返してきた。


 雑談を交わしながら歩いていると、あっというまに寮の近くにたどり着いた。


「では小次郎さん、私はこれで失礼します」


「うむ、修学旅行に備え、ゆっくり休むがいい」


 そう最後に挨拶を済ますと、私は踵を返して今まで歩いてきた道を戻り始めた。


「……え、あれ? 小次郎さん、どちらへ?」


「あぁ、これからエヴァの家に行ってだな、泊りがけで別荘に篭ろうと思うのだ」


 今日は尾行のために、朝稽古もそこそこに済ませていた。その分を取り返すのと、早く気と斬空閃を扱えるようになるために、今日の残りの時間は全て別送での修業に当てるつもりだった。これから連絡を取り付けなければならぬのだが、それなりの対価を払えばエヴァのこと、快く―――とまではいかぬが、承諾はしてくれるだろう。


「はは……熱心ですね」


「気も斬空閃も、もう少しで使えるようになりそうだからな。つい熱が入ってしまう。全ては刹那の教えのおかげだな、この礼もいつかせねばなるまい」


 実際、刹那による教えが始まってから、気の感覚をかなり掴めて来ている。礼などいくらしてもし足りないだろう。段々と、麻帆良においてそういう相手が増えている気がするが、それだけ繋がりが増えている証しでもあり、嬉しい限りだ。


「いえ、そんな。私も普段から小次郎さんに稽古をつけてもらっているんですから、それでおあいこです」


「だが、こちらは奥義を教授してもらったのだ、釣り合いが取れるとは思えぬが」


「それなら、小次郎さんも燕返しを私に見せてくれてるではありませんか」


「むぅ……左様か」


 確かに燕返しは我が秘剣だが、見せるのと教えるのとでは、大きな違いがあるように思える。だが、刹那がこう言っている以上、変にこちらの意見を主張しても、同じように刹那も引き下がりはしないだろう。茶を濁して、では、と刹那に向けて手を上げながら、今度こそその場を去った。


 エヴァの家に向かう途中、寮から十分に離れた辺りで、ポツリと独り言を洩らした。


「……昼の顔を見るに、やはり刹那にも、木乃香殿と仲良くなりたい願望はあるようだな」


 そう呟いて、尾行を行った本当の理由―――刹那の木乃香殿への気持ちを知る―――について思考を巡らしていく。


 ネギが騒動に巻き込まれるのを防ぐ、という名目で刹那と二人で尾行をしている最中、私は常に、木乃香殿を見る刹那に注意を払ってきた。


 確信を得たのは、飲み物と昼餉を買うために、監視を刹那に任せた時のことだ。私は早々に買い物を済ませた後、木乃香殿を見つめている刹那を遠目から眺めていた。その顔に、昔を懐かしむような、今を悲しむような色を見た時、私は思った。


 やはり刹那も、木乃香殿と昔のように仲良くしたいのだな―――と。


「折角の修学旅行、木乃香殿もそろそろ、積極的に距離を詰めてもいい頃合いか……明日、その辺りを話すとしよう」


 エヴァの家へ向かいながら、私は先生の仕事とは別のところで、ある種それ以上に重要な修学旅行の予定を組み立てていった。


 途中で、エヴァに渡すための菓子を購入して、エヴァの家にたどり着くと、私は呼び鈴を慣らした。


「どちらさまでしょうか―――あ、小次郎さん」


 何時もの侍女服―――今はメイド服というらしい―――に身を包んだ茶々丸が出迎えてくれた。訪れたのが私だと分ると、茶々丸は直ぐに私を家の中に上げてくれた。


「何だ、貴様か小次郎。こんな時間に、そんな格好で何のようだ」


「うむ。実は、今日は所用で修業ができず、泊りがけで別荘を使わせてもらいたい。急に押しかけて済まぬが、構わぬか?」


 礼の品も用意してある、と片手に提げていた袋を前に突き出し、誠意を示す。私の言葉を受けてエヴァは、ふむ、としばらく思案していたようだが、おもむろに口を開くと、


「……まぁ、いいがな―――その格好で修業するつもりか、小次郎」


 私の正気を疑うような言葉を、投げかけてきた。エヴァの言葉の意味が分らず首をかしげていると、間髪いれずにエヴァが言及してきた。


「ついに本当の意味で馬鹿になったのか? そんな洋服姿で、刀も持たず、何の修行をするつもりだ」


「―――ぬ」


 エヴァに言われて初めて、私は自分がどういう格好で出かけたのかを思い出した。洋服を着て街に赴き、そのままエヴァの家に訪れたのなら、格好が洋服であることは自明の理である。


 さらに、格好だけならいざ知らず、我が半身を身につけていないことを忘れるとは、いささか思考に耽りすぎたようだ。


「……ふ、ふふ、はっはっはっはっは! いや、これは不覚。このような有様では、刹那や木乃香殿に“あどばいす”するなど、夢のまた夢か―――はっはっは!」


 自分の間抜け振りがおかしくなり、私は額に手を当てながら、快活に笑い声を上げた。エヴァも茶々丸も、いきなり来たかと思えば突然笑い始めた私に呆然としているのだろう、半ば口を開けてこちらを見ていた。


「ク、クク……では、私は一度、荷物を取りに戻る故な。準備をよろしく頼む」


「……分ったよ」


 購入してきた菓子を茶々丸に渡した後、そう言い残して私は、半身を取りに自宅への道を戻っていった。












 後書き。


 小次郎、お前、色々とやりすぎ。逢千です。


 私服姿の小次郎登場。あいつは本当に何を着ても似合うと思います。それこそ女装すら!(マテ


 流石の小次郎も、コーラには敗北。そのときの様子は、皆さん各自で想像してお楽しみください。


 とうとう修学旅行編も間近になりました。あぁ、楽しみだ早く書きたい。読者の方々よりも、私のほうが楽しみにしているくらいです。


 感想等々、お待ちしています。


 では。


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