とある山奥に、豪勢な武家屋敷が建っていた。


 その造りのどこをとっても、名工の手によるものであるという事が分る、金に物を言わせた豪邸だ。建設されている敷地も、周りを山々に囲まれた中にポッカリと存在する平地であり、土地だけでも相当な金額が動いたであろう事が窺える。屋敷と土地を合わせれば、どれだけの金が必要になるか定かではない。


 屋敷からは、人の気配と言うものが希薄だった。大きさに比べて、住んでいる人数があまりにも少なすぎるのだ。その屋敷は数十人が余裕で寝泊りできるほどの広さを持ちながら、今現在は三人しか寝食を共にしていない。


 この屋敷の他には、山々のどこにも住処は見当たらず、事実、周囲には人っ子一人住んではいなかった。屋敷が建てられている平地ごと、周囲の山々を屋敷の持ち主が購入したのだから当然であるが、この地は正に、陸の孤島と呼ぶに相応しい様相を示していた。


 そんな場所に、久方振りとなる来訪者が現れたのは、あくる日の正午を過ぎた頃だった。


「……やっと、見つけたで」


 その人物―――女、天ヶ埼 千草は、ようやく見つけ出した屋敷を見下ろしながら、そう呟いた。


 千草は、この世界から隔離されたような屋敷を―――正確には、眼下の屋敷に住んでいると思われるある男を探し出すために、数ヶ月の時を要していた。とある計画を秘密裏に進めている千草にとって、その男はそれだけの価値がある男なのだ。


「ここにおるんやな……『天劫の雷』が」


 『天劫の雷』―――その異名を口にした千草の体が、途端に寒気に襲われた。関西に組する者にとって、その名は畏怖の対象なのだ。


 圧倒的な力を持ってあらゆる依頼をこなし、その力ゆえに暴走し、唐突に行方をくらませた狂気の男……通称『天劫の雷』。京都神鳴流の生きた災厄と、これから面会するのかと思うと、千草は恐ろしさに身が竦んでしまった。


 ―――何びびっとるんや。ウチはこれから、命かけて計画を実行するんや。


 ならば、今更こんな命は惜しくないと、死人の気持ちで思いなおした千草は、屋敷に向かって山の斜面を下り始めた。


 間近で見上げてみれば、屋敷の大きさは途方もないものだった。千草は、屋敷から放たれているような気がする威圧感に飲まれないよう、気を引き締めて玄関の戸を叩いた。


「ごめんくださーい。どなたかおりませんかー?」


 あまりにも辺りが静か過ぎるので、いつも通りに発したその声も、千草には大きく聞こえてしまった。


 戸を叩き、声をかけてから十数秒が経過したが、一向に人の気配は現れない。仕方ないと、もう一度戸を叩くために、片手を振り上げた時だ。


「何方ですかな」


 何の前触れも気配もなく、唐突に目の前の戸が開かれた。いきなりの出来事に驚いてしまった千草は、ひゃっ、と女性らしい小さく可愛い悲鳴を上げた。


 現れたのは、線の細い老人だった。腰こそ曲がっていないが、髪の毛は真っ白に染まり、皮膚にも皺が多く刻まれている。年齢は六十半ばといったところだろう。目には不思議と力が宿っていた。


「おや、これは可愛らしいお嬢さんで……道に迷いましたかな?」


「あ、えっと……失礼ですが、こちらは『天劫の雷』はんのお宅ですか?」


 戸を開けたのが老人だと知ると、千草は少し安心しながらそう問いかけた。『天劫の雷』の年齢は、計算では三十後半のはずなので、目の前にいるのがその男でないと分ると、少し気が抜けてしまったのだ。


「左様です。旦那様に御用がおありとは、珍しい……急用ですかな?」


「連絡もなしで恐縮やけど、直ぐに取り次いでもらえますか?」


「えぇ、構いませぬとも。暫しお待ちを」


 そう言い、人の良さそうな笑みを浮かべた老人―――口ぶりからすればこの家の使用人だろう―――は、玄関の中で待っているよう千草に言い残すと、その場を去っていった。程なくして、答えを携えた老人が戻ってくると、


「旦那様はお会いになるそうで。ささ、どうぞ」


 『天劫の雷』の住居に、千草を招き入れた。


 老人の案内に従い、千草は落ち着かない様子で板張りの廊下を歩く。一歩進むごとに、『天劫の雷』の悪い噂ばかりが頭の中に浮かんできて、それが自分に降りかかるのではという不安にかられているのだ。


「旦那様。先ほどお話した女性をお連れしました」


 千草が考えごとをしている内に、老人は一室の前で立ち止まり、中に声をかけた。


 この部屋に、『天劫の雷』が……!


 千草の身体を、かつてない緊張が駆け抜けた。


「ご苦労、銀。下がってろ。それと、誰かは知らねぇが、話ならそのまましろや。俺の家見つけた褒美で話してやるが、顔合わせるのも面倒くせぇ、用件言ってさっさと帰れ」


 障子の向こう側から響いた声からは、明らかに相手に興味がなく、かつ見下している事が窺えた。連絡もなしに来たことはこちらに非があるが、それでもこれはあんまりではないかと思った千草は、部屋の中からもう一人の声が聞こえてくる事に気がついた。


 一定の間を置いて聞こえてくる女性の、鼻にかかった甘い声。悦びにまみれているそれは明らかに、


『……まさか、ヤッとるんか?』


 それも、やけに高い声だ。障子越しゆえ姿を認めることはできないが、十歳中ごろではないか、と千草は思い、聞いていた噂の一つが真実であると実感した。


 曰く、『天劫の雷』は文字通りの女喰いであり見境もない、と。


「……おい、用件は何だ。観光に来たんじゃねぇんだろ」


 いつまで経っても―――もっとも十秒ほどであるが―――用件を切り出さない千草に業を煮やした『天劫の雷』が、怒気をはらんだ声で千草を脅したてた。本人は意識などしていないが、そう思えてしまうほどの迫力と、ドスの効いた声だ。


「ひっ、す、スイマセン!」


 思わず謝ってしまった千草だったが、気を取り直して、用件―――自分の計画についての説明を始めた。その途中に、常に聞こえていた女の嬌声は、一時を境に響く間隔が狭まっていき、一際高い悦びに満ちた悲鳴を上げたきり聞こえなくなった。事が済んだのだろうが、千草は気にも止めず、説明を続けた。


「―――へぇ……修学旅行で京都に来るお嬢様を誘拐し、その魔力を流用して飛騨の大鬼神の封印を解除。そのままそいつを操って、東の西洋魔術師を滅ぼす、ねぇ。何とも思い切った事を」


「あぁ。サウザンドマスターを『英雄』や何て讃えて、のうのうと平和に浸かってふやけとる連中には、最高の皮肉やろ」


 千草は、『天劫の雷』の簡素な感想に対し、怒りと嘲笑をない交ぜにした言葉を返した。話をしている内に、『天劫の雷』への恐れもなりを潜めたのか、普段どおりの口調だった。


 『大戦』と呼ばれた戦争を治め、世界の危機を救った紅き翼アラルブラのリーダー格―――千の呪文サウザンドマスターこと、ナギ・スプリングフィールド。その功績は、なるほど千草をもってしても認めるところだ。事実、『大戦』時は、本当に世界が崩壊する危機に瀕していたらしい。


 しかし、英雄とは、裏返せばただの人殺しでしかない。それ即ち、殺された者の親族からしてみれば、ナギは英雄などではなく、ただの恨みの対象だ。そして千草は、そんな者の一人だった。大戦中に、両親を失っているのだ。


 両親を手にかけたのは、ナギではないかもしれない。だが、大戦を引き起こした一因は間違いなくナギにあり、そのせいで千草の両親は死んでいる。今の千草に、これ以上の認識は必要なかった。


 そんなナギを英雄と讃えている連中に、その英雄様が封印した大鬼神を差し向けてやれば、どんな顔で死んでいくのだろう。


 もう一度封印してくれと、新たな英雄の登場を求め泣き叫びながら死ぬのか。それとも、ちゃんと消滅させなかった英雄に非難の言葉を浴びせ、憎しみの表情のまま死ぬのか。


 そう遠くない未来に訪れるであろう光景を考えるだけで、千草の中に、黒い歓喜がふつふつと湧き上がってくる。


「……んで? 俺にその計画の片棒を担げ、そんなところか」


 依然として興味が欠落している声のまま、『天劫の雷』は想像に容易い話の先を口にした。


「そうや、話が早くて助かるわ。他にも仲間は何人かおるんやけどな、あんさんが加わってくれるなら千人力、計画は成功したも同然や」


 すっかり平静を取り戻した千草は、言葉に熱を込めながらそう『天劫の雷』への評価を口にした。だが、当の本人からしてみれば、その程度の評価は言われなれたものだったので、いい気分になるどころかうんざりとした感想を持っていた。


 それ故か、しばらくの間、『天劫の雷』は一切の言葉を口にしなくなった。千草はその間、ただ突っ立っているしかなかったのだが、銀、と呼ばれた先の老人がお茶を運んできてくれたので、それで喉を潤しながら、返答を待った。


「…………一つ、聞かせろ」


「何や?」


「その修学旅行には、詠春が直々に依頼したっていう、護衛の神鳴流剣士は着いてくるのか?」


 長い沈黙を破ったのは、僅かに期待を滲ませた問いかけだった。


 てっきり、報酬の話でもしてくるのかと思っていた千草だったが、敵の情報を知る方が先か、と思い、事前に集めていた情報を思い出した。


「……あぁ、十中八九着いてくるで。それとこれは、信頼の置ける情報屋から得たネタなんやけど、どうも神鳴流剣士とは別にもう一人、凄腕の剣士も着いてくるらしい」


「へぇ、凄腕の剣士、ねぇ……どうでもいい」


 今まで、幾人もの名のある敵を討ち滅ぼしてきた『天劫の雷』にとって、今更『凄腕』等と言う称号は何の感慨ももたらさなかった。


「……それで、どうやろ。この依頼、受けて貰えんやろか? 勿論、報酬は十二分に払うで」


「金なんざ今更いらねぇよ。だが、受けよう、その依頼。俺の最後の仕事だ、報酬は無しでいいぜ」


 『天劫の雷』を雇うためなら、残りの全財産と、足りなければ自分の体さえ差し出す覚悟だった千草は、その発言に面食らってしまった。


「……は? 報酬がいらんて、いやそらウチは助かるけど―――ホンマか?」


「くどい。俺が言ってんだ、無駄な質問なんざ止めろ―――銀」


「へい、旦那様」


「ひゃあっ!?」


 千草の追求を一方的に遮断した『天劫の雷』が、使用人の名を呼んだ瞬間、銀は一枚の紙を持って千草の横に立っていた。またも何の前触れもなく現れた銀に、千草は再び悲鳴を上げた。


「こちらが、旦那様の電話の番号です。以後の連絡はこちらに」


 その悲鳴を気にした風もなく、銀が電話番号の書かれた紙を千草に手渡した。おおきに、と言いながら受け取った千草は、『天劫の雷』が携帯電話かぁ、と微妙にやるせない気持ちを密かに抱いていた。


「ほな、ウチはこれで。よろしゅう頼んます、天劫はん」


 下手に『天劫の雷』の機嫌を損ねる前に退散しようと決めた千草は、そう最後に挨拶を済ますと、銀に見送られて、屋敷を後にした。


「……『天劫の雷』が仲間になった。これで確実に、西洋魔術師に一泡吹かせてやれるわ……フ、フ、フフフフ」


 銀から手渡された紙を握り締めて、千草は、既に計画を成功させたような心持ちのまま、しばらく笑っていた。












 後書き


 とうとうオリキャラまでやっちまった。逢千です。


 しかし、この先の話を進める上で、この男の存在は少々外せないので強行しました。この先の展開を見てから判断いただければ幸いです。


 英雄への解釈は、集英社は『ワンピース』の登場人物、ガン・フォールさんの言葉に感銘を受けて、それ以来私の記憶に焼きついております。それを元にして書いてみました。


 次回から、本当にとうとう修学旅行編が始まります。皆さん、どうかご期待ください。


 では。




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