茶々丸が扉を開けると、今まで見たこともない風景が目に飛び込んできた。


 “ふろーりんぐ”と言うらしい床、椅子やテーブルといった家具の類、そして天井から降り注ぐ電気の明かり等であれば、まだ納得というか、受け入れることができる。しかし、未だ持ってこういうものには、耐性が出来上がっていなかった。


 部屋中を埋め尽くさん、と言わんばかりに、用途はおろかどうやって使うのかすら判別のつかない機械の群が、そこかしこに鎮座している。ウォォン、と唸るような駆動音も、絶え間なく部屋の中で木霊して、耳の中に鈍く響いてくる。


 その機械からは、時折何かの線のようなものが垂れており、縦横にふろーりんぐの上でのたうっていた。それは機械同士を繋げていたり、“こんせんと”に繋がっていたりと、一様に落ち着かない。


 ただでさえ狭く感じるこの室内であるが、壁のいたるところに貼り付けられておったり、テーブルや果ては機械の上にまでうず高く積まれている紙の山のせいで、余計に肩身が狭まってしまう。


 私にとってこの部屋は、異界以外の何物でもなかった。


「こんにちは、小次郎先生。本日は、私たちの研究に協力していただき、本当にありがとうございます」


「ニーツァオ、佐々木師父。大丈夫、痛くもないし、危険もナイネ」


 そして、その異界の主―――もとい、部屋の持ち主である葉加瀬殿と、今回の研究の協力者であるらしい超殿は、いつもの髪型に白い服を羽織って、素晴らしい笑顔で私たちを出迎えてくれた。その笑顔からは、キャスターに似た匂いを嗅ぎ取ることができた。


 ―――私は今、茶々丸の案内で、ネギの教え子の一人である葉加瀬 聡美殿が『麻帆良大学工学部』とやらで借り受けている研究室に、足を運んでいた。理由は、先に葉加瀬殿が口にした通り、とある研究に私が協力をする約束を、葉加瀬殿と取り付けたからである。


 この話の発端は、二日前の、エヴァが風邪を引いた日までさかのぼる……






「では行こうか、茶々丸」


「はい」


 既に用意を終え、私の斜め後ろに控えていた茶々丸に声をかけてから、扉を開けて外へ出た。茶々丸も同じく外へ出たのを確認してから、扉を閉める。エヴァから借り受けた鍵で施錠を施してから、茶々丸と並んで歩き出した。


 徐々に太陽に温められ始めたばかりの、まだ生温い風が私たちの間を吹き抜けた。


「しかし、本当によかったのか? いや、私としても、ネギを信用せぬ訳ではないが……」


「はい。ネギ先生であればお任せできると判断いたしました」


 ほぼ断言するように、茶々丸は自分が取った行動に間違いはないと言った。他ならぬ茶々丸がそう言うので、左様か、とやや小さめの声で相槌を打った後、横目でちらりと、エヴァとネギの二人を残してきた家を一目見やった。


 茶々丸と他愛ない話や、そうでない話を交わしながら歩いた先に着いた場所は、麻帆良中学をはるかに超える高さを持った建物―――『麻帆良大学医学部』という場所であった。医学、と名がつく学校だけあって、日夜様々な医術の研究がなされており、実際に診察や手術も行っているらしい。詳しい中身はまるで分らなかったが、“えむあーるあい”だの“えっくすせん”だの、とにかく私の時代とは次元の違う領域にあることだけは理解できた。


 入り口を潜ると、気味が悪いほどに白を基調としている内装が私の目に飛び込んだ。長椅子や植物といった、後からおかれた類の物を除けば、見渡す限りの壁一面が白で統一されていた。建物の単位でここまで徹底されては、まるで別世界に迷い込んだような錯覚を受けてしまったのも、無理はないだろう。


 茶々丸が受付で係りの者と少しのやり取りをしている間、私は長椅子の一角に座って茶々丸を待っていた。やはり、私のような格好の者がここでは珍しいのか、あちこちから視線を感じる。子供に至っては、遠くから指を指して母親に何かを申していたり、好奇心が旺盛な子供だと近づいて来て物珍しげに話しかけてもくれた。


 そうして時間を潰していると、受付から戻ってきた茶々丸が、


「少し主治医の先生とお話をしてきますので、後十分ほどお待ちいただけますか?」


 と申してきたので、気にせず話してきてくれ、と快く茶々丸を送り出した。


 茶々丸の背中を見送った後、ただ待っているのも退屈なので、目に付いた自動販売機で茶を購入し、せわしなく動く見知らぬ人々を眺めながらぼうっと時間を過ごしていた。


 すると、見知らぬ人々の中に、覚えのある顔が一つ目に止まった。向こうも私に気づいたようで、自然と視線が交錯する。


「あれー? 小次郎先生じゃないですか、何でこんなところに?」


「其方は確か……葉加瀬殿、だったか」


 満杯になっている袋を両手に二つずつ持っていた葉加瀬殿が、ガチャガチャ音を立てながらこちらに近づいてきた。確認するように名を問うと、そうですよ、と朗らかに答えてくれた。


 茶々丸と二人、エヴァの薬を貰うために来たという旨を説明すると、毎年大変ですねぇ、お大事に、と同情の溜め息を吐きながらエヴァの身を案じてくれた。茶々丸を創った者であるだけに、エヴァのこともそれなりに詳しいようだ。


 先を急ぐ身なのだろう、では、と断りを入れながら一礼をした葉加瀬殿が、踵を返して歩き出した。


 だが、何かを思い出したのか、また直ぐにこちらに振り返り、


「小次郎先生、科学の進歩に協力するつもりはありませんか?」


 そう、やけに熱の篭った目で私を見ながら、そんなことを口にした。


 葉加瀬殿の話はこうだ。先日、茶々丸の整備の時、私の秘剣の映像を見て、科学者として興味を引かれたらしい。私にはその理由がよく分らなんだったが、とにかく、今度時間がある時にでも私の剣と燕返しを調べさせて欲しい―――とのことだった。


 普通なら二つ返事で了承しそうな頼みではあるが、どうにも第六感が寒気を感じてならない。悩んでいる間にも、葉加瀬殿は何度も何度も頼み込んできている。


「科学的な見地からの意見も、小次郎先生の剣術の進歩に何かしらの影響を与えるかも知れませんよ?」


 こうも熱心に頼み込まれると何とも断り難い上、多大に世話になっている茶々丸の生みの親である葉加瀬殿なのだから、そんな彼女からの頼みを断るのは余計に躊躇われた。


「…………まぁ、その程度で構わぬのならば」


「本当ですか? ありがとうございます!」


 考えの末に葉加瀬殿の頼みを了承した時、両手で袋を抱えた茶々丸が戻ってきた。恐らくあの袋に、エヴァ用の薬が入っているのだろう。静かな足取りで、しかし素早く私の元にたどり着いた茶々丸は、私の隣りにいた葉加瀬殿を見て少々驚いた顔になり、何故ここにいるかを尋ね、話を聞いた後、私の耳に顔を寄せてきた。


「…………小次郎さん。その、大丈夫なのですか?」


「まぁ、命の危険はあるまい」


 詳しい日程は後日改めることとして、その場で葉加瀬殿と別れた私たちは、そのまま麻帆良大学を後にしたのだった。






「…………今にして思えば、やはり、少々安請け合いだったかな」


 目を閉じて、過去を回想し、若干の後悔を感じながら愚痴を零した。


「何をぶちぶちと言っている。ハカセの要求に応じたのは貴様だろう、さっさと逝け」


 かねてより燕返しに興味があったらしいエヴァは、この話を聞いた途端、『私も行くぞ』と有無を言わさず同行を取り付けてしまった。研究の結果が早く見たいのだろう、今にも背中を蹴ってきそうな気配を放ちながら、どこか物騒な物言いで私を急かしてきた。


「小次郎さん、お気をつけて」


 茶々丸の見送りの言葉に返事を返しながら、あながち間違いでないのが困りものだな、と内心で苦笑いしつつ、ばれぬように溜め息を一つ吐いて覚悟を決めた。


 一歩前に出て、葉加瀬殿に問うた。


「して、先ずは何を?」


「そうですね…………では、下着以外脱いでもらえますか?」


 ―――第一声で、既に全力で逃げ出したくなってしまった。


 その必死な思いのせいで、反射的に大きく飛び退ってしまっていたらしく、後ろにいたはずのエヴァと茶々丸が私の視界に映っていた。


「お待ちくださいハカセ。急に何をおっしゃるのですか」


 私が抗議の言葉を口にするよりも早く、茶々丸が葉加瀬殿の真意を問いただしてくれた。気のせいか、私を庇うように、葉加瀬殿と私との直線上に身を割り込ませていた。  先の言葉の意味は、葉加瀬殿ではなく、その隣で苦笑いを浮かべていた超殿が告げてくれた。


「ハカセ、あんな言い方、引かれて当然ネ。詳しく説明するヨ、佐々木師父。
 エヴァンジェリンや茶々丸の話によれば、貴方の秘剣である燕返しは、魔力も気も必要とせず、三つの刀で斬りつける、何て不可能な現象を引き起こすネ。だから私たちは、貴方の体そのものにその秘密があるのではないか、という仮定を立てタ。その証明のために今日はまず、佐々木師父、貴方の体を徹底的に調べさせて欲しいネ」


「か、体をか……」


 確かに我が秘剣・燕返しは、魔力も気も用いず、三太刀同時攻撃という通常では考えられない現象を発生させる。魔法等に精通している者からすれば、私の秘剣はさぞ不可思議に映り、よって私の体に秘密があるのでは、という考えに至るのにも納得がいく。


 ……だが、それとこれとは別問題だ。いくら研究に協力すると言っても、下帯一枚になってくれ、等と言う要求はいくらなんでも勘弁願いたい。加えて、この部屋には女子しかおらぬ。もし万が一、その光景を見られれば皆にあらぬ疑いがかかってしまうし、そもそも女子の前で見せるために服を脱ぐ、という行為には強い抵抗を感じた。


「研究に協力してくれると言ったのは、小次郎先生、貴方です。さぁ、さぁ」


「言っておくが、取りやめるつもりはないヨ?」


 二人の目はまるで獲物を追い詰める獣の如き光を灯しており、無理やりにでも剥いでやる、という意思が湛えられていた。助けを求めようと、エヴァと茶々丸に視線を走らせたが、エヴァはニヤニヤと笑いながら高みの見物を決め込むように腕を組んでおり、茶々丸はピクリとも動かず私を注視している。


「ちゃ、茶々丸。助けてくれ」


「! ぇ、あ―――も、申し訳ありません、小次郎さん。ハカセは私の製作者ですので……逆らえません」


 縋るように名前を呼ぶと、魚が跳ねるような勢いでビクッ、と身を振るわせた茶々丸が、申し訳無さそうな顔で頭を下げてきた。四面楚歌とはこのことであろう。


「フフフ……さぁ、観念してください」


「―――……致し方あるまいか。承知したから、摺り足で近づくのは止めてくれ」


 観念したことを表すために諸手を上げて、にじり寄ってくる狩人二人を制止させた。


「では、ほら、パパーッとお願いします」


「分っておるよ…………はぁ」


 到底女子が口にしていいとは思えぬ言葉を口にして、葉加瀬殿が私を急かしてきた。


 よもや、恋人でもない女子たちの前で自ら服を脱ぐことになろうとは―――深い溜め息を吐き、この研究への協力を承諾した己を呪った。


 いつまでも躊躇っていては、恥ずかしさが増すばかり。腹を括り、手早く帯を取り去って、勢いよく着物と袴を脱ぎ捨てた。


「オォ……」


「ほう……」


「―――」


 下帯一枚となった私の姿を見て、何故か超殿とエヴァから感嘆の息が漏れた。エヴァはともかくとして、既に何かの準備を始めている葉加瀬殿といい超殿といい、恥じらいという感情を持ち合わせてはおらぬのだろうか。


 茶々丸はというと、やはり男の裸を見ることに恥じらいを覚えてくれているのか、視線を逸らしていた。だが、同じくらい興味もあるのだろう、時折チラチラとこちらを見ているが、他の三人の反応に比べれば圧倒的に女子らしく、恥ずかしさこそ変わらぬが、いくらか私の心を安心させてくれた。


「それじゃあ、小次郎先生。こちらにお願いします」


 ようやく研究を始められることが嬉しいのだろう、嬉々とした表情を浮かべて、葉加瀬殿が躊躇いなく私を呼び寄せた。指定されたのは、余計なものが全て省かれた簡素なベッドの上であった。その周りを機械が埋め尽くしている。ここで私の体について調べるのだろう。


 ここに横になって楽になっていてくださいね、と言い残すと、葉加瀬殿はそそくさと私から離れていき、機械を起動させた。そちらの知識に疎い私では、葉加瀬殿が何をしておるのか、まるで理解は及ばなかった。その間も、エヴァと超殿は見定めるように私の体を見ていた。


 十数分はそうしていただろうか、葉加瀬殿がようやく、もう結構ですよと、服を着る許可を与えてくれた。


「……どうぞ」


「……忝い」


 目を逸らしたままの茶々丸が、僅かに気まずそうに、私の服を差し出してくれた。裸のまま茶々丸に向き合っている己が、酷く滑稽に思えて、今なら羞恥で死ねそうだった。


 さっさと着物と袴に袖を通し、もう脱ぐまいと帯を強く結んだ。


「いやぁ……スバラしい肉体だたナ。これほど適合化された身体は、初めて見たヨ」


「全くだ。付いている所にはしっかりと付いているが、不用な所には最低限の筋肉しか付いておらず、無駄な脂肪も一切ない。刀を振るうためにあるような身体だ。写真集でも出せるんじゃないのか?」


「アハハ、それは確かにネー。芸能人もたまに出しているしナ」


 ……エヴァと超殿の会話には、武芸者として嬉しさを覚える箇所もあったが、触れてはいけない話だと感じ取り、話題を逸らすために葉加瀬殿に声をかけた。


「結果はどうであったのだ?」


「えぇ……確かに、今二人が仰ったとおり、筋肉の質・バランスは素晴しいものです。簡素な調べですが、内臓器官も健康そのものです。ですが、目だって特異なデータは見受けられませんね……」


 うーむ、と唸りながら、何やら数字が羅列されている紙を睨んでいる葉加瀬殿。どうも、結果こそ芳しいものの、異質なものが一つもないことがお気に召さぬようだ。


「まぁまぁハカセ。こんな初歩の段階で分るような代物ではないということネ。次は実物を見せてもらい、検証するヨ」


「確かに、そうですね。では小次郎さん、次は部屋を変えますので、着いてきてもらえますか?」


 その言葉に従い、二人の後に着いていくと、今度は先ほどとは違い、随分と広い部屋へと通された。


 機械が大量に置かれていることは変わりないが、何かの実験を行う用途も含まれているのだろう、十分な空間が確保されていた。私はその広い空間の中央に立たされた。


「今から、各種センサーを使って小次郎さんの剣を調べます。とりあえず、いつもどおりに刀を振っていただけますか?」


「承知した」


 先の要求に比べずとも、まともな言葉に安堵しつつ、青江を引き抜き自然体に沿わせた。どうぞ、という葉加瀬殿の合図を皮切りに、普段の修業と同じように青江を振るっていった。


「フゥム…………茶々丸の映像で見てはいたが、やはり、実物は違うネ。芸術じみた剣舞だナ」


「ですが、これといった反応はありませんね……」


「えぇい、まだるっこいぞハカセ。さっさと燕返しを使わせればいいだろう」


 ただ青江を振るっただけでは、望む結果は得られなかったようだ。エヴァの助言に従い、とうとう燕返しを直接検証する運びになった。


 それに伴い、新しい機械の準備があるようで、私は茶々丸が用意していてくれた水を、機械から離れた位置で飲みながら用意が整うのを待った。


「何度もお待たせしてスイマセン、小次郎先生。準備ができました」


「次は何をするのだ?」


「まずは、このスーパースローカメラを使いまして、本当に刀が三つあるのかというのを確認しようと思います」


 そう言って、葉加瀬殿は三脚の上に乗っている“すーぱーすろーかめら”というらしい物体を、数度叩いた。それがどういった用途を持つものかは分らなかったが、隣にいた茶々丸がすかさず、映像を記録するための機械です、と教えてくれた。


 かめらの前に立ち、正面から向かい合う。目を閉じて深呼吸をし、感覚を研ぎ澄ます。敵と相対した時と同じ心持ちで、青江を構えた。肩越しに向けた視線が、かめらにある目のような部分に映った自分を射抜いた。


「―――燕返し」


 映っている自分よりも疾く振りぬく気概を持って、燕返しを放った。三つの刃唸りが重なって部屋に響く。


「……凄まじいナ」


 私の燕返しを食い入るように凝視していた超殿が、やっと絞り出したような声で、そう一言呟いていた。


 葉加瀬殿が“ぱそこん”を操作して、先ほど撮影した映像を見られるように操作している。少しすると、できました、と声がかかったので、皆揃って葉加瀬殿の後ろに回りこみ、自ら発光する画面を覗き込んだ。


 画面の中にコマ送りで、しかし滑らかな動きで刀を振るおうとしている自分が映っていた。水面に映った顔以外で、自分を眺める、という行いをしたことのない私は、面白いような不快なような、何とも奇妙な感想を抱いていた。


 そして、問題の刀が何本あるか、という話であるが、


「これは……間違いなく、三本ありますね」


「そうだな。しかし、刀の刀身部分だけが、勝手に宙を動いているのも妙な光景だな……」


 エヴァが口にした通り、柄から下が綺麗さっぱりなくなっている青江の刀身が、逆袈裟と逆胴の軌道から奔っていた。魔法に精通しているエヴァから見ても、妙な光景と映るほどだ、葉加瀬殿に超殿、ひいては実際に使っている私ですら、言葉をなくして画面の中の理解不能な現象に見入った。


 その後から、本格的な検証が始まった。色々な“せんさー”とやらを用い、私の燕返しをあらゆる角度から調べ上げた葉加瀬殿と超殿は、


「…………ありえないです」


「これもダメなのカ……」


 机で頭を付き合わせあい、二人の世界を形成して、あれこれと議論を交わしていた。その時間は、一つの検証が外れる度に長くなっていき、今もかれこれ三十分以上議論が途切れていない。


 時刻は既に五時を過ぎていた。今頃は、夕日が麻帆良を染め上げている頃だろう。


「おいハカセ、超 鈴音。もう研究は終わりか? それなら私たちはもう帰るぞ」


「待ってください! 何かあるんです、この世界で存在している以上、何かしらの原理が……」


「そうネ。音は空気の振動、光は電磁波、魔法は魔力、呪術は気―――この世には、不思議な事は何一つないのだヨ」


「科学者としてのプライドを刺激されたようですね……ああなったお二人は、納得のいく結論が出るまで止まりません」


「はぁ……迷惑な事だ。茶々丸、茶のお代わりだ」


 最初は興味津々であったエヴァも、長すぎる待ち時間と何の進展も見せない結果に辟易したようで、だらしなく椅子に背を預けて先ほどから茶々丸が淹れた茶を啜っていた。かく言う私も、葉加瀬殿から許可を得ていただいた機械を少々、好きに弄って時間を潰しているのだが。


「―――こうなったらハカセ、ダメで元々、あのセンサーを使ってみるネ」


「アレですか……そうですね、ここまで来たら、当たって砕けろですね。直ぐに取ってきます」


 ようやく何かしらの次の手段が決まったようで、葉加瀬殿は腰を上げて小走りで部屋を去っていくと、すぐさまその器具を持って戻ってきた。


「次は何で試すんだ?」


 完全に興味を失っている声で、エヴァが問うた。


「―――正直、これはありえないと言うか、外れて欲しい気持ちもあるんですが…………この、時空間を観測できるセンサーで検証します」


「時空間―――!? ……なるほど、お前たちの例の研究のか。それは面白そうだな」


 ガバッ、と椅子から跳ね起きたエヴァは、時空間、という単語に異様に食いつき、一瞬で興味を復活させたようだ。さっさと準備しろ、と機械を弄っていた私を急かしてくる。やはり六百年も生きると、娯楽に餓えるのだろうか、と苦笑いを浮かべながら、時空間を観測できるらしいセンサーの前に立った。


 燕返しを構え、放つ。葉加瀬殿たちの下へ戻り、結果が出るのを待った。


「―――……そんな」


「ほう……こうなっていたのか」


「反応が出たのカ!?」


「はい。それも、今までにないパターンです。
 ……小次郎さん、申し訳ありませんが、脳波も調べさせていただきますね」


 どうやら、ようやく反応が出たはいいが、先ほどの言葉と合わせてかんがみるに、望ましい結果ではなかったのだろう。葉加瀬殿と超殿は、剣呑な空気を身に纏いながら、また新しい機械を持ち出してきた。


 二人の指示に従い、ベッドに寝そべった。次の検証は、ただ寝そべっていればいいらしく、危険もないそうだ。ただ、機械と線で繋がった吸盤らしきものを複数頭に取り付けられてしまい、それがどうにも落ち着かなかった。


「では、小次郎先生。これから目を閉じて、私の指示通りのことを、頭に思い浮かべてください」


「承知した」


「先ずは……楽しい事を思い出してください。好きだったこと、仲の良かった人……」


 静かに目を閉じて、葉加瀬殿の言葉に従い、記憶を反芻していく。


 幼少の頃から続けていた、刀の修業。それを応援してくれていた家族。久しく思い出すことも忘れていた家族の顔が、明確に脳裏に蘇った。


「次は、刀を振っている自分を想像してください。小次郎先生は、いつもの様に、剣術の修行をしています」


 麻帆良の自宅の庭で、青江を振っている。遥か遠き月を目指し、一心不乱に……


「小次郎先生は、敵と戦っています。相手は同じ剣士、実力は伯仲」


 黄金の剣が、私の記憶の底から奔ってきた。すかさず私はそれを受け流し、切り返しの太刀で首を狙う。金の髪と翡翠の瞳が閉じられた瞼の裏に映され、神経に刻まれた心地よい剣気が、私を昂ぶらせていく。


「―――決着の時です。小次郎先生は、燕返しを構え……」


 翡翠の瞳が、力強く私を見据えている。黄金の剣が明確な殺意をぶつけて来た。燕返しを放つに相応しい。


 ―――燕返し!


 放たれる斬撃の牢獄。その僅かな隙間を縫って突破した、金の髪の毛が私の脇を流れ、黄金の剣が私の胴を通過していた。苦笑を浮かべて、夜空を見上げる。


「…………はい、結構です。目を開けてください、小次郎さん」


 ―――目に飛び込んだのは、月の明かりではなく、蛍光灯から降り注ぐ電気の光だった。


「お疲れ様でした、小次郎先生。以上で、研究は終了です。今、結果を総計して、結論を教えますので、少し待っていてください」


 暫し呆然と、果てのある空を見上げていると、葉加瀬殿はそう言葉を残して、紙の束を片手に超殿と別室へ向かった。


 ……少し、葉加瀬殿の言葉に素直に従いすぎたようだ。改めて思い返した過去に、精神が引きずられてしまった。


「……おい、大丈夫か、小次郎」


「問題ない。少々、眠ってしまいそうになっただけだ」


 上半身を起こし、片手で顔を覆いながら、訝しげに尋ねてきたエヴァに言葉を返した。


 しばらくして、葉加瀬殿と超殿が、一枚の紙を持って帰ってきた。


「お待たせしました。何とか、理解の及ぶ結論を出す事ができました」


「久しぶりに、熱く議論を交わせたネ。謝々、佐々木師父」


「それは何より。して、私の燕返しは、どういったものになったのだ?」


 葉加瀬殿は先ほど、私の燕返しが時空間を計測できるせんさーに反応した、と申していた。学の乏しい私では、それがどういうものなのか、どれだけの意味を持ったことなのかは分らなかったが、私以外の者からすれば、相当な出来事だったのだろうことは理解できた。


 私の問いかけに、葉加瀬殿が答えてくれた。


「私たちの結論は、小次郎先生の燕返しは、同時空間内の次元に干渉する剣技である―――というものです」


「……それはつまり、どういうことなのだ?」


「もっと詳しく説明しろ、ハカセ」


 エヴァも今の説明では要領を得なかったのだろう、私の言葉に続き、葉加瀬殿に詳しい説明を求めた。


「分りやすく言えば、佐々木師父は物体を瞬間的に複製できる、という事ネ。先ほど、時空間観測センサーで得たデータを検証したところ、その影響はあくまでこの時空間内に留まっていた。少なくとも、未来や過去には干渉していないネ」


「そして、その時空間への干渉は、小次郎先生の刀の周辺でのみ観測されました。
 ……ここからは仮定の話しになりますが、仮にこの世界の物体一つ一つに次元空間―――固有次元とでも名づけましょうか―――とにかく、そういうものが存在するとするとしましょう。そして、その固有次元を物体ごと複製する手段が存在するとするならば…………恐らく、小次郎先生の燕返しは、そういう類のものだと思うんです」


「もっと分りやすく言うのならば、佐々木師父がプリズムで、刀―――まぁ、手に持っている物体がプリズムを通る光、だナ。佐々木師父というプリズムを通り、物体という光は拡散され、出る時には複数の存在となる」


「ふむ……なるほどな。確かにそう考えれば、筋は通る」


 エヴァは今の説明で得心が言ったようだが、私はイマイチ把握し切れなかった。だが、次元だの空間だのという話を聞いていて、何故かセイバーが燕返しのカラクリを見破った時の言葉が脳裏に蘇ってきた。


 確か、あれは―――


「……多重次元屈折現象、であったか」


「たじゅうじげん…………なんですか、それは」


「いや、以前果たし合った相手が、私の燕返しを見て言った言葉だ。それが何であるかまでは、私には分らぬ」


「多重次元屈折現象……なるほど、言いえて妙ネ。私たちが導き出した結論には、とりあえず、その言葉を当てておくとしようか、ハカセ」


「そうですね。同じ時空間内に存在する固有次元を屈折させて多重化させる―――正に、私たちの結論に相応しい呼び名です」


 私が何気なく呟いた言葉が随分と気に入った二人のようだが、私はそんな彼女たちを尻目に、燕返しについての考えを独自に巡らせた。


 三太刀同時攻撃を可能とする我が秘剣・燕返し―――その正体は、何と次元に干渉するという、想像することすら不可能な領域に身を置くものであった。


 確かに、これがどういう原理で放たれているのか、かねてより疑問と興味はあった。しかし結局、それは私の中では、どうでもいいことに成り果てていた。


 私はただ、燕を斬るためにこの技を編み出したに過ぎない。燕返しはそれ以上でも、それ以下でもなかった。それを成しえる形が、偶然三太刀を同時に放つものになっただけの話しだ。


『しかし……これは覚えておけば、何かの役に立つかも知れぬな』


 技がどういう理合で組まれているのか。これは、新しい技の考案に役立つだろうと、記憶に止めておいた。


 その後私たちは、葉加瀬殿と超殿に手厚く見送られ、麻帆良大学を後にしたのだった。










「―――ということが、昨日あってだな」


「は、はは…………お疲れ様でした」


 長々と話した葉加瀬殿たちの研究の経緯に、刹那が苦笑いと共に感想を洩らした。全くだな、と含み笑いを浮かべつつ、ペットボトルに入った水を一口飲み込んだ。


 照り付けるような、熱い夏の日差しが降り注ぐ。無風なのか、辺りに植えられている、細めの幹を持ち先端部分に葉が集中している植物―――椰子の木の葉は揺れていなかった。しかし、風がないとは言え熱過ぎるということはなく、遥か下から吹き上がってくる風と波の音が、いい塩梅に夏の涼しさを演出していた。


「……しかし、凄い場所ですね、エヴァンジェリンさんの別荘と言うのは」


「うむ。私も、初めて入った時は大層度肝を抜かれたよ」


 二人で辺りを見渡して、今私たちがいる場所―――エヴァの別荘への正直な感想を、しみじみと口にした。


 以前エヴァと交わした、気について詰まったら刹那を呼んでも良い、という約束に従い、共にこの別荘にやってきたのが『三日』前。閉じることは何とか習得できたものの、使いこなすことはやはり難しく、この三日間刹那からの教えを受けても、中々コツを掴めずにいた。


 だが、刹那曰く、


「気は本来、長年の修業がなければ扱えませんから、むしろ閉じられるようになっただけでも大したものです」


 とのことらしく、それについては、呆れられながらも褒められた。


 今はちょうど休憩時間で、ただ黙っておるのも暇だろうと、色々と衝撃的だった昨日の出来事を語っていたのだった。


「それにしても、燕返しが次元に干渉する剣技……ですか。納得がいくような、いかないような、微妙な心境です」


「私自身、未だに実感が沸かぬしな」


「でしょうね」


「むっ……」


「あっ、す、スイマセン」


 曖昧な感想を持ったらしい刹那に、私も同じ気持ちだと賛同すると、何故かそこだけ強く断言された。それが少々気に食わず顔を顰めると、慌てて刹那が取り繕うように謝ってきた。微笑ましい仕草に頬を綻ばせて、気にしておらぬよ、と言いながら刹那の頭を撫でた後、青江片手に立ち上がる。


「そろそろ稽古を再開しようか」


「……はい」


 撫でられて乱れた髪の毛を直しながら、刹那も同じく夕凪を手にして、私と相対した。手取り足取りを教えられるよりも、実戦の中で掴みたいという私の希望にそった稽古方法だ。


 夕凪を脇に構えた刹那の身体に気が纏わり付いた。それに応じるように、私も細く深く息を吐き出しながら、静かに気を解放した。湯気が立ち上るように、私の全身を気が覆っていく。


「―――っ」


 途端、私の中の何かが猛烈な勢いで燃え始めた。気が私の体力を食らっているのだ。まるで暴れ馬に乗っているかのように制御が利かないが、それを押さえつけて、刹那と試合っていく。


 しかし、十合ほど刀を合わせたところで、グラリと私の身体が内から揺らいだ。その決定的な隙を見逃す刹那ではなく、キィン、という音の後、あっという間に青江が夏の空を舞っていた。


「……参った」


「まだ、気を無理やり制御しようとしていますね。気も自分の一部だと思って、受け入れるように制御してください」


 弾き上げた青江が落ちる前に、落下地点に先回りして受け止めてくれた刹那が、私に青江を差し出しながらそう申してきた。気の疲労感に少々眉根を寄せながらも、努力しよう、と返した。


 その後も、同じ稽古を続けたが、合わせられる限界が十五合を超えることはなかった。


「まだまだ、上手く行かぬな……」


「そんなものですよ。ですが、確実に進歩しています。小次郎さんならできます、頑張ってください。私もできる限りお付き合いします」


「頼むぞ、期待しておる。
 ……そういえば、刹那。其方が習う神鳴流には、当然気を用いた技があるのだろう? よければ、見せてくれぬか」


 刹那に励まされたところで、ふと気になったことを、興味本位から願い出た。


 お前の流派の秘密を見せてくれ、という不躾な願い出であるからだろう。数瞬、刹那も思案していたが、構いませんよ、と快くそれを受けてくれた。


「ただ、神鳴流でも気を使った技は、ほとんどが奥義に当たりますので、二つで勘弁してくださいね」


「無論だ、そのような我が侭は申さぬよ」


「はは……では、一つ目です」


 そう言うと、刹那が夕凪を八双に構えた。ジッと虚空を見据え、そこに仮想の敵を生み出しているのだろう、刹那の全身に気と剣気が満ちていった。


 すると突然、パチンッ、と乾いた音が響いた。気のせいか、夕凪から聞こえたように思える。意識を刹那から夕凪に移すと、二度三度、再び空気が弾けるような音が鳴り、その刀身からは紫電がほとばしり始めていた。紫電の規模は、徐々に大きくなっていく。


「奥義―――雷鳴剣!」


 ダンッ、と一歩踏み込むと同時に、空から雷が落ちるような勢いで夕凪が振り下ろされる。瞬間、轟音が辺りに轟き、強烈な閃光が私の目を焼いた。


 思わず目を庇っていた腕を退けると、それを待っていた刹那が今の太刀の概要を話してくれた。


「今のは雷鳴剣と言いまして……気呼び水として雷を起こし、得物に通わせ、敵を斬る技です。出力を上げれば今のように、直接雷を放つことも可能な、神鳴流を代表する技の一つです」


「ほう……」


 聖杯戦争を通じて、それなりに神秘を目にしてきたが、天災の一つに数えられる雷をこうも容易く人が扱えるのかと、強い感心を覚えた。


「それは、私にも使えるのか?」


「使えるか使えないかで言えば、使えるとは思いますが……小次郎さんの気の特性を考えると、現実的ではありませんね。雷の呼び水として、相応の気を消費しますから」


「左様か……まぁ、そうであろうな」


 私の気は、異常に変換効率が悪い。それ故に、気を一気に使おうとすれば、それ以上の体力を瞬時に消費してしまう。私がこの雷鳴剣を、今刹那が放ったように使ってしまえば、恐らく、それだけで戦闘不能に近い状態になってしまうのは目に見えていた。


 これは、参考にもできそうにない―――大人しく諦めて、次の技を頼んだ。


 先ほどとは違い、刹那は大上段に夕凪を構えた。気が立ち上り始めるが、それは刹那の身体からではなく夕凪から溢れていた。刀を構えているはずであるのに、私は何故か、矢が番えられている弓を、刹那が構えている錯覚を受けた。


「奥義―――斬空閃!」


 上空に向けて夕凪が振るわれた。途端、その切っ先から、気の塊と思われる三日月型のモノが放たれていた。それは空に向かって一直線に突き進み、ある程度進んだところで、霞のように散っていった。


「今のは斬空閃と言いまして……得物に溜めた気を斬撃として放つ奥義です。雷鳴剣と同じく、神鳴流を代表する技の一つと言えるもので―――小次郎さん?」


 刹那が何か、私に話しかけている気がしたが、そんなことに気を裂く余裕は、今の私から消え失せていた。この瞬間、私はただ、斬空閃が消えた空を凝視することしかできなかった。


 斬撃を飛ばす奥義―――まさかこの世に、そのようなことを思い立ち、実現させた者が存在したとは。月を墜とすことを理想の終着点としている私ですら思いつかなかった、途方もない剣技が、今目の前にある。


 私の全身を、壮絶な歓喜が駆け巡った。抑えることのできない、抑えようとも思えないほど強いそれは、強く握り締めた拳を震わせ、無意識に頬を吊り上げさせた。


「あ、あの、小次郎さ―――」


「刹那っ!」


「は、はい!?」


 再び声をかけようとした刹那に先駆けて、勢いよくそちらを振り返りながら、つい大きくなってしまった声でその名を呼ぶ。突然の剣幕に驚いた刹那は、ビッと背筋を伸ばし、私の言葉を待ってくれていた。


「頼む。斬空閃を私に教授してくれ」


「え? ざ、斬空閃をですか? しかし、これは今言ったとおり、神鳴流の奥義で、いくら小次郎さんとはいえ門外の者にはちょっと……」


「頼む、刹那。どうしても、何としても必要なのだ。如何なる対価でも払う、だから、どうか」


 刹那の肩を掴み、今までにないくらいの真剣さで強く、強く頼み込む。流派の奥義を教わろうとしている無礼も、刹那に無理を言っていることも承知の上だ。これだけは決して折れることはできぬ。刹那が首を縦に振るうまで、私はこの肩を離すつもりはなかった。


「―――ど、どうしても必要なんですか?」


「そうだ。絶対に必要なのだ」


「…………わ、分かりました。分りましたから、離れてください。か、顔が近いです」


「そうか、引き受けてくれるか。ありがとう、刹那!」


 余りの嬉しさに、勝手に刹那の手を掴み上下に振り回してしまった。普段では絶対にしないだろう行動であるが、ついそういうことをしてしまう程、私の気持ちは浮ついていた。刹那も、そんな私に戸惑っているのか、目線を伏せてされるがままにしていた。


「さぁ、修業を再開しよう、刹那。先ずは、気を扱えるようにならねばな」


 気を使った疲労感もどこへやら。羽が生えたように軽い足取りで間を取り、青江を構えて刹那を促した。


「……はいっ」


 急に張り切りだした私がおかしかったのだろう、口元に手を当てて、苦笑いを浮かべた刹那が、気を纏って私の正面に構えた。


 その背後に見える景色の空が、先ほどよりも近づいて見えた。










 ―――実験が終わった後、小次郎達が去った研究室で、聡美と超が幾つかの書類を広げた机で向かい合い座っていた。


「…………先ほどはああ言ったが、ハカセ、このデータ、信じられるカ?」


「……少なくとも脳医学的に、否定する事はできません。何しろ人間の脳には、まだ解明されていない箇所が、多くあるのですから」


 机の上に広げられている書類は、つい先ほど収集した、燕返しと小次郎の脳波についてのデータをまとめたものであり、その中でも、二人が特に食い入るように見つめているのは、脳波についての書類だった。


 人の脳波は、δデルタ波・θシータ波・αアルファ波・βベータ波の四つに分けられており、分ける基準は周波数によって定められている。


 いかに小次郎が四百年ほど前の人間であったとしても、検出される脳波に違いはない。それを示すように、書類に書かれているデータは、小次郎の脳波が極めて正常である事を告げていた。


 ―――ある一瞬を除いて。


「一番周波数が大きいベータ波を大きく超える周波数…………今までこんなのは見た事がありません」


 聡美の言葉に従い、頭の中でその通りの光景を思い描いていた小次郎が、燕返しを放つ、と強く意識したその一瞬。検出した脳波を書き記す振り子が、狂ったように大きくうねったのだ。


 今まで検出された事がない波長領域の脳波。それが、小次郎の脳から検出されてしまったのだ。


「これはつまり、佐々木師父は、通常の人間では動いていない脳の部分が機能している。そして、これが燕返しの原理の大元である―――そういう結論を、導き出さざるを得ないネ。実際のところ、さっきみんなに話した結論も、これを理論付けるためのこじ付けなのだからナ」


「そうですね。けどよく考えてみれば、魔力も気も何も用いないで、次元に干渉するのですから、逆に言えばこれくらいの特異性でなければ、全然納得がいかない話しになってしまいます」


 これでも十分、納得がいきませんが、と聡美は科学者の顔になって眉間を揉み解した。科学的に証明できそうな理論で、魔法でも科学でも不可能な事象を引き起こす小次郎は、生粋の科学者である聡美からすれば、異星人以外の何物でもなかった。


 それは、魔法にも科学にも精通している超をもってしても、例外ではなかった。いや、むしろ時間と空間の研究に全てをかけてきた超だからこそ、そのショックはより大きいであろう。


 自分たちがある計画のために、血眼になって進めた研究の成果―――それに匹敵する現象を、何の対価も払わずに、一人間が成しえているのだ。悪い夢なら覚めて欲しいヨ、と超は弱々しい声で呟いた。


 ―――しかし、それも無理のない話である。小次郎は別世界の人間だ。であるならば、小次郎の世界の定義で編まれた燕返しを、そちらの情報を知らない葉加瀬たちの手で、正確な原理を看破できるはずもない。むしろ、次元に干渉するという、多重次元屈折現象に近しい結論を出せただけで、二人の科学者としての能力がずば抜けている事の証明ともなろう。


「とにかく、佐々木師父は、魔法も科学も超えた全く別の能力の持ち主―――さしずめ、超能力者、というわけだな」


「そうなりますね……悔しながら」


 認めたくないが、そうだと認めるしかない―――その葛藤が、二人の胸中で渦巻き続け、表情はおろか部屋にまで暗い影を落していた。












 後書き


 最近、前編後編に分かれるのが多い。それだけ量があるとポジティブに考えよう、逢千です。


 今回は、十七話と同じように、ひたすら説明が続く話でしたが、お楽しみいただけましたでしょうか。


 小次郎の燕返し。流石に原理もなく放てるはずがないだろう、と思い、それらしい理由付けを行ってみましたが、違和感はないでしょうか?


 なお、この定義づけは作中でも語ったとおり、あくまでも『ネギま世界での情報』を元になされたものであり、実際はFate世界における多重次元屈折現象を用いておりますので、勘違いなさらぬよう。


 前回はこの説明を省いてしまったが故に、多くの方に不快感を与えてしまったようですので、こちらで謝罪させていただきます。


 魔法も科学も超えた別の能力(脳力でも可かも)の持ち主、ゆえに『超能力者』である。こじつけの理論付けを行っても不条理を感じるとは、流石の小次郎だぜ! というのが私の意見です。


 作品の感想と共に、燕返しへの意見もお待ちしています。


 では。




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