「――――――貴様、何者だ」


 化生の者が殺気を含んだ言葉で私に問いかける。それは他の化生と目の前にいる娘子、そして奇妙な関節を持った女子も同様であった。お前はどういう存在だと、その目が物語っている。


 知らず、口の端が吊り上がる。名を聞かれ、そしてそれに答えられることの何と喜ばしきか。


「――――――佐々木 小次郎」


 口にした途端、体中を歓喜が駆け巡った。例えこの名が与えられた偽りの物であろうと、今の我が名であることに変わりはない。嗚呼、名乗りとは斯くも素晴らしきものなり。


 そんな“当たり前のこと”で嬉しそうに笑っている私を、今度は理解できないという視線で全員が見やってきた。


 解るまい。名を持つのが当然である其方らに、己が何者で在るかを示せることの喜悦など。


「今宵の月は満月でこそないが真に美しい。この光に釣られて迷い出たか、化生よ。それとも、今は丑三つの刻か?」


 私への反応を一通り楽しんだ後、化生どもに言葉を投げた。反応はなかったが、とりあえず、目の前の美しい花を守れる位置に立たなくてはと、一歩を踏み出そうとする。


「止まってください。貴方が何者か分からない以上、マスターに近づける事はできません」


 だが、金髪の娘子を庇うように、奇妙な関節を持った緑髪の女子が私に立ち塞がった。表情は無く、瞳までもが無機質でありながら、娘子を想う強い気持ちを言葉から感じ取れた。


「そう警戒せずとも良い。完全な第三者という立場は変わらぬが、どちらかと言うと私は其方らの味方だ。先も言った通り、愛でるべき花を摘み取られるのは好かぬものでな」


「信用できんな。凶器を持ってヘラヘラ笑っている危険人物を、はいそうですかと信じるほど、私はお人好しではない。第一、そんな時代錯誤な格好をした男などその刀が無くとも怪しむのが普通だ」


 女子の後ろから娘子の声が聞こえる。その内容に、最もだ、と心の中で自嘲した。


「ククッ、確かに。斯様な出で立ちの男を信用しろなど、あまりに虫が良すぎたか。いや、全く持って其方の言う通りよ。今のは私の失言であった、聞き流せ。その侘びに、後ろの化生を倒す手助けをしよう」


「いらん。貴様、今言った事と矛盾しているぞ。信用できない者に手助けなど頼むかこの馬鹿が」


「だが見た所、戦況は思わしくないのであろう? このままでは其方らの敗北は必至。よもやそれを望んでいる訳でもあるまい。
 何より―――」


 言葉を区切り、一息で正面へ踏み込む。私の行動にいち早く反応した女子は構えを取ったが、気にも留めずにその脇を過ぎ去り、今まさに娘子へ襲いかかろうとしている鬼の爪を腕ごと断ち切った。鬼が驚愕で表情を塗りつぶしながらも飛び退ったが、我が愛刀である五尺余りの備中青江は、安易な後退を許すことなく、逃げる首を無慈悲に一閃した。


「斯様に美しい女子たちに徒党を組むような無法者、其方らがおらずとも私が必ず切り伏せている。共通の敵を持ち、同じ場所に居合わせたならば、手を組んだ方が手っ取り早いのは自明の理。加えて私たちが敵でないのならば、それは尚更であろう?」


 当初の狙い通りの位置に立ったことで僅かな笑みを浮かべ、首のみで振り返りながら告げた。私に気を取られすぎて近づいてくる鬼に全く気付いていなかったのか、二人の顔には驚きの色が見える。それに満足して正面を向けば、私に驚きと怒りの視線を向ける化生の頭。


「貴様…………よかろう、佐々木 小次郎とやら。召喚主からは“邪魔者は全て消せ”と言われている。貴様もこの場で殺してやろう」


「構わぬ。臆せず来るがいい。互いの立場が明確な今、言葉は不要。後は、どちらが生き残るかだけであるからな」


 自然体に刀を下ろし、臨戦態勢となった化生どもを見据える。残っているのは鬼が二体に鳥人が三体。鬼は容易く切り伏せられるだろうが鳥人―――特に頭であろう鳥人は、少々手こずりそうだ。


「そら、女子たちよ。戦わぬのであれば下がっておるがいい。生憎私のとりえはこの刀一つ故、其方らを狙われても守りきる自信は無いぞ」


「―――助けられた以上、無視できる訳ないだろ。茶々丸、共闘しろ。そいつの言う通り、敵でないなら手を組んだ方が効率的だ」


「はい、マスター」


 娘子が女子―――茶々丸とやらに指示を飛ばし、それを忠実に実行する。私の隣りに並んだ後、同じく自然体に構えを取った。


「ほう、漸くその気になったか。だが凶器を持った初見の者を急に信用するとは、この短い間にどういった心境の変化があったのだ?」


「信用などしていない。借りを返すだけだ。無駄口を叩くなら茶々丸つれて貴様を置いてけぼりにするぞ」


「一向に構わぬよ。それならば確実に其方たちが助かる。私としても初めからそれが目的でな、むしろそうしてくれた方が良い」


「それなら共闘など初めから申し出るな!」


「いや何、先ほどはやる気が全身に満ち満ちていたのでな、私はその意気を汲んでやったのみよ。それとも、初めから逃げる気であったのか? ならば粗相をした。ここは任せて早々に―――」


「それなら共闘など申し出んわこの馬鹿が!」


「マスター、敵が来ます。談笑は、その後で」


「クッ、確かに。では、参るとしよう」


「貴様、終わったら覚えていろよ……」


 娘子の言葉を背に受け、飛び出してくる鬼を迎え撃つ形で踏み出す。その背後からは鳥人も二体向かって来ていた。どうやら、私と茶々丸に丁度一体ずつあてがうようだ。


 振るわれた鬼の爪を刀で受け流し、返す刀で首を狙う。それを鳥人の剣が受け止め、そのまま流れるように剣で薙いできた。同様に受け流しつつ茶々丸殿を見れば、向こうも戦闘に入ったようだ。


 さて。化生の者がどういった戦いをするのか、とくと拝ませてもらおう――――――












 茶々丸と小次郎が妖怪たちと交戦に入ったことを、エヴァンジェリンは二人に守られる形となりながら確認し、残り三つとなった触媒の内二つを手にして、魔法を撃つ隙を窺い始めた。もっとも、エヴァンジェリンが援護できるのは茶々丸だけだ。たった今会ったばかりの小次郎は、援護をしようにも動きが解らないので、下手をすれば魔法に巻き込んでしまうだろう。


 鬼の首を気も使わず、一刀で切り飛ばせるほどの実力があるのなら、少なくとも死ぬことはないだろう。そう決め付けて、エヴァンジェリンは己の従者の戦いに注意を向けた


 爪と剣の波状攻撃を受け、茶々丸が防戦一方となっている。それでも彼女は防御を崩されることなく、時には捌き、時には避け、時には敵を盾として攻撃を回避し続けていた。


 元より、エヴァンジェリンが茶々丸に求めているのは魔法が発動するまでの時間稼ぎだ。茶々丸に敵―――とくに妖怪等を打倒する手段はない。それはエヴァンジェリンの役目でもあるからだ。


「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック」


 遅延呪文ディレイ・スペルという技巧を遣い、詠唱を完了させた魔法をいつでも放てるように待機させる。待機可能時間が三分を超えるエヴァンジェリンのディレイ・スペルならば、茶々丸が隙を生み出した瞬間に攻撃を放つことが可能だ。


 烏族が胴を狙って横薙ぎに剣を振るい、茶々丸がバックステップで回避する。その隙を逃すまいと前進した鬼が、袈裟懸けに爪を振るった。絶妙な見切りで左前方に移動しつつ、左手で爪の軌道を逸らした茶々丸が鬼の足を払いバランスを崩して、距離を詰めようとしていた烏族に向かってその鬼を突き飛ばす。


 普通ならそのまま衝突し決定的な隙が生まれそうなものだが、尋常ではない反応速度で烏族は一度横に跳ぶと、再び茶々丸への接近を敢行した。


 茶々丸を間合いに捕らえた刹那、右胴から左肩にかけての切り上げが放たれた。左右への回避を許さず、若干縦の軸が入っているそれは、得物を持たない茶々丸では回避が難しい。そして一撃を振るうは人外である烏族。剣速は言うまでもない。


 それらを一瞬で理解した茶々丸が、前進することで斬撃の間合いから外れた。加速しきる前の烏族の腕を押さえて斬撃を止め、同時に腰の回転を存分に入れた左正拳を烏族の胸の中心に叩き込む。鈍い音を響かせて鳩尾に直撃したそれは、烏族から一時の自由を奪い、立つこともままならなくなった烏族の膝が落ちた。


 その瞬間、茶々丸の頭上から鬼が襲い掛かる。頭を狙って振るわれた爪を、茶々丸は一歩下がることでやり過ごしたが、そこまでも計算づくだったのか、鬼は淀みない動きで次撃に繋げてきた。体の中心を狙った突きは、先の斬撃と同様、人の速さを超えていた。


 だが、その程度に対処できぬ茶々丸ではない。半身になって突きを紙一重で避けると、そのまま両足を軸に回転し、裏拳ならぬ裏肘打ちを鬼の顎に直撃させる。やはり顎への攻撃は人外にも効果があったのか、鬼の膝が崩れた。


 決定的な隙。それを見逃すこと無く、捻った体を戻す勢いまで乗せた掌打でもって鬼を吹き飛ばした。その方向には、どうにか立ち上がろうとしている烏族の姿。今度こそ二匹が衝突し、待ちわびた時が生み出された。


解放エーミッタム氷爆ニウイス・カースス!」


 名の通り炸裂する魔法。二体の人外がいる場所で発生した氷の爆発は、その四肢を存分に砕き散らせ、凍らせた。


 人外の完全な消滅を確認し、茶々丸が一度エヴァンジェリンの下へ戻ってくる。


「二体の妖魔、送還を確認しました。マスター、次はどうします?」


「そうだな…………あの侍の状態によるな」


 告げて、エヴァンジェリンは初めて、小次郎の戦場に意識を向けた。恐らく、二体の妖怪相手に防戦を強いられていることだろう。場合によっては茶々丸を援護に向かわせることになる。そう考えつつ、視線を向けて―――





 ―――その一方的な戦況に、目を見開いた。




 見事な円を描いて、銀光が烏族の首に奔る。辛くも防ぎ反撃しようとするが、烏族が踏み込む瞬間にはまた首に光が翻っていた。再び光を弾き、烏族は何とか逆袈裟を放ったが容易く受け流され、その返礼とばかりに三度目の首狩りの一撃が烏族に迫る。


 受け止めると同時に、烏族が小次郎から距離を取った。その呼吸は乱れており、表情には信じられないという思いがありありと表れている。


 対する小次郎はあくまで自然。表情には余裕のある笑みを浮かべ、呼吸にも一つとして乱れは無い。誰がこの場の支配者か、それは素人目から見ても明らかなほど明確だ。もう一体いたはずの鬼の姿は見当たらなかった。恐らく、とっくの昔に首を跳ね飛ばされたのだろう。見れば、烏族の頭も侍を注視していた。


「……ふむ。この程度が化生の力か。これならば、あの赤い弓兵が振るう剣の方が数段上であったな。いや、これは過大評価が過ぎたか」


 静かに紡がれた言葉。そこに黒い感情は一つも無く、貴様は弱いと、ただ純粋に感想を述べていた。


 その言葉が烏族の逆鱗に触れたのか、とても表現出来ない叫び声を上げながら、小次郎に向かって突撃していった。その速度は、武芸に秀でると言われる烏族として恥じぬものだ。


 烏族が先手を取って剣を振り上げ、短い気合と共に振り下ろす。上段を狙って放たれたそれを、自然体から跳ね上がるように振り上げられた、小次郎の刀の峰が迎え撃った。


 峰と剣が触れ合う刹那、小次郎は体を開きながら、手首を勢いよく返す。シュッ、と擦れる音だけを残して剣を受け流された烏族はたたらを踏んだ。その隙を狙い首に食らい付こうとする刀を弾き、烏族は胴を薙ごうとしたが、またも刀が首に返って来たので止む無くそれを防いで、烏族が距離を取った。


 …………否、取ろうとした。


「シッ―――」


 息と共に空を裂く銀。その軌跡は円から点に変わり、しかし変わらず首を目指す。急な変化に対応できず、そもそも後退途中だった烏族は成すすべなく首を貫かれ、絶命した。


「――――――」


 ここが戦場であることも忘れて、エヴァンジェリンは無造作に血振りをしている、何もかもが常識外れな男を凝視した。


 直線的な烏族の剣は最短距離を進む。対して、小次郎が振るう太刀は円の軌道を通るものだ。ならば自然的に小次郎の太刀の方が、烏族の剣よりも最終的に遅くなるのが普通だろう。しかし、小次郎はその差を埋める何かを持っているのか、円の太刀のままで直線の剣を圧倒して見せた。


 最後の受け流しも、信じがたい代物だった。ほとんど衝突音を響かせず、あまつさえ、刀による受け流しの理想の順番とされる『峰・腹・刃』の通りに烏族の剣を捌いたのだ。日本の武にも密かに精通しているエヴァンジェリンだからこそ、その驚きは大きかった。


 更に小次郎はこの二つを、五尺余りの長刀でやってのけたのだ。その技量の高さは、推して知るべきだろう。


 ―――いや、違う。確かにこれらも驚愕すべきところだが、何より驚くべきは、小次郎が『侍』として戦い切ったことだろう。エヴァンジェリンは、頭を振ってそう思いなおした。


 本来、人と妖怪が戦いを行う場合、人は須らくソレに勝つためだけの戦法を取る。人が人を倒すために編み出した技法で、妖怪に挑んだ結果など誰でも想像できるからだ。そういったモノどもの天敵とされる『神鳴流剣士』ですら気を使い、専用の得物を持たなければ妖怪とは渡り合えない。元より、気も魔力も使えないただの人間が、基本的な能力で上回る妖怪に勝てるはずがないのだ。


 しかし、気も使わず、魔術付与がされた得物すら用いず、ただ己の肉体と純粋な剣技だけで、小次郎は敵を圧倒した。それは正に、時代の流れと共に消えて行った『侍』としての戦い方だ。真実人間のまま妖怪を下して見せた小次郎に、六百年を生きたエヴァンジェリンが驚きを覚えたのも無理はないだろう。


 ギャン、という音。余りのことについ思考に没頭していたエヴァンジェリンを、その甲高い金属音が呼び戻す。ハッ、となって音の方に視線をやれば、最後の一体になった烏族の頭と小次郎が睨み合いの状態になっていた。烏族の頭は、小次郎をもっとも厄介だと判断したのだろう。


「今一度問う。貴様何者だ、人間」


「聞いておらなんだか? 佐々木 小次郎と名乗ったであろう」


「そんな事を聞いているのではない。今までの戦い方を見て解った。貴様は西洋東洋どちらの魔術師でもなく、神鳴流の剣士でもない。僅かも気を操れない唯の人間だ。そんな貴様がなぜ、あそこまで我が同胞を圧倒できる」


「そんなもの、答えは既に出ていよう。ただ、私よりあの化生が弱かっただけの話だ。違うか、化生の頭よ」


「―――違いない。だが、私を先ほどの同胞と一緒にしないほうがいいぞ」


 そう烏族が告げた途端、辺りの空気が軋みをあげ始めた。烏族から放たれる殺気が増大した結果だ。


 だが、小次郎は変わらない。どれだけの殺気を浴びせられても、柳に風とばかりに全てを受け流す。そして小次郎が放つ殺気は、虎視眈々と烏族の首を狙っていた。


 烏族の体が揺れる。先ほど還された烏族を明らかに超える速度で踏み込み、一直線に剣を袈裟懸けに落とす。その速度と激しさを形容するならば、稲妻という言葉が相応しいものだった。


 その稲妻のような一撃に向けて小次郎が刀を振るう。剣線はやはり円を模っていた。烏族とは反対に、技量から放たれる柔の速さと優雅さは、疾風という言葉が相応しいだろう。


 風の柔らかさを生かして稲妻を受け流し、疾風を突風と変えて烏族の首に刀を奔らせた。それを弾き、烏族は再び稲妻を落とす。だがその稲妻は、返って来た突風に阻まれた。


 目まぐるしく夜を裂く、二つの鋼。それらは止まる事なくぶつかり合い火花を散らす。気がつけば、エヴァンジェリンはその戦いに見惚れていた。正確には、小次郎が振るう刀の描く剣線の美しさに。さしものエヴァンジェリンでも、あれほどの剣士は見た事がなかった。


 烏族が、大きく距離を取った。その表情には、いくら打ち込んでも攻撃が全く通用しないことへの恐れが浮かんでいる。同じ剣を持つ者として実力がある分、目の前の侍の強さを理解してしまったのだ。


「やはり、言うだけあって違う。私の剣は邪道故、正道に慣れた並みの者ならばまず一撃で首を落とす。それで落ちずとも、十合までに首を落とす自信があったのだが…………それをここまで防ぐとは。嬉しいぞ化生」


「言っていろ。しかし…………剣と刀の違いは十分理解しているが、やはり正面からぶつかれないのは歯痒いものがあるな」


「仕方あるまい。私の刀は見ての通り長刀でな、そのような剣と真正面からぶつかっては加減でもしてくれぬ限り曲がるは必定。下手をすれば折れてしまう。そも、私と其方では体の作りからして違うのだ、生かすものが変わってくるのも道理であろう?」


 未だ余裕然とした小次郎の言葉に、全くだ、と烏族は相槌を返した。


 数瞬の間が空き、静寂が二人の間を流れる。だがそれも一瞬のこと、瞬きの間に二人が同時に詰め寄っていった。


 それは、先手後手がない完全な同時だった。


 振るわれる剣と刀。だがその着弾は、小次郎が圧倒的に速かった。攻撃を中断して防御に回った烏族は、捌いた剣で反撃を試みようとするが、そうやって動こうとした瞬間に小次郎の刀が返って来るのだから、烏族は守りに徹するしかない。


 ここに来て一転、攻守が逆転した。だがそれは、実は当然のことだった。


 小次郎と烏族の斬り合いは拮抗していた。ただし、常に烏族が先手で小次郎が後手、という条件に限って。終始守りに徹し、必ず後手から動いてなお同時であった小次郎が先手に回れば、烏族が守りに必死になるのは自明の理と言える。


 直線を超える速度で幾度となく振るわれる首狩りの円。それを最小限の動きで防ぎ、何とか命を繋ぎとめる烏族の腕も生半可ではない。だが攻めには出れない、否、そのような余分を考えればその瞬間に首が胴体を離れてしまう。そして、目測で五尺(約百五十センチ前後)はある長刀のリーチも相まって、烏族はなおさら攻めに出ることが出来ずにいた。


 このままでは烏族の負けは色濃い。恐らく、いずれ小次郎の勝ちとなるだろうことは、誰でもが予想できることだ。


「―――ふむ」


 しかし何を思ったのか、侍の打ち込みが三十を超えた時、そんな呟きと共に首狩りの円はピタリと止んだ。急に刀を下ろしたことを訝しんでいるのか、せっかくのチャンスであるにも関わらず、烏族は剣を構えたまま動かない。その視線の先で、小次郎が口を開いた。


「このまま其方を斬るのは骨が折れすぎるな。いや、大した守りの剣だ。こと守りに関してならば、其方はセイバーにも引けを取るまい。賞賛に値しよう」


 片目を閉じたまま笑みを浮かべて、心からの賛辞の言葉を送る小次郎。そこに偽りは無く、ここまで己の剣を防ぎきった烏族を心の底から褒め称えていた。


「……だが、このままでは埒が明かぬか。心満たされる果し合いではあったが、ここらで幕引きと行こう」


 そう告げると、小次郎は急に烏族に対して背を向けて歩き出した。その歩みも数歩で止まり、二人の間に約二メートルの距離が開く。歩を止めたにも関わらず、小次郎は背を向けたままで、まるで殺してくれと言っているようなものだった。


 当然烏族は、その無防備な背に斬りかかろうとし―――







「構えよ。でなければ死ぬぞ、化生」







 この戦いが始まってより初めて、小次郎が刀を構えた。


 烏族の動きが止まる。肩越しに見える表情を無に変え、声質はそのままに告げられたその言葉の意味を、烏族はおろかこの場にいる全員が理解した。あれは忠告だ。小次郎は今、こう言ったのだ。


 攻めてみよ。その瞬間が其方の死ぬ時だ……と。


 小次郎が取った構えは、何とも奇妙な構えだった。背は烏族に向けたまま顔だけが左肩越しに向けられ、刀は目と水平に構えられている。一見隙だらけにしか見えない構えだが、その実一分の隙も見せてはいない。それを証明するように、烏族が先ほどとは別の意味で攻めあぐねていた。


 辺りの空気が急速に冷たくなる。小次郎の極限まで凝縮された、切っ先のように鋭利な殺気が、首にヒタリと突きつけられる錯覚を烏族は感じた。





「秘剣――――――」




 小次郎が踏み込む。烏族は初見の構えに警戒して、守りに全神経を集中させている。小次郎が賞したとおり、この烏族は守りに関してならばかなりの自負を持っていた。例えそれがいかなる技であろうと、高々人間の刀一本から放たれる程度のもので深手をおうことはないと、烏族は自信を持って判断した。


 だが―――







「――――――燕返し」







 ―――その自信も、これを見るまでの話だった。






 烈風が吹く。今までのどんな一太刀よりも速いそれは、烈風と呼ぶ他はなかった。風の質はそのままに稲妻の如き速さが加わったこれは、風雷と呼んでもいいかもしれない。


 風雷は上段から真っ直ぐに落下する。その余りの速さに、驚愕の表情を浮かべることすら出来ない烏族。そんな余分を含んだ瞬間、体が左右対称に割れてしまう。


 故に表情はそのままに。落ちる風雷を見据えて、烏族は迎撃に打って出る!


「―――ハッ!」


 ギャン、と音が響いて、烏族は風雷を防いだ。人が―――妖怪ですら出すことの難しいだろう速度の一太刀を防げたことに、烏族は内心を喜びに染めた。


 あれほどの太刀を放ち、あまつさえ防がれたのだから、小次郎にはこれ以上無い隙が生じているはず。


 烏族はそう思い、剣を返そうとして―――







 ――――――瞬間、二つの風雷がその身を裂いていた。







 それは、烏族の視界にどう映っただろうか。上段からの風雷を防いだ瞬間、どこからともなく二つの風雷が現れた光景が。……否、恐らく理解は及ばなかっただろう。僅かに喜びに染まったままの表情が、それを物語っていた。


『……何だ、今のは』


 刹那の攻防を見届けたエヴァンジェリンも、思考が事実に追いついていなかった。


 間違いなく、一撃を防いだのは烏族だ。だが現実にその身を断たれているのも烏族だ。その証しである烏族だった肉片は、エヴァンジェリンの視線の先で地に崩れ落ちている。小次郎のあの忠告は、正しかったのだ。


『馬鹿な……私の目がおかしくなければ、今、あの瞬間―――』


「避けられなんだか。如何に化生とはいえ所詮は烏、燕には遠く及ばなかったということか」


 妖怪の剣士を下した人間の剣士が、淡々とした口調で言葉を発した。そして殺気を霧散させ、血振りを済ませると、エヴァンジェリンの方へと歩み寄る。刀を収めぬまま、殺気を微塵も発さずに。


「…………何を呆けた顔をしているのだ? いや、そのような表情も花があっていいが、少々品に欠けると思うぞ」


「下らん事を言うな。それよりも、今何をした、侍」


 それだけ言い、エヴァンジェリンは強い殺気を込めて、小次郎を睨んだ。答えねば殺す、と視線にも言葉を乗せて。だがその先にいる柳のような侍は、やはり殺気をものの見事に受け流して口を開いた。


「何、そう大した芸ではあるまい。偶さか燕を切ろうと思いつき、身に付いただけのものであるからな」


「燕…………だと?」


 エヴァンジェリンの呟きに、左様、と短く答えて小次郎が一歩下がる。そして刀を持ち上げ、ゆっくりと線をなぞり始めた。丁度、あの烏族を襲った剣線を追うように。


「燕、という鳥はな。風を感じて飛ぶ方向を自由に変える鳥だ。故に、大気を通らねば振れぬ刀で奴らを断つのは不可能よ。連中にとって速い遅いの区別は無い。更に太刀など所詮一本線に過ぎぬ。八方に方向を変えられる燕を断つことが出来ぬは道理よな」


 唐竹の線をなぞり終えた小次郎は、次に別の線をなぞり始める。軌道は逆袈裟。右側の首元から左脇下を両断するような軌道だ。そして、烏族を葬った種明かしも、同時に進んでいく。


「どうしたものかと学の無い頭で考え、私は一つの結論に達した。一つで足らぬのならば増やせばいい、とな。
 一つ目の太刀で燕を追い込み、二つ目の太刀で逃げ場を無くし、三つ目の太刀で断ち切る。だが知っての通り連中は素早い、加えてこの長刀だ。真にそれを成すのならば一息の内、ほぼ同時に放たねばならぬのだが、それはもはや人の身で行える業ではない。叶うことなど有り得ぬと承知していたが―――」


 二つ目をなぞり切り言葉を区切ると、三つ目の線を示し始めた。最後の軌道は逆胴。左から右に胴を両断する線。種が割れるのは近い。


「―――生憎と、他にやりたいことが無かったものでな。一念天に通ずと言う言葉の通り、只管に剣を振ってきた結果は、下らぬ思い付きを必殺の剣に昇華してくれたという訳だ。
 故に、秘剣・燕返し。三つの太刀を同時に放ち敵を確実に四散させる、我が唯一にして究極の必殺剣よ」


 種が割れるのと、三つ目の線をなぞり終えるのは同時だった。小次郎が示した、その技の正体と同じように。


『―――ハッ』


 知らず、エヴァンジェリンは内心で苦笑を洩らした。


 ―――つまりこの男は何の魔力も気も使わず、アーティファクトすら使用せず、ただ只管に修練を積んだだけで『三太刀同時攻撃』なんていう絶技を身に付けたのか。


 そんな魔法でもアーティファクトでも不可能な芸当を『やることが無かった』の一言で成し遂げられては、私たち魔法使いの立つ瀬が無い。エヴァンジェリンは、密かにそうはき捨てた。


 肉片と化した烏族が煙となって還る中。急に吹いた一陣の風が葉を揺らし、それで立つザワザワという音が、佐々木 小次郎という名の剣客へと送る、拍手のように響いていた。








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