―――こちらは放送部です。これより学園内は停電となります。学園生徒の皆さんは極力外出を控えるようにしてください。繰り返します……
恐らく、そこかしこにある機械から麻帆良全体に響いているだろう声が、停電の始まりが近いことを告げる。それは即ち、私の仕事が始まる時間も近いことを示していた。
ごうごうと、嵐の前触れを思わせる重い音を轟かせて、風が夜闇を走る。その後を追いかけるように、鈍色の雲が星の見えない空を蠢いていた。
何時もは通り過ぎるだけの、麻帆良学園中等部学生寮近くの道。そこで私は立ち尽くし、しばし空を見上げていた。
今夜の仕事は、麻帆良全域で起こる四時間に及ぶ停電―――大停電と呼ばれている―――の間、生徒たちが出歩かないかを見張る、という至って簡単なものだ。人の気配を探すのは得意とするところであるし、育った時代のせいか、街灯の明かりが消えたとしても行動にもそこまで支障はない。正に私に打って付けの仕事と言えよう。表向きは、という事柄を除けば。
もっとも正確に言えば、表向き、という言葉では語弊がある。それも仕事の内に含まれておる訳だが、主目的ではないのが本当のところだ。私の仕事の真の目的は、この四時間を狙って侵入するモノ達の撃破・捕縛にある。
今までにも何度か、そういった連中を撃退したことはあった。しかし今回は、常時この麻帆良を覆っているという結界が消えてしまうらしく、守る範囲が麻帆良全域と広範囲になっている。故に、魔法先生や魔法生徒、また私や刹那のような傭兵が全員出払って警戒に当たるのだ。
配置は、以前刹那と龍宮殿と共に仕事をした時と同じで、市外を担当している者たちが取りこぼしたのを私が討ち取る形だった。私と同じ役割りの者が、何名か他にも配置されている。
他ならぬ学園長殿から依頼された仕事であるし、そもそも内容に不満も無い。
ただ、何故そういった輩がこの麻帆良に侵入してくるのか。その理由は、ついぞ分ることはなかった。学園長殿やタカミチに尋ねたこともあったが、“すぱい”だの宝物目当てだの、どうにも本当だと思える答えを得るには至らなかった。
「まぁ、私はまだ、ここに勤めてから一月前後。知らぬことの方が多いのも道理か」
雑念を消して、仕事を全うすることに全力を傾けようと、意識を切り替える。それと同時に、何の前触れも無く、麻帆良から光という光が消え失せた。
「おぉ、これは……」
唐突に辺りが暗くなったからか、ぞっ、と心臓の辺りに寒気が走った。初めて感じた、唐突に暗くなることへの恐怖。深呼吸を一つ吐いてそれを乗り越えた時、私の五感は数百年の時を逆行していた。
頼りになる明かりは月と星だけという、真の暗闇が辺りに漂っている。一寸先もあやふやなこの世界には、何がいても不思議ではないだろう。現代の光溢れる生活に慣れた者であれば、不安や心細さ、恐怖といった感情を覚えるのかも知れぬ。だが、こういった世界に慣れた私にとってすれば、懐かしさすら覚える心地よい空間であった。
目を閉じて、月明かりを頼りに刀を振り続けていた頃に思いを馳せる。回想を終えて目を開ければ、私だけが常世の国に立っていた。
改めて深く息を吐き出し、感覚を辺りに伸ばしていく。すると早速、何ものかの気配を察知した。どうやら寮の中にいるようだ。
早くも抜け出した生徒か、よもやもうここまで侵入されたのか―――
僅かの焦りを胸に抱きながら、気配を夜に溶け込ませて、素早く寮の中へ侵入した。
目的のものは、直ぐに見つけることができた。
「ふむ、ネギであったか……」
現代の提灯である懐中電灯を片手に、私と同じく見回りをしているのであろうネギの姿を、身を潜めた茂みの中から確認した。肩に見慣れない、白い体毛の細長い体躯を持った鼬らしき生き物―――とりあえず、白長鼬とでも呼ぼうか―――が乗っているが、私の愛花と同じ、ネギが飼っている動物なのであろうか。
「どうかした、カモ君」
「むむむ……兄貴、何か異様な魔力を感じねぇか? 停電になった瞬間現れやがった!」
『何……? あの白長鼬、喋りおった』
それも、随分と流暢である。サーヴァントとして呼び出されたことがあり、かつ今も魔法使いの仕事を手伝っている身ではあるが、流石にこれには私も少々度肝を抜かれてしまった。化生たちであれば、『化生』ということである程度の納得はできるが、あそこにいるのはどう見てもただの動物だ。驚きを覚えるのも無理はない話しである。
「分からねぇけどかなりの大物だ……まさか、エヴァンジェリンの奴じゃ―――」
「えぇっ!? そんなまさか……彼女はもう更生して……」
―――エヴァ……? そうか、何をやったかは知らぬが、上手くことを運んだのだな。
二人……もとい、一人と一匹の会話から、エヴァが今日決行すると言っていた作戦が上手く行ったことを知った。それを示すように、ネギの前に行く手を塞ぐ者が立っていた。
「―――え、あれ? ま、まき絵さんっ!? だ、ダメですよ、裸で外出しちゃあ!」
体全体からぼんやりとした光を放っている、私と同じ苗字を持つまき絵殿がそれであった。一応、まき絵殿はこちらに背を向けているのだが、それでも焦点からまき絵殿を外しつつ、事の顛末を見届けていく。
「ネギ・スプリングフィールド……エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルさまがきさまにたたかいをもうしこむ。10ぷんご、だいよくじょうまでこい―――」
「えっ……!? な、何でまき絵さんがエヴァンジェリンさんの事を……!?」
「分かったぜ兄貴! あいつ、エヴァンジェリンにかまれた事あるだろ! 真祖に咬まれたら操り人形になるんだ!」
……なるほど、始めから用意は周到であったということか。流石はエヴァ、六百年を生きる吸血鬼というのは伊達ではない。
「じゃーね、待ってるよ、ネギくーん!」
最後にそう叫ぶと、エヴァに操られているまき絵殿は、手に持った細長い柄のような取っ手がついた布を自在に操り、あちらこちらにそれを巻きつけて行き、何処かへと消えていった。
しかし―――
『今のは流石に……身軽にも程があるであろう』
ここ麻帆良が色々と非常識なのは先刻承知であるが、どう見ても人の体重を支えられそうもない布一枚で、凄腕の軽業師も真っ青な曲芸を披露したまき絵殿に、心の底からの呆れを覚えた瞬間であった。
「人間業じゃねぇ……半吸血鬼化してるぜ、あの姉ちゃん」
「そ、そんな!? 僕が診たときは魔力の残り香だけで異常は―――」
「エヴァンジェリンの魔力が封じられてるってのが逆に仇になったんだよ! とにかく、どうやったかは分らねぇけど、この停電でエヴァンジェリンの魔力が復活したんだぜ。マズイぜ兄貴!」
ネギや白長鼬にとって、この事態は余程予想外だったのだろう。狼狽を隠しもしない表情で右往左往しながら、どうやって対応するべきかと話し合っている。とりあえずは戦力を揃えるということを思いついたのか、白長鼬がネギに「アスナの姉さんを呼んで仮契約しねぇと」と提案した。
ネギもそれを受けて納得し、携帯電話を取り出したが、何か思うところがあったのか途中で指を止めてしまった。そして、少しの逡巡の後、
「―――いや、そうはいかないよカモ君。ここは僕一人で行く!」
「え……えぇぇ!? な、何バカなこと言ってんだよ、兄貴!」
誰が聞いても、『命を捨ててくる』としか聞こえない台詞を、言ってのけた。白長鼬も私と同じ感想を持ったのか、信じられないとネギを批判する。だが聞く耳を持たないネギは、どこに隠してあったのかガチャガチャと音のする袋を取り出すと、その中に入っていた剣やら鉄砲やらを身につけ、杖に跨りあっという間にここから飛び去っていった。
「一人で行くだと……? 何を考えているのだ、ネギ」
ネギと白長鼬がいなくなったことで、私以外の気配が消えたのを確認してから立ち上がり、ネギが消えていった方を睨み、罵りに近い気持ちで言葉を口にした。エヴァがどういう存在であるかを知っていながら、尚一人で行こうとするのは、何か策があってのことか。それとも、一人でできる、などと思い上がりに近い考えの下なのであろうか―――
「……っと、いかんいかん。私は中立者であったな」
ついネギの身を案じてしまったが、私の立ち位置はどちらにも荷担しないものだ。どちらかというとエヴァよりになっている気はしないでもないが、それはまぁ、普段から世話になっている分だと、自己弁護しておく。
夜空の向こう側のどこかで、戦いの気配が立ち上っている。どうやら侵入者との戦いが始まったようだ。急ぎ私も自分の持ち場に戻らねばならぬ。ここに来た時と同じ、素早くも音を立てない走りで、来た通りの道を戻っていく。
―――矢は放たれてしまったぞ、ネギ。十五年間、積もりに積もった恨み辛みを、其方はどう清算するのだ?
最後に、同僚への微かな期待の言葉を、心中で呟きながら。
「エヴァンジェリンさん!」
停電のせいで真っ暗になり、いつもとはガラリと雰囲気を変えた大浴場に踏み込みながら、大声で僕の生徒をさらった相手の名を叫んだ。お湯をかき分けながら慎重に進み、両手で杖をギュッと握り締めて、勇気を駆り立てる。
そこかしこに植えられている観葉植物が、暗闇のせいで人の影に見えてしまい、僕の視線と意識は震えるように揺れていた。
「ふふ……ここだよ坊や」
そんな状態だったから、唐突に響いたその声に、僕の足は凍りついたように止まってしまった。呟いた程度の声の大きさだったけど、静まり返った大浴場では、むしろ大声よりもよく耳に響いた。
パシュ、と花火が撃ちあがったような音が、僕の頭上から聞こえた。次いで、蛍光灯に照らされたみたいに大浴場へ光が射す。つられて顔を上げると、そこに彼女たちはいた。
パッと見て直ぐに誰か判別がついたのは、闇の中に浮かび上がるように、僅かに輪郭を光らせるまき絵さん、アキラさん、ゆーなさん、亜子さん、そして茶々丸さんの五人。
エヴァンジェリンさんの従者である茶々丸さんと、僕にエヴァンジェリンさんの言伝を伝えに来たまき絵さんがいるのは、僕でも予想できていた。けど、他にも僕の生徒が人質に取られていたという事実は、僕に強い衝撃を与えた。
なぜ、いつ、どこで彼女たちが―――そんな疑問と、また無関係な人を巻き込んでしまったという自分への怒りが、僕の内に溢れてきた。
『とにかく、エヴァンジェリンさんを倒して、皆を解放してもらうんだ……!』
そのためにはまず、僕の生徒たちを操っているらしい、あの怖い雰囲気があるけど綺麗な女性を何とかしないと。そう考えて、僕はその女性に声をかけた。
「あ、あなたは……」
「フフ―――」
「……だ、誰ですか!?」
純粋に、相手がどういう人なのかを聞きたくて発言した言葉は、ガクッ、とその女性が肩透かしをくらったように転ぶ結果に終わった。
「私だ、私ー!」
すると、ボン、と軽めの音がしたと思ったら、綺麗な女性は一瞬でエヴァンジェリンさん本人に変わった。きっと幻術を使っていたんだろうけど、それでも自分が誰か理解されなかったのが結構お気に召さなかったのか、自分の顔を指さしながら、そう叫んでいた。
カモ君が言った通り、エヴァンジェリンさんの体には魔力が満ち満ちていた。アスナさんから聞いた『魔力がないとただの人間と変わりない』という情報から考えても、何らかの方法を用いて呪いを無効化したんだろう。やっぱり、この停電が関係してるんだろうか。
―――今は関係ない。頭を振りながら、僕は自分自身に喝を入れた。
「満月の前で悪いが……今夜ここで決着をつけて、坊やの血を存分に吸わしてもらうよ」
「……いいですよ、分りました。でもそうはさせません。今日は僕が勝って、悪い事するのは止めてもらいます」
薄い笑みを浮かべて、僕を見下ろしながらエヴァンジェリンさんが宣言した言葉。それを跳ね除けるように、僕もエヴァンジェリンさんを見返しながら、ハッキリと抵抗の意を表した。
「クッ……それはどうかな? ―――行け」
まるで僕の意を嘲笑うような笑みと共に、エヴァンジェリンさんがパチン、と指を鳴らした。途端、まき絵さんたちが一斉に動き出し、屋根の上から飛び降りてきた。バシャバシャ、と四人分の水しぶきが、辺りに飛び散った。
無機質で虚ろな四対の目が、僕に狙いを定める。作られた笑みを貼り付けて、四人がジリジリと僕に迫ってきた。抵抗のしようはいくらでもあるけど、彼女たちは僕の生徒だ、手荒なマネはできない。
「ひ、卑怯ですよ、僕の生徒を操るなんて!」
「卑怯……? あぁ、そういえば言っていなかったな」
一度言葉を区切り、エヴァンジェリンさんは、自嘲と自負が混ざった風に表情を歪めた。
「生憎、私は悪い魔法使いだ。勝つために有効な戦術を使うことに、躊躇いはない。一人で来た事、とっくりと後悔させてやろう」
とうとう四人が、手の届くほどの距離まで近づいてきた。だけど僕は、生徒が敵に回ってしまったという事実のせいで頭が真っ白になり、後退る事しかできなかった。
「やれ、我が下僕達よ」
「りょーかいごしゅじんさまー!」
「それー、脱がしちゃえー!」
四方から一斉に襲い掛かられて、組み伏せられるまでは、あっという間だった。
アキラさんに背後から体を掴まれて身動きが取れなくなった僕の体から、他の三人が武装をむしりとって行く。大切なコレクションをポイポイ捨てられて、大声で止めるよう叫ぶけど、それが操られている彼女たちに届く事はなかった。
これ以上やられたら、戦う前に負けちゃう―――危機を感じた僕は、何とか魔法薬が入った瓶を二本、中空に放り投げた。
「ふ、風花・武装解除!」
触媒を使ったおかげで、無詠唱でもそれなりの力を発揮してくれた魔法は、アキラさんと亜子さんの服を全部吹き飛ばした。紳士としては絶対にやっちゃいけない事だけど、傷つけずにさっきの状況から抜け出すには、これしかなかった。
魔法の余波で起こった波にもまれながら急いで転がり、途中、杖を拾い上げて次の魔法を紡いでいく。
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。大気よ、水よ、白霧となれ。彼の者らに一時の安息を―――眠りの霧!」
服を失った事で動きが止まっていた二人目掛けて、名前の通り食らった相手を眠らせてしまう霧を発生させた。できればこれで、まき絵さんとゆーなさんも眠らせたかったけど、そこまで上手く事は運べず、中学生の女性とは思えない動きで霧を回避していた。
「スイマセン、アキラさん、亜子さん。後で必ず吸血鬼化の手当てをしますから」
「フフ……やるじゃないか。では本番と行こうか、ぼーや。茶々丸!」
「はい」
倒れこんできたアキラさんと亜子さんを、そっと床に寝かせた時、とうとうエヴァンジェリンさんたちが動き出した。慌ててそっちを向くと、黒いマントに身を包んだエヴァンジェリンさんが、既に詠唱を始めていた。ゆーなさんとまき絵さん、更に茶々丸さんもバーニアを使って、すごい勢いで僕に迫ってくる。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック。氷の精霊17頭。集い来りて敵を切り裂け」
可能なら、今すぐエヴァンジェリンさんの詠唱を止めたい。だけど、茶々丸さんのパンチがそれをさせなかった。後ろに大きく跳んでそれを避けると、着弾したお湯からすごい音を立てて水柱が上がる。改めて、茶々丸さんは人間じゃないのだと、気を引き締めた。
『いけない、一斉に襲われたらひとたまりもないぞ! とにかく、ここより広いところへ―――!』
「食らえッ! 魔法の射手、連弾・氷の17矢!」
とうとうエヴァンジェリンさんの魔法が放たれた。このままだとマズイと思った僕は、咄嗟に広い場所を求めて、窓ガラスを叩き割り、外へ飛び出した―――
夜のしじまが盛大に破られたのは、ネギがまき絵殿の呼びかけに応じてから数十分経った時のことだった。
まるで百枚の皿をまとめて叩きつけて割ったような、思わず目を瞑りたくなる音が、寮の中から響いてきたのだ。
「……派手にやっておるなぁ」
女子寮の入り口を望める位置にある段差に腰掛けて、辺りには気を配りつつも、ネギとエヴァの決闘がとうとう始まったのだなと、しみじみ呟いた。エヴァとスプリングフィールド家の因縁を知る身としてはやはり、これで何かしらの決着がつくのかと思うと、多少感慨深いものを感じる。
すると今度は私の懐から、しじまを破る音が鳴り響いた。先ほどの音とは違い、機械特有の無機質さを全面に押し出している音だ。携帯電話だった。
「もしもし?」
〔小次郎さん、何ですか、今のガラスが割れる音は!?〕
相手は、私と同じく市内の警備を任された、刹那であった。私ほどではないにしろ、寮に近い位置にいたために、先の音が聞こえたのだろう。
「どうやら、寮の方からのようだ。私が直ぐに調べよう。其方は、辺りを警戒し、怪しい人影がないかを探すのだ」
〔はい〕
いけしゃあしゃあと、真剣な声色で答えてやると、刹那はあっさりと私の言葉を信じた。通話を切り、仕事の面目を保つために一応見に行くかと腰を上げ、寮の入り口を潜ろうとした、その時だった。
「―――!」
背中に刺すような殺気を感じ、咄嗟にその場から横合いに飛び退いた。そのまま振り向き様、紐を一息で解き鞘を投げ捨てるようにして青江を抜き放つ。振り向いたその先に、人影が立っていた。
背中の向こうから、タン、と何かが壁に当たる音が届いた。人影の振り抜いたような態勢から考えて、何らかの飛び道具を、私目掛けて投げつけたのだろう。
人影―――背格好から、男だと当たりをつけた―――は、闇に紛れるような黒装束を身に纏っていた。市外を担当する者たちから連絡がなかったことを見るに、隙を見て潜り込んで来たのだろう。それを証明するかのように、目の前の男からは、気配というものが希薄だった。
表情に浮かぶ僅かな驚愕は、私が背後から飛んできた飛び道具を避けたことによるものか。しかし、私が得物を抜いたことを認めるやいなや表情を改めて、物も言わずに腰を僅かに沈めた。
生死の程は定かではないが、どちらにしろ、私を倒すつもりなのだろう。
男の体から、靄のようなものがゆるゆると立ち上り、全身を覆い始めた。
『気、か……厄介な』
知らず、青江を強く握り、神経を研ぎ澄ます。佇まいから大よその実力を測ってはいたが、気を使われるとなると、それも途端に役に立たなくなる。刹那との修業を通して得た結論だ。
対して私はといえば、最初の目標であった『気を閉じる』ことを何とか習得した程度。気による強化は望めず、男がもし魔法やそれに類する物を使えるのならば、私の勝利は難しいものとなろう。
『そういえば―――』
男の一挙一動に注意を払いつつ、ふと、自分が立っている場所を思い出した。
女子寮の入り口。目の前には敵がいて、私は入り口を守っている。
「―――く」
つくづく縁のある状況に、無意識に笑いが漏れて、ニッと口の端が吊り上った。唐突に笑いを洩らした私をいぶかしんだのだろう、先ほどから漂っていた踏み込みの意が男から消え去った。これ幸いと、己を鼓舞する意味合いを込めて、敵に言葉を放つ。
「……ここを通りたいのだな、乱波」
これが目の前の男の撃破ではなく、寮への侵入を防衛するものなら。
守るものが麻帆良ではなく、中にいる生徒たちであるのなら。
青江が月光を映し、煌く。己が弱気を切って捨てて、勝利への気迫を十分に、私は宣言した。
「―――ならば押し通れ。私が、ここの門番だ」
奇しくも時は夜。私は暫し、かつての役割りに従事した。
小次郎が寮の入り口前で、侵入者と戦いを始めた頃―――
「えぇっ!? 今なんて言ったのエロオコジョ!」
夜八時という、現代の中学生にしてはかなり早めの時間に床に着いていた神楽坂 明日菜は、エロオコジョ―――ネギの使い魔・カモの事である―――に叩き起こされ、寝ぼけ眼のまま告げられた言葉の内容に驚き、勢いよく起き上がって天上に頭をぶつけていた。幸い、言葉を喋りきった後だったので、舌を噛むような事態には陥らなかった。
「シーッ! 姉さん静かに、このか姉さんが起きちまう。あと俺っちはカモッス!」
ぶつけた頭を押さえている明日菜に、カモが何度目になるか分らない名前の訂正をしながら、とにかく落ち着くように声を抑え目に叫んだ。幸い、二段ベッドの一段目で寝ている木乃香は深い眠りにあるようで、ムニャムニャと可愛らしい寝言を呟きながら起きるそぶりは見せていない。
静かに下を覗き込み、親友が寝ている事を確認した明日菜が、カモに先の言葉を確認する。
「そ、それで、エヴァンジェリンがネギに戦いを挑んだって本当?」
「そッス。やっぱエヴァンジェリンの奴、諦めてなかったんスよ!」
「で、あいつはまた一人で行っちゃった訳?」
「そうなんスよ! 何かわかんねーけど意地張っちまって」
俺っちは姉さんを呼ぶことを勧めたんスが、と最後に付け足して、ネギが単身エヴァンジェリンに挑んでしまっている事を、カモはネギの『一応の従者』である明日菜に伝えた。
冷静な目を持っているカモからしてみれば、これほど馬鹿げた話はない。
一対一でも実力差があり過ぎる相手に、従者まで揃っているのだ。下手をすれば、先日ネギの魔法を刀で斬って見せた佐々木 小次郎を加えた三対一で、ネギは戦う事になる。しかもエヴァンジェリンは、ネギの生徒であるまき絵を人質に取っている。ここまで最悪な状況に一人で戦いを挑むなど、断頭台に進んで頭を差し出すようなものだ。
そもそも、一度『こちら側』に巻き込んだ明日菜に今更気を遣うのならば、早々に記憶を消してしまうのが一番いい。そういった事をせず、いざ有事となった時に遠ざけられては、ネギを手助けする立場のカモとしてはたまったものではない。
時間がないため、そういった詳細な内容を聞かされてはいないものの、明日菜もカモと似たような感想を持ったのだろう。呆れと怒りをない交ぜにした表情で、ネギへの文句を口にした。
「もー、あのバカ! それじゃこの間の二の舞になっちゃうじゃない、ホントにガキなんだから!」
音を立てないよう急ぎ二段ベッドから降りると、明日菜は自らエロオコジョと呼称するカモがいる事も構わずにパジャマを脱ぎ捨てて、手近にあった制服に袖を通していく。流石のカモも今がどういう状況か十分に承知しているので、チラリと明日菜の下着姿を目に納めただけで、すぐさま着替え終わった明日菜の肩に飛び乗った。
煩くならない程度に廊下へ飛び出すと、明日菜は少しでも早く寮の入り口に向かおうと、階段を三段飛ばしで駆け下りていく。
「姉さん、待った! 兄貴の魔力を辿るに、入り口よりもそこの窓から出て突っ切った方が早ぇ!」
「分ったわ!」
二階に到着した時、すぐさま飛んできたカモのナビに従い、明日菜は迷わず二階の窓から飛び降りた。カモも、明日菜の身体能力を計算に入れたショートカットの指示であったが、ここまで躊躇いもなく飛び降りた事に対して、正直に驚きを感じていた。
無事でいなさいよ、ネギ……!
音も光も闇に沈んだ寮の中庭を駆け抜けながら、明日菜は一心に、小さい居候の無事を願っていた―――
後書き
今回は、作中に出てきた、これは説明が要るだろうなー、という言葉の解説のみとなります。逢千 鏡介です。
では早速。と言っても、一つだけなんですが。
乱波:戦国時代の忍の通称。らんぱ、らっぱと読む。これは作者の想像ですが、きっと『世の波を乱す』って意味でつけられたと思う。
戦国無双やってたら、きっと分かりますよね? というか私は、それで乱波を知りました。
小次郎が出ると、やっぱり小次郎に力を入れてしまうなぁ……と呟きつつ。
感想、指摘等々、お待ちしています。
では。
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