ティーカップに注がれた琥珀色の液体から立ち上る香気を、肺一杯に溜め込み、豊かな香りを十分に堪能した後、満足気に吐息を洩らした。カップの縁にゆっくり口を近づけて、一口飲み込む。味もさる事ながら、舌の上に広がる香りは先ほどのものとまた違っていて、私は数回頷くと、ティーカップをソーサーに置いてから、穏やかな気持ちで一息をついた。


 つ、と視線を横にやり、窓から覗く外の景色を眺める。木々の様子から、風は緩やかに吹いている事が分った。幸いにも今日は休日だ、のんびりと散歩をするのもいいかもしれない。


 次に部屋の内装を見渡した。人形やレースのカーテン、キャンドル等々をあしらえている、言ってしまえばファンシーな内装。今のも中々気に入っているが、そろそろ模様替えをしてもいいだろう。新しい人形を作る切欠にもなる。


「―――ん?」


 考え事をしていたせいか、気付けばカップは空になっていた。従順な従者の名を呼び、二杯目を注がせる。カップに満ちていく紅茶が奏でる音を聞きながら、午後からの予定を組んでいると、地下に続く階段から足音が響いてきた。


「おはようエヴァ、茶々丸」


「ようやく起きたか、寝坊侍め」


「おはようございます、小次郎さん。お体の具合はいかがですか?」


 壁に手を付きながら、肩に猫を乗せてゆっくりとした歩調で階段を上りきってきた小次郎に、茶々丸はすかさず近づいて容態を尋ねた。今の時間が約十時だから、例え休日でもかなり寝過ごした部類だろう。まぁそれなりだと、ハッキリしない言葉を茶々丸に返して、小次郎は少しぎこちない歩き方で一番近くの椅子に腰を下ろした。


「朝食はすぐに準備できますが、どうしますか?」


「では頼めるか。どうにも腹が減ってな」


「分りました。では、紅茶を飲みながらお待ちください」


 小次郎の返事を聞いて、茶々丸は軽く頭を下げてから台所に入っていった。確かに、今朝のメニューは白米・味噌汁・焼き魚・漬物とシンプル極まりないものだったから、予め準備していれば数分で出す事が出来るだろう。


 小次郎はというと、茶々丸から出された紅茶を実に美味そうに飲んでいる。陣羽織と袴こそ身に着けていないものの、服装は普段の着物と変わらない。


『やはり、この家の中だとこいつの格好は恐ろしいほどに浮くな……』


 今更な事を考えて、私は自分の分のティーカップを傾けながら、昨日の出来事を思い返した―――






 ジジィに呼び出され、桜通りでの一件に関して探りを入れるような会話をのらくらと避わした後、しばらく派手な動きは出来んなと考えながら、私はのんびりと家路についていた。正直、坊やとの戦いで魔力を浪費してしまったから、ここで魔力の補給が望めなくなるのは痛い。だが無理をして捕まっては元も子もないかと、当分は動きを自重する事に決めた。


 夕焼けが赤く染める道を歩く。かつては天敵でしかなかった太陽が沈み行く様を少しだけ見届けて、自宅の扉を潜った。


「茶々丸、済まんが、茶を―――」


 淹れてくれ、という言葉は続かなかった。人形やぬいぐるみを私好みに配置していたソファーの上に、代わりに和服姿の男が横になっていれば、むしろ言葉が詰まった程度で済んだのが信じられない。


「…………そこで何をしている、小次郎」


「何だろうな」


 困ったような苦笑いを浮かべて言葉を返してきた小次郎だが、どうも顔色が悪い。言葉にも覇気がなかった。それと、腹の上に猫が乗っかっているのは何故だ。


「小次郎さん、準備ができまし―――あ、マスター。お帰りなさいませ」


 早足に地下室から上がってきた茶々丸が、小次郎への言葉を途中で切り上げて私に挨拶をしてくる。それに、あぁ、と短く答えを返してから、茶々丸に聞いた。


「何をしていた?」


「小次郎さんが横になるための、ベッドを用意していました」


「小次郎が? 何のために」


「それは後でご説明させてください。さ、小次郎さん、どうぞ」


 申し訳無さそうに私に一礼をしてから、茶々丸は小次郎が横になっているソファーの側に行くと、肩を貸しながら小次郎を立たせた。状況について行けていない私は、ほとんど寄りかかるように歩いている小次郎とその後に続く猫を困惑の目で見送ってから、居間に一人で取り残された事に気付いた。


 先日、あんな別れ方をした小次郎がこの家にいるのだ、どうせ訳ありだろう。そう断じて、私は仕方なく、茶々丸の世話が終わるのを待つ事にした。小次郎を運び終わって戻ってきた茶々丸に、終わったら二階に来いと伝えてから、トマトジュース片手に私室へと上がっていった。


 ベッドの上に胡坐をかき、外を眺めながらトマトジュースを吸い込んでいく。なるべくゆっくり飲んでいたが、元々の内容量が少ないせいかあっという間に無くなってしまった。しかたなく、紙パックをゴミ箱に放り込んだ後、うつ伏せになり、暇つぶしにと本棚から適当に取り出した魔道書を読み始めようとした時、二階に上がってくる足音が耳に入った。


「マスター、お待たせしました」


「ようやく来たか。で、何があったんだ?」


 魔道書を枕元に置いてから起き上がると、茶々丸の方に向き直った。私の直球な問いかけに、茶々丸はすぐに答える。


「先ほど、ネギ先生と神楽坂 明日菜さんお二人と交戦しました。どうやら、神楽坂さんがネギ先生のパートナーになったようです。その時、小次郎さんが―――」


 茶々丸が口にしていった、想定内と想定外の事柄。全てを聞き終えた後、一瞬驚きを覚えたが、それもすぐに『面白い事になった』という、喜悦へと変わっていった。






『しかし、こいつがなぁ……』


 回想から帰って来て、何時もながら美味そうに茶々丸の飯を食っている男を眺めながら、そんな感想を持った。ただ、よく考えてみればそれは当然の事で、むしろ何故今まで、という疑問も私は抱いていた。それも一日時間が空いた事で、それらしい理由付けはできたのだが。


 ちなみにさっきの猫はというと、茶々丸が小次郎の飯と一緒に持ってきたミルクを美味そうに飲んでいる。


「ごちそうさまだ茶々丸。何時も済まぬな」


「いえ、お粗末さまでした」


 食後の紅茶を出しながら、茶々丸は礼を述べた小次郎に一礼する。そのまま、猫の食器も纏めて台所に運んだ後、ティーポットと茶請けのクッキーを持って戻ってくると、テーブルに一式を置いてから、私の斜め後ろに控えた。長丁場を予想してくれたのだろう、いつもながら気が利く事だ。


 私は、小次郎がカップを置いて間が出来た時を見計らって、口を開いた。


「―――それで? 私の前に面を出したんだ、当然『答え』は用意しているんだろうな」










「―――それで? 私の前に面を出したんだ、当然『答え』は用意しているんだろうな」


 取っ手のついた湯飲み―――ティーカップを置いて一息ついた私に、エヴァがそう本題を切り込んできた。


 ……エヴァの言う通り、『答え』は用意してあるし、何時か聞かれるであろうことは当然予期していた。だが、できればもう少し、久方ぶりであるこの場の空気を堪能させて欲しいというのが、偽らざる本音だった。


 沈黙を許さない、射抜くようなエヴァの視線が私に突き刺さる。小さく嘆息を洩らし、部屋の全体を一瞥してから、最後に膝の上に乗った猫を撫でて、エヴァの視線を見返した。


「無論。そこまで阿呆ではないよ」


「ふんっ……では言ってみろ。貴様は刀の切っ先を、何に向けるのだ?」


 三日前と、ほぼ同じ問いかけ。


 あの時返せなかった答えを、私は胸を張って告げた。


「何にも向けぬ」


「…………それは、この件から手を引くという事か?」


 私の答えが、予想の外だったのだろう。一瞬、呆然と私の顔を見ていたが、ハッとなって我を取り戻すと、いささか拍子抜けした顔になり、エヴァは静かにそう聞いてきた。


 私はそれに、そうではないよ、と明確に否定してから、答えの本質を語っていく。


「そも、誰それに組して、敵対するものに刃を向けるという考えだったから、私は答えを出せなかったのだ。以前の私なら違ったろうが、守りたいものを少なからず持つ身となった今では、とてもではないが不可能よ。しからば、誰とも敵対しなければよい。ただそれだけの話だろう。
 私は守りたいものを守るよ。生徒も、其方らもな」


 それが、私が茶々丸を助けた時に得た、エヴァへの答えだった。


 あの時。答えの兆しすら見えていなかった私は、エヴァとネギの戦いに干渉してはならないと何度も自分に言い聞かせておきながら、結局、危機に瀕した茶々丸を考えるより早く助けてしまった。


 それはつまりエヴァへの加担に他ならず、生徒たちを見捨てたようにも取れるだろう。だが、私にそんな積もりは欠片もない。


 ならば、それが答えだ。どちらも助けたい私が、どちらか一方を助ける答えを出せるはずもない。そもそも考えてみれば、守るものをどちらかに決め付けられるほど、私は器用でもないし、無欲でもなかった。


 ほとんどの者は私の答えに呆れるだろう。嘲笑う者もいるだろう。


 だが、これが、私の選んだ道だ。見つけ出した答えだ。


 出来ないのなら出来るようにすればいい。燕返しも、茶々丸の救出も、そうやって成してきた。ならば、難しいこともなかろう。


「―――本気か?」


 案の定、エヴァは私の答えに呆れの感情を見せて、どこか正気を窺うような言葉で意思の程を問うてきた。


「ククッ、答えだと言ったろう?」


 盛大に口の端を吊り上げながら、自分でも分るほど尊大な態度で簡潔に答えた。それで呆れの境地に達したのか、はたまた案外お気に召したのか、エヴァはハッと、歪んだ口から笑いを洩らした。幾らか友好的になった視線で私を見下しながら、エヴァは私の答えへの感想を口にする。


「何とも我侭な馬鹿だな、貴様は」


「不服だったかな?」


「いや、悪くない。賢い答えよりも余程愉快だ」


「それは重畳」


 二人向き合って、クツクツと笑い合う。こうして馬鹿な言葉の応酬を交わすのも、随分久しぶりな気がした。それが嬉しくて、余計に私の笑いはその深さを増していった。


 一分はそうしていただろうか。エヴァはとうに笑いを治め、どこか上機嫌にティーカップを傾けていた。私もそれに習い、冷えては拙いと、残っていた紅茶を悪いとは思いつつ一気に飲み干す。茶々丸は自然な動作で、私のカップにお代わりを注いでくれた。


「で、小次郎。先ずはどんな馬鹿な事で、貴様の守りたいものを守ってくれるんだ?」


「ふむ…………まぁやはり、其方と生徒のことだろうな」


 ニヤリと笑いながら、エヴァは期待した風に私に第二の問いをかけてきた。言われてから私は、じゃれてくる猫に応えながら、何がもっとも早期解決を求められているかを考えようとしたが、そんなものはすぐに出てきた。


 私が最初に向き合った問題―――『桜通りの吸血鬼』に襲われる生徒。これを解決し、生徒の安全を確保、かつエヴァが力を蓄えられるようにするのが、最優先で処理すべき事柄であろう。


 ……もっとも。これについては、既に有効であろう策を思いついているのだが。


「エヴァよ。其方は血を得ることで、力を取り戻せるのだな? そしてそのために、生徒を襲っていた」


「そうなるな。今更確認する事でもないだろう」


「まぁ、一応の確認という奴だ。
 そういうことならば、エヴァよ―――私の血を提供しようではないか」


「……はぁ?」


 思い切り眉をひそめて、胡散臭さを全面に表しながら、エヴァは私の言葉に呆れ果てた。


「貴様、自己犠牲を用いて他を救うなど、気違いのする事だぞ」


「いや、これは自己犠牲などではないよ。何しろ相手はエヴァだ、私を殺すほど血を吸うなどするはずがなかろう」


 信頼の眼差しを向けながら、そう言い切る。この考えも、悩みに悩んだ二日間に出したものだ。だが、まだ答えを出せていなかった私は、これをエヴァへの荷担になるとして切り捨ててしまった。それがこうしてまた役に立つのだから、やはり人生とは難しい。


「……ふん。まぁ、丁度ジジィに釘を刺されて動きにくくなったところだ。そこまで言うのなら、それで生徒は襲わないでやろう」


「助かる。では、早速飲むか?」


「結構だ。今にも倒れそうな奴の血なんぞ不味くて仕方がない。さっさと体調を戻せ、そうしたらタップリと吸ってやる」


「ククッ、これは、少し早計だった―――そうだ、それだ。エヴァ、私の体のことで聞きたい」


 ここの空気に和んでしまい、そのせいですっかり忘れていた私からの質問を思い出した。丁度、エヴァの話にも区切りがついていたところだったので、問い詰めるつもりで身を乗り出す。


 茶々丸を助ける時に感じた、身の内で何かが弾けたような感覚。その後に放った燕返しの、想像を超えた速度と鋭さ。そして、全てが終わった後に襲いかかった立ち眩みと、立ち上がれないほどの脱力感。


 今にして思えば、あの時の感覚は程度こそ大きく違えど、図書館島地下と中庭で経験したものと似ているように思える。何らかの関連性があるのだろうか。


「あぁ、貴様の身体の事は既に茶々丸から聞いている。坊やと神楽坂 明日菜から茶々丸を守ってくれたそうだな、それについては素直に礼を言っておこう」


「ほう。エヴァから礼を言われるとは、思いもよらなんだ」


「従者を助けられたんだ、それくらいは主として当然だ。ついでに貴様の身体についても考えを巡らせといてやったから、ありがたく思え」


 礼を申したと思えば、すぐ私に『感謝しろ』と言ってきたエヴァに、承知した、と返しながら思わず苦笑いを浮かべた。


 エヴァは、咳払いを一つすると、私の身に何が起きたのかを語り始めてくれた。


「小次郎、貴様は『気』を使えるようになった可能性がある」


「『気』……? 刹那が使っている、アレか」


 確認するように言葉を反芻すると、エヴァもその通りだと、更なる肯定を示してくれた。


 あのエヴァが考えを巡らせて出した答えなのだから、それが正しい確立はそれなりに高いだろう。だが―――


「何故、この世界の理である『気』がこの身に宿ったのだ?」


 その一点だけは、どうしても腑に落ちなかった。


 仮に、元々そういった才能が私にあったのならば、二十年以上に渡る修練の中で使えていてもおかしくはない。十五になる刹那が扱えているのだから、少なくとも兆候くらいはあってもいい筈だ。


 だと言うのに、今更になって発現するというのは、どうにもおかしな話だと思った。


「まぁ、そこについてもちゃんと理由を考えてあるから、先ずは茶々丸を助けた時の貴様の身体の事を教えろ」


「ふむ……承知した」


 エヴァに従い、何かが弾けた感覚を覚えたところから、立ち上がれなくなるまでを語っていく。全てを聞き終えた後、エヴァは得心がいったようで、何度か頷いていた。


「よし……これでほぼ、仮定は確信になったな」


「それは何より。では、頼む」


「あぁ。最初に、貴様が『気』を使えるようになった、という考えに何故行き着いたかを説明してやる。
 この際小難しい事は省略するが、『気』というのは要は体力を変換してそれを力とし、身体能力の底上げをするものだ。つまり、使えば使うだけ体力が減っていく。貴様は茶々丸を助ける時、急に今までからは考えられない速度で踏み込み、限界を超えた速度で刀を振るい、そして猛烈な脱力感に襲われたのだろう。
 これらから、貴様が『気』を使った可能性は高くなる。更に、茶々丸のセンサーが貴様の体から『気』を感知しているから、これでほぼ確定だろう」


「なるほど……」


 確かに、『気』の概念を理解した上でこれだけの要素を挙げられれば、私が『気』を使えるようになったというのは九分九厘真実ということになる。


 だがそれにしても、私が『気』を使ったのは長くても五秒だ。たったそれだけの時間で、立ち上がれなくなるほど疲弊するものなのだろうか。上手く制御ができず、私に出せる限界を出していたと仮定しても、やはり採算は合わない気がした。


 そのことをエヴァに尋ねると、ふむ、と顎に手を当てた後、口を開いた。


「それについては多分、何故貴様が『気』を使えるようになったか、という事の答えと関係しているだろう。もっともこっちは、今まで貴様から聞いた話を元にして作った、仮定の域を出ないものだがな」


「構わぬよ。エヴァが考えたものだ、的外れということはあるまい」


「ふん……まぁいいがな。
 改めて聞くまでもないが、貴様は別世界の人間だ。そうだろう?」


「左様」


「そして、聖杯の中にいた男の手によってこの世界に蘇生した。私は、これに全ての原因があると思う」


「ほう?」


 エヴァの断言にも似た言葉に、思わず身を乗り出した。


「確認するが、貴様の世界に『気』はないのだな?」


「恐らくは。二十余年生きていたが、そういったのは噂すら聞いた覚えはない」


「まぁ、無いと仮定して話を進めるぞ。そうなるとだ。こちらの世界とそちらの世界では、『人間』という存在を構成するモノに違いがあるという事になる。何しろ『気』とは、修練さえ積めば誰でも習得出来るものだからな」


 エヴァの説明に、なるほど、と深く納得した。


 確かに『気』がそういった物であれば、私が使えないことはおろか、噂すらなかったことで、私の世界に『気』という物がなかったことが分る。そしてそうなのであれば、エヴァの言う通り、こちらとあちらの『人間』は、細部に違いが存在するということにもなる。


「法則の違う『人間』を別の世界に送り込めば、その矛盾からどんな事象が起きるか分らない。だから恐らく、その男は、この世界の『人間』を基に貴様の身体を構成したのだ。そう考えれば、貴様が気を使えるようになった事に説明が付くだろう」


「……つまり、私の今のこの身体は、厳密に言えば以前と全く別物ということか。確かにそう考えれば、私が『気』を使えるようになったことには、理解が及ぶ。だが、それならばもう少しまともに使えるのではないか? この身は『気を使える身体』なのだろう」


「身体だけは、な」


 だけ、という部分を意味深に強調しながら、エヴァは私の疑問に答える。


「今の仮定を真実とするなら、確かに今の貴様は『気』を使える。だが、それを行使する貴様自身―――『魂』だけは元のままなのだろう。
 そもそも『魂』なんて物は、あるとされているが明確に確認した者は誰もいないのだ。聖杯の男ですら、そこに干渉する事は出来なかったのだろうな。そもそも、下手に弄れば『佐々木 小次郎』が変わってしまう恐れがある。それほどに『魂』とは、精密で不鮮明なのだ。
 故に、そこで齟齬が生まれた。別の法則を持つ身体に、別の法則で編まれた魂が入った事によってな。
 精神は肉体の影響を受ける。『気を使える身体』に引きずられて、貴様の魂は『気』という概念を理解した。だが根本の情報が違う二つが同じ場所で『気』という共通概念を使おうとすれば、当然齟齬が生まれる。使った量に見合わない体力の浪費は、それが原因だろう」


 言葉を挟む余地がないほどの勢いで、エヴァは自分の推論を語り切った。それで喉が渇いたのか、ティーカップに手を伸ばし、紅茶で喉を潤し始めた。


 その姿を認めた後、私はエヴァの話を理解するために、顎に手を当てて思考に埋没する。


 ―――つまり、身体と魂の根本の作りが別物だから、同じ物を使おうとしても食い違いが発生して、それが私の必要以上の体力の浪費に繋がっていると、そういうことだろうか?


「……何となくは、エヴァの申していることは理解できた。だが、もう少し分りやすくならぬか? どうにも得心が行かぬ」


「注文の多い奴だな、貴様は……」


 私の言葉に、ブツブツと文句を言いながらも、エヴァは両腕を組んで何かないものかと考えを巡らせ始めた。私も同じく、そのままの格好で今の話を理解しようとしていると、あの、と茶々丸の控えめな声が聞こえた。エヴァと二人、同時に視線をそちらにやる。


「どうした、茶々丸」


「今のマスターのお話ですが……温暖でよく育つ植物と、寒い場所でよく育つ植物の違いかと。それぞれを違った場所で育てようとすれば、それは並大抵の努力ではありません。その本来の労力との差が、小次郎さんの『気』の変換効率ではないでしょうか」


「上手い喩えじゃないか、茶々丸」


「うむ。今ので得心が行った。済まぬな、茶々丸」


 つまり、こういうことだろう。


 新しい身体に宿っていた『気』という種子が、『佐々木 小次郎』という魂の苗床で上手く育たなかった。だから、そこから力を引き出そうとすれば、通常よりも余計な力が必要となってしまう。


 茶々丸が提示してくれた喩えと、エヴァの話を合わせて、私はようやくエヴァの仮定に理解が行った。


「いえ、恐縮です」


 私たち二人からの賞賛を受けて、茶々丸は恭しく頭を垂れた。


「まぁ、ここまで語っておいてなんだが、これは本当に仮定の域を出ない話だ。何しろ聖杯の男がどうやって貴様の身体を構築したかなんぞは知る由も無いのだからな」


「何、ある程度納得出来ればそれで問題はあるまい。私が『気』を使えるようになったことだけは、揺るぎない事実なのだからな。ところで……」


「あ? まだ何かあるのか」


 これで話が終わりだと思っていたのだろう、私が次の話を切り出そうとしたことで、エヴァの表情が不機嫌な物に変わった。だがそれも気にせず、今後の死活問題になりそうな事柄を口にした。


「『気』の制御は、どうやってやるのだ?」


 そう。確かに私は、エヴァと茶々丸のおかげで『気』という概念がこの身に宿ったことまでは理解出来た。だがその先、どうやってそれを使いこなすかまではまるで分らぬ。今までの経験上、一定以上の時間刀を振るか、昨日のように極限まで精神を研ぎ澄ました時、勝手に『気』が働いているように思える。それでは剣道部の稽古はまだしも、警備員の仕事などとてもではないが出来たものではない。意図せず使ってしまい、体力が尽きた日には目も当てられぬし、このような不確実な力は到底当てに出来ぬからだ。


 六百年を生きるエヴァならばと、期待の眼差しを向けて返答を待った。


「知らん。生憎私は魔法使いだ、気の使用方法など専門外だよ。そういう事は桜咲 刹那にでも聞け」


「ふむ……それは、確かに。仕事も近い故、早めに何とかしたいものだ」


「仕事―――あぁ、大停電の時の警備か? 私としては、たまには貴様の無様な姿を拝んでみたいがな。
 ……だがまぁ、そうだな。一応、茶々丸を助けてくれた礼は返すか。おい、茶々丸」


「はい、何でしょうかマスター」


「アレを引っ張り出して来い」


 中々に失礼なことをのたまってくれた後、エヴァが茶々丸に何かを命じた。『アレ』というのが何を指すのか私には分らなかったが、茶々丸には伝わったようで、畏まりましたと一礼してから、茶々丸は地下室へと消えていった。


「今の貴様に打ってつけの修業場所を提供してやろう。これで茶々丸の一件の貸し借りは無しだ」


「別に貸したつもりはなかったが……非常に助かる、忝い。ちなみに、其処に刹那を呼んでも?」


「……一人でどうしようもなくなったらな」


「重ね重ね、忝い」


 エヴァの律儀な心遣いに、背筋を伸ばしてから頭を下げて礼を返す。止めろ堅苦しいと、エヴァはぞんざいにそれを断ったが、もう一度同じ言葉を繰り返すと鼻を鳴らしてそっぽを向き、残っていた紅茶を一気に呷った。


 その姿を見て内心微笑んで、私も自分の分の紅茶を静かに啜り、茶々丸が戻るのを待つ。そう間もなくして、お待たせしました、と『アレ』を見つけた茶々丸が戻ってきた。


 エヴァと茶々丸に連れられて、この家における私の寝床となりつつある地下室へ続く階段を下りていく。今まで立ち入ったことのない、左右を人形が埋め尽くしている道を進んだ先に、随分と重そうな扉があった。ギィィ、と音を立てて扉が開く辺り、長く使われていなかったことが窺える。


 中は何もない部屋だった。まともに光も入らないのか、部屋の奥は暗闇に包まれていてどれほどの広さを持っているのかすら知ることは出来ない。


 ただ、一つの台座だけが、部屋の中央で光に照らし出されていた。その上には、何か大きく丸い透明な硝子製の物体が鎮座している。近づいてみると、中に色々なものが入っているのが見て取れた。


 最下層に砂が敷き詰められていて、その上には水が張ってある。中心には塔も建っていて、挙句には島までもがあった。まるで世界の一つを無理やり小さくして押し込めたような、そんな錯覚を受ける。内と外を隔てている、あの木製の栓を抜けば、途端に大きくなってしまうのだろうか。


「これは私の別荘だ」


 物珍しそうに物色していると、エヴァがこれがどういうものかの話を始めた。


「こいつは中に入って使うものなんだが、時間の流れがこちらとは違っている。これの中で一日を過ごしても、こちらでは一時間しか経過しない。ここで思う存分修業して来い」


「ほう……何とも面妖な」


「『初日』だけ茶々丸を付き添わせてやる、出入りの仕方や中の使い方はそれで覚えろ」


「よろしくお願いします。では小次郎さん、こちらに立って下さい」


 茶々丸に誘われるがまま、言われた通りの位置に立つ。これからどうやって、この物体の中の世界に入り込むのか、正直楽しみでならなかった。


 そして。それでは参ります、と茶々丸が申した時、カチッ、と音がして、私は世界を移動した。












 後書き


 えー…………小次郎が気を覚えた理由はこんな感じでいかがでしょうか? やや弱気な逢千です。


 私個人としては、割と自信があるのですが、皆さんから見たらどうなるかが少々不安です。


 小次郎が出した答え。士郎やアーチャーに似てるかもしれませんが、彼らにはない余裕があると、私は信じています。だって小次郎だし。


 感想、心からお待ちしてます。


 短いですが、では。




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