既に見慣れてしまった道を辿り、潜るのも何度目かになる扉の前に立つ。衣服に乱れがない事を確認してから、軽く握った手で戸を叩き、入室の許可をもらってから取っ手に手をかけた。


「学園長殿、失礼する」


 口に馴染んだ言葉を言いつつ扉を開けて、変わらぬ位置に座っている翁殿に一礼した。よう来てくれたの、と労いの言葉を受けながら、定位置になりつつあるソファーに腰を下ろす。


 木乃香殿との見合いを終えてから数日が経った。今日は新学期という春休みが終わる日らしく、今この時も若人達は勉学に身をやつしているのであろう。ネギが正式な先生として働く初日でもあったはずだ、と思い出し、私もネギと同じである事に気づいた。


「短い期間に何度も呼び出してスマンの、小次郎君」


「いやいや、出勤の時間が少々早まっただけだの事、学園長殿が気を揉む必要はあるまい。午前中に呼ばれる事もあったが何、暇をしている私からすれば、むしろ有り難い申し出であった。……それで、今日はどういった用向きで呼び出されたのだ?」


 学園長殿の侘びを遮る様に片手を上げ、その事への私の本意を口にしながら本題を切り出させてもらった。如何せんコーチの時間までそう間もないので、早めに要件を済ませたかったのだ。やはり、コーチが生徒より遅く着くのは宜しくなかろう。


 それに……少し、嫌な予感もしていた。


「そうじゃったの。先ずは、正式なコーチへの就任、改めておめでとうと言わせてもらおうかの」


「忝い。これも偏に、学園長殿のご好意のおかげだ」


「何の何の。じゃが、正式なコーチになれたのは、君自身の力じゃよ。それは誇るとよい。……それで、本題じゃがの―――」


 両肘を机につき、顎を手で支える形になった学園長殿は、少しだけ真剣な表情になった。一体何を言われるのかと、内心で少し心配しながら次の言葉を待つ。


「小次郎君。君、午前中と午後の頭は暇じゃろう。どうじゃ、その時間を利用して新しい仕事をしてみんか?」


 正直、学園長殿の申し出は、余りにも予想外だった。


「新しい仕事……これ以上、私に仕事を斡旋してくれると? 私は現状で十分なのだが―――」


「そう言うと思っておったよ。じゃが、どうにも人手が足りない仕事での。この仕事には腕っ節が何よりも必要なのじゃが、任せられるだけの人材がの……」


「そういう事なら、学園長殿の頼み。謹んでお受けいたそう。それで、どういう仕事なのだ?」


 学園長殿にはあらゆる事で世話になっている。これ以上世話をされては申し訳なく思ってしまう所であったが、困っているのなら話は別。少しでも恩を返すために、私は仕事の内容も聞かずにそれを受けた。まぁ、腕っ節が必要という時点で、少なくとも不向きではなかろう。


「まぁそう急くでない、仕事の中身を聞いてから考えるんじゃ。広域指導員という役名でな、簡単に言えば、素行の悪い学生や悪行を行った者を指導する仕事じゃよ」


「なるほど。だが、それに腕っ節が必要なのか?」


「こういう手合いは、注意や指導をしようとすると暴力で抗う輩が多くてな。それに対処できるだけの力が要るのじゃよ。時には捕縛、連行という事もありえるのでな。それと、率先して認めているわけではないが、あまりにも指導に従わない場合ある程度は力を振るう事も許しておる」


「ふむ……確かに、私に向いている仕事よ」


 小次郎君なら見た目で先ず相手を威圧できるしの、と笑いながら締めくくり、学園長殿が簡単な仕事の説明を終えた。


 確かに私向きの仕事ではある。何しろ私のとり得はこの刀一つなのだ。無論、他の事をやれと言われればやるし、上手くなろうと努力もする。だが、やはり得意な事を任された方がすぐに力になれる上、何より楽な気持ちで仕事に取り組めるのが大きい所だった。


「それで、どうするかの? 詳しい説明を聞いた後で考えてもよいし、お試しで何日かやってみてもえぇぞ」


「いや、その仕事、受けさせて頂こう。少なくとも、不向きではなさそうだ。それに、いささか午前の退屈にも飽きてきた所でな」


 渡りに船という奴よ、と含み笑いを浮かべながら告げて、広域指導員の任を受諾した。フォッフォッフォ、と上機嫌そうに学園長殿も笑った。


「おぉ、そうじゃ。折角呼んだのに、茶の一つも出さず、失礼したの。今淹れてくるぞい」


「あぁいや、お構いなく。どうせすぐに仕事がある故」


「そういう訳にもいかんじゃろう。客人を持て成すのは主の礼儀じゃわい」


 そう言い残すと、学園長殿が席を立った。何時かどこかで聞いた事のある台詞に、気づかれぬよう密かに笑いを漏らした。


 運ばれてきた茶を有り難く飲む。それなりに美味であったが、正直茶々丸には遠く及ばなかった。


「コーチの仕事の方はどうじゃ、変わらず上手くやっとるかの」


「うむ。最近は国重殿や辻殿からの意見も取り入れて指導方法も色々試行錯誤している。いや、人にモノを教える仕事がこれほど大変だったとは。軽い気持ちで受けた私が浅はかだったと痛感したよ」


「フォッフォッフォ、それは結構。これにめげず精進しとくれ。そうそう、広域指導員にはタカミチ君も勤めていてな。分からない事があれば彼に聞くとえぇ」


 私と同じく茶を啜っていた学園長殿が、そう補足した。


「ほう、タカミチか。承知した」


「それと、広域指導員を務めるのであれば、これが必要じゃ」


 そう言うと、学園長殿は何か手帳の様な物を机の上に置いた。立ち上がり近づいて手にとって見ると、表には『麻帆良学園校則一覧まほらがくえんこうそくいちらん』と書かれていた。なるほど、これに従って生徒を指導すればよいのだな。


「言っておくが、それはあくまで基準じゃからな。完全に従う必要はありゃせん、それを考量に入れた上で小次郎君の価値観で判断してくれればよい」


「承知した―――ん?」


 随分といい笑顔を浮かべながら学園長殿が説明した時、何か違和感を感じた。はて、と首を傾げて考える事数秒、漢字の上に綴られているひらがなを目にした瞬間、その違和感が正体を現した。


「……学園長殿。一体どこで、私が文字―――それもひらがなを読めるようになったと?」


 答えなど明白なのだが、一応問いただしてみようと思い、すぐさま己の迂闊さを痛感した。最初に感じた嫌な予感が、学園長殿の後ろで鎌首をもたげている幻想が見えた。


 学園長殿は、貼り付けた様にも見えるいい笑顔を殊更深くして、口を開いた。


「勿論、木乃香じゃよ」


 ―――来た。何時か聞かれるとは思っていたが、まさか私自ら踏み込むよう画策してくるとは。恐ろしい。


「フォッフォ、木乃香とは随分仲良くしてくれているようじゃの。まさか、文字を教わるほど仲を深めているとは思わんかったわい」


「……図書館島に落とされた時にな。そういう流れになって、木乃香殿の好意に甘えさせてもらった次第だ」


「そうかそうか、結構。前の見合いも、随分と話が弾んだらしいの?」


「とりとめない事がほとんどであったがな」


 普段通りを装い、受け答えしていく。恐らく文字の事は、見合いがあった日の夜にでも木乃香殿から聞き出したのだろう。だが話の内容までは流石に木乃香殿も話さなかったのか、執拗にどういう会話を交わしたのか問うてきた。何とか追及を避けている内に都合よく鐘が鳴ったので、その事を理由に強制的に話を切り上げさせてもらった。


「まぁ、結論を申せば学園長殿の謀は外れてしまったという事だ。残念であったな」


「フォッフォッフォ、それはどうかのう」


「強がりを申す。では、そろそろ失礼する」


「あい分かった。広域指導員に関する書類はこちらで作っておくでな、記載してもらう書類だけ後日郵送させてもらおう」


「承知した」


 入ってきた時と同じ位置で一礼し、学園長室を後にした。途端、盛大なため息をついた。 「……全く、学園長殿の趣味にも困ったものだ」


 よもや本気で私と木乃香殿をくっつけようと思っているのではという考えが一瞬頭を過ぎったが、否定できる材料はどこにも無かったので、結局その妄想は問答無用で切り捨てるしかなかった。


 すっかり温かくなった日差しを浴びながら、部活に向かう生徒や真っ直ぐ家に帰る生徒達とすれ違いざま挨拶を交わして、私の仕事場である道場へと歩みを向ける。不思議と剣道部員は見かけなかったので、もう全員揃っているのかと思い慌てて足を速めた。


 道場に着く。この時間ならば道場の周りで一人くらい見かけても良さそうなものだが、その実一人も見つける事は出来ず戸も締め切られている。遅刻してしまった理由である学園長殿を内心で責めながら、急ぎ静かに戸を開けた。


 ―――瞬間、パンパンパァン、と凄まじい炸裂音が耳を貫き、私の度肝を抜いた。私は表情を驚きで凝固させたまま止まってしまい、突然の出来事に目を見開いたせいで広くなった視界の中を、色取り取りの細長い紙がヒラヒラと舞っている。


 …………そして、紙に彩られた世界の向こう側から、剣道部の皆が笑顔で私を見ていた。


「「「小次郎先生、コーチ正式契約おめでとうございまーす!!」」」


 先ほどの炸裂音に負けないほどの声音が再び、私の鼓膜を破れんばかりに揺らした。状況が全く掴めない―――正確に言えば理解は出来ているが、余りに唐突過ぎて掴むのも忘れている―――私は、覚えがある限り初めて自分というものを失っていた。最初の炸裂音が、私の思考すらも弾けさせたのだ。


「ホラホラ、ボーっとしてないで、早く入ってくださいよ」


 呆然としている私を差し置いて、女子部員の一人が私の手を取り中へと引っ張っていく。ようやく何が行われているのかを掴み始めていた私は、あぁと気の無い返事を返しながら導かれるままに道場の上座に立たされた。


「小次郎先生。どうぞ、お祝いの花束です。これからも変わらず、私たちを鍛え上げてください」


「う、うむ……」


 整列した部員達の中から、辻殿が一歩踏み出してきて私に花束を差し出してきた。まだ儀礼的にしか受け取れなかった私に、皆からの拍手が降り注ぐ。大変恐縮しながらも、私は何か礼の言葉を言わなければと、散り散りになっていた思考を急いで纏め上げていく。


「―――その、何だ……突然の事で大層驚かされたが…………とても嬉しい。皆よ―――ありがとう」


 花束を優しく、慈しむよう腕に抱きながら、万感の思いを込めて礼を述べた。嬉しさと、不慣れから来る恥ずかしさで頬が熱くなるのが分かる。急ごしらえの思考ではこの程度の言葉しか搾り出せなかったのが、とても悔しかった。


 だが―――皆はそれでも、私に笑顔を向けていてくれて。


 その事だけで、悔しさは嬉しさで書き換えられた。


 ―――さぁ。


 皆の気持ちに応えるためにも、気張って指導に勤しむとしよう―――












 常より気合を入れて臨んだ今日の稽古も終わりを迎えた頃、私は上座に腰を落ち着けて、ぼんやりと掃除をしている皆を眺めている。


 掃除は当番制となっており、国重殿が無作為に決めた六人を一班とし、日毎に交代して稽古の後に掃除を行っている。ただ国重殿は居残り稽古を認めているので、その希望者が出た場合は多少形を変える。掃除を担当している班は一角を残して掃除を済ませ、その居残った者が残った一角で稽古を行い、終われば掃除をして帰宅するといった形だ。


 道場の施錠は当然のように国重殿が担当している。よって居残る者は国重殿から鍵を借り受け、帰り際職員室に立ち寄り返却するのが通例だが、国重殿は時間があれば居残り稽古に付き合う事もあるようで、一概にそうなるとは限らぬ。


 最近はその際に私も同伴させてもらい、国重殿から居合いの型を習っている。興味本位で申し出た事だったのだが、国重殿は快く承諾してくれた。


 今日の掃除ははどうやら刹那の班が勤めるようだ。幾人の男女が雑巾を床に当てて道場内を右往左往している。刹那もその中に含まれていた。


 現代にはもっと効率的な掃除用具が存在するらしいのだが、足腰を鍛えるためにと、国重殿がこの方式を採用している。部員の間では賛否両論だが、私は賛同側についた。


 皆の剣の腕も随分と伸びてきた。特に目覚しいのは辻殿だ。何か目標でも掲げているのか、毎日のように私に挑んでくる。近いうちに聞いてみるとしようと、私は心の中で決めた。


 それと一ヶ月近く勤めてみて分かったのだが、この部活の者達は大層仲が良い。男女分け隔てなく交友があるし、部活の後にも道場内に残って雑談を交わしている姿を良く見かけた。国重殿と談笑した時にこの話題を出したところ、他も似たようなものですよ、と返答された。これが麻帆良の気質なのだろう。


 今日も今日とて雑談に花を咲かせている者たちがいる。微笑ましげにその姿を眺めながら、思い出したように脇においてあった花束の表面を撫でた。


 ……何度思い返しても、あれは本当に嬉しかった。心からの笑顔で私を祝福してくれた皆には感謝の言葉もない。花の本数が部員と同じ数であったのに気づいたときは、不覚にも涙腺が緩みそうになったものだ。


「ねぇねぇ、ところで知ってる、桜通りの噂」


「あぁ、例の吸血鬼ね? 私詳しく知らないんだけど、一体どういう内容なの?」


 休む間もないほど言葉を交わしていた三人の部員、その一人の口から、脅かすように少し声色を落とした声が聞こえた。その内容も相まって、私は耳の意識を彼女らに向けた。


「何でもね、満月の夜になると寮の桜並木に出るらしいのよ…………ボロボロの黒い布に身を包んだ、血まみれの吸血鬼が―――」


「あっははは、今どきそんなの信じる人いないよねー」


「そ、そうかなぁ……私は怖いな」


 耳を傾けていた女子の一人がまるで怪談でも話す風な声の調子で語った女子を笑い、残りの一人は逆に身を僅かに震わせた。何時の世もそういう噂は絶えぬのだなと思っていると、いやそれがね、と笑われた女子が話を続ける。


「何でも本当に見つかったらしいのよ」


 その一言を聞いた途端、私の全身が総毛だった。瞬時に鋭利になった私の感覚が、女子たちの会話を一言一句漏らさず聞き取ろうとする。


「え、ウソォ!? ほ、ほんとに?」


「うん。正確に言えば、見つかったのは吸血鬼じゃなくて生徒らしいんだけど……これがね、桜通りで寝てたところを発見されたらしいの。いくら春先とはいえ、外で寝るなんて変だと思わない?
 これはもしかしたら……」


「ちょ、やめてよ……私本当にそういうの苦手なんだから」


「ゴメンゴメ―――あ、後ろに吸血鬼!?」


「き、きゃぁぁぁ!」


「あっははは、いる訳ないじゃん! 今はまだ夕方だよ?」


「も、もぉ!」


 女三人寄れば姦しいとはよく言うが、むしろ微笑ましくじゃれ合っている女子たちをどこか遠目に見た後、私は心の鯉口を密かに押し上げて思考に埋没した。


 ―――女子たちが噂する吸血鬼。もしこれが他の街で実害も無ければ、私も噂として流したかも知れぬ。だがここは麻帆良……魔法使いの治める都市だ。そういう輩が侵入していたとしてもおかしくはない。そもそも私がそういった手合いを撃退する職に就いているのだ、その可能性は十分に有り得るだろう。





 ―――何でも本当に見つかったらしいのよ





 これが真にただの噂であればそれで良し。だが女子たちの言う通り―――人間にしろ化生にしろ―――犯行を行ったモノがいるのであれば…………


「―――さん。小次郎さん」


 私を呼ぶ声が聞こえてハッとなり、急いで鯉口を収めて声の出所に顔を向けた。


「……国重殿か。どうかしたのか?」


「どうかしたのか、ではありませんよ。もうみんな帰ってしまいましたよ」


「む……」


 言われて視線を辺りに向けてみると、確かに私たち以外の姿は認められなかった。日もすっかり傾いてしまったようで、道場が茜色に染まっていた。


「何度か声をかけようと思ったのですが、随分と真剣な表情で何かを考えていたようなので邪魔をしては悪いだろうと、外で待っていたのですが…………いつまで経っても出てこないので、失礼とは思ったのですが―――」


「いや、助かったよ。このまま国重殿が声をかけてくれねば、日が落ちるまで考え込んでいたかも知れぬ。迷惑をかけた」


「いえ、こちらこそ……さ、早く出ましょう。なにぶん私にも仕事があるので」


「それは失礼をした。早々に出るとしよう」


 花束と青江を手に取り、国重殿に続いて道場を後にする。出て直ぐに別れた私は、少々寄り道をして、少し値段の高い大き目の花瓶を一つ買ってから家に帰宅した。居間にあがると手早く包装された花瓶を取り出して水を張り、丁寧に花を生けて自室に飾った。


 居間に戻ると真っ先に時計を見て、時刻が七時近くである事を知る。今夜の事を考えれば、そこまで時間があるとは言えない。今朝炊いた白米の残りで作ったおにぎりを一つ食べきると、お茶を飲みながら腹を落ち着けて、適当な感じになった頃、青江を片手に持ち中庭に出た。


 特に何も考えず、体を動かすために青江を振るっていく。これは修練でもなければ確認でもない、ただの下準備だ。故に普段よりも動きは緩やかに、むしろ穏やかな心持ちで青江を振り続けた。


 二十分程で下準備を切り上げると、台所に向かい水を入れられる水筒のような物を探した。生憎と見つからなかったので、向かう途中に自動販売機で買う事として探すのを取りやめた。


 時刻が七時半になろうとしている。そろそろ頃合いだろうと思い、一度自室に向かった。花瓶に座っている部員たちを前に誓いを新たなものとし、心の中で『行ってくる』と告げてから、私は草鞋の緒を強く結びつけた。


 外へ出ると、私は真っ先に噂の出所―――桜通りへと足を向けた。無論、件の『吸血鬼』を撃退するためだ。


 タカミチや学園長殿、刹那やエヴァに連絡しようとは思わなかった。これは警備員の仕事でも、後日就任する事になる広域指導員の仕事でもない。


 私が動く理由はただ一つ。私の価値観が『吸血鬼』を許せぬ故だ。


 桜通りに到着した。月光に照らされた桜の木が風に吹かれて揺らめく様はまるで燃えているようで、誘蛾灯のようだと思った。


 辺りに人影や気配がない事を確認すると、私はすぐさま桜の木に身を隠し、己の気配を周囲に同化させてから通りを窺った。今のところ影も見えなければ、誰かが近づいている気配もない。しばらくは誰も来ないだろうと当たりをつけて、来る途中で購入した水で喉を潤した。


 ―――ふと、客観的に己の姿を想像した。忍びの様な真似をしていると思い、聖杯戦争の頃が記憶に蘇った。


 暗殺者アサシンとして呼び出された自分。もしこれが今の姿を予測していた故なのであれば大したものだと思い、あの男ならやりかねぬと声を殺して笑った。


「―――フンフン」


 鼻歌のような音が聞こえた。急いで通りに視線をやると、そこには一人の女子が歩いていた。目が隠れるほどに伸びた前髪が特徴的な、あの女子は……


『―――確か、宮崎殿……だったか』


 名前を反芻すると、ネギの正式就任祝いの席で言葉を交わしたのを思い出した。一度だけ覗いた素顔の愛らしさが印象的だったのを覚えている。


「あ……桜通り…………か、風強いですねー、ちょっと急ごうかなー」


 何か独り言を呟きながら、おっかなびっくりに宮崎殿が桜通りを歩いている。恐らく、彼女も吸血鬼の噂を知っているのだろう。己を鼓舞するためか、調子の外れた歌のように『怖くない』と連呼している。


 ザァ、と風が吹いた。今までが穏やかに吹いていたので、急に強くなった風に煽られた枝もザワザワと呻きを漏らした。その声を聞いて、宮崎殿がビクッ、と身を竦ませて辺りを窺った。私も宮崎殿から見つからぬように深く身を潜めて、辺りに何か現れてないかと、青江を抜いて神経を張り巡らす。


 ―――そして。もう一度風が誘蛾の灯を強く揺らした時、果たしてそれは現れ、同時に私の目を奪った。


 全身を覆うほど大きい黒の外套は、端が虫に食われたように不揃いな形をしていた。外套の中から覗く足は確かに人間のもので、しかし人間離れした白さを持っている。頭には三角の帽子を被っており、私が言えた事ではないが、現代では目立ちすぎる出で立ちをしているものが、街頭の上に立っていた。常人が見れば、それだけであれに目が釘付けになるだろう。


 …………だが、私の目を奪ったのは、これらのどれでもなく―――髪の毛だった。


 見覚えのある金色。見覚えのある長さ。余りにも似ている……否、似すぎている。遠目なので正確ではないが、体の大きさまでもが瓜二つだ。私は思わず、いる訳のない一人の友人の名を呟いてしまった。


「27番、宮崎 のどかか…………悪いけど、少しだけその血を分けてもらうよ」


 体格が似ていると声まで似てくるのか。私の耳に届いたその声は、紛れもなく―――


 『吸血鬼』が宮崎殿に飛び掛る。宮崎殿の悲鳴が夜を裂く。私は頭を過ぎった馬鹿な妄想をかなぐり捨てて、『吸血鬼』を止めるべく飛び出した。


「待て、其処な者。狼藉はここまでだ」


 普段通りに声が出たのは奇跡と言っていい。それほどまでに、私は動揺していたのだから。一日の内に、方向は違えど二度も自分を見失うとは、今日は厄日なのだろうか。


 『吸血鬼』の動きが止まる。宮崎殿は気を失って倒れた。申し訳ないと思ったが、今はそれよりも、『吸血鬼』の正体を確かめたかった。





 ―――『吸血鬼』がゆっくりとこちらに振り向く。正体を確かめたいはずなのに、今すぐその動きを止めたいのはどういう事か。
 ―――『吸血鬼』が顔を上げる。帽子の縁に隠れた素顔が徐々に見えてくる。間近で見ると、髪の毛はやはり彼女のものによく似ていた。





 ……そうして、視線が交錯した。その角度までもがいつも通りで、もう誤魔化しようはなかった。


「―――小次郎」


「…………エヴァ」


 『桜通りの吸血鬼』―――そして、私の恩人にして友人であるエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、呆然としている私と違い、どこか悲壮な面持ちで私の名前を呟いた。






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