―――唐突だが、私は妖怪退治をしようと思う。


 この身は一度、紛い物とはいえ英霊として呼び出された。そういった意味で言うならば資格は十分にあるであろうし、こちらに来てから実際の経験も幾度かある。刹那や龍宮殿、エヴァなどといった先達からの援護は今現在期待できぬが、一対一の戦闘においてならば遅れを取るつもりは無い。


 綾瀬殿曰く『地底図書室』と言うこの場所に落ちてきて、今日で二日目になる。正確な日数が分かるのはネギが教えてくれたからだ。理屈は分からぬが、何かししら魔法を使ったのやも知れぬ。


 ネギが魔法使いであることは、ネギのクラスへ授業の見学に赴いた時学園長殿自ら教えてくれた。数えで十に達したばかりの童子が『立派な魔法使いまぎすてる・まぎになる』という夢を掲げ、その為に教師として日々切磋琢磨していると聞いて瞠目したのは記憶に新しい。


 ……ただ、夢を掲げるのは結構であるし、それに向けて必死に努力するのは実に好ましいところなのだが、ネギの場合それが行き過ぎている嫌いを感じなくもない。その辺りについて、いずれネギによく聞かせてやった方が良いかも知れぬが―――


「―――そろそろ、現実逃避も止めにするか」


「誰か助けてーっ! ネギ君、アスナー!!」


「フォーッフォッフォッフォッフォ!」


「ま、またあのでかいの!?」


動く石像ゴーレムですよアスナさん! 一緒に落ちてたんだ!」


 背を預けている木の裏側から絹を裂く様な悲鳴と、最近聞きなれる様になった特徴のある笑い声が耳に届いてくる。もはや破天荒に過ぎる意図を量りかねて、私は密かに溜め息をついた。


 ―――唐突だが、私は妖怪退治をしようと思う。この場合殺人になってしまわなくもないが、命を奪うということでは変わりない。そも英霊とは、極論的に『命を奪う』ことで名を馳せた者の総称だ。紛い物でも一度英霊として呼び出された私ならば、十分その資格はあるだろう。


 私の心中での独白に賛同する様に、背で青江がカチリと頷いた。


 ―――と言うかだな学園長殿。もしやとは思うが、半分遊んでおらぬか?










 時間を遡る事数分前。


 地上への出口と思しき扉を滝の裏で発見した私は、昨日より木乃香殿から習い始めた読み書きの復習をしていた。今まで己が何気なく口にしていた言葉を視覚で捉えられたあの時の感激は、恐らく生涯忘れえぬであろう。


 木乃香殿にはまこと、いくら感謝をしてもし足りぬ。いずれ刹那のこと以外で、もう少し感謝の意を表したいものだ。


「あ……い……う……え……お、と。ふむ、ここまでは覚えているな」


 習った文字―――ひらがなと言う日本語の基本らしい―――の音を反復しながら、紙に書いていく。“えんぴつ”の持ち方は未だぎこちなく、描かれる文字も木乃香殿に比べて圧倒的に下手だが、そこはおいおい修行を積んで直していくしかあるまい。


 心弾む気持ちで文字を書き連ねていると、砂浜を踏みしめる音が近づいてきた。短い音の間隔はその者が走っていることを伝えてくれる。立ち上がりつつ、音のする方向に顔を向けた。


「小次郎さーん! たた、大変やー!」


「…………何かあったのか?」


 そこには上半身裸で、“たおる”を晒し代わりにして乳房を覆っている木乃香殿が私に向かって駆けて来ていた。私としては木乃香殿の格好の方が大変なのだが、それすら気にならないほど急ぎの用事なのかと思いこちらからも歩み寄ると、ええからついて来てやと急かすように手招きされた。


 淑やかな木乃香殿がここまで取り乱すことに、如何なる問題が起きたのかと不安を覚えつつ、とりあえずは先導するように走っていった木乃香殿に追いつき、その途中で脱いだ私の陣羽織を差し出した。


「小次郎さん?」


「着ておれ。年頃の女子が無闇に肌を晒すものではないぞ」


「あ―――うん、あんがと」


 並走することで木乃香殿を視界から消し、決して横を見ず誘導に従い走る。歩幅と鍛え方の差でどうしても私の方が速くなってしまうが、流石に今の木乃香殿を抱え上げるのは躊躇われるので速さは木乃香殿に合わせておいた。


 砂浜を駆け、橋を渡り、木々を潜り抜ける。


 そうして、導きの果てに辿り着いたのは、木々と滝に囲まれた美しい湖だった。無色透明の水は、滝に水面を揺らされる度に光を乱反射させ美しく光り輝いている。辺りの豊富な自然と相まって、時間さえあれば何時まででもここでのんびりしたいという欲求に駆られてしまう。


 ―――そんな、大自然が作り出した幻想的な空間に、正真正銘幻想の存在がいた。


「…………この、翁は」


 湖の中に居座っている動く石像学園長殿。高らかに響く笑い声は遊んでいるとしか思えないほどに楽しげだ。


 しかも今更気付いたことだが、動く石像の声には正体を隠そうという気がまるで見受けられない。あの中に学園長殿が入っているのでは、と思わせるほど声がそのままであるからだ。


 ……なるほど、戯れとはよく言ってくれたものだ。あの時の言葉は、嘘偽りなくそのままの意味であったのか。


 ちなみに蛇足だが、学園長殿の周りには刺激的に過ぎる格好をした皆がいた……気がした。曖昧なのは、それを直視する前に私の第六感が視線を逸らし、近くの木に背を預けて湖を正面から外したからだ。


 あれはネギのような少年ならまだしも、成人している私が見てよい光景ではない。今更ながら、このように私を生んでくれた両親に感謝の念を捧げたくなった瞬間だった。


「ぼぼ、僕の生徒をいじめたなっ!? いくらゴーレムでも許さないぞっ!」


 事の顛末を耳で聞き届けていると、ネギの感情的な怒声が響いた。次いで、『ラス・テル・マ・スキル―――』と私の理解の範疇外にある何かしらの言霊をネギが紡いでいく。


 その言葉に好奇心を刺激されて、ネギだけを視界に収めるよう僅かに顔を覗かせる。肌身離さず持っている杖を左脇に構えて、右手の人差し指と中指で学園長殿を指しているネギの姿が見えた。


「食らえ、魔法の矢!」


「フォ!?」


 ネギの一言を聞いて、学園長殿がひどく驚いた声を上げる。もっとも、今の一言を聞くにそれも仕方のないことではあるので、心中で嘆息を吐きつつ学園長殿に同情した。


 魔法が秘匿されるべき物であることは、どうやら世界を越えても変わらないらしい。そういう話を警備員の仕事説明の時に学園長殿自ら話してくれたのを覚えている。魔法を学ぶ学校に通っていたネギならその程度は重々承知の筈なのだが、ここ一番でそれを配慮出来ないのは、やはりまだまだ子供故なのであろうか。


 ……しかし、どうやら此度はネギに運があったらしい。


「―――」


「―――」


「―――あ、あれ?」


 ネギが言霊を間違えたのか何か別の要因があったのか、魔法らしき物は発生しなかった。強いて何か起こったと言うのであれば、勢いよく突き出したネギの指が風を揺らしたのと、嫌な感じに場がしーんと静まり返った程度であろう。


「まほーの……」


「……や?」


 長瀬殿と古殿が、事態についていけず呆然とた声を発する。見ることは叶わぬが、私には胸を撫で下ろしている学園長殿の姿が見えた気がした。


「フォッフォッフォ、ここからは出られんぞ。もう観念するのじゃ。迷宮を歩いて帰ると三日はかかるしのー」


「み、三日!?」


「それじゃテストに間に合わないじゃない!」


「み、皆さんあきらめないでください! 大丈夫っ! 僕の魔法の杖で飛んでいけば一瞬―――もがぼっ!?」


「こ、こらネギ!? さっきから何モロに言ってるのよ!」


 連続で自爆をかましてくれるネギを、ようやく神楽坂殿がネギを止めてくれたようだ。これで少なくともこれ以上の暴走はあるまいが……時既に遅し、というやつであろう。


「なぁなぁ小次郎さん。何で小次郎さんも助けに行かへんの? まきちゃん、あのデッカイ石像に捕まっとるえ?」


「皆まで言わせないでくれ木乃香殿。あの場に私が行けると思うか?」


 何時までも動かない私を不信がったのか、木乃香殿が問うてきた。それに短く、かつ明確に返答する。


 虎穴に入らずんば虎児を得ずとも言うが、虎児極楽見たさに虎穴死地に飛び込めるほど私はまだ生に満足していない。加えて用途も間違っているしな。


 そも、背の向こうに広がっているであろう虎穴は一方通行だ。入るのは容易いが、その後が続かない。


 帰り道の無い虎穴―――人それを、地獄と言う。


「でも、まきちゃんが―――」


「それも心配なかろう。あの石像が私達に敵意を持っているのなら、今頃佐々木殿は何かしらされておる。それがただ捕えられているだけであるなら、あの石像には私達への敵意がないということよ」


「はー…………言われてみれば、そうやなぁ」


 私の詭弁とも取れる理論に、木乃香殿が感心した風に頷いた。そうやって微妙に場違いな会話をしている内にも、石像を中心とした向こうの場は進行していた。


「本を頂きますっ! 行きますよバカレンジャー!」


「OK、バカリーダー!」


 どうやら目当ての本が見つかったらしい。流れからすると石像が持っていたのだろうか。皆の荷物を取りに行くと言って駆け出した木乃香殿を見送りながら、音を頼りに情景を想像する。


「アイー―――ハイッ!」


 ズン、と深く響く音と共に、バキンッと固い物が砕ける音が聞こえた。最初の音は間違いなく足が地を踏み鳴らしたモノで、次に聞こえたのは恐らく岩が砕ける音。即ち、動く石像の体の一部を粉砕したということだろう。


 声の主は古殿……あの若さで、中々どうして。


 感心している私を蚊帳の外に、皆が石像を追い詰めていく。


 ヤッ、という気勢。ガン、という衝突音。キャッ、という悲鳴。フォッ、という妖怪の呻き。


 そして―――


「キャーーッ! 魔法の本取ったよー!」


「す、スゴイ!? バカレンジャー本当に体力だけはスゴイです!」


「いや体力だけ凄くても出来ないわよ普通!」


 その声を皮切りに、私も一目散に駆け出した。


 逸歩から入り、蜘蛛の子が散るように逃げ出した彼女らを先導する為に先を走る。荷物を取ってきた木乃香殿と合流して、皆が走りながら着替えを始めた。


 後ろから、奇声を上げる妖怪殿が追い縋ってくる。


「フォーーッ!? ま、待つのじゃ待つのじゃ! 出口は無いと言っとるじゃろうが! 諦めて捕まるのじゃー!」


「はっはっは、その割には随分と慌てているではないか。これではまるで、何かを隠していると宣言しているようなもの。そう思わぬか綾瀬殿?」


「はい、その通りです。皆さん、出口は必ずどこかにあります!」


「―――な、何の事じゃ? とととにかく、大人しく本を返すのじゃーー!」


 振り向かず、流れる自然を横目で名残惜しみながら妖怪殿に揺さぶりをかける。案の定一瞬言葉に詰まり、予想通りの取り繕いを口にしてきた。心なしか追いかける足音にも焦りが感じられる。


 言及を回避したと油断した妖怪殿に内心でほくそえみながら、必殺を図り返しの一言を見舞った。


「そうかそうか。では、滝の裏で見つけたアレは何だったのかな?」


「フォッ!!? み、見つけてしまったのか!?」


「そうか、やはりアレが出口か。皆よ、私について参れ」


「出口があったの!? やった、みんな急いでズラかるわよーーっ!」


「フォーッ!?」


 応、と元気の良い声で神楽坂殿の激励に皆が返事をする。目的が定まって、精神的な負荷が減ったのだろう、急に皆の足が速まった。


 しかし、現代の女子たちは随分と体が出来上がっておるな。抑えているとはいえ、私の足についてくるとは。武芸を修めている長瀬殿や古殿ならば納得できるが、とてもそうは見えぬ神楽坂殿が平然とした顔で、私を追い抜かさんばかりの勢いで走っているのは、実に興味をそそられる。


「あれだ。あの滝の裏に扉がある」


 駆け出してから数分、ようやく目当ての滝に到着した。


 滝の裏に隠されていた扉の大きさは大よそ縦六尺半、横一尺少々といったところ。ここに入れば石像はもう追ってこれまい。扉の上部には何か人を模した緑色の光る物体が有るが、先に調べたところ特に何という仕掛けはなかった。その姿は逃げ出そうとしている人のように見えなくもない。


 皆が我先にと扉に向かい、地上に続く道を開け放とうと手を伸ばす。


「な、何これ!? 扉に問題がついてる!」


 だが流石は学園長殿と言ったところか、扉には仕掛けがしてあったようだ。唐突な展開に戸惑ったその瞬間、背後の滝がけたたましい音を立てて割れた。


「ま、待つのじゃーー!」


「追いつかれたか―――私の出番だな」


 途中で引き離していた石像仙人が追いつき、女子らを捕えようと手を伸ばす。だがそれよりも早く背から青江を解き放ち、指先を掠めるように空を奔らせた。


「ひょっ!?」


「そら、私が足止めしている間に扉を開け」


「あ、ありがとうございます! えっと―――『問1 英語問題 readの過去分詞の発音は?』が問題です!」


 伸ばしてくる手の悉くを、ただ自然体に構えるのみで下がらせて時間を稼ぐ。普通なら石で出来ているのをいいことに強行に出そうなものだが、私の腕前を知っている学園長殿は私の刀が揺れるだけで手を引っ込めてくれる。


「ムム…………私、コレわかるアル! redレッドアルね!?」


 扉に書かれていたらしい問題を、古殿が解答する。それが正解かどうか私には判別がつかぬが、ぴんぽーん、と随分間の抜けた音を響かせつつ、扉の開く音が聞こえてきた。どうやら正解だったようだ。


 皆が我先にと解放された扉の中へ雪崩れ込んでいく。


「私もこれで失礼させて頂こう、学園長殿。皆に遅れる訳にも行かぬからな。何、心配など不要。言いつけ通り、彼女らは私が無傷で地上まで護衛しよう」


「まま、待つのじゃ小次郎君ーーっ!」


 最後に学園長殿を牽制しつつ摺り足で後ろに下がり、間合いから外れたところで踵を返した。逸歩で最高速度に到達し、そのまま短い回廊を走りぬける。


 回廊を抜けると、開けた場所に出た。左右の幅はそう大したことのない部屋であるが、上を見上げれば天井が見えぬほどに高い。螺旋状の階段が壁に沿うように作られており、流れに沿って視界を走らせていると大急ぎでそれを駆け上がっている皆を発見した。


「小次郎先生、こっちです! 早く!」


 綾瀬殿が私を呼ぶと同時に一段目へ足をかけて、全力で駆け上がっていく。皆がいるのは私から見て二段上にある階段だ、急いで追いつかねばなるまい。


「うわっ、小次郎先生速っ!」


「これは…………やはり、並大抵の御仁ではござらんなぁ」


「そうアルねー。早く戦ってみたいアル」


 神楽坂殿が私の走る速度に驚き、その後に続いて長瀬殿と古殿が何か言っている気がするが、それに意識を向けようとした直前に轟音が響き渡った。足を止めずに発生源である一階部分を見てみると、そこには往生際の悪い妖怪石像仙人の姿があった。どうやら、壁を突き破って入ってきたようだ。


「な、ならぬならぬっ! ほほ、本を返すのじゃー!」


「…………あそこまで必死になるのなら、初めから渡さなければ良かろうに、全く」


 壁を破壊しながら無理矢理に狭い階段を上って来る学園長殿を見て、私は密かに呆れの混じった溜め息を吐きつつ足を速めていった。


 程なくして、ようやく皆に追いついた。


「待たせた。さぁ、急ぐとしよう」


「うん、急ぎたいんやけど……さっきと同じ仕掛けがあってな、思うように進めないんよ」


「何と。まぁ、仮に追いつかれたとて私が撃退する。落ち着いて考えるがよい」


 木乃香殿にそう返事を返したところで、また一つ扉が開いた。


「す、すごいですバカレンジャーのみんな!」


「アスナとマキエまで答えられるなんてやっぱりこの本、本物アル!」


「悪かったわねっ!」


 古殿の言葉に、全く同じ返答を明日菜殿と佐々木殿が同時に返していた。


 ……しかし、ネギよ。如何にそういう渾名が有るとはいえ、教師が教え子に『馬鹿』等と言う言葉を不用意に使うのは頂けぬぞ。


『…………やはり、上に戻ってから少々、注意をせねばならぬなかな』


 心中で密かにそう決心して、殿を勤めながら次々と問題を解いて階段を駆け上る皆の後に続いていく。かれこれ一時間は上っているが未だ出口には至らないようだ。流石に皆にも疲れの色が滲んできている。


「あうっ!?」


 その疲れが裏目に出たのか、綾瀬殿が壁から生えている木の根っ子に蹴躓いた。


「こ、こんなところに木の根が。足をくじいてしまいました……」


「えぇっ!? だだ、大丈夫ですか!」


「先に行って下さいネギ先生…………この本さえあれば、最下位脱出が―――」


「そんなのダメです! 僕がおぶって行きますから!」


 歩けなくなった綾瀬殿が後を託そうとネギに魔法の本を差し出すがそれを断り、逆に背負って行こうとネギが綾瀬殿を背にかける。男と女という差は有っても子供であるネギではやはり荷が重いのか、震えながら徐々に立ち上がっていくもすぐに膝が抜けてうつぶせに倒れてしまった。


「長瀬殿、頼めるか」


「あいあい。ネギ坊主、拙者に任せるでござるよ」


 私が代わってやりたい所だが、殿という役目があるので、私と同じくまだ余裕がある長瀬殿に綾瀬殿を運ぶのを依頼した。


 快く引き受けてくれた長瀬殿が綾瀬殿を持ち上げる僅かの間に、学園長殿の位置を確認する。


 ……二段下の階層か。この調子なら、何とか追いつかれずに頂上まで辿り着けるだろう。終わりの兆しが見えない天の渦の中心を睨み、そう結論を下した。


 黙々と階段を進む、問題を解いていく。しかし進む速度は目に見えて遅くなってきており、徐々に学園長殿が距離を詰めてくる。そろそろ実力行使もやむなしかと思い始めたとき、それは聞こえた。


「け、携帯の電波が入りました! 皆さん、地上が近いですよ!」


「はぁ、はぁ…………地上が―――あ、みんなあれ!」


 “けーたい”を見た綾瀬殿が声を張り上げた途端、佐々木殿が螺旋の先を指差した。それに釣られて皆の視線が一点に集中する。そこには、何かの扉があった。


 アレは何だ? また私が知らぬ物だ。


 扉の中央には線が一本入っていて、左と右にそれぞれ文字が書かれている。当然私では読むことは叶わない。だが綾瀬殿の声から察するに、皆が待ち望んだ物なのだろう。


「一階への直通エレベーターだ! やったー、これで帰れるー!」


 一番に“えれべーたー”とやらを確認した佐々木殿が、今までの疲れなどどこ吹く風と駆け出した。皆も佐々木殿に続いて足早に残り少ない階段を上っていくと、佐々木殿が脇に付いていた丸い何かを押す。


 ぽーん、という音と共に扉が開いた。いち早く乗り込んだ佐々木殿が早く早くと手招きをし、けたたましい音が聞こえそうなほどの勢いで私を含めた全員が乗り込んだ。


「ボタン、ボタン早く押して!」


「やった、これで帰れるアル!」


 帰れるという安心感が皆の心に漂う。しかし―――


 ――――――重量オーバーD・E・A・T・Hデス


 ブブーッ、という何処か不吉を思わせる音と共に人を思わせぬ色のない声が響く。最後の『です』の響きというか含まれる意味が、微妙に違うと感じたのは私だけだろうか?


「い、いやぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 希望から絶望に転落した悲鳴が響き渡る。今の音か色のない声か、はたまたその両方に先程の安心感を破壊し尽くす力があったのか「二日間飲み食いしすぎたアルか!?」「まき絵さんっ! 今何キロですか!?」「私は痩せてるよ! それを言うならアスナとか長瀬さんの方がお肉付いてるじゃない別の場所だけど!」と見るも憐れなほど皆が取り乱している。


 『重量』という先程の言葉と皆の反応などから推し量り、このえれべーたーには積み込める総重量に制限があるのだろうと当たりをつけた。


「まだスペース有り余ってるやん…………根性無しのエレベーターやな」


「何、心配は無用だ木乃香殿。重量制限を超過してしまったのだろう? ならばすぐに解決できる」


「ふぇ、そうなん? でもどうやってや」


「私が降りればよい」


「えぇ!?」


 私の単純明快な解決策を聞いた皆が驚きの声を上げた。だがそれを無視して私が降りることの理由、その単純さを語っていく。


「何を驚く。斯様な状況で腰を上げねば男が廃るというもの。そも皆には試験が有るであろうに。加えて私ならばあの妖か―――もとい、動く石像と戦っても生き残る自信がある。
 それに何より、其方らを危険に晒す訳にも行くまい。私はそのためにここにいるのだからな、然らば私が降りるのは全く持って道理であろう」


 手短に説明を終えると、私は皆の反応を待たずにえれべーたーより退出した。


 石像の足音が近い……恐らく、一段下まで迫って来ているのだろう。背後にいる皆を意識から切り離し、正面を静かに見据える。


「そら、早く行かぬか」


「う、うん…………そうしたいんやけど―――」


 未だ止まっている皆に声をかけるも、煮え切らない返答を木乃香殿が返すのみ。何故かと思い、切り離したばかりの意識を再度向けてみると、例の警告音がまだ鳴り響いていた。


「小次郎さんが降りても足りないの!? 何よそれ!」


「これは…………服でも脱ぐでござるか? ほら、片足を出すだけで警報が消えるでござるし」


「それよ! 皆、服を脱いで軽く―――」


「こら、止めぬか」


 長瀬殿の言葉に脊髄反射の如く乗ろうとした神楽坂殿を、振り向きながら言葉で押し止めた。


「全く……木乃香殿にも申したが、女子がそう容易く肌を晒すものではないぞ。第一、退かせる物なら一つあるではないか」


「え―――まさか、これアルか?」


 私の言葉を聞いて、古殿が恐る恐るそれを指差す。皆の当初の目的であった魔法の本が、そこにあった。


「そんな!? これのために私たちがどれだけ苦労したか―――」


「だが、帰れなくば意味はあるまい? 其方たちは、何のためにそれを欲したのだ?」


「―――ぅ」


 未練がましく魔法の本に縋ろうとする綾瀬殿に、本当の目的を思い出させる。


 そう、元々の皆の目的は『試験で良い点数』を取ることだ。魔法の本はそれを成す絶好の物であったが、それのせいで試験を受けられなければ本末転倒もいいところ。ならばいっそ捨て去って地上に帰り、普通に受けた方がましだろう。


「で、でも…………これが無かったらどの道、良い点数は……」


 佐々木殿が暗い顔でそんなことを言った。その勘違いを正すべく、皆が忘れているもう一つの事柄を告げてやる。


「それこそ心配有るまい。皆はこの二日間、一生懸命勉学に取り組んでおった。それが報われぬはずあるまいよ。それとも何か? 今まで学んでいたのは、全て見せ掛けか?」


「ち、違いますっ! 皆さん、本当に勉強してちゃんと成長を―――!」


「で、あろう? ならば、そのような裏技を使う必要はどこにも無い。それにな、そういうのは癖になる。出来るだけ使わぬのが身の為だ」


 動く石像が、直ぐそこまで迫っている。早くしなければ追いつかれてしまう。先程は生き残る自信があると言ったがそれも皆が先に上に逃げてくれたらの話であって、守りながらの戦いだと少々形を変えてしまう。


「さぁ、どうするのだ。早く決めてくれねば、アレの相手もし難くなる」


 顎で石像を指しながら答えを急かす。後十数歩も歩けばここに到達しそうな距離だ。その現状を見た神楽坂殿が本を握り締め、未だ踏ん切りの付かない皆を差し置いて一念発起した。


「―――あぁもう! 分かったわよ! こんなもの無くたって、良い点数とって見せてやるわよ! いいわね、みんな!?」


「あー……ま、それしかないか」


「仕方ないですね…………小次郎さんの言うとおり、テストを受けられないと元も子もありませんし」


「で、でも僕も降りれば―――」


「担任のあんたがいない状況でテスト受けても意味無いでしょ。第一、あんたが先生続けられるかどうかを決めるテストじゃない、バカ」


「決まったようだな。では神楽坂殿、済まぬが本を―――それと木乃香殿、私の羽織を」


 足音が後ろに迫る中、神楽坂殿と木乃香殿から本と羽織をそれぞれ受け取り、羽織は直ぐに袖を通した。その途端に警告音は鳴り止み、徐々に扉が閉じられていく。閉じ切るまでの僅かの間に、皆の心配そうな視線が私の背中に注がれるが、心配ないと改めて示すために不適に笑いながら、


「―――武運を」


 横目に映る皆にそう声をかけて、私はそれと対峙した。


「で、目当ての物はこれかな、学園長殿?」


「おぉ、わざわざ済まんの小次郎君」


 先程までの慌てぶりはどこへ消えたのか、何時もの飄々とした空気を取り戻した学園長殿がそう答える。ただそれは表面上だけのようで、内心では冷や汗でもかいているのだろう。そういった感じが節々に見受けられた。


「それにしても、何故斯様に面倒くさいことをしでかしたのだ?」


「いやの、子供のネギ君が今後も先生としてやっていけるかどうかを、この図書館島のトラップなどで計りたかったのじゃ。先生は大変な仕事じゃからの」


「なるほどな……して、結果はどうなのだ?」


「トラップにもめげず、脱出できるか分からない状況で生徒たちを鼓舞して勉強まで始めたんじゃ。まだまだ精進する必要は有るが、後はテストの結果さえ良ければそれで合格じゃ」


「それは重畳。では、本をお返ししよう」


 学園長殿が告げた内容に口の端を吊り上げながら、左手に持っていた本を差し出す。済まんの、ともう一度礼をしながら学園長殿が本を受け取った。


 ―――さて。これで私はお役御免となるのだが、一つ確認しなければならぬことがある。


「時に学園長殿。一つ聞きたいことがあるのだが、よいか?」


 私の唐突の問いに、構わんよ、と快く質問を許してくれる学園長殿。忝い、と小さく頭を下げてから、その問いを口にした。


「学園長殿があの地下に現れたとき、湖の中心におったよな。その時、たおるで身を包んだ皆もいたと思うのだが――――――まさか、見ておらぬだろうな?」


 右手にある青江の握りをやや強くしながら、殺気を揺らめかせて訪ねる。嘘は許さぬぞ、という意思を視線に込めて。


「――――――ふ、不可抗力じゃよ。まさかあんな格好でいるとは思わなかったんじゃ」


「ほう、つまりは見たのだな。教職の長ともあろう其方が、教え子の肌を」


 予想通りの答えを聞き、殺気の量を引き上げる。静かに半歩足を進めて、狙いを間合いの内に捉えた。


「ま、待つのじゃ小次郎君! 人には止むに止まれぬ事情という物が…………べ、弁解の余地を―――!」


「問答無用。如何な理由があろうと、男が許可なく女子の肌を見ることは許されぬ――――――シッ!」


 疾空一閃。短く息を吐くと同時に青江を奔らせる。狙いは学園長殿ではなく、足元にある石の階段。その向かって右足側にあるそこを一息で切り裂き、返す刀で更に別方向からも断ち切った。


「フォ―――」


 脆くなった足場が軋みをあげ始め、石像の重さによって亀裂が次々と広がっていく。学園長殿は逃げ出そうとするが、それよりも早く足場が粉砕した。


 傾く石像。その先には、私たちが一時間以上かけて上ってきた螺旋階段、その始まりへと至る片道のみの特急路がある。何を言う暇もなく、そのまま石像の足が階段を離れて―――


「去らばだ学園長殿。奈落に落ちて反省するが良い」


「フォォォォォォォ―――!!?」


 螺旋の奈落へと、堕ちて行った。


 処罰を下し終わったのを確認して青江を仕舞い、佐々木殿の真似をしてえれべーたーのボタンを押す。程なくして、チーンという音と共にえれべーたーが到着した。中に乗り込むと、勝手に扉が閉まり上昇を開始した。


「…………ふぅ、これで真にお役御免だな」


 壁に背を預けて、溜め息を一つ吐く。思い返せば楽しい場所であったし自然も豊かだったが、帰るためにここまで疲れるとは思わなんだ。もう一度訪れたいと思っていたが、これは少し考える必要が有るな。


 扉が開く。外にでると、懐かしい太陽の光が目を焼いた。


「あ、小次郎さんや。みんなー、小次郎さんが来たえー」


 木乃香殿が私に気付き、それに続いて皆が私に向かって小走りで近づいてくる。どうやら待ってくれていたようだ。微笑みながら皆と合流し、無事の帰還を喜び合った。










 ―――そうして。


 無事に生還した翌日の試験は見事ネギたちのくらすが一位を獲得し、ネギは晴れて先生を続けられることとなった。今度、ネギと図書館島地下に潜った女子たちに祝いの品を渡さねばなるまい。


 ……それと蛇足になるが、学園長殿は頭部に怪我をしていた。私が落としたのが原因らしく、自業自得とはいえ私もいささかやり過ぎたやも知れぬので、謝罪の意味合いを兼ねて傷薬を送るとしよう。








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