「…………う、ん」
ぼんやりとした意識の中、うっすらと目が開いた。目覚ましを使って早起きしたわけでもないのに、やけに頭がスッキリしない。左右に頭を何回か振って、その度に髪飾りの鈴が耳元でチリンチリンと鳴ってくれたので、それでちょっとは頭がはっきりした。
「あ、れ……ここ、どこ?」
うつ伏せになっていた体を起こして、目をしっかり開けて周りを見ようとするけど、やけにぼやけていて良く見えない。目覚めて直ぐだから目に涙でも溜まっているのかと思い、手の甲で擦ろうとしたけど、それよりも先にまともな状態を取り戻した耳が妙な音を聞き取ったので、私は手を動かすのを止めてそっちを見た。
海岸で聞こえるような、チャプチャプという波打ち際の音。そしていっしょに聞こえてくるのは、ドドド、という滝が落ちるような豪快な音。何でこんなものが、と首を傾げようとしたけど、その間にもう一つ妙な事に気づいた。
上半身を起き上がらせるために地面についている掌。そこから伝わる感触が何か変だ。細かく固く、そしてとても小さいものが敷き詰められたこの柔らかい感触は、まるで浜辺の砂に手をつけているよう。
「―――……う……あ、すな…………さん?」
「ネギ?」
声がした方に振り向くと、ぼやけた視界の中に人の輪郭と赤い色が見えた。きっとネギだろう。今度こそ目を擦り、はっきりとネギを視界に映した。
「ネギ、あんた大丈夫?」
「はい……。ここは―――そ、そうだ。僕たち、英単語のトラップを間違えてゴーレムに落とされちゃったんだ…………」
ネギの言葉を聞いて、私も気を失う前のことをようやく思い出した。
苦労して図書館島を進んで、最深部に小次郎さんがいて、石像が動き出して、ツイスターゲームやって、それを間違えて―――
『う……ちょっと―――というかかなり嫌なこと思い出しちゃった』
私とまきちゃんが最後の問題を間違えて、ここまで落ちてきたんだ。こんなんじゃあ、テストの結果を見るまでも無く、みんなに会わせる顔が無い。かなり深いとこまで落ちたみたいだし、これで出られないなんて事にまでなったらどうしよう。会わせる顔どころか、どうやったって謝れないわ……
「―――あ、アスナさん…………」
「……ん? 何、ネギ」
暗い気持ちで色々と思考を働かせていると、何か呆然としたネギの声が私を呼んだ。下げていた顔を上げてネギを見ると、声と同じように表情も呆然としてる。見ている先に何かあるのかしら、と思い、私もその方向に視線をやって―――
「……って、ここはどこなのーー!?」
思いっきり、絶叫してしまった。
……って言うか、本当にここどこなのよ。やったらめったら天井には木の根があるし、いたるところに湖まであるし、その中に本が入った本棚が沈んだり浮いたりしてるのは何の冗談かって聞きたくなる。良く見れば私たちが立ってる場所は、さっき感じたとおり砂浜だった。挙句地下のはずなのに、壁が光っていて凄く明るい。いくら麻帆良や図書館島が常識外れだって言っても、これはちょっと行きすぎなんじゃないかと思う。
「こ、ここって本当に図書館の地下なの?」
「み、見てください。落ちてきた天井があんなに高い……」
「ホンマや〜……でも、綺麗やな〜」
「うっわー、木の根っこが天井まで繋がってるよ…………」
みんなも気がついて辺りを見渡したのか、このトンデモ地下空間への感想を口にしていた。
「―――こ、ここは…………」
すると、夕映ちゃんだけがただ一人、他のみんなとは違った反応をしていた。口ぶりからして、多少はここの事を知っているのかもしれない。聞いてみようとしたけど、それより早く夕映ちゃんは口を開いた。
「ここは、幻の『地底図書室』!?」
「何やそれ、夕映?」
同じ図書館探検部のこのかも、その『地底図書館』とやらを知らないのか、夕映ちゃんに聞いていた。
「地底なのに暖かい光に満ちて、数々の貴重品にあふれた本好きにとっては正に楽園と言う幻の図書室なのです」
「へ〜……図書館にしては、広いと思うけどな〜」
夕映ちゃんの説明に、このかはちょっとずれたコメントを口にしていた。いや、他にもあるでしょう。もっとこう…………そう、色々と。
「ただし、この図書室を見て生きて帰った者はいないとか」
「えーーーーっ!!」
「じゃ何で夕映が知ってるアルか?」
もう突っ込む気力も無い私は、ぐったりとうなだれてしまうのだった。
「―――あれ? そういえば、小次郎先生はどこ?」
「ふむ、いないでござるなぁ」
ふっと辺りを見渡すと、あのやたらと目立つ格好をしてる小次郎先生がいない事に気づいた。確かに一緒に落ちて来たはずなんなんだけど、影も形も見えない。着物なんて着てるから湖の底に沈んじゃったんじゃ、と怖い考えが一瞬頭を過ぎったけど、それも直ぐに思い過ごしに変わってくれた。
こっちに向かって橋の上を歩いてる、小次郎先生を見つけたからだ。
「ふむ、皆目を覚ましたようだな。大事は無いか?」
私たちが立ってる砂浜に下りて、みんなが目を覚ました事にホッとした表情を浮かべながら、小次郎先生が聞いてきた。みんなで頷くと、夕映ちゃんが小次郎先生に質問を聞き返した。
「小次郎さん、今までどちらへ?」
「地理の把握を兼ねたそこらの散策をな。おかげで色々と分かった事があるのだが…………良い知らせと悪い知らせ、どちらから聞きたい?」
そんな不安になるような事を、フフッ、何て含み笑いを浮かべながら小次郎先生が聞いてきた。何と言うか小次郎先生らしいけど、そういうのはこの状況だし、正直止めて欲しいと思った。
「では、良い知らせからお願いします」
「承知した。正確な場所は後で案内するが、食料を大量に発見した。周りの環境と合わせて鑑みるに、数週間はここで生活しても問題あるまい」
「それは確かに、有りがたいでござるなぁ……で、悪い知らせというのは?」
「未だ出口が見つからぬ」
やれやれ、とこっちが腹の立つくらい落ち着きながら肩をすくめて、小次郎先生が最悪の事を言い放った。思わず、それが見つからなきゃ食料なんていくらあっても無意味じゃないのこのエセ侍! と叫びそうになったけど、何とか心の内にとどめる事ができた。
「痛ッ……!」
と。左腕を少し動かそうとしたら、急に肩に痛みが走った。反射的に肩を押さえて、痛みで顔を引きつらせてしまう。落ちたときに、強く打っちゃったかな……
「あ、アスナさん? 肩を怪我したんですか!?」
「だ、大丈夫。これくらい何でもないよ」
痛みをやせ我慢して、自分でも分かるくらい引きつった笑みをネギに向ける。するとネギが何時ものパターンで杖を握り締めて、ラス・テル・マ・スキルとか良く分からない言葉を呟きながら、魔法を使って私の怪我を治そうとする。
けど、
「―――し、しまった…………僕、魔法を三日間封印してるんだった」
そう、ネギは今、魔法を封印しちゃってる。理由はどうだか知らないけど、その魔法目当てでここに連れて来たのに『え……僕、魔法なら封印しましたよ』とか図書館島に入った瞬間に言われた時のショックは、そうそう忘れられはしないだろう。
その後、小次郎先生が探したとは思うけど、人数が増えたら何か変わるかもしれないという事で、もう一度出口が無いかをみんなで探してみた。結局見つけられなくて、私を含めてみんなの表情が暗くなっていく。夕映ちゃんがさっき言ったとおり、パルか本屋ちゃんが救援を呼んでくれるのを待つしかないのかしら……
「み、皆さん元気出してくださいっ! 根拠は無いけどきっとすぐに帰れますよ! あきらめないで期末に向けて勉強しましょう!」
そんな私たちの不安を吹っ飛ばすように、ネギが無駄に元気のいい声で私たちを励ました。いきなりの励ましだったのと、内容があんまりにも楽観的だったのが上手く利いて、くーふぇとまきちゃんが笑い出した。それにつられて、みんなにも笑顔が戻っていく。
「この状況で勉強アルか?」
「ハ、ハイ! きっとすぐに出られますから!」
「何かネギ君、楽観的で頼りになるトコあるな〜」
しきりにみんなを励ますネギを見て、このかがそんな事を言った。私は、そこまで深く考えてないだけだと思うけど、まぁ結果的にそうなってるからいいかと、追求はやめておく。
「……ありがとうネギ君。ホントは私(あとアスナ)のせいでこんなひどい事になったのに…………魔法の本も取りこそこねちゃって……」
「ぅ……」
「そんな事ないですよ! 魔法の本がなくても今から頑張れば大丈夫です!」
「その通りだ。良い事を申すな、ネギ」
まきちゃんが裏に何かを含みながら言った言葉に、ネギがまた根拠のない元気で前向きな事を言うと、パンと手を打ち鳴らしながら小次郎先生が口を開いた。
「入り口があるなら出口も必ずやあるはず。それは私が見つけてくる故、皆は月曜の試験に向けて存分に勉学に励むが良い。二日もあれば、時間的には十分であろう?」
「そうでござるなぁ……今から全力で勉強すれば―――」
「何とか10点アップくらいはいけるかも知れないアルなー」
いい感じで気分も盛り上がってきて、ここでの流れが決まっていく。
出口探しは小次郎先生に任せて、その間に私達は期末対策の勉強をする。勉強のためのテキストは夕映ちゃんとこのかが見つけたみたいだから、このままだと今すぐにでも始めそうな勢いだった。
―――しょうがないわね、私も気合入れて勉強しないと……小学生からやり直しはイヤだし、正直そろそろ良い点数っていうのを自分で取ってみたい。
そう考えて、自分もやる気を出そうとしたとき。キュルル、と軽く出鼻を挫く音が聞こえてきた。
「……と、その前に」
その音は、まきちゃんやくーふぇのいる辺りから聞こえてきた。緊張が解けて、空腹を自覚してきたのかも知れない。実を言うと、私も少しお腹が空いてきてたりする。ここに落ちてからどれくらい経ったかは分からないけど、少なくとも途中の休憩したところから何も食べてないから、しょうがないと言えばしょうがない。
「―――」
「―――」
「―――」
なので。さっき食料を見つけたと言ったお侍様を、全員でジーッと見つめてみた。
「……ふっ、承知。腹が減っては戦は出来ぬとも言う。早々に案内しよう」
「やったーっ!」
「やっぱ果物かな?」
「ポテチあるといいなー」
「流石にそれはないと思いますよ、まき絵さん」
見つめてきた私たちがおかしかったのか、目を閉じて微笑んだ小次郎先生が、食料の下へと案内を始めてくれる。その背中について行きながら、みんなでどんな物があるかについてワイワイと話し合った。私としては、お米があってくれると嬉しい。
さて。お腹を満たしたら、勉強に挑むとしましょうか。
―――そんなこんなで、勉強初めて数時間経った頃。ウチは一人で、本の読み歩きをしとった。
「ホンマ、色々あるなぁ」
流し読みしとった本を元の位置に戻して、次の本を探して別の棚へと歩き出す。砂に埋まっとったり水の中に沈んどる本棚を見られへんのは残念やけど、それでもウチは十二分にこの場所を楽しんどった。
誰でも知っとる著名な人が書いたものから、夕映やのどかでも知らなそうな本まで有って、どこのどの本を読んでも全く飽きへん。
「あー、ええなぁーここ。暖かくて本に囲まれて、ホンマ楽園やわー」
伸びをしながら独り言を呟いて、スキップしそうなくらいウキウキした気持ちで、最近読んどらん江戸川乱歩の作品でもないかなぁ、なんて考えながら本を探してく。
「―――あ」
ピタ、と足を止めた。けどそれは、お目当ての本を見つけたわけやなく、前々から二人っきりで話がしたかった人が、えらい真剣な顔して本を立ち読みしとるのを見つけたから。
……佐々木 小次郎さん。歳は二十六。富山の地方出身で、経営してた道場が過疎化で潰れてもうたから、父親の友達やったおじいちゃんを頼って麻帆良にやってきた人。趣味と特技は剣術らしくて、戦国や幕末から達人をそのまんま持ってきたんやないかと思うくらいの凄腕らしい。その腕を買われて、今は剣道部の外部コーチとして就職しとるって話や。
―――これが、ウチがおじいちゃんから聞き出した、小次郎さんの情報。そして、この人はウチが知る限り、せっちゃんが唯一笑顔を向けた人。
あの時、ウチはバッチリ見とった。小次郎さんがウチらのクラスの授業見学に来て、昼休みにせっちゃんと話しとった時、何年も見てなかったせっちゃんの笑顔が小次郎さんに向けられたのを。
せっちゃん……ウチの、初めての友達。怖い事があったらいつも助けてくれた、大切な友達。こっち来てから全然会えなくて、中一になって会えた時は凄く嬉しかったのに…………―――
「―――よしっ」
ムンッ、と小さく気合を入れて、小次郎さんに向かって一歩踏み出した。先ずは何気ない話から入って、自然な流れを作らな。
「……ふむ、誰かと思えば木乃香殿か。今は勉強の時間ではないのか?」
けど、何歩か歩いたとこで、あっさりと小次郎さんに気づかれてもうた。別に話しが目的やったから構わへんのやけど、何で後ろから近づいてたウチに、それも四メートルくらい離れてて分かったんやろ?
「あ、えと、その…………午前中の復習テストやっとって、終わった人から休憩でええってネギ君が言うたから、それでウチだけ早く終わって―――」
心の準備が出来る前に話しかけられて、ワタワタと慌てて訳を説明してく。そんなウチの様子がおもろかったのか、クツクツと笑いながら小次郎さんが振り向いた。
「ははっ、そう固くなるな。私は木乃香殿からすればただの年上の男。友人と接するようにと言うのは難しいかも知れぬが、畏まる必要はあるまい」
「は、はい…………え、えと―――あ、そうや」
グルグルするくらい頭ん中で話題を探して、何よりも先に言わなあかん事を思い出した。ここに落っこちてくる時―――もっと言うと、動く石像がごっついハンマーを振り下ろそうとした時、小次郎さんはウチを……その、守ってくれた。
せっちゃんの事を聞くよりも、先ずはお礼が先やと気づいたウチは、深呼吸して、ピシッと背筋伸ばして、小次郎さんの顔を見る。
「木乃香殿?」
「えっと…………落っこちる時、守ってくれてありがとな」
お辞儀しながら、短いけど精一杯のお礼を言った。早くせっちゃんの事を聞きたいって気持ちがはやって、これだけしか出てけえへんかったんが、ちょっと悲しかった。
「何、どう致しましてだ。こちらこそ済まなかったな。いくら守るためとはいえ、了承も無く」
言葉足らずな小次郎さんの言葉を聞いて、ついそれが何を指しているか考えてまう。分った途端、カァッ、と顔が熱くなって、一緒にあの時の事を明確に思い出してしもうた。
いきなし肩を抱かれたと思たら、一気に……だ、抱き寄せられて―――
「ぁぅ……」
「む……これは失礼をした。今のは流石に不躾であったな」
ウチの赤くなった顔を見て、今度は小次郎さんが謝ってきた。気にせんといて助けてくれたんやし、と笑顔で取り繕って、ちょっと無理やりやけど話の流れを変える。
「そ、そや。小次郎さん、さっき何の本を読んでたん?」
「ふむ、これだ」
小次郎さんがさっきからずっと手に持っとった本を受け取った。題名は、
「日本昔話? 小次郎さん、こういうの好きなん?」
「いや、そういう訳ではない。たまたま手に取ったに過ぎぬ」
「へー。じゃあ、普段はどんな本を読むん?」
ウチの何気ない、むしろ当然とも言える質問で、なぜか小次郎さんが言葉に詰まってもうた。それも顎に手まで当てて、めっちゃ難しい顔で考え込んどる。数十秒待ってみてもそれは変わらへんで、どうしたんやろと声をかけようとした時、ようやく小次郎さんが口を開いた。
「本を手に取ったのは、それが初めてだ」
「へ? ホンマに?」
「うむ。この際だから言うが……実はな、木乃香殿」
「うん、なんや?」
「私はな―――字の読み書きが出来ぬのだ」
「…………ふぇ?」
小次郎さんが口にした言葉がよく分らんかって、ウチはついそんな間の抜けた声を出しとった。
「―――え、えーっと…………それ、ホンマ?」
「無論だ。斯様な冗談を言うはずがなかろう。理由については、触れないでくれると助かる」
ちょっと険しく両目を閉じて、小次郎さんがウチの確認に断言した。うーん……小次郎さんがそう言うんなら、まぁそういう事なんやろ。世の中にはウチらじゃ想像も出来ひん事なんて、幾らでもあるんやし。
―――あ、そや。
「なぁなぁ小次郎さん。ほなら、ウチが読み書き教えたろか?」
すっかりいつもの調子を取り戻して、ちょっと下から見上げる感じで、小次郎さんにそう提案した。ウチの言った事がよっぽど意外やったのか、小次郎さんの表情がキョトン、としはった。ちょっと可愛いかな思たんは、ウチだけの秘密や。
「……私としては是非にと頼みたいほど有り難い事だが、よいのか?」
「ええよー別に。小次郎さんには助けてもろたし、恩返しや」
静かに聞き返してきた小次郎さんに、笑いながら答える。ふむ、と呟いて顎に手を当てて、また考える素振り見せたけど、結局小次郎さんは首を縦に振った。
「では、ご教授の程宜しくお願い致す、先生」
「任しときー。あ、そや。代わりに一個だけ、頼みたい事あるんやけど」
「む、何かな? 読み書きを教えてもらえるのだ、私に応えられる事であれば何でも応えよう」
自然な流れが出来たとこで、ようやっと一番聞きたかった事を聞ける時が来た。小次郎さんもこう言っとるし、ホンマに聞きたい事やから、遠慮なく質問させてもろた。
「あのな…………小次郎さんとせっちゃ―――桜咲さんて、どういう関係なん?」
「刹那と? 木乃香殿も知っての通り、私は剣道部のこーちを勤めている故、言うなれば指導員と門下生といった関係だが」
「ほかー……そしたら、仲はええの?」
「まぁ、それなりにはな。急にどうしたのだ?」
やっぱいきなり過ぎたんやろか、小次郎さんが逆に疑問を投げかけてきはった。ここで隠しちゃこの先は聞けへんやろし、ウチは包み隠さず言うてまう事にした。
「実はウチと桜咲さん―――ウチはせっちゃんて呼んでるんやけど、子供の頃友達だったんよ」
「…………だった、とな? 今は違うのか?」
「ううん、そんな事ない。ウチは今でもせっちゃんを友達やと思っとる。でも、せっちゃんがな……ウチを何でか避けるんや」
それから小次郎さんに、ウチの昔話しをちょっとだけ話してく。
京都で暮らしていた事。大きな家に住んでて、一人も友達がおらんかった事。せっちゃんが初めての友達になってくれた事。ほんで―――麻帆良で再会して、前みたいに話してくれなくなった事。
「……そうか、そんな事が」
「そうなんよ……。ウチな、小次郎さん。別にせっちゃんと仲良いころに戻りたい訳とちゃうんよ。そら、戻れたら戻りたいけど…………もしウチが気づかない間にせっちゃんに嫌な事してもうたんなら、一言謝りたくて。
そやから小次郎さん―――せっちゃんに、それとなくウチの事、聞いてみてくれへん? この通りや」
せっちゃんと仲良かったころ思い出して、沈んでもうた気持ちのまま、小次郎さんに一生のお願いをするために頭を下げた。緊張で手の平には汗が滲んで、心臓は不安でバクバクんなって、今にも張り裂けそうやった。
もし、小次郎さんに断られたら、ウチ―――
「顔を上げよ、木乃香殿」
凛、とした声が聞こえた。はっとなって顔を上げたら、そこには優しく微笑んどる小次郎さんがおった。
「案ずるな、木乃香殿。この佐々木 小次郎、桜咲 刹那との仲立ち、快く、謹んでお受け致そう」
「ほ、ホンマ!?」
「無論。元より、先生の頼みを断れるはずがなかろう? 何、あの刹那のこと。木乃香殿を嫌うなど有り得ぬよ。安心して待っていてくれ」
ウチを安心させるような優しい声を出して、頭を撫でながら小次郎さんがそう言うてくれた。頼みを引き受けてくれたんは嬉しいけど……勝手に女の子の頭撫でるのは、ちょっとあかんかな?
ま、せっちゃんに聞いてくれるんやしええか、このくらい。誰かに頭撫でられるとか久しぶりやし、ホンマはちょっと、気持ちええし。
「ん……ありがとなー、小次郎さん。ほしたらみんなの勉強終わるまでの間、早速読み書き教えたるな」
「承知した。宜しく頼む、木乃香殿」
すっかり気分も晴れて、笑顔になりながら小次郎さんに文字を教えるための教材を探してく。きっとぜんぜん出来へんのやろし、やっぱ先ずはひらがなかな。とりあえずここにいる内に、ひらがなをマスターさせたらんと。カタカナや漢字は、地上に出てからになりそうや。
小次郎さんが後ろについてくるのを感じながら、今後のプランを着々と頭の中で練っていった。
―――ずっと悩んどったせっちゃんとの不仲。どういう形になるかは分からへんけど、解決の糸口が見えた事が、ウチは何よりも嬉しかった。
―――いただきまーす!
皆で食卓を囲み、手を合わせて食べる前の挨拶を済ませてから、箸を進めていく。木乃香殿手製の料理は異国生まれの物だそうで、見るだけでも十分に食欲をそそられる。手始めに赤い液体に身を包んだ海老を口にしてみると、弾ける様な歯ごたえと共に未知の辛味が旨みを含んで舌の上で踊った。
「―――美味い」
白米をよく噛み締めながら、次に食べる料理を決めていく。筍と肉と緑色の野菜を、それぞれ細く切って炒めた料理を口に入れたがこれもまた美味い。海老を使った料理もそうであったが、何とも白米が美味くなる料理だ。そういう風に箸を動かしていると、あれよあれよという間に茶碗が空になっていた。
……現代に蘇ってからと言うもの、一度に食べる量が一気に増えてしまった。生きていた頃は毎日、空腹を満たす程度の食事だけに止めていたし、二日三日と山の湧き水だけで生活する事もざらだった。時には蛇や蛙、更に悪い時は蝗(いなご)や飛蝗(ばった)を焼くだけで食した事もある。
故に、己の食がここまで太いとは思いもよらなんだ。常時で白米茶碗二杯は軽く、修業や剣道部の指導で汗を流した後なら三杯は余裕で入ってしまう。その上で二品目以上は固いおかずを全て平らげるのだから、自分の胃袋につい疑念を抱いてしまう。武に身を置く者として、この程度は普通かと思わなくもないが、以前が以前だけに少々心配だった。
「コノカ、お代わりアル!」
「私もー」
「拙者もお願いするでござる」
そしてそんな私より速く食べているこの者らは、女子としてどうなのであろうか? 茶碗半分しか食べていないネギを見習って、少しは慎みというものを覚えて欲しいものだ。
「はーい。小次郎さんもいるー?」
「頂こう」
お代わりを要求した三人―――順に古殿、佐々木殿、長瀬殿と言う―――に白米を盛った茶碗を返した後、私にも訊ねてくれた木乃香殿へ、素直に茶碗を渡す。湯飲みに入った茶を飲んで一呼吸置いたところで、丁寧な仕草で木乃香殿が茶碗を私の前に置いてくれた。
「忝い」
「ううん、気にせんといてー。たっくさん食べてなー」
小さく頭を下げながら礼を言い、再び白米を口に運んでいく。個人的には味噌汁が欲しいところだが、斯様な御馳走を作って貰っているのだ、文句など言っては罰が当たるというもの。一口一口感謝を込め、良く噛み、自分に出された分を一つ残らず平らげていく。
「あー、やっぱりキッツイわねー。月曜日に間に合うかしら……」
「大丈夫だよーアスナ。まだ十何時間も勉強できるんだから、絶対詰め込めるって」
「詰め込みが前提なんだ…………否定できないけど」
「まぁまぁ明日菜殿。やる気を出すでござるよ」
「ネギ先生、先ほど分からない所が出てきましたので、食事の後に教えていただけますか?」
「あ、分かりました夕映さん」
少し箸を休めて茶を飲み、ワイワイと団欒しながら食事を楽しんでいる皆を眺めてみる。月曜にあるという試験に向けての勉強がやはり辛いのか、表情にはやや陰りが見えるも、同じ様に意気込みも感じられた。
「小次郎さん、お茶のお代わりいるー?」
「む、頂こう」
言われて、いつの間にか空になっていた湯飲みを木乃香殿に渡した。“うーろんちゃ”と言う飲み物らしく、独特な香ばしさを持っていて中々に美味い。何でも外国産の飲み物らしいが、他にもあるのであろうか。興味が尽きぬ。
ちなみに今のところ、茶々丸が淹れてくれる玉露が一番のお気に入りであった。あの舌の上に広がる、豊かな甘みが何とも言えぬ。ついかりん糖や団子といった、茶請けが欲しくなってしまう程に。
「はーい、小次郎さんお待たせやー」
「忝い」
両手で湯飲みを受け取り、一口啜る。口の中の油を程よく流してくれるこのうーろんちゃという物は、実に此度のおかずに良く合った。
茶碗と大皿が空になった頃、皆で再び手を合わせて、ごちそうさまでした、と木乃香殿へ一様に礼を表した。
「はーい、お粗末さまやー」
昼食が終わると、皆思い思いに散らばっていった。木乃香殿は食器の後片付け、佐々木殿はその手伝い。綾瀬殿はネギに質問をし、神楽坂殿も熱心に勉強をしている。長瀬殿と古殿は二人で雑談を交わしているようだった。
私も私で食後の時間を有効に使うため、青江を手にして歩き出した。
「小次郎さん。どこへ行くんですか?」
「食後の運動を兼ねて、散歩を少々な」
「あ、そうでしたか。呼び止めてスイマセンでした、ゆっくり楽しんで来てください」
ネギの言葉に、軽く片手を上げて返事を返す。青江を背に留めながら歩を進めて、ここに来て最初に行ったのとは、違う純粋な散策を開始した。
橋を歩き、水と木の匂いを堪能しつつ、光に照らされるそれらを眺めていく。歩む速度も緩やかにして、この世の物とは思えない自然の風景を全身で感じた。此度の学園長殿の行いは素直に賞賛できぬが、斯様な場所に私を連れて来てくれた事へは、正直に礼を表したい。
ただし。試験の期日に皆が間に合わなかった場合はその限りではない。仮にそのような事態になれば、その時は何らかの罰を与えねばなかろう。
「まぁ、有り得ぬと思うが」
飄々としていて悪戯好きな翁であるが、その本心では生徒の事を第一に考えておられる。私をここに同伴させているのがそのいい例だ。一瞬脳裏を過ぎった己の馬鹿な考えを、自嘲を持って一笑に付した。
そうやって幾らか歩いていると、随分と開けた砂浜に出てしまった。目測で四丈は有りそうな円形の砂浜だ。中心に立ってみると、なお更その広さを実感できる。周囲を湖で囲まれているここは、さながら陸の孤島といった雰囲気をかもし出していると言えよう。
大自然に触発されて、背から青江を下ろし右手に収める。一つ深呼吸をして、刀に神経を通していく気持ちで精神を統一する。一分ほどそうして、刀が私の一部になった時、体が自然と動き出した。
自然体からほぼ無動作で振るわれる青江。十数年間、一日も欠かさず振り続けた円の太刀に淀みはない。あらゆる体勢、状況から、寸分の狂いもなく首だけを狩るように円を描き続けた。
未だ至らない無色だが明確な道を見据えながら、まだ上があると信じて。
私が至っているのは鳥の領域まで。風は未だ観じられず、月には切っ先すら届いていない。今の私では、空高く飛ぶ鳥すら落とすことは叶わぬであろう。この調子では風を観じるようになるまで、十年以上はかかりそうだと、心の中で冷笑を零した。
―――もっとも。現状に満足しておらぬ訳でもないので、とりわけ急ぐ気も無いのだが。そうして事を急いて俗世を楽しめぬ様になるのは、些かと言わず勿体なさ過ぎるであろう。
どれほどそうしていたか定かではないが、長くなる前に適当な時間で切り上げて青江を仕舞った。昼食を食べてから間もないのだ、いきなり激しい運動をしてしまえば戻してしまいかねない。折角木乃香殿が作ってくれた料理に対して、そのように失礼な事はしたくなかった。
「さて。そろそろ皆も勉学を再開した頃……私も、早めに出口を見つけると―――む?」
歩き出そうとして、私は自分の体に違和感を感じた。一見して変わったところは見当たらないが、どうにもおかしい。若干だが、いやに足の運びが重く感じられるのだ。手を持ち上げて何度か掌を握りこんでみるが、やはりそこにも重みと言うには行き過ぎた、何かスッキリしないものを感じた。
「まぁ、別世界に蘇って一月も経っていないのだ。知らず知らずに体調を崩したのであろう」
そこまで重く見なければならないものでもないので、そう簡単に理由付けて出口探しを開始した。皆が試験に参加できるよう、出来うる限り速く見つけてやらねばなるまい。
一種の使命感を胸に、私は己の役割を全うすべく、足をいずこかへ向けた。
後書き
ファミチキは美味い。逢千 鏡介です。
さて、また小次郎に新要素を加えた今回、いかがだったでしょうか。
やっぱり現代でちゃんと生活する以上、言葉の読み書きは必須だなと思い、こういう運びで覚えてもらう事にしました。小次郎、頑張れ。
七話で立てた伏線は、今回のためにありました。今回からひそかに、このかと刹那の仲を取り持つ事になった小次郎、もっと頑張れ。
図書館島編は、次回で終了の予定であります。その後はちょっと閑話のような物をはさんで、エヴァ編へ突入という運びとなっています。どうか、お楽しみに。
取り留めのない後書きですが、これにて失礼します。感想・激励・叱咤・酷評、いずれも大歓迎でお待ちしています。
では。
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