「―――いざ」


 静かに告げて、私は最初にして最後、かつ最高の宿敵を迎え入れた。その者の名はセイバー。剣の英霊の役割を担う美しき少女。私を見据える瞳に迷いは無く、その表情からは一度我が秘剣を見ているにも関わらず勝利への気迫が窺える。


 ――――――あぁ、それでいい。其方はそれでいい。そうでなくば、私が全力で秘剣を振るう意味がない。


 一拍の静の後、一瞬で動へと切り替えた一足で踏み込んだ。我が必殺の領域に捉えられても、セイバーの腰は少しも浮かず、全神経を持って私を待ち受けていた。間違いなく、この一刹那のみ、世界には私とセイバーしか存在していなかった。


 一の太刀を放つ。それを追うように―――否、同時に二と三の太刀が放たれた。我が秘剣・燕返しが作り出すは斬撃の牢獄。正中線を両断する太刀とそれを回避した者を追う円の太刀、そして左右への逃げ道を封じる横薙ぎの太刀。この三太刀同時攻撃を持って牢獄は完成される。この秘剣、神でなくば破る事は叶わぬ。


「あ―――!」


 短い裂帛の気合と共に、黄金の風が吹いた。私の左腕下、腰と二の腕の間をすり抜けた風は、神でなくば破れぬ牢獄を突破した。


「――――――ク」


 知らず口元を嬉しさで歪ませて、刀を切り返した。彼女がいるのは私の真横。振るうは秘剣に至らずとも最速の太刀。だが、それは彼女の方が幾分速かったようだ。夜をはじく美しい黄金の剣が、痛みを感じるよりも速くこの身を通り抜けた。


「ぐ―――ぬ」


 口元を締め、喉に栓をする。四肢には力を込め、この身が勝者を汚さぬよう立ち続ける。栓を突き破って口内に血流が迸ったが、それを気迫のみで押し戻した。


 私の足元にいるのは美しき勝者。そんな彼女を紅い汚物で汚すなど、我が矜持が許しはしない。


「――――――行け」


 何故かこの場に留まっているセイバーに、目を閉じたまま一言告げた。それで漸く気付いたのか、セイバーは己の役目を果たすべく走り去っていった。


「―――ふっ。燕を斬る我が秘剣も、斯様な獅子には届かなんだか。女を見る目には自信があったのだが、いや、私もまだまだ精進が足りぬという事か」


 やれやれ、と肩を竦めながら、自嘲を浮かべて石段に腰を下ろす。既に体は半透明になっていた。定められた刻限をとうに過ぎていたこの身が、あれだけの死合いを繰り広げたられたかと思うと、秘剣を破られた事実を誇らしい気持ちで受け止められた。


 何とはなしに、ふっと空を見上げて、月を仰いだ。その風景を見て、私だけが、かつてのあの頃に還った気がした。


「あぁ、以前は詰まらぬ剣しか見せられなんだが――――――今宵の剣は美しかったであろう?」


 その気持ちのまま、長く私の稽古に付き合ってくれていた顔見知りに、苦笑いを浮かべて独り言を洩らした。


 体が七割方薄くなる。私はまもなく消えるだろう。だが、無名の私などとは分不相応な剣士と死合うことができ、あまつさえ決着までつけられたのだ、不平や不満を残すつもりはなかった。


 ―――ただ、未練は一つあった。


「ふむ…………結局、町には下りられなかったか。ここに縛られている故当然の事なのだが、いやはや」


 あの頃から現実に引き戻り、視線を正面に下ろした。そこには煌びやかに光る地上の星。かつての面影を一つも残さない現代の町並み。そこに、私は無念とも羨望とも言える眼差しを向けた。


 召喚されてから幾日、私はそれを密かに望んでいた。未練といえば、やはりこれが未練だろう。


 普通に町を歩きたかった。


 久しぶりに茶を飲みたかった。


 昔は余り食べなかった団子を食べたかった。


 潰れるまで酒を飲みたかった。


 今のあらゆる文化に触れたかった。


 無駄でもいい。意味などいらぬ。否、それこそに意味がある。


 これは人として、当然の望み。


 『生活』をしたい。


 これのどこに間違いがある。


「――――――まぁ、今更な事ではあるな。運が無かったと諦めるか」


 ふぅ、とため息を一つ吐くと、その吐息が私の最後の欠片だったように、私は夜に溶けていった。


 死したサーヴァントは聖杯に取り込まれる。私もその例に漏れず、霊脈を通じて聖杯への道をひた進む。この時に意識はあるのかと考えた事もあったが、どうやら私という意識は残っているようだ。だがそれも聖杯に辿り着くまでの話だろう。後悔は無く未練を残し、私は奇跡の一端を担う。


 ――――――よう。お前さん、生きたいかい?


 と、どこからか声が聞こえてきた。少年のような青年のような、とりあえずは男の声だ。


 ――――――おい、生きたいかって聞いてるんだよ。どうなんだ、あ?


 それは何とも粗暴な口調ではあったが、なぜか微笑ましい感情を持った。どう返答するか迷うが、その間にも私は聖杯終わりへと堕ちて行く。


 ――――――おいおい早めに頼むぜ。時間はあまりねぇんだ、このままじゃ選択もできねぇぞ。


 答えを急かす男。終わりはもう近い。だが私は答える前に、それを望めばどうなるかと問うた。


 ――――――決まってんだろ。あんたを生かしてやるよ。やりたい事、まだあんだろ?


 何当然のこと聞いてんだ、と男が笑った。


『―――はっ、それはそれは』


 声は出せぬだろうと思い、心の中で私も笑った。どこの誰かは知らぬが、何ともありがたいことだ。私のようなしがない脇役に褒美をくれるとは。


『あぁ、生をくれるのならば貰おうか。何分生前は貧しくてな、貰える物は貰う主義だ』


 ――――――あいよ。そんじゃあ、行くぜ。


 終わりに辿り着く。それと同時に、私が別方向に引きずられ―――否、追いやられ始めた。私を押す何か。視覚は機能しておらずそれを認めることは出来ないが、何となくそれが件の男なのだと理解した。


 終わりに孔が開く。恐らくこれは出口にして入り口。終わり消滅から新たな始まり誕生へと至る脱出口。そこに私は落とされ、男が言う生を手にするのだろう。


 そこで気付いた。男は見えず孔が見えるということは、つまり、男はこの場所そのものだということに。


 ―――そして。落とされる前の刹那、もう一度だけ問うた。


『――――――何故、私を生かす?』


 純粋な疑問だった。こんな場所に男がいることも気になるが、それ以上にそちらの方が私には気にかかった。私と男は初見であるのに、何故命を助けようとするのか。


 ――――――ちょっとだけ、あんたと俺の境遇が似てたからな。唯の同情さ。


 男の答えに、なるほど、と納得した。男のことは知らない。ただ、そういうものだと受け止めた。問答はこれで終わりだ。後は孔に落ちるのみ。


 しかし男は、何より、と言葉を続けて、










 ――――――あんたがそれを望んだからだ――――――










 そんな言葉を最後に、私は今までに別れを告げた。








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